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 眠ると言うより瞬きをする感覚。それで、目の前にはサンダーランドの庭が広がる。体の痛みは無く、時間も季節もあの時のまま。

 目の前には庭を眺めるアッシャーが、あの時の出立いでたちで立っていた。

「アッサム様」
「……何故、ここに」

 彼は目を見開いて驚いている。そりゃそうだ。

「リオネット様に伺いました。今日は満月なので、今度は私がお話相手になるかなと思って」

 夢の中の彼の見た目は変わらなかった。怪我とかはしてなさそう。

「……そうか。リオン……」

 小さく呟いたアッシャーは一度目を瞑り、そして、爽やかなあの仮面をつけた。

「お変わりはありませんか?仮面の姫」
「はい、色々ありましたが、今は息災で過ごしています」
「それは、良かった」

 アッシャーは私に近づいてきた。前回よりずっと近くに。

「……お会いしたかった。俺がペンダントを付けていたのは無意識のうちにですが、会いたいと願ってお顔を拝見できるのは嬉しい」

 仮面ついてますけどね。お互い。

「無意識でも呼んでいただけるのは、私も嬉しく思います」

 嬉しい、はずだ。仮面の、カリンでない私を見るアッシャーの目が優しくて、少し嫉妬は感じているけれど。穏やかな表情のアッシャーは私がいた事に驚いてはいたが、覚悟は決まっていた様に見えた。

「……次に貴女に再びお会いできた時は、以前ついた嘘の許しを、貴女に乞おうと思っていました」
「嘘、ですか?」
「ええ、自分自身にもついていた嘘です。あの時俺は姉を助けるために記憶を消したと言いました。けれどあれは嘘でした。俺はただ、姉にとって完璧な弟でいる事から逃げ出したかったんです」
「お姉様が疎ましかったのですか?」

 それこそ嘘だと思う。アッシャーとリズさんは共に思い合ってる家族に見えた。

「疎ましくもあり、愛していた、大切な家族です。愛情深く育ててもらいましたが、俺が……、姉の理想通りでなければ病んでしまう程の愛情は、俺には苦しかった」

 アッシャーは認めたく無かった事を認める様なそんな苦しげな目をしていた。そうだったのかと、ストンと入ってくる。周りから望まれてリズさんのために力をつけた。そうして、実質リズさんを守っていたのに、お父さんの様に儚くならない様にと期待される。その期待が裏切られて病んでしまう保護者だと、子供は子供ではいられない。
 彼は当時たったの8歳だった。
 そして、愛情深い姉を疎ましく思う自分が認められなかったのか、と。

「それで逃げ出しました。ソフィアもです。ソフィアは魔力がほぼありません。そして、産まれた時のトラブルで義母は子供を望めなくなった。魔力が強い貴族は家を継ぐため、強い魔力の婿は貴族では見つからない。それで魔力が強い原石の夫候補として、俺はマンチェスターに迎え入れられました。そこで俺は本物の天才、ナルニッサとリオンに出会った。ソフィアは俺を慰めてました。『家も継げない、勇者にもなり得ない原石』の俺を。それで、良いと思ってました。でも、それは他の貴族達からはソフィアへの攻撃となった。だから、力を得て格付け一位になりました」

 アッシャーはそこで一旦口を閉ざした。私に話す事は決めたけれど、それでも躊躇う様な、彼の心の澱。

「私がナルニッサに勝ち、勇者候補になると今度はソフィアが病んだんです。『勇者は私の夫にはなれないのに、どういうつもりなのか。私を見捨てるのか』と。家を継ぐのはリオンだ。ソフィアは好いた人とでも穏やかに過ごせば良いのに」
「ソフィアさんは……、アッサム様を好いていたのではないのですか?」

 アッシャーは辛そうに笑った。

「だったら良かったんですよ。彼女は俺の初恋だった。でも、その彼女の目は姉と同じなんです。完璧に言う事を聞いてくれる王子様が欲しかっただけで、だからこそ、俺は力を得たというのに。そして、彼女は怨嗟を受けた!俺のせいだ」

 守るべき愛する相手を守れず、しかも疎ましくさえ思う事、構図は確かにリズさんのときと同じだ。
 彼がそれを吐き出した今、見開きは可能だった。でも、私はそれをしたくなかった。彼も私を見つめたままだ。

「怨嗟は……、力は受けるだけでは発露しない。その力を求めて、求めて、そして魔力の上限を超えた時に発露する。その上限は普通、白魔道士でも無ければ指標が無いので分かりません。一度で発露する者もいれば、何度でも発露しない者もいる。一度でも求めれば、求め方を知ってしまえばその後は簡単に魔力を手に入れられる様になる」

 諦めの様な表情は、戻れない自分を呪うかのようだ。まさか。

「私は姉から逃げた時からすでに3回も怨嗟を享受しました」

 これが、アッシャーの罪。

「リオンの読みでは3回目で発露の可能性があった。だから、監視してもらい、欲求を抑える魔法を施してもらい、自分の気持ちを理解しない様に生きてきました。今回ギリギリで発露を回避したなら、次は無い。俺はこの結界から外に出ればいつ何時、カリン達を傷つけるか分からない。怨嗟の力を手に入る事は、俺にとっては剣を振るう事と同じくらいに容易い事だ」

 苦しさを滲ませたまま、アッシャーは視線を外した。有難い事に今回私と彼は手を伸ばさなくても届く距離にいる。背伸びをして、アッシャーの両手頬を掴むと、彼はビクッと震えた。それでも離しはしない。

「アッシャーは発露なんかしない。私の目を見て!」

 驚く彼に深呼吸させる。この効果は凄いんです。私は何度助けられた事か。

「貴方は人のためにしか力を使わない、求めない。剣だって自分の欲求で振り回したりしないでしょ?だから、絶対怨嗟は発露しない」
「大切な人がいる。俺はそのために3回目の力を求めたんだ。そしてきっとまた、力を求める。もしやり直しできても、その道を選ぶ」
「助けたい人と距離を取っても、その人がトラブルにあうのは避けられないよ。それなら近くで守った方がマシ。貴方は充分強いんだから、それならずっとその人達を守れば良いんだよ」
「……っ。俺は弱いんだよ。俺のせいで傷つくと思うと足がすくむんだ!」

 アッシャーは怯えながら、それでも怒鳴った。

「じゃあ、守って貰えばいいよ」
「はぁっ?!」
「貴方の周りには天才がいて、強い。そして、その強い人は今貴方のせいで傷ついてる。……話もせずに思い悩まれることで傷つくの、あなたは良く知ってるでしょ?リオネット様のあんな顔、私見た事ない!」
「リオンが……?」

 私は手を離した。少し息切れがしてきた。魔力が切れかかっている?

「リオネット様もナルニッサ様もいます。怨嗟の発露で傷つけそうになっても、簡単に傷ついてくれる人達ではない。きっと止めてくれます」

 ここに来て、カリンが止めますと言えない、この格好の悪さ。いや、手伝いますけどね。もちろん。
 途中で深窓の姫壊れてたけど、とりあえず取り繕った。そろそろ出ないと、ヤバい。

 アッシャーは切なげに目を瞑った。

「俺は貴女を傷つけるのが怖い」
「簡単に傷つくと思わないでください。逃げるのは得意です!」

 この上なくカッコ悪いです。もっと言い方なかったかな、と悔いている私のおとがいにアッシャーの手が触れた。
 何?と思う前に私とアッシャーの唇が重なる。

「俺は貴女を求めるが故に怨嗟を受けるのでは無いかと怖かったんだ」
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