百合の匂い

青埜澄

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12話

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 それからしばらくして、修は果物工場のアルバイトを辞めた。
 ローラーを掛け合う相手がいなくなり、佑は休憩時間も一人でスマートフォンを眺めて過ごすようになった。
 修がいなくなってから少しの間は、笠松も声を掛けてくれたが、次第にそれもなくなった。
 季節は進み、外はすぐ暗くなる。更衣室を出たときの冷えた空気に、理由のない寂しさを覚えることがあった。

 やがて、飲みの席で加川と付き合うことになった。成り行きだったけれど嫌ではなかったし、一緒にいれば穏やかだった。
 果物工場は辞め、家の近くの本屋で働くようになった。土曜日は一日働いて、日曜日は誰かと会う。そんな生活がしばらく続いた。
 友だちも増えた。恋人も変わった。忙しさに紛れているうちに、時間だけが過ぎていった。

 教員免許は取ったが、試験は受けなかった。なりたいと思えなかった、というより、決めきれなかったのだと思う。
 自分で選んだつもりではいる。でもそれが本当に自分の意思だったのか、今もはっきりしない。

 卒業旅行はゼミの仲間と温泉に行き、みんなで笑って、写真を撮って、ベッドに倒れ込んだ。大学生らしい一日だった。
 不満はない。いつか笠松が言った"大学生活"というものが自分にも出来たのだと、むしろ満足している。       
 眠る前、ふと修は元気にしているだろうかと思った。スマートフォンを手に取り、トーク画面を開いて、閉じた。
 修という存在は、誰かと笑っているときにも、ふいに喉の奥に引っかかる小骨のように思い出される。
 どういう関係だったのかと考えても、うまく言葉にできない。
 ただ、強いて言うなら――恋愛に、少し似ていた。

 社会人になってしばらく経ったある日、仕事帰りの駅のホームで、修と鉢合わせた。
 びっくりして、思わず視線をそらした佑とは対照的に、修は気にした様子もなく声をかけてきた。その距離感が、昔と変わらなくて、少し可笑しかった。
 修は営業の仕事をしているらしい。相変わらず人懐こくて、よく喋る。
 タバコの臭いはしなかった。代わりに香水の香りがした。
 近況を話すうち、佑は一人暮らしで、今は特に付き合っている相手もいないと口にした。
「俺も」
 修はあっさり笑った。

 数日後の金曜日、帰宅した佑のスマートフォンにメッセージが届いた。
『明日ヒマ?』
『予定ないよ』
そう返すと、『じゃ、行くわ』と続いた。

 翌日、部屋を軽く片づけて動画を流していると、インターフォンが鳴る。小走りで玄関へ向かい、鍵を開ける。
 そこに立っていた修は、白い百合を一本、手に持っていた。
「これ、プレゼント」
 様子を伺うように笑ってから、照れ隠しみたいに付け足す。
「昨日、営業先に百合が飾られてて。なんか佑のこと思い出した」
 少し間を置いて続ける。
「……俺、結構百合好きやったんやって、その時やっと気づいた」
 佑は言葉を探して、見つけられなかった。ただ、胸の奥で何かが静かにほどけていくのを感じていた。
 自分が何を選んできたのか、何を選ばなかったのか。
 それが自分の選択だったのかどうかも、相変わらず分からない。
 それでも――
 玄関に差し込む光の中で、花を差し出す修を見ていると、少なくとも今この瞬間、目をそらさずにいたいと思った。
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