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しおりを挟むついに、夜が来てしまった……。
高い窓から広がる紫紺の空を見ながら、鈴鹿万里は暗澹たる気持ちを殺しきれず、ひっそりとため息をついた。
眼下にはキラキラとビーズをぶちまけたようなネオンが瞬いていて、人々の欲望の渦に吸い込まれそうでゾクリと身震いする。
金は、あるところにはあるのに、どうしてそれが俺の家じゃないんだろう。
詮無いこととは知りつつも己の境遇に文句を垂れていると、スタッフが厨房のカウンターの前に集まり始めているのが目に入る。ミーティングが始まるのだ。
万里はネガティブな思考を首一つ振ることで打ち払い、重い足取りでそちらへ向かった。
『SILENT BLUE』。
映画にでもありそうな名前のこの店は、オーナーである神導月華の認めた人間しか利用することのできない会員制高級クラブである。
キャストは全員男。客も概ね男。
料金は、一般的な金銭感覚を持つ万里からすると理解できない額で、需要なんかあるのかと内心疑っていたが、客のいない時間というのがほとんどないくらいには人が来る。
金は、あるところにはあるのに(以下省略)。
驚愕することは多いが、スタッフはみんないい人達だ(オーナーを除く)。店長と副店長は少し近寄りがたいが、教育係についてくれた二人などはいい人すぎて、むしろこんな仕事をしていて海千山千の男どもに騙されたりしないのだろうかと、万里が不安になってしまうほどである。
性的なサービスは禁止で、客もまたそうしたことを目当てにくるわけではないそうだが、業種としては風俗店であり、夜の仕事であることには変わりない。
まさか、自分がこういった仕事に関わることになるとは、思ってもみなかった。
万里、腹を括れ。
もう何度となく思い浮かべた言葉を、もう一度己に言い聞かせる。
何を思おうと、これからしばらくはここが自分の戦場なのだ。
全員揃っていることを確認すると、店長が共有事項を話し始め、最後に万里に視線を向けた。
店長は俳優にでもなれば『抱かれたい男』『結婚したい男』などのランキングで上位間違いなしの容姿をしている。道を歩けばふらふらと女性が寄ってきそうな色男だが、『SILENT BLUE』のような店で店長をやっているということは、女性に興味がないのか万里のようにワケアリか。
「今日から『バンビ』も指名表に載せる。接客している様子を見かけたら他のスタッフはフォローするように」
『バンビ』は万里の源氏名だ。そういう店だとわかってはいるが、成人男性にこんな名前を付けてしまうセンスに少し引く。
『鈴鹿の『鹿』と名前の『ばんり』にかかってて、なかなかいいでしょ?』
……と、からかうように笑った男の顔が脳裏をちらついて思わず眉を顰めると、すかさず店長から「笑顔」と叱責が飛んだ。
そういう自分はスタッフ相手にはにこりともしないだろうと、文句を言いそうになったがすんでのところでこらえる。
万里は対お客様用の笑顔で、「よろしくお願いします」と頭を下げた。
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