いじわる社長の愛玩バンビ

イワキヒロチカ

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 ミーティングが終わると、ちょんと燕尾型のカマーベストの裾を引かれた。

「大丈夫?緊張してる?」

 振り返ると、万里の教育係の一人であった『眠兎ミント』が立っている。
 もちろん『眠兎』は源氏名で、本名を桜峰さくらみねみなとという。
 派手な美形ではないが整った顔立ちをしていて、優しくて控えめな性格は、しかし弱々しいのとは違う。掴みどころがないというか、少し不思議な雰囲気の人だ。
 仕事のこと以外でも色々とお世話になっていて、万里が足を向けて寝られないスタッフの一人である。
「そうですね…緊張はしてますけど、まあ相手も人間だし、何とかなるかなって思ってます」
 むしろ万里よりも緊張している様子に苦笑しながら返すと、桜峰はぱちぱちと目を瞬いた。
「鈴鹿は強いなあ……。俺なんか、はじめて指名をいただいたときはものすごく緊張して、お客様に気を遣ってもらっちゃってたよ」

 この人の場合、その初々しさは逆に受けたのではなかろうか。

「万里はいい子だから、あんまりかしこまりすぎずに、お客様と一緒に楽しい時間を過ごせば大丈夫だと思うよ」
「ありがとうございます」
 オーナーの認めたお客様、ということは、要するにあの男と同類ばかりということで、そんな客層と楽しい時間を過ごせる気は毛ほどもしないのだが、仕事は仕事、そして桜峰に心配をかけたくはないので、素直に頭を下げた。
 とはいえ、こんなにキラキラした人たちがいるのだ。我ながら悲観するほどの不細工ではないと思うが、顔面偏差値はごく一般的なレベルだと思う。
 辞めるまで一度も指名されない可能性もあるよな、と、万里はたかをくくっていた。


 開店すると、『OPEN』の札を出しに行ったチーフが、すぐに客を連れて戻ってきた。
 受付カウンターのところにいた万里は「(一番乗りとかどれだけ張り切って来てんだよ)」と苦々しく思いつつも、営業スマイルを張り付けて、いらっしゃいませと一礼し、入ってきた人物を仰ぎ見た。

「ん、何だ、見ない顔だな。新人か?」

 柔らかい声だ。
 仕立ての良さそうな光沢のあるダークグレーのスーツを均整のとれた体躯で着こなし、そこに乗るのは甘いマスク。
 緩めた胸元とネクタイはだらしなさではなく色気を演出し、華やかさは同時に退廃を感じさせて、それが男の魅力になっている。
 すらりと背が高く、一見優男だが弱々しさは微塵もなく、むしろその胸のうちにはどこか熱いものを秘めていそうな雰囲気があり、目が離せなくなるような……。

 チーフにつつかれ、はっと我に返った。

 何をボーッと野郎をガン見してたんだ俺は。

「い……いらっしゃいませ」
 慌てて笑顔を繕い直し、改めてお辞儀をする。
 目を細めた男は、万里にではなくチーフに聞いた。
「こいつは?」
「研修が終わったばかりの新人、『バンビ』です」
「仔鹿ちゃんってか。じゃあ今日はそいつにする」

 ちょっと待て。

「本日は『眠兎』でなくとも?」
「『眠兎』は未亡人っぽいところがよかったんだが、最近すっかり新妻オーラがなあ……」
 チーフはにこにこと穏やかに微笑んで、頷いた。
「かしこまりました」

 いやいや、一番乗りで誰でも選び放題状態なのに何故俺……?

 想定外の事態に困惑し、それでいいのかという視線をチーフに送ってみたが、「よかったね」という祝福のこもった視線で返され、何も言えなくなる。
「では、久世様。『バンビ』とともに、楽しいひとときをお過ごしください」
 チーフの優雅な一礼。

 そうして万里は、輝くばかりの笑顔に送り出され、初めての指名客をゲットしたのだった。
 
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