いじわる社長の愛玩バンビ

イワキヒロチカ

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 万里はその微かな物音を聞き逃してしまった。
 煙草を取り出した目の前の男が、訝しげな顔をしたのを不思議に思った、その時。

「動くな!警察だ!」

 バンッと音を立てて唐突に廊下へと通じるドアが開き、銃を構えた二人の男が飛び込んできた。
「な……!」
 大竹が目を瞠り、突然のことに万里も硬直した。
 一方久世は拘束が緩んだ隙に、背後のスカジャンに肘打ちを喰らわせ、掴んだ腕からナイフを奪うと刑事らしき男の方に投げ渡し、そこからノーモーションでこちらに駆け寄ると、反撃しようと懐に手を入れた男の手を蹴り上げる。
 取り出そうとしていた拳銃が部屋の隅に転がり、万里の目の前で煙草の男も押さえ込まれた。
 一瞬である。

 カチリ、と、手錠の音がして、二人の男が確保された。
 二人のうち年配の方の刑事が、遅ればせながら警察手帳を見せて、飄々と罪状を言い渡す。
「とりあえず、三人とも脅迫と教唆らへんの現行犯で逮捕する。メインディッシュは後でゆっくりな」
 『らへん』、とはなんとも曖昧な。
 逮捕の現場とはこういうものだろうか。

「どう…して」
 大竹は事態を飲み込めていないような愕然とした表情のまま、刑事からの手錠を受けた。
「残念だが、やり取りは全部俺たちに実況されててなあ。久世お前、タイピンに収音できるカメラ仕込むとか、色々とどうなんだ」
「誤解を受けやすい稼業なもので、ドラレコは必須ですよ」
「相変わらず因果な商売してやがる」
 どうやら二人は知り合いらしい。半眼になった年配の刑事に、久世は苦笑して頭を下げる。
「ともあれ、お忙しいところありがとうございました、鬼塚さん」
「ほとんどお前の自作自演みたいなものだったが、善意の通報を放っておくわけにもいかないからな」

 大竹たちが連れていかれると、久世はすぐに万里の前に膝を折り、拘束を解いてくれる。
「だから、お菓子くれるって言っても知らない人について行くなっていっただろ」
「お……菓子なんて、貰ってない!」
 礼を言おうと思ったのに、いつもの調子でからかうから、そんな風にしか返せなかった。
 久世は軽く笑うと、視線を下げる。
「かわいいのしまって少しだけ待ってな。送ってってやるから」
「~~~~~~~!」

 かわいいのって言うな!

 抗議は言葉にならず、真っ赤になった万里は慌ててズボンを上げる。
 無理やり拘束されていた手足が唐突な動きに痛んだが、それどころではなかった。
 助けに来てもらったことには感謝しているが、あんな姿を見られたのは痛恨の極みだ。
 かわいい呼ばわりまでされて、もうお婿に行けないような気分である。

 万里が元気なことを見届けると、久世は今度は父の拘束を解いた。
「ああ、ありがとう久世君。まさか大竹があんな……」
 父にも怪我などはないようだ。
 礼を言いながらのそのそと立ち上がる父はスーツ姿なのだが、いつものことながら、どうしてか遊び人にしか見えない。
 並ぶと久世とは背丈が同じくらいで、浮世離れした父の隣に甘めの美形があると、妙に怪しい雰囲気があった。
「まったく気づいてなかったんですか?」
「もうまったく。僕は彼らと一緒に行かなくてよかったのかな」
「貴方はさる金融会社から受けた融資を返そうとしているだけなので。あちらのことは弁護士がうまくやりますよ」
「そうかあ……。大竹も真面目で根はいい奴だから、無事に帰ってくるといいな」

 この場合の無事とは何を指しているのか。
 色々と酷い扱いを受けていたような気もするのに、怒るどころか気遣っている。
 元はといえば自分のせいで大竹はあんな風に……、などと反省したわけではなく、たぶん、何も考えていないだけだろう。
 なんだか、この男の下でずっと働いていた大竹がかわいそうになってきた。

「下に迎えの車が来ていますので、それで戻ってください」
 久世の言葉に、父は眉を寄せた。
「ええ~?まだキャバクラもカラオケも行ってないんだけど」

 やっぱり父はもう少し痛い目を見ておいた方がよかったのではないだろうか。

 久世は残念な発言を特に怒るでもなく、よろしくお願いしますと受け流す。
 渋々戻ることにしたらしい父は、そこでようやく万里がいたことを思い出したようだ。
「あ、万里、元気そうでよかった。巻き込んでメンゴ☆そのうち帰るから、もう少し待ってて」
 この状況で『元気そうでよかった』。
 お前はどこでどうしてにいるのかとも、自分はどこでどうしているとも言わないファジィさ。しかもメンゴ☆って……。
 相変わらずだな……と肩を落としながら、頑張ってねと適当なエールで見送った。

「お前の親父さん…やっぱり大物だな」
「…………………」
 何故か感心した様子の久世に、万里は何も言えずに乾いた笑いを浮かべるしかできない。
「さて、俺たちも帰るか」
「あの、」
「説明は、道々してやるよ」
 聞きたいことが多すぎるので、食いつこうとしたが先手を打たれ、万里はムッとしながら久世に続いた。
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