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しおりを挟む聞き間違いではない。神導に惚れている、と久世は言った。
「(え、俺は?)」
先日何かそのような展開があったように感じたのは、勘違いか?
本命が神導で、当座のところ遊ぶ相手に万里を、ということだろうか。
確かに、はっきりと好きだとか付き合ってくれだとか言われたわけではない。
では、久世は神導のためにその身を裏社会へと沈めたというのか。
そして二人の様子を見るに、恐らく両想いではない。
そういえば神導も『昴をよろしくね』と意味深なことを言っていた。
それはつまり『自分は彼の想いに応えてあげられないから』という意味ではないのだろうか。
神導と自分では、比べるべくもない。
必死で考えてみても神導より秀でていると思える部分は……思い当たらなかった。
なるほどそうか、と万里は納得する。
キスをされてふわふわしながらも、久世がどうして自分を、という違和感は拭えずにいた。
本気でないのならば、その時の気分や、本命と毛色の違う相手をつまみ食い……というのはあるだろう。
堂々と『惚れている』と宣言するのだから、騙すつもりですらないということだ。
不誠実だとは思うが、責める気にはなれなかった。
ただ、万里の方は遊びでもいいと割り切れそうもない。
それほど恋愛経験があるわけでもないし、他に意中の相手もいないので、途中で本気になってお互いに不幸な結末に至りそうな予感がする。
今のうちに全て冗談にして終わらせてしまう方がいいだろう。
久世も万里にその気がなければ、相手には困っていないだろうから、食い下がりはしないはずだ。
「(なんだ…。悩んで損したな)」
久世のようなハイスペックな恋人ができるというのは、性別や職業のことも含め、万里には大事件だ。
それが勘違いでほっとした、はずなのに吐き出した息はやけに重たい。
ポタっと膝が濡れて、グラスから滴ったのかと思い、おしぼりに手を伸ばした。
「お前もここで働いてればなんとなく感じたんじゃないかと思うが…」
言葉を止めた久世が、万里を見てギョッとした顔になったのを不思議に思った。
「何……ですか?」
「いや、何ってお前」
久世が慌てた様子で懐から取り出したハンカチを押し付けてくる。
ハンカチがじわりと湿った感触でようやく、自分が涙を流していることに気付いた。
「(どうして…?)」
どうしてこんなに胸が苦しいのだろう。
まさか既に自分は、本気で久世のことを……、
「バンビ…?」
困惑していると、驚いた様子の伊達の声が耳に入り、はっとした。
お客様の前で泣き出したりして、他のスタッフに迷惑をかけてしまう。
とにかく涙を止めなくてはと、顔を擦ろうとした手を「擦ると赤くなるから」と細い指にやんわりと止められた。
「お客様。失礼ですが、うちのスタッフに何を?」
やけに圧迫感のある笑顔で、近寄ってきた伊達が久世に迫る。
「いや、何かしたつもりはないんだが…、」
困り果てた様子で久世は頭を掻いた。
久世は悪くない。
万里が勝手に勘違いをしていただけだ。
そう言おうとした時、とんと肩を叩かれて反射的に振り返る。
「バンビ、こっち」
桜峰に手を引かれ、されるがまま万里は立ち上がった。
その間にも圧がすごい伊達と困惑する久世のやり取りは続いている。
だが先輩の判断には逆らえず、万里は後ろ髪をひかれながらも、その場を後にした。
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