いじわる社長の愛玩バンビ

イワキヒロチカ

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 逃げる機会を逸した万里は、久世に引きずられるようにして家から連れ出された。
 「まだ顔洗ってないんだけど」「ちょっと着替えてくる」と訴えたが、車で来たから気にするなと一蹴されて。
 振り払って逃げることも考えたが、久世の意に反して家に戻れば父に文句を言われそうだ。
 そうしてまごついているうちに助手席に放り込まれ、自分も運転席に乗り込んだ久世は、さっさとエンジンをかける。
「は、話なら家でも……」
「鈴鹿さんに聞かれてもいいなら俺は構わないが」
 そう言われてしまうと何も言えない。

 車は滑り出し、万里はどんな顔をしていればいいのかわからず、俯いた。
 ふと目に入った自分の履物は汚れたサンダルである。
 その上も起きてそのままの格好なので、伸びて薄くなったTシャツに同じような状態のハーフパンツという、家の敷地内でのみ許される装いだ。
 隣の久世はいつものように、緩めたネクタイすらも洒落た演出に見えてしまう完璧なスーツ姿だというのに。
 あまりにも強すぎるコントラスト。相応しくないと言われているようで、落ち込んでしまう。

 しかも卑屈になってしょんぼりする万里には気付かず、久世はやけに不機嫌そうな様子でぶつぶつと文句を言ってくる。
「まったく…昨日はお持ち帰りする気満々だったってのに、唯純には怖い顔で追い出されるし、月華は爆笑しながら電話かけてくるし…」
「そ、それは、悪かった、けど…」
 久世の口から出た神導の名前にちりっと胸が疼いた。
 迷惑をかけたとは思うので咄嗟に謝ったが、自分ばかり責められるのは理不尽だ。失恋したのだから、涙くらい出る。

「しかもお前、うっかりスマホも返却していっただろ」
「あれは、うっかりじゃなくて…」

 過失のように言われて、そうではないと、つい口をついた自己弁護で墓穴を掘った。
 失言に気付き口を噤むと、ステアリングを握る久世がちらりと厳しい視線を投げてくる
「……わざと、俺との連絡手段を手放したのか?」
「え……っと。色々片付いたし、もういいんじゃないかなって」
「お前…俺とのことは遊びだったのか…。利用するだけしてポイか」

 何かおかしいことを言い始めた。
 冗談めかした言い方は言葉遊びの一環かもしれないが、万里は笑えない。
 無神経な発言に怒りが込み上げ、爆発する。

「遊びだったのはあんたの方だろ!」
「はあ?なんだそれ」
「お、俺には、オーナーの代わりとか、務まらないから…っ!」
 自分で言っておいて著しいダメージを受けた。
 鼻の奥がツンとして、うぐ、と息が詰まる。

 万里のそんな様子に、久世は難しい顔をして黙り込んでしまった。
 拒絶しているのは自分の方なのに、久世が「そうか、わかった」と万里を見切るのが恐ろしく、走行中の車から飛び降りてしまいたい。
 刑の執行を待つ死刑囚はこんな気分だろうか。
 しばし気まずい沈黙が流れ。

「……………………………………あ、」

 唐突な「あ」に万里はびくっとなった。
 何を言われるのかと身構えたが、久世はその後も考え込んでいる。
「……………………………ええ?いや、あそこで?……嘘だろ」
 果てに走行中だというのにハンドルに突っ伏したりするので、万里は大いに慌てた。
「ちょ、前、前!」
 僅かな時間だったので幸いにも事故にはならなかったが、のろのろと顔を上げた久世は何やら気の抜けきった顔で苦笑する。
「は~…バンビちゃんは、……バンビちゃんだったな……」
 失望されたと感じ、万里は半泣きになった。
「わ、悪かったな!どうせ俺は子供だし、頭も悪いし、……」
「ああ、事故りそうだからちょっと黙ってろ。うちについたらきちんと話をしよう」
「……………………」

 これ以上、一体何を話すというのか。
 流石に今日は、久世の意地悪に付き合えるほど元気がない。
 だが、走行中の車内から逃げだすこともできず、万里は暗澹たる気分で終わりを待つしかできなかった。
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