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しおりを挟む湊が攫われたという情報を得て救出に向かう前、竜次郎は金に呼び出されていた。
「今回の一件、どうやらうちの因縁の相手らしい」
居室を訪れ、組長の顔で山水画の掛け軸を背にゆったりと座る金を前にすると、緊張するのは今も昔も変わらない。
一応形式上は祖父と孫という関係ではあるが、血の繋がりがないからとかそういうことではなく、命のやり取りが極道の日常だった時代を生き抜いてきた男は、やはり風格が違うということなのだろう。
「まあ、状況ややり口に私怨めいたものを感じちゃいたがな」
金の厳しい顔には怒りも感傷も見受けられないので、いつもの調子で応じた竜次郎の前に、傍らに控えていた日守が何枚か写真を差し出す。
最近のものと、傷んだ古そうなものとがあり、どちらにも髪を短く刈りそろえ、大柄ではないが体格のいい、明らかに筋ものといった男が写し出されていた。
「先程黒神会からもたらされた情報によれば、今回の件、マフィアの手引きをしているのはこの男だと」
「こいつは…?」
「見覚えはねえか」
金がそう聞くからには会ったことがあるのかもしれないが、記憶を辿っても覚えがなかった。
顔を覚えるのは昔から得意な方なのだが、古い方の写真のやれ具合から見るに、竜次郎が相当小さい頃の話だったのではないだろうか。
「そいつは長崎って、昔うちにいた奴でな。博打も喧嘩も強い、少し荒っぽいがいい任侠だった」
「なんでそいつがチャイニーズマフィアの手引きを?」
古い方の写真の中では、長崎ははしゃぐ仲間を少し斜に構えた表情で見ているが、その眼差しには優しさを感じる。
対して最近のものと思われる長崎は、瞳に明らかな翳りが見えた。二十年の歳月が男を変えてしまったのだろうか。
「理由は本人に聞かないことにはわからねえが、恐らく怨恨だな」
「お前、なんかしたのか、日守」
「私はこの男と会ったことはありませんので」
半ば本気、しかし基本的には冗談で茶化したが、日守はくだらないことを言って話の腰を折るなとばかりに切り捨てた。面白みのない奴だといつも思う。
「恨まれてるとしたら俺だ。長崎が出ていく原因を作ったのは俺だからな」
そうして金が話したのは、竜次郎もはっきりと聞いたことはなかった、黒神会と松平組の過去の大勝負だった。
竜次郎が自分を取り巻く環境など理解していないくらい幼い頃、黒神会は全国にその勢力を伸ばしていた。
ある日、組に一人の女がやってきた。
黒神会の旗頭と言うべき人物で、拳一つで組を潰せてしまうような圧倒的な武力を持つ。金も武闘派でならした任侠ではあったものの、そんな化物相手では分が悪すぎる。
自分が勝ったら傘下に入るか、改心するか選べと言うので、金は『自分は博徒だ。郷に入っては郷に従え、博打で勝ったら組はくれてやる』と取引を持ち掛けた。
女はそれに乗ってきた。
「……で、勝ったのか、親父は」
結果が気になって乗り出した竜次郎に、金は苦笑を浮かべた。
「だから最近まで黒神会の傘下じゃあなかったろうが」
「その話に長崎はどう関係してくる?」
「最後まで聞け。俺はな、その女に惚れちまったのよ」
「……………そんなにいい女だったのか」
「いや、男としてだ。あれが男だったら伝説に残る任侠になったろうよ。こんな言い方はおかしいかもしれねえが、あれは本当に漢の中の漢だった」
任侠に漢として惚れられる。
……その女はそれでよかったのだろうか。甚だ疑問だ。
「それで、こっちの土俵で勝負した相手に敬意を払って、組は渡さねえが、それまでやっていた悪どい商売は全部やめることにした。……そういう時代だったとはいえ、その頃はうちも色々やってたからな。……長崎はそれが気に食わなかったんだろう。文句を言ってきたが、俺が突っぱねると、『あんたには失望した』っつって組を出て行った。まあ、そん時はそれだけの話だ」
それが怨恨に繋がるのだろうか。
自分の望まない形になった松平組及び貸元など壊してしまえということなのか。
「それが真実だったとしたら、ただの八つ当たりじゃねえか。その女及び黒神会に怒りを向けるべきだろ」
「うちの次は黒神会、ってことなんじゃねえか。黒神会は、もはや強大すぎる。表立って喧嘩売るのが得策じゃねえのは馬鹿でもわかるだろう」
傍迷惑な……と眉を寄せていると、日守が写真を片付けながらまとめた。
「問題にすべきは、長崎という男の主張が正当か否かではなく、そのような思惑で動くことがその上にある組織と利害において一致するのかというところです。長崎が組織内でどれ程の立場であるかの情報は今はまだない。捨て駒なのか、むしろ長崎が扇動して操っているのか。前者ならば無視すべきで、後者ならば長崎を討てば手を引く可能性もあります。まずはそれを明らかにし、落とし前をつけさせる相手を一点集中で叩くのが、寡勢の我らのとるべき方法でしょう」
日守とは合わないが、その意見には賛成だった。
車を爆破された件で警察にも動向を警戒されている手前、何度もドンパチするチャンスはない。かなり注意深く行動しているようで、今回の件の司令塔がいる場所がなかなか特定できなかったが、これで進展もあるだろう。
さっさと片付けないと、いい加減湊が足りなくて死にそうだ。
最後に見た湊の寂しそうな顔を思い浮かべ、竜次郎は決着を意識して気合を入れ直した。
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