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出会い
しおりを挟む天空は青く澄み渡り、たくさんの人間が楽しげに街を行き交っている。
眼下に広がっているのは『世は全て事もなし』という言葉がぴったりの光景だった。
「どこもかしこも平和そうだな……ったく、つまんねーなぁ…………」
ため息をつきながらぼやいたのは、背の高い黒髪の青年である。
ただ、常人と異なるのは、道ですれ違えば誰もが振り返らずにはいられないほどのその美貌。
吸い込まれそうに深い蒼の瞳、名工が精魂傾けて彫り上げたかのような顔立ち、男でも見上げるほどの長身に黒衣を纏っている。
極めつけは、その背中には黒い大きな翼があって――――それを羽ばたかせて彼は宙に浮いていたりすることだろう。
これで角があれば、人間が言うところの『悪魔』そのもの。
人間がこんな彼の姿を見たらびっくり仰天、たちまちパニック。
あっという間に人が集まり、見世物・珍獣もしくは化け物扱い間違いなしといったところだ。
しかし、人が歩いている2、3メートルくらい上を翼の生えた男がふわふわと飛んでいるにも関わらず、彼に気づく者は誰一人いない。
つまり、この男の姿は人間には見えていないという事になる。
それも当然、彼は正真正銘の『悪魔』であり、しかも魔界でも四大実力者と呼ばれる公爵の一人だったのである。
そして、剣を取っては魔界でも一、二を争う腕前、天使たちの住まう天界との戦では、魔界軍の総大将を勤めたこともあるほどだ。
すらりと見えるその体躯は、長年の修練の賜物で鍛え抜かれた鋼のような強靭さを秘めている。
無論、剣だけでなく魔力においても、四大公爵の名に恥じぬ強大なる力の持ち主でもあった。
そんな人物が何故こんな所にいるかというと――――
「せっかく人間界に降りてきたってのに、何もないじゃないか……休戦中で暇なのは俺たちばっかじゃないってことか?」
つまらなさそうな顔でぼやく彼の言葉が示す通り、天界と魔界の間ではここしばらく休戦状態が続いている。
しかも、近いうちに本格的な和睦を結ぶかもしれないという話まで出ている。
そんな現況は根っからの戦士である彼にとっては暇で暇で仕方ない状態であったといえる。
そこで、退屈凌ぎに人間界までやって来たという訳だった。
「………ん?」
突然、大きな衝突音と悲鳴が彼の耳に届く。
下へ目を向けると、車に轢かれたのだろう、血まみれの少女が倒れていた。
そして、その身体に取り縋り泣き叫ぶ母親らしき女が見える。
ぐったりと横たわったままの細い体はピクリとも動かない。
やがて、朱に染まった胸の辺りから現れたのは――――きらきらと虹色に輝く光の球だった。
「へえ……珍しいな、あそこまで汚れない魂ってのは……虹色なんて今時なかなかお目にかかれないぞ」
男は感心したように呟く。
少女の身体から出てきた光の球、それは彼女の魂だった。
魂の色はそれぞれ人間によって異なる。
そして、心の清らかな人間であればあるほどその放つ光は鮮やかで美しい。
最近の世の中では、これほどに美しい光を放つ魂に巡り合えるのは非常に稀なことだった。
「俺は別に魂集めなんて趣味じゃないが……あいつに見せびらかしてやるのも悪くないな」
魂コレクター(悪魔の中には人間の魂を集めるのが趣味という者もいる)の友人が悔しがる顔を思い浮かべ、彼はにやりと笑う。
そして、彼はまだ身体の上を漂っている光球にすっと手を差し伸べた。
するとその魂は彼に引き寄せられるようにして、ふわふわとこちらへやって来た。
ゆっくりと虹色の魂が彼の手の中に入ろうとした、その瞬間。
「やめなさいっっ!!」
いきなり降ってきた叫び声と共に、彼の目の前に現れたのは一人の少女。
予期せぬ闖入者に、流石の彼も驚いて動きを止めた。
人間には決して見えないはずの彼を呼び止めたのは、当然彼と同じく人外の存在でしかありえない。
息を切らしながら彼を睨みつけている少女の背には純白の翼―――――天使のみが持つ翼があった。
「お前、天使か……」
外見年齢は十六、七歳くらい、まだ少女の域を出ない年頃だろうか。
人間とは違い、天使も悪魔も青年期が長いので、外見と実際の年齢が一致しない事は珍しくない。
ただ、この少女の場合はおそらくまだ外見通りの年齢であろうと彼は思った。
緩やかに背を流れ落ちる黄金の髪に、きつい光を宿した翡翠色の瞳がたいそう美しい。
その容貌は美貌を誇る天使たちの中にあってさえ全く霞むものではなく、数多の美女を見慣れた彼でさえ一瞬見惚れるくらいの美少女であった。
「その魂を放して! それはあなたが奪っていい魂じゃない! あなたが邪魔しなければ天に昇れる魂なんだから…!」
顔を紅潮させ、少女は今だ魂を手にしたままの彼に食って掛かる。
この天使の言う通り、これほどに純粋で美しい魂ならば、たやすく天界へと昇る事ができる。
しかし、美しい魂であるほど逆にその美しさが災いし、彼やその友人のコレクターのような悪魔によって昇天の途中で捕らえられてしまう魂もいる。
勿論、これは天使としては到底看過できぬ事態だろう。
が、しかし、彼は。
ここで「はいそうですか」と放してやるような可愛げがある悪魔では……当然なかった。
「俺の方が先に見つけたんだから、当然この魂を持っていく権利は俺にある。放す気なんぞさらさらないね」
ふん、とせせら笑ってやると、少女はいっそう激したようだった。
「ふっざけんじゃないわよ!! あなたにそんな権利ある訳ないでしょう!! 早く放しなさいよッッ!」
彼の言葉に余計に怒りを募らせた少女は、魂を取り戻そうと掴みかかってくる。
楚々とした見た目とは裏腹に、随分とお転婆な上に口も悪いようだ。
その手を軽くかわして、一言。
「おいおい、そんな乱暴にしたら魂が壊れるぞ。いいのか?」
その効果は抜群、途端にぴたりと固まる少女。
天使や悪魔の力で乱暴に掴むと、人間の脆い魂はそれだけで崩壊してしまうのだ。
だから、取り扱いには細心の注意を払わねばならない。
この天使もそれを思い出したのだろう。
さっきの剣幕はどこへやら、今の行動で魂が壊れはしなかったかと恐る恐るこちらを窺う様子は、彼の目には実にかわいらしく映った。
「大丈夫、壊れてない」
虹色の光球をそっと掲げて見せてやれば、少女はあからさまにほっとした表情になる。
くるくると変わる表情は見ていてひどく楽しい。
(………面白いやつだな)
超レアものの魂より、自分の言葉にいちいち面白いように反応する天使の方に、彼の興味は引かれつつあった。
「さあ、どうする?」
余裕たっぷりのその態度、そして自分を遥かに上回る力を感じて、まだ幼さの残る天使は悔しげに唇を噛み締めた。
そこに悲痛な女性の泣き声が聞こえてきて、少女ははっと息を飲む。
下を見ると、娘の名を必死に呼びながら号泣する母親の姿があった。
それを目にした天使は歯軋りしながら。
「……私がこんなじゃなかったらっ……すぐにでも魂取り戻して、生き返らせてやれるのに…っ…!」
歯の間から押し出すように洩れた呟きは小さかったが、彼の耳はちゃんとそれを聞き取っていた。
少女は苦痛を堪えるかのような表情で一度きつく目を瞑り―――――それから、再び顔を上げて目の前の男を見た。
澄んだ碧の瞳に滲むのは、悔し涙か、母娘を襲った運命への悲しみの涙か。
「………お…願いだから……その魂、放してやって……下さい……っ」
己の力不足に歯噛みしながら、それでもこの無垢な魂を助けるためにプライドを捨てて。
天使である少女は悪魔に頭を下げてきた。
その行動には少なからず驚いたが、半ば自分の思い通りになりつつある展開に彼は密かにほくそえんだ。
「さあて……どうしようかな…?」
手の上で光球を弄びながらにやりと笑うその顔は、少女にはこの上なく小面憎いものに映ったに違いない。
だが、顔を怒りに引きつらせながらも、必死の面持ちで天使は懇願した。
「お願いっ……私にできることなら何でもする、だからっ…!」
望む言質を引き出して、彼は笑った。
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