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扉の向こう、逢瀬の香り
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ホルストの言葉にチェザーレの意識は集中してしまった。
だからなのか。メイドの代わりに通りかかったシャルノーが「わたくしが持って行くわ」と茶器やポットが載せられたワゴンと共に扉の向こう側にいた事に気が付かなった。
「腕を組んで、頬を寄せ合い。あれがシャルノー妃殿下なのかと噂する者もいたようです」
「ま、まさか!そんな衆人環視の元、するわけが――」
「していませんでしたか?」
「いや…そう思われても仕方がない」
ククッと小さく俯きながら笑ったホルストの横目が扉に流れた事をチェザーレは気が付かない。
顔を上げたホルストは少し声のトーンを上げた。
「私は、気が付いていましたよ」
ホルストの声と違い、チェザーレの声は消え入りそうだった。
「何をだ」
ホルストは、「勘違いだったかな?」とも言いたげに驚いた表情になりながら続けた。
「好き…なんですよね。ヴィアナ様の事を」
「・・・・」
「見ていて、痛々しかった。殿下に気持ちがないヴィアナ様を殿下は縋るように行動も、視線も、気持ちも全てが縋りついていた事に」
言葉を返す事が出来ないチェザーレにホルストはまるで雄弁者にでもなったかのように、さらに声をあげて「演説」を進めた。
「街でヴィアナ様との密会。だからですか。足蹴く街に出られていたのは」
「それはシャルノーに――」
チェザーレは思わず声をあげてしまったが、被せるようにホルストは続けた。
「えぇ、えぇ判っています。知られては困りますよね?間もなく御子も産まれるというのにこのような話を聞かせるのは誰が、何を、どう聞いても胎教に良いとは思えません」
「そんな事は判っている!」
ギュッと目を閉じ、拳を握って力強く言葉を発したチェザーレにホルストの口角があがったのは見えてはいない。ホルストは小声になってチェザーレに問うた。
「あるんでしょう?」
「何が」
「ヴィアナ様をまだ慕う気持ちです」
「そんなものは…ない」
「言い切れますか?正直になってください。本当にないのなら何故こんな挙動不審に?シャルノー妃殿下に買ってきた菓子も花もメイドに渡してここに籠る。何故なのか…ここには私と殿下だけ。側近をやめても王家の臣下である事は変わりませんし、口外はしませんよ」
「わからない…わからないんだ…」
「何が判らないのです?ハッキリと言えば、すっきりしますよ」
チェザーレは喉まで声は持ち上がっている。ホルストは最後の一押しをした。
「男同士の話ですよ?」
その言葉にチェザーレは堰き止めていた何かが外れてしまった。
「いけないとは判っているんだ。シャルノーに申し訳ないと!間も無く子供も生まれる!判っているんだ。だが、この気持ちは何だ?!どうしてヴィアナを見て、肌に触れて、声を聞いたら!こんなにアナの事が!アナの事が俺を惑わせるんだ!」
「それは――」
「愛しているからですよ」と言いかけたホルストの声は扉の向こうから聞こえた物音に継がれる事はなかった。
ガチャンと茶器が床に落ちて割れる音。
その音にチェザーレは真っ青になって立ち上がり、扉に向かって走り出した。
――違う。違っていてくれ――
使用人に聞かれても不味い事は判る。ここは離宮なのだ。
使用人はその使用人が「預け先がないから」と連れてくる子供たちでさえシャルノーを慕っているのだ。それでもシャルノー本人に聞かれるよりはまだ取り繕う事が出来る。
シャルノー本人でなければ。
チェザーレは祈るような気持ちでドアノブを思い切り捩じって扉を開けた。
そこには倒れたワゴンとチェザーレを睨みつけるアシュリーとタチアナ。
その隣には、冷えた目でチェザーレを見つめるシャルノーがいた。
シャルノーはチェザーレの歩み寄りを拒みつつも受け入れてはくれていた。
夜中に何かあってはいけないとシャルノーの寝台の隣に簡易寝台を設置して足がつった日にはチェザーレが同じ部屋で夜明けを迎える事もまだ3回目だったが許してくれていたのだ。
「あの…シャルノー…」
近寄ろうとしたが、タチアナがその間に入って立ち塞がった。
「殿下、来客中なのでは?中座をされるような出来事でも御座いましたか?」
先ほどのシャルノーのようにタチアナの目は冷たい。
タチアナの凍てつくような言葉がチェザーレの動きを止めた。
「参りましょう」
シャルノーの小さな声に、タチアナとアシュリーが入れ替わる。
アシュリーは倒れたワゴンと共にチェザーレがその先に進む事を拒んだ。
ホルストが帰った後、チェザーレは話をしようとシャルノーの部屋の向かった。
だが入ることは出来なかった。
まだ辿り着いていないが、シャルノーの心がまた初夜の翌日のように離れたのを理解せざるを得なかった。
それは使用人達がシャルノーの部屋から簡易寝台を運び出している姿が目に入ったからである。
――また振り出しか…結局これも俺のした事なんだ――
だが、振りだしどころではなかった。
その日の夕食も、翌日の朝食も昼食もシャルノーは食堂には現れずチェザーレと共に取る事はなくなった。
それまでと同じように菓子や花を買ってきても「逢瀬の香りがする土産は要りません」とキャシーに受け取りすら拒否をされた。
夜会の日は近づいているのにシャルノーと話をする以前にシャルノーの姿すら見えない。
完全に拒否をされたのだ。
執務の書類ですら「入れておいてください」と書かれた貼り紙があり、そこには使用人の姿すらない。
たまにナージャやアリッサとすれ違うが「シャルノーは?」と問うても微笑むだけで言葉は返ってこない。しまいにはジョゼフに「王宮の部屋で執務をされたら如何です?」と言われる始末。
完全な【敷地内別居】である。
堪えかねたチェザーレは使用人の制止を振り切ってシャルノーの部屋を訪れた。
「誤解なんだよ。判って欲しい。シャルノーに誓った気持ちは変わらない」
「勝手に思っていればいいのです。思うのは…自由ですから」
月数も間もなく8カ月目に入ろうとするシャルノーは立ち上がると、跪くチェザーレを見下ろし部屋から出て行った。
シャルノーの香りが残るシャルノーの執務室で、力なくへたり込んだチェザーレは天井を見上げた。
ふらつく足で部屋に戻ったチェザーレに追い打ちをかけるように従者が「待っていたんですよ」と声を掛ける。何だと問えば来客だと言う。
「誰なんだ…全く」
「オリオス伯爵家のご令嬢、ヴィアナ様と伺っております」
チェザーレの目の前の景色が一瞬で色を失った。
だからなのか。メイドの代わりに通りかかったシャルノーが「わたくしが持って行くわ」と茶器やポットが載せられたワゴンと共に扉の向こう側にいた事に気が付かなった。
「腕を組んで、頬を寄せ合い。あれがシャルノー妃殿下なのかと噂する者もいたようです」
「ま、まさか!そんな衆人環視の元、するわけが――」
「していませんでしたか?」
「いや…そう思われても仕方がない」
ククッと小さく俯きながら笑ったホルストの横目が扉に流れた事をチェザーレは気が付かない。
顔を上げたホルストは少し声のトーンを上げた。
「私は、気が付いていましたよ」
ホルストの声と違い、チェザーレの声は消え入りそうだった。
「何をだ」
ホルストは、「勘違いだったかな?」とも言いたげに驚いた表情になりながら続けた。
「好き…なんですよね。ヴィアナ様の事を」
「・・・・」
「見ていて、痛々しかった。殿下に気持ちがないヴィアナ様を殿下は縋るように行動も、視線も、気持ちも全てが縋りついていた事に」
言葉を返す事が出来ないチェザーレにホルストはまるで雄弁者にでもなったかのように、さらに声をあげて「演説」を進めた。
「街でヴィアナ様との密会。だからですか。足蹴く街に出られていたのは」
「それはシャルノーに――」
チェザーレは思わず声をあげてしまったが、被せるようにホルストは続けた。
「えぇ、えぇ判っています。知られては困りますよね?間もなく御子も産まれるというのにこのような話を聞かせるのは誰が、何を、どう聞いても胎教に良いとは思えません」
「そんな事は判っている!」
ギュッと目を閉じ、拳を握って力強く言葉を発したチェザーレにホルストの口角があがったのは見えてはいない。ホルストは小声になってチェザーレに問うた。
「あるんでしょう?」
「何が」
「ヴィアナ様をまだ慕う気持ちです」
「そんなものは…ない」
「言い切れますか?正直になってください。本当にないのなら何故こんな挙動不審に?シャルノー妃殿下に買ってきた菓子も花もメイドに渡してここに籠る。何故なのか…ここには私と殿下だけ。側近をやめても王家の臣下である事は変わりませんし、口外はしませんよ」
「わからない…わからないんだ…」
「何が判らないのです?ハッキリと言えば、すっきりしますよ」
チェザーレは喉まで声は持ち上がっている。ホルストは最後の一押しをした。
「男同士の話ですよ?」
その言葉にチェザーレは堰き止めていた何かが外れてしまった。
「いけないとは判っているんだ。シャルノーに申し訳ないと!間も無く子供も生まれる!判っているんだ。だが、この気持ちは何だ?!どうしてヴィアナを見て、肌に触れて、声を聞いたら!こんなにアナの事が!アナの事が俺を惑わせるんだ!」
「それは――」
「愛しているからですよ」と言いかけたホルストの声は扉の向こうから聞こえた物音に継がれる事はなかった。
ガチャンと茶器が床に落ちて割れる音。
その音にチェザーレは真っ青になって立ち上がり、扉に向かって走り出した。
――違う。違っていてくれ――
使用人に聞かれても不味い事は判る。ここは離宮なのだ。
使用人はその使用人が「預け先がないから」と連れてくる子供たちでさえシャルノーを慕っているのだ。それでもシャルノー本人に聞かれるよりはまだ取り繕う事が出来る。
シャルノー本人でなければ。
チェザーレは祈るような気持ちでドアノブを思い切り捩じって扉を開けた。
そこには倒れたワゴンとチェザーレを睨みつけるアシュリーとタチアナ。
その隣には、冷えた目でチェザーレを見つめるシャルノーがいた。
シャルノーはチェザーレの歩み寄りを拒みつつも受け入れてはくれていた。
夜中に何かあってはいけないとシャルノーの寝台の隣に簡易寝台を設置して足がつった日にはチェザーレが同じ部屋で夜明けを迎える事もまだ3回目だったが許してくれていたのだ。
「あの…シャルノー…」
近寄ろうとしたが、タチアナがその間に入って立ち塞がった。
「殿下、来客中なのでは?中座をされるような出来事でも御座いましたか?」
先ほどのシャルノーのようにタチアナの目は冷たい。
タチアナの凍てつくような言葉がチェザーレの動きを止めた。
「参りましょう」
シャルノーの小さな声に、タチアナとアシュリーが入れ替わる。
アシュリーは倒れたワゴンと共にチェザーレがその先に進む事を拒んだ。
ホルストが帰った後、チェザーレは話をしようとシャルノーの部屋の向かった。
だが入ることは出来なかった。
まだ辿り着いていないが、シャルノーの心がまた初夜の翌日のように離れたのを理解せざるを得なかった。
それは使用人達がシャルノーの部屋から簡易寝台を運び出している姿が目に入ったからである。
――また振り出しか…結局これも俺のした事なんだ――
だが、振りだしどころではなかった。
その日の夕食も、翌日の朝食も昼食もシャルノーは食堂には現れずチェザーレと共に取る事はなくなった。
それまでと同じように菓子や花を買ってきても「逢瀬の香りがする土産は要りません」とキャシーに受け取りすら拒否をされた。
夜会の日は近づいているのにシャルノーと話をする以前にシャルノーの姿すら見えない。
完全に拒否をされたのだ。
執務の書類ですら「入れておいてください」と書かれた貼り紙があり、そこには使用人の姿すらない。
たまにナージャやアリッサとすれ違うが「シャルノーは?」と問うても微笑むだけで言葉は返ってこない。しまいにはジョゼフに「王宮の部屋で執務をされたら如何です?」と言われる始末。
完全な【敷地内別居】である。
堪えかねたチェザーレは使用人の制止を振り切ってシャルノーの部屋を訪れた。
「誤解なんだよ。判って欲しい。シャルノーに誓った気持ちは変わらない」
「勝手に思っていればいいのです。思うのは…自由ですから」
月数も間もなく8カ月目に入ろうとするシャルノーは立ち上がると、跪くチェザーレを見下ろし部屋から出て行った。
シャルノーの香りが残るシャルノーの執務室で、力なくへたり込んだチェザーレは天井を見上げた。
ふらつく足で部屋に戻ったチェザーレに追い打ちをかけるように従者が「待っていたんですよ」と声を掛ける。何だと問えば来客だと言う。
「誰なんだ…全く」
「オリオス伯爵家のご令嬢、ヴィアナ様と伺っております」
チェザーレの目の前の景色が一瞬で色を失った。
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