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第01話 さよなら侯爵家
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紙に走らせたペン先が動きを止める。
アイリーンは息を吐いた。
ベルル伯爵家の3女としてこの世に生を受けたアイリーンはブランジネ侯爵家のドウェインに5年前求婚をされた。
出会いは義姉のミシェルの付き添いで出向いた夜会。
ドウェインも参加していて偶然見かけたアイリーンを見初めた。
ドウェインの思いは例えるなら激しくて燃え盛る愛。一目惚れと言っていいだろう。
ブランジネ侯爵家から婚約が申し込まれた時、義姉のミシェルは見目麗しいドウェインに望まれたのは自分なのだと舞い上がったが望まれたのはアイリーンだと解ると使者がまだ帰っていないのにアイリーンの部屋に来てアイリーンの髪を掴んで暴れた。
少々複雑な事情もあったベルル伯爵家からアイリーンはドウェインの母が用意した屋敷に住まいを移し、王家から遣わされた使用人と共に婚約期間の2年を過ごし、結婚をする時に実家のベルル家とは完全に縁を切った。
婚約期間中にミシェルの襲来もベルル家からの手紙も無かったのは、このまま未婚を貫くのではと思われたドウェインが選んだ相手だとして王家も介入したからだろう。
――今思えば、あの家から出られるのなら相手はドウェインでなく誰でも良かったのかも知れないわ――
アイリーンはそんな風に当時の自身の心境を振り返った。
長かったようで短い3年と言う結婚生活を終わらせる。
デスクの向かいで家令のホスタルと侍女頭のジェシーは今にも泣きだしそうな表情でアイリーンと目が合うと静かに頭を下げた。
「今までありがとう。旦那様が戻ったら渡して頂けるかしら」
「承知いたしました。以後の事は周知徹底しておりますのでご安心くださいませ」
「最後まで手間をかけさせてごめんなさいね」
「いいえ。奥様には皆、良くして頂いたと感謝しております」
アイリーンは書いた文字を指でなぞり、インクが乾いたのを確認すると折りたたんで封書に入れ、家令のホスタルに手紙を手渡した。
「奥様。確かにお預かり致しました」
ホスタルは手紙の入った薄い封筒を受け取ると一呼吸おいて返事をした。
声が途切れれば侍女のジェシーがまだ椅子に座るアイリーンに抱き着いた。
「奥様、やはり私もご一緒に!お連れ下さいませ」
「いいえ。ジェシー。貴女には貴女の未来を歩いて欲しいの」
「でもっ!!」
「とても幸せな時間を過ごせたわ。ありがとう。皆にも伝えてくれる?」
他の使用人にはもう挨拶は済ませているが、アイリーンはホスタルとジェシーにもう一度頼んだ。
「ほら、もう泣かないで。ジェシーの笑顔が大好きなの。最後も笑っていて欲しいわ」
「奥っ‥様っ」
鼻を啜るジェシーがアイリーンから体を離すと、アイリーンは椅子から立ち上がり部屋を見渡した。
この1か月でアイリーンを思わせるものは全て処分した。
夫人の部屋もカーテンや家具は婚約する前に置かれていた物に入れ替えたし、アイリーンの使っていた物は売りに出したり、焼却した。
庭木もアイリーンの好きだったワスレナグサは友人たちの家に植え替えをしてもらった。
次が直ぐに植えられるように今は庭師が整備してくれている。
小物に至るまでこの屋敷にアイリーンの物はなくなった。
――これで愛する人を迎え入れても大丈夫ね――
「奥様、馬車が到着いたしました」
目を真っ赤に、泣き腫らした顔の従者が唇を震わせながらもはっきりとした声で告げた。
「今、行きます」
「では、御者に伝えて参り…」
従者は最後の声を飲み込んで頭を下げた。靴のつま先に1滴の雫が落ちた。
「最期のご案内を致します」
「ホスタル、ありがとう」
家令のホスタルが先導し、アイリーン、続いてジェシーは静かで木漏れ日が差し込む廊下を歩いた。
玄関ホールにつくとそこには今日は休みの使用人もいるし、本来なら屋敷の決まった場所でしか仕事が出来ず、こんな立派な絨毯の敷かれた部屋には立ち入れないはずの下男や下女の顔まで見える。
全員が無言で一斉に胸に手を当てて頭を下げた。
礼をする動きに合わせ「ザッ」音がしたがまた無音。
アイリーンはホスタルに先導されて扉を開けて待つ馬車の前まで来た。
後ろを振り返り、まだ頭を下げている使用人たちにアイリーンも深く頭を下げた。
何秒経ったか。
馬が待ちくたびれて蹄の音をさせるとアイリーンは頭をあげ、ホスタルには小さく頷き、ジェシーに微笑むと馬車に乗りこんだ。
アイリーンが腰かけて真っすぐに前を見れば、御者が扉を閉じた。
最後にホスタルとジェシーが馬車の中のアイリーンに向けて頭を下げると馬車は動き出した。
カラカラと門道の石畳を馬車が走り出す音が聞こえれば、玄関ホールに並んだ使用人たちは嗚咽を漏らす者、床に崩れ慟哭する者、流れる涙をそのままに天井を見上げる者に分かれた。
「さぁ、皆。やるべき事をやろう」
ホスタルが声を出すと1人、2人と力なく玄関ホールを後にした。
アイリーンは息を吐いた。
ベルル伯爵家の3女としてこの世に生を受けたアイリーンはブランジネ侯爵家のドウェインに5年前求婚をされた。
出会いは義姉のミシェルの付き添いで出向いた夜会。
ドウェインも参加していて偶然見かけたアイリーンを見初めた。
ドウェインの思いは例えるなら激しくて燃え盛る愛。一目惚れと言っていいだろう。
ブランジネ侯爵家から婚約が申し込まれた時、義姉のミシェルは見目麗しいドウェインに望まれたのは自分なのだと舞い上がったが望まれたのはアイリーンだと解ると使者がまだ帰っていないのにアイリーンの部屋に来てアイリーンの髪を掴んで暴れた。
少々複雑な事情もあったベルル伯爵家からアイリーンはドウェインの母が用意した屋敷に住まいを移し、王家から遣わされた使用人と共に婚約期間の2年を過ごし、結婚をする時に実家のベルル家とは完全に縁を切った。
婚約期間中にミシェルの襲来もベルル家からの手紙も無かったのは、このまま未婚を貫くのではと思われたドウェインが選んだ相手だとして王家も介入したからだろう。
――今思えば、あの家から出られるのなら相手はドウェインでなく誰でも良かったのかも知れないわ――
アイリーンはそんな風に当時の自身の心境を振り返った。
長かったようで短い3年と言う結婚生活を終わらせる。
デスクの向かいで家令のホスタルと侍女頭のジェシーは今にも泣きだしそうな表情でアイリーンと目が合うと静かに頭を下げた。
「今までありがとう。旦那様が戻ったら渡して頂けるかしら」
「承知いたしました。以後の事は周知徹底しておりますのでご安心くださいませ」
「最後まで手間をかけさせてごめんなさいね」
「いいえ。奥様には皆、良くして頂いたと感謝しております」
アイリーンは書いた文字を指でなぞり、インクが乾いたのを確認すると折りたたんで封書に入れ、家令のホスタルに手紙を手渡した。
「奥様。確かにお預かり致しました」
ホスタルは手紙の入った薄い封筒を受け取ると一呼吸おいて返事をした。
声が途切れれば侍女のジェシーがまだ椅子に座るアイリーンに抱き着いた。
「奥様、やはり私もご一緒に!お連れ下さいませ」
「いいえ。ジェシー。貴女には貴女の未来を歩いて欲しいの」
「でもっ!!」
「とても幸せな時間を過ごせたわ。ありがとう。皆にも伝えてくれる?」
他の使用人にはもう挨拶は済ませているが、アイリーンはホスタルとジェシーにもう一度頼んだ。
「ほら、もう泣かないで。ジェシーの笑顔が大好きなの。最後も笑っていて欲しいわ」
「奥っ‥様っ」
鼻を啜るジェシーがアイリーンから体を離すと、アイリーンは椅子から立ち上がり部屋を見渡した。
この1か月でアイリーンを思わせるものは全て処分した。
夫人の部屋もカーテンや家具は婚約する前に置かれていた物に入れ替えたし、アイリーンの使っていた物は売りに出したり、焼却した。
庭木もアイリーンの好きだったワスレナグサは友人たちの家に植え替えをしてもらった。
次が直ぐに植えられるように今は庭師が整備してくれている。
小物に至るまでこの屋敷にアイリーンの物はなくなった。
――これで愛する人を迎え入れても大丈夫ね――
「奥様、馬車が到着いたしました」
目を真っ赤に、泣き腫らした顔の従者が唇を震わせながらもはっきりとした声で告げた。
「今、行きます」
「では、御者に伝えて参り…」
従者は最後の声を飲み込んで頭を下げた。靴のつま先に1滴の雫が落ちた。
「最期のご案内を致します」
「ホスタル、ありがとう」
家令のホスタルが先導し、アイリーン、続いてジェシーは静かで木漏れ日が差し込む廊下を歩いた。
玄関ホールにつくとそこには今日は休みの使用人もいるし、本来なら屋敷の決まった場所でしか仕事が出来ず、こんな立派な絨毯の敷かれた部屋には立ち入れないはずの下男や下女の顔まで見える。
全員が無言で一斉に胸に手を当てて頭を下げた。
礼をする動きに合わせ「ザッ」音がしたがまた無音。
アイリーンはホスタルに先導されて扉を開けて待つ馬車の前まで来た。
後ろを振り返り、まだ頭を下げている使用人たちにアイリーンも深く頭を下げた。
何秒経ったか。
馬が待ちくたびれて蹄の音をさせるとアイリーンは頭をあげ、ホスタルには小さく頷き、ジェシーに微笑むと馬車に乗りこんだ。
アイリーンが腰かけて真っすぐに前を見れば、御者が扉を閉じた。
最後にホスタルとジェシーが馬車の中のアイリーンに向けて頭を下げると馬車は動き出した。
カラカラと門道の石畳を馬車が走り出す音が聞こえれば、玄関ホールに並んだ使用人たちは嗚咽を漏らす者、床に崩れ慟哭する者、流れる涙をそのままに天井を見上げる者に分かれた。
「さぁ、皆。やるべき事をやろう」
ホスタルが声を出すと1人、2人と力なく玄関ホールを後にした。
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