雨に染まれば

cyaru

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ヤキが回った2人

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「お願いだよ…ライムぅ…僕を捨てないで」


執務をこなすフリライムの元にやってきては縋るスクラープに顔をあげる事もなく飛び地の領地を2人の夫人名義にする手続きを進めていくフリライム。
元々、決済印も預けられているのだ。飛び地の領地が2つ無くなったところで使用人もしっかりしている事だ。散財さえさせる事が無ければ20年は侯爵家としてやっていけるだろう。


薬の影響なのか、スクラープの感情の振れ幅は大きい。前兆として息苦しさのようなものを覚えるのか息遣いで暴れはじめる前にスクラープは自室に閉じ込めてその時を待つ。
侯爵家の様子が変わった翌日に2人の従者と1人のメイドが屋敷から消えた。
おそらくはマニュアを監視していた者なのだろうとフリライムは探す事もしなかった。

離縁前の当面の課題は、王宮の夜会をどうやって凌ぐかである。
素の性格である甘えの状態であれば、テーパー侯爵として人前に立つことは出来るだろう。
しかしどこで禁断症状が出るのかさっぱりわからない。
国王や王子に挨拶の時に症状が出てしまえば大変な事になってしまう。

かと言って‥‥。

フリライムは夫を狂わせている薬剤が沁み込んだタバコの葉とパイプの入った引き出しをあけた。症状が出た時にテラスにでも連れ出して、一服いっぷくふかせれば落ち着くかもしれないが賭けでしかない。
無論、違法薬物であろうこんなものを王宮に持ち込む事も出来はしない。

愛は消えても情はある。夫をあんな状態にした者を吊るし上げるための切り札を捨てる事は出来ない。

スクラープの症状は日に日に厳しくなっていく。
それまで落ち着くために体内に薬物を取り入れていたため禁断症状のようなものはなかったのだろうが、完全に与えなくなると「素」でいる時間は短くなってきたのである。

メチル国にはこのような薬物患者を受け入れてくれる施設はない。
フリライムは引き出しを閉じるとまた書類に集中した。



「母上。父上の事…聞きました」

家を出てそれぞれ独立をしているのに息子たちはフリライムを気遣い交代で訪れる。
その度に誰も継ぐ事がない事実をつい考えてしまう。かといって自分の選んだ道を歩き始めた息子を引き戻す事は出来ない。フリライム自身も離縁を決意し、1人その先の終の棲家ついのすみかとする場を決めているのだ。

――引き返す事は出来ないわね――

3通の書類を手渡し、侯爵家が無くなった後も想定して平民になるため廃籍の手続きの仕方を教える。
3人とも未練がないのが救いだと「自分が好きな時に提出しなさい」と家長印を押した。


息子たちが帰り、静かな執務室で残りの書類を片付けていると来客だと知らせが入った。先触れのない客となれば会う必要はないが、格上の爵位を持つ者であればそうもいかない。
やってきた客の名前を聞いてフリライムは応接室に通すようにと執事に伝えた。




「お待たせを致しました」

「突然に申し訳ないね。いや、昨日約束をしていたのにテーパー卿の姿が見えずどうしたのだろうと顔を見に来ただけだ。ケガでもしたのだろうか?」

訪れた客はルデビット公爵家当主のホルムーアだった。
隣にはフォーズド公爵家にも断られれば最後の婚約者にと考えていたアベスットが会釈をする。


「まぁ、そのようなお約束を?申し訳ございません。私的な予定を共有しておりませんで熱を出した夫もまだ話せる状態ではなく」

「あぁ、そうだったか。熱を‥‥そんなに具合が?」

「ご心配をお掛けして。数日で良くなるとは思いますわ。その折にはまた誘ってやってくださいませ。前回の分もと張り切ると思いますわ」

「テーパー卿には数名のご夫人も居られると聞く、彼女たちも心配だろうな」

「さぁ、どうでしょう。彼女たちは各々楽しく過ごしていると思いますわ。ここ最近は伝達係の従者も仕事がないようですし。妻同士が必要以上に仲がいいと夫も戸惑いますでしょう?」


ホルムーアよりもアベスットのほうが年若い分だけわかりやすい反応をする。
フリライムの言葉に目線が父親のホルムーアに向けて泳ぐのだ。
そしてチラチラと確認するような視線を侯爵家の執事に向けている。

フリライムは茶器を口に当てて口角が上がったのを隠した。
マニュアが通じていたのはこの男なのかと確信した。
さほど付き合いが深かったわけでもないのにスクラープがエフローレが嫁ぐ事で多額の融資をしてくれると言ったのもルデビット公爵家。

いつの間にかいなくなった使用人3人も今までは逐一情報を伝えていたのだろう。
それがピタリと止まり、直接探りに来たのだろう。

フリライムはツィセンス伯爵家の出である。父のツィセンス伯爵もだが【情報漏洩】については厳しかった。今も尚エマに子がいた事を知るものはごく少数。そんな所だけは父に似たのかフリライムはテーパー侯爵家に嫁いだ後はかなり家の内情が漏れる事がないように気を使った。

まさか内通者を妻とするとは思わなかったけれど、居なくなった使用人もマニュアが来た後にマニュアが雇った者だ。マニュアが来たのは2年前。エフローレへの教育もほぼ終わり肩の力を抜いた頃を見計らったとすれば、思い切った手を打ってきたものだと感心した

当主のホルムーアは学園生の頃には第一王子の側近だった。
何時の間にか辞意を表明し王宮内がゴタゴタした後は当主におさまっていた。
フリライムの警戒を知らせる心のざわめきが大きくなる。


「いや、突然にすまなかった。また近いうちに狩りにでも誘う事にしよう」

部屋に入った時は気が付かなかったが、ホルムーアなのかアベスットなのか。
立ち上がった拍子に微かにあの甘い香りがした。
直ぐに消えてしまったが鼻腔に残る甘い香りは間違いない。

目だけが笑っていない笑顔で2人を送り出し、執務室に戻ると侯爵家に15年務めてくれている執事を呼び出した。


「奥様、お呼びと伺いましたが」

「どうぞ、少し話がしたいわ。ソファに座ってさん」

勧められるままソファに腰を下ろそうとしたまま名を呼ばれた執事は動きを止めた。
ゆっくりと顔をフリライムに向けた。

「ご存じでしたか…」

「気が付いたのはさっきよ。ルデビット公爵子息が貴方を見ていたのよ。その視線が気になっただけ」

「参りましたね。ヤキが回ったかな」

「で?フォーズド公爵家はどこまでご存じなのかしら」

「どうしてフォーズド公爵家だと?ルデビット公爵家かも知れませんよ?」

「ルデビット公爵家なら直接探りは入れて来ないわ。ジメチル公爵家は火中の栗を拾うような事はしない事なかれ主義。残るのはフォーズド公爵家。何より貴方がフォーズド公爵家を口にする時はわたくしを通り抜けて左の方向を見ているもの。もっとも後者は今確信したけれど」

「左??」

「ルデビット公爵子息が貴方を見ていたと言った時とその後、貴方は右を見た。どうしてフォーズド公爵家だと?と聞いた時は左を見た。貴方は右利き。利き手の方角を見るのは記憶を思い起こしている時。利き手と反対を見ている時は偽りへの誘導をする為の言葉を考えながらの時よ」

「お手上げだ。参りました。廃業しなきゃですね。えぇ元々はフォーズド公爵家のゲージ様に侯爵家の動向を調べるように15年前にここに入り込みました。この頃ではスティルレイン様に貴女を守るよう頼まれました」

「15年‥‥ふふっヤキが回ったのはわたくしね。全然気が付かなかったわ」


深く溜息を吐くフリライムにロウアはゲージ公爵からの伝言を伝えた。

「あの人を療養させるための施設…」

「はい。まだ準備段階ですが」

「そう‥‥少し考えさせてと伝えてくださる?それから貴方の身の振り方を考えるのは少し待ってくださる?貴方ほど優秀な執事の代りは直ぐには見つからないわ」

「身バレはしましたがね…承知致しました」


肩をすくめて笑ったロウアが部屋から出て行くと、フリライムはクローゼットの扉を開けた。王宮の夜会まで1か月もない。最悪一人でも出席をしてエフローレの結婚式まではテーパー侯爵家を存続させねばならない。
エフローレが嫁いだ姿を見て、旅立つことを決めていた。

遠い田舎の小さな村。財産と呼べるようなものはほとんどないが、リベットはそれでもエフローレを育てた。身の回りの事も全てとなれば誰もが無謀だと言うのだろう。
それでも、エマの墓標がある村を終の棲家ついのすみかにしようとフリライムは決めたのだった。
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