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砕けた心
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この世界に生を受けた日から彼女、アナスタシアは王妃となる事を定められた。
そこにアナスタシアの意志などある筈がない。
まだ誰かの保護下にいなければ生きていくことも叶わぬ赤子の時に決まった事。
王妃となるために育てられたアナスタシアはそろそろ4歳になろうかと言う頃、夫となるであろう少年と引き合わされた。金髪緑眼の美しい少年はシリウスと言った。
「お人形さんみたいだ。綺麗だね」
シリウスの言葉にアナスタシアは微笑を返した。
答えられない時は笑いなさい。それが幼い少女に叩きこまれた処世術。
そして自我を持つことは悪とされ、痛くてもそれは甘えだと叱責され、出来て当然だと鞭で見えない場所を打たれ、悲しくても、怒りたくても、嬉しくても感情を殺す事だけを教え込まれた。
一度だけシリウスに「辛い」とこぼした事があった。
その一言にシリウスはただアナスタシアを抱きしめてくれた。
少しだけ心が軽くなったが、翌日から3日。食事も水も与えられず反省の間でただひたすらに姿勢を正し、王家の歴史書を書写させられてしまった。
シリウスは、良かれと思って王妃教育の厳しさについて進言をしたのだったが、「甘え」と判断をされ、それをまた「告げ口」という卑怯で王妃としてあるまじき行為だとアナスタシアは罰を受けたのだ。
以降は二度とシリウスに「自分の本心」を告げることはなくなった。
だが、シリウスは思ったままをアナスタシアに言って聞かせる。
「僕は王になったら民の為に尽くそうと思うんだ」
「民も良き王だと讃える事でしょう」
「僕は民と同様に妻も子も慈しむ家庭を築きたいんだ」
「慈愛に満ちた国だと誰もが誉めそやす事でしょう」
ただ王妃となるためだけにアナスタシアは美しくそして高潔に成長する。
感情のないアナスタシアは17歳でシリウスの元に嫁いだ。王太子妃となったのである。
誓いのキスでヴェールを上げられた時、やっと1つ解放されると微笑んだ。
正式に王太子妃となる事で、叱責を受けながら教育されることはない。
自我を徹底的に抑えられていてもアナスタシアとて人間。
全てではないかも知れないが、少しは息が出来ると思うと自然に微笑が出た。
――民には微笑む事――
それが呼吸をするのと同じであるアナスタシアは成婚パレードでも民に向かい微笑んで手を振った。
――殿下には逆らわない事――
初夜も痛いと感じたが、抵抗したり動きを妨げる事はせずただ身を任せた。
――子を成す事は王妃となる者の務め――
言葉通りに週に数回、シリウスと房事に励んだが月のものが来るたびに周りの落ち込みを感じる。子を成しやすいようにと食事にも気を使ったが、6年経っても子は出来なかった。
房事の翌日と言っても執務が無くなるわけではない。
高熱が出ても寝込んだ日数分だけ執務はたまり、アナスタシアの体はまだ23歳なのに疲労していた。
国王も王妃もアナスタシアの心配事と言えば【子が成せたか】どうかで、眩暈や吐き気のたびに御殿医の診察を受けさせられる。要因は過労である事が明らかでも懐妊ではないかと周囲をやきもきさせる。
次第に、アナスタシアは不調を訴える事は止めた。
子が成せない事に周囲から側妃を召し上げろという声が高まるのは必然。
アナスタシアもその日が近い事は理解をしていた。
教育が終わり王太子妃となった事で目に見える叱責は無くなったが、【子が成せない】事がそれ以上のプレッシャーが重くのしかかるとは思いもよらなかった
シリウスはアナスタシアを初めて見た日。恋に落ちた。
この世にこれほど美しく、儚い女性がいるのだと思い、妖精いや女神の申し子かと目を疑った。
日を追うごとに、会うたびに美しく成長をしていくアナスタシアにその度恋に落ちる。
シリウスの心はアナスタシアと共に歩む未来しか見えていなかった。
結婚式でヴェールを上げた時、少しだけ「本当の微笑」を見せたアナスタシアをその場で抱きしめたい衝動を必死に堪えて誓いのキスを交わした。
初夜、アナスタシアの生まれたままの姿はシリウスに取ってまさしく女神だった。
触れる事が許されるのだと思うと歓喜に震えるほどにシリウスは舞い上がった。
「なんて綺麗なんだろうか」
頬を紅潮させ、何度も注ぎシリウスはこの先は順風満帆だと思っていた。
しかし、何年経っても子を成す事は出来なかった。
子が出来ない事に対してシリウスへの風当たりはアナスタシアほど強くはなかった。
問題があるのはアナスタシアだと誰もが信じ、そう言い聞かせたからである。
理由は【陛下は殿下を授かっておりますから】だった。
側妃を召し上げる声が日増しに強くなっている事は判っていた。
だから週に数度を毎日にしてアナスタシアと子を成す事に励んだが、アナスタシアの体調が芳しくなくなりそれも途絶えがちになった。
ただ一人、シリウスに【アナスタシアも人間】だと教えた者がいた。
生れた時からシリウスの世話をしてくれた乳母だった。
市井で暮らす民を見よ。そう教えてくれたのも乳母だった。
万が一があってはならぬと周囲に反対をされたがシリウスはお忍びで市井に下る事があった。
そこで見たものは王宮の暮らしとは全く違っていた。
幼子が父や母と呼び、近寄れば手を差し伸べ抱き上げる大人がいた。
慈しむかのようなその光景は、教会にあるマリア像や宗教画の慈愛を感じさせた。
【それが家族、家族愛なのです】乳母は教えてくれた。
父である国王、母である王妃に抱かれた事など記憶の中には皆無。
転んで泣こうが、熱が出て浮かされようがいつも近くにいたのは乳母だった。
自分はそれでいいのか。自問自答を繰り返しアナスタシアとは【家族】になろうと心に誓った。
そこに大きな落とし穴があるとシリウスは気が付かなかった。
――アナスタシアにはそのような教えはされていない――
シリウスもまたアナスタシアに多くを知らず知らずに求めていたのだ。
家族愛も【知っていて当然】だと考えていたのだ。
子が成せぬことについに側妃を召し上げる事が決まった。
シリウスは躊躇いがあった。アナスタシア以外を家族に出来るのかと。
偏った教育は側妃を召し上げる事が決定した時、アナスタシアの心に何が起こったのか。
それを知る者は誰もいなかった。シリウスさえも気が付かなかった。
――子を成す事は王妃となる者の務め――
それが出来なかった故に召し上げられる側妃。
王妃となる者の務めが果たせぬ自分を認めるという事は王妃にはなれない。
王妃になるために生きて来て、道を閉ざされ全てをそこで失ったのだった。
そこにアナスタシアの意志などある筈がない。
まだ誰かの保護下にいなければ生きていくことも叶わぬ赤子の時に決まった事。
王妃となるために育てられたアナスタシアはそろそろ4歳になろうかと言う頃、夫となるであろう少年と引き合わされた。金髪緑眼の美しい少年はシリウスと言った。
「お人形さんみたいだ。綺麗だね」
シリウスの言葉にアナスタシアは微笑を返した。
答えられない時は笑いなさい。それが幼い少女に叩きこまれた処世術。
そして自我を持つことは悪とされ、痛くてもそれは甘えだと叱責され、出来て当然だと鞭で見えない場所を打たれ、悲しくても、怒りたくても、嬉しくても感情を殺す事だけを教え込まれた。
一度だけシリウスに「辛い」とこぼした事があった。
その一言にシリウスはただアナスタシアを抱きしめてくれた。
少しだけ心が軽くなったが、翌日から3日。食事も水も与えられず反省の間でただひたすらに姿勢を正し、王家の歴史書を書写させられてしまった。
シリウスは、良かれと思って王妃教育の厳しさについて進言をしたのだったが、「甘え」と判断をされ、それをまた「告げ口」という卑怯で王妃としてあるまじき行為だとアナスタシアは罰を受けたのだ。
以降は二度とシリウスに「自分の本心」を告げることはなくなった。
だが、シリウスは思ったままをアナスタシアに言って聞かせる。
「僕は王になったら民の為に尽くそうと思うんだ」
「民も良き王だと讃える事でしょう」
「僕は民と同様に妻も子も慈しむ家庭を築きたいんだ」
「慈愛に満ちた国だと誰もが誉めそやす事でしょう」
ただ王妃となるためだけにアナスタシアは美しくそして高潔に成長する。
感情のないアナスタシアは17歳でシリウスの元に嫁いだ。王太子妃となったのである。
誓いのキスでヴェールを上げられた時、やっと1つ解放されると微笑んだ。
正式に王太子妃となる事で、叱責を受けながら教育されることはない。
自我を徹底的に抑えられていてもアナスタシアとて人間。
全てではないかも知れないが、少しは息が出来ると思うと自然に微笑が出た。
――民には微笑む事――
それが呼吸をするのと同じであるアナスタシアは成婚パレードでも民に向かい微笑んで手を振った。
――殿下には逆らわない事――
初夜も痛いと感じたが、抵抗したり動きを妨げる事はせずただ身を任せた。
――子を成す事は王妃となる者の務め――
言葉通りに週に数回、シリウスと房事に励んだが月のものが来るたびに周りの落ち込みを感じる。子を成しやすいようにと食事にも気を使ったが、6年経っても子は出来なかった。
房事の翌日と言っても執務が無くなるわけではない。
高熱が出ても寝込んだ日数分だけ執務はたまり、アナスタシアの体はまだ23歳なのに疲労していた。
国王も王妃もアナスタシアの心配事と言えば【子が成せたか】どうかで、眩暈や吐き気のたびに御殿医の診察を受けさせられる。要因は過労である事が明らかでも懐妊ではないかと周囲をやきもきさせる。
次第に、アナスタシアは不調を訴える事は止めた。
子が成せない事に周囲から側妃を召し上げろという声が高まるのは必然。
アナスタシアもその日が近い事は理解をしていた。
教育が終わり王太子妃となった事で目に見える叱責は無くなったが、【子が成せない】事がそれ以上のプレッシャーが重くのしかかるとは思いもよらなかった
シリウスはアナスタシアを初めて見た日。恋に落ちた。
この世にこれほど美しく、儚い女性がいるのだと思い、妖精いや女神の申し子かと目を疑った。
日を追うごとに、会うたびに美しく成長をしていくアナスタシアにその度恋に落ちる。
シリウスの心はアナスタシアと共に歩む未来しか見えていなかった。
結婚式でヴェールを上げた時、少しだけ「本当の微笑」を見せたアナスタシアをその場で抱きしめたい衝動を必死に堪えて誓いのキスを交わした。
初夜、アナスタシアの生まれたままの姿はシリウスに取ってまさしく女神だった。
触れる事が許されるのだと思うと歓喜に震えるほどにシリウスは舞い上がった。
「なんて綺麗なんだろうか」
頬を紅潮させ、何度も注ぎシリウスはこの先は順風満帆だと思っていた。
しかし、何年経っても子を成す事は出来なかった。
子が出来ない事に対してシリウスへの風当たりはアナスタシアほど強くはなかった。
問題があるのはアナスタシアだと誰もが信じ、そう言い聞かせたからである。
理由は【陛下は殿下を授かっておりますから】だった。
側妃を召し上げる声が日増しに強くなっている事は判っていた。
だから週に数度を毎日にしてアナスタシアと子を成す事に励んだが、アナスタシアの体調が芳しくなくなりそれも途絶えがちになった。
ただ一人、シリウスに【アナスタシアも人間】だと教えた者がいた。
生れた時からシリウスの世話をしてくれた乳母だった。
市井で暮らす民を見よ。そう教えてくれたのも乳母だった。
万が一があってはならぬと周囲に反対をされたがシリウスはお忍びで市井に下る事があった。
そこで見たものは王宮の暮らしとは全く違っていた。
幼子が父や母と呼び、近寄れば手を差し伸べ抱き上げる大人がいた。
慈しむかのようなその光景は、教会にあるマリア像や宗教画の慈愛を感じさせた。
【それが家族、家族愛なのです】乳母は教えてくれた。
父である国王、母である王妃に抱かれた事など記憶の中には皆無。
転んで泣こうが、熱が出て浮かされようがいつも近くにいたのは乳母だった。
自分はそれでいいのか。自問自答を繰り返しアナスタシアとは【家族】になろうと心に誓った。
そこに大きな落とし穴があるとシリウスは気が付かなかった。
――アナスタシアにはそのような教えはされていない――
シリウスもまたアナスタシアに多くを知らず知らずに求めていたのだ。
家族愛も【知っていて当然】だと考えていたのだ。
子が成せぬことについに側妃を召し上げる事が決まった。
シリウスは躊躇いがあった。アナスタシア以外を家族に出来るのかと。
偏った教育は側妃を召し上げる事が決定した時、アナスタシアの心に何が起こったのか。
それを知る者は誰もいなかった。シリウスさえも気が付かなかった。
――子を成す事は王妃となる者の務め――
それが出来なかった故に召し上げられる側妃。
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