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王都への道
しおりを挟む夜明け前、砦の空は淡い群青色に染まり始めていた。
雨上がりの空気は、湿った土と焚き火の匂いが混じっている。
荷をまとめる団員たちの間を、リシェルは静かに歩いた。
剣の柄を確かめながら、何度も深呼吸をする。心の奥では、再び始まる"何か"への予感がうごめいていた。
もしかしたら、あの日のことについて何か近付けるかもしれない。真実に、一歩でも近付けるかもしれない。
そう思ったら、気持ちだけがどんどん焦っていく。
「おい、行くぞ」
低い声に顔を上げると、カイが馬の手綱を引いて立っていた。
朝の光が黒い髪を照らし、表情をさらに険しく見せている。
「はい」
短く返事をして歩み寄ると、カイはちらりと彼女を一瞥した。
その視線には、任務への緊張と……言葉にできない何かが混じっていた。浴場で見てしまった"秘密"が、まだカイの頭の隅を離れない。だが、それをリシェルに悟られるわけにもいかない。
……それでも、気にせずにはいられなかった。
「……無理はするな。偵察が目的だ。戦うな。自分の姿を向こうに見せるな」
「わかってます」
「それと、道中で黒炎が出ないとも限らない。警戒は怠るなよ」
「はい」
そう答えながらも、リシェルの胸には別の覚悟があった。
もしまた"あれ"が現れるなら。今度こそ逃げない。
そう自分に言い聞かせるように、剣の柄を握り直す。
カイはそんなリシェルを見つめるものの、それ以上かける言葉が見つからず。気にすればするほど説教じみた言い方になってしまうことに言いようのない気持ちを感じ、リシェルと同じように自分の剣の柄を握り直すことしかできなかった。
日の出とともに、砦の門がゆっくりと開いた。
外の風が頬を撫で、遠くで鳥が鳴く。彼らの影が、朝の光に伸びていった。
リシェルは小さく息を吸い、手綱を握る。カイが無言でその隣に並んだ。
言葉はなくとも、二人の進む速さは自然と揃っていた。
二人は魔導士の目撃情報があった場所から向かうことにした。馬を走らせれば半日もかからない距離。そこを調べてから王都を目指す予定だ。
国境付近は人の出入りが多い。貿易商や兵士、他国から流れてきた民も大勢おり、皆王都に向かっているのだろう。情報を得るなら、なるべく急がなくては。
馬を走らせてようやく辿り着いたのは、あまり深くはない森の中だった。
「ここか?」
「はい。この辺りのようです」
地図と照らし合わせて頷くと、カイは馬を降りて辺りを捜索し始めた。
大きな通りからは少し離れているためか、ここはあまり人通りが多くはなかった。
風が草原を撫で、遠くで荷馬車の車輪の音が聞こえる。
「……あった」
カイの呟きに、リシェルは急いで向かう。隣にしゃがみ込むと、カイの指差す方へ視線を向けた。
「これ……」
「あぁ。砦近くにあった転移魔法の痕跡と、全く同じだ」
「ってことは……」
「砦に、ノクティアの魔導士が来ていたってことだな」
「そんな……」
つい昨日見たものと同じ、黒い跡。それは、ノクティアが関わっていると示す確かな証拠だ。
つまり、黒炎とノクティアが関わっている可能性が強まった。ということは、五年前も、もしかして……?
「後からここにも何人か調査に来るはずだ。ここは任せて俺たちは王都に向かおう」
「っ、わかりました」
(ダメだ。今は目の前の任務に集中しないと)
再び馬に乗ると、二人は王都に向けて出発した。
道中で話を聞けそうな人を見つけると、二人は魔導士の行方を問いかけてみた。
もちろん、王都に向かっていることはわかっていたものの、その理由を探る目的だった。
しかし、目ぼしい答えは得られないまま王都が近付いてくる。
「リシュ、こっちだ」
「え、こっちは地図に載ってませんよ!?」
「大丈夫だ。昔、団長と走ったことがある。王都の手前の町まで続いている近道なんだ」
「そんな道が……!」
カイの機転により近道することができ、予定より早く王都手前の小さな町にたどりついた。
昼下がりの広場には人々のざわめきが満ちている。
貿易商の声、馬の蹄の音、子どもの笑い声――
一見、平和そのものの光景だった。
だが、どこか得体の知れない緊張感に包まれているようにも見えた。
「ここで待ってろ。話を聞いてくる」
「俺も行きます!」
「いいから。隠れられそうなところを探しておいてくれ」
「……わかりました」
膨れるリシェルを置いて、カイは近くにいる人に魔導士が通っていないか聞く。すると、まだここには来ていないらしい。
「リシュ、どうだ」
「はい。向こうに草が生い茂っているところがありました。馬は木に繋いであります」
「わかった」
「隊長の方は? 何かわかりました?」
「まだ魔導士はここには到着していないということだけだ」
「……ということは、これからここを通るんですね」
「そういうことだろう」
二人はすぐに隠れられるポイントに身を潜める。
すると、急に空気が変わったような気がして辺りを見渡した。
人々が同じ方向をちらちらと見やっている。
「隊長、あれって……」
「あぁ、お出ましだな」
視線の先には、ゆっくりと歩く馬。そしてその上に乗る、緑の中には似つかわしくない黒いローブを羽織った一行。
フードを深く被り下を向いているため顔はよく見えないものの、それは紛れもなく魔導士の姿だった。
「数は五人。でも男か女かもわかりませんね」
「敢えてそうしてるんだろう。ノクティアは基本秘密主義なところがあるからな」
五人並ぶ姿はとても異様で、王都の入り口付近を歩く民たちも視線を送らざるを得ない。
民衆の間から、小さな声が漏れる。
「ノクティアの……魔導士たちらしいぞ……」
「どうしてヴァルデン国に……?」
怯えと好奇の入り混じった視線が、一行を追う。
そして、敵国ということもありどこか近寄りがたい雰囲気がある。そのため皆が端に避けていく。
気が付けば、魔導士の一行だけがまっすぐ王都に向けて進んでいるのを、たくさんの人が黙って見つめていた。
リシェルは目を凝らし、一人ひとりの顔を見極めようとする。
しかしやはり全員がフードを深く被り、素顔は見えない。
(一体どんな目的でこの国に……)
──その時だった。
一行を、強い風が包み込む。
それに歩みを止めてさらに下を向いた先頭の魔導士のフードが、ほんの少しだけ捲れ上がった。
「あ、れ……?」
……瞬間。時間が止まったように感じて息を止めた。
黒いフードの影から覗いたのは、金の髪。
そして、その隙間から一瞬だけ見えた、その顔。……それは、決して見間違えるはずのない顔だった。
「……っ!」
胸の奥が掴まれるように痛んだ。
思わず息を呑むが、声は出ない。ただ、理解が追いつかなくて頭の中で警鐘が鳴り響いていた。
物陰に身を潜めていたため、相手はこちらに気づいていない。
それでも、遠くからでもはっきりと分かった。
(あれは……あれは……)
一歩足が前に出そうになるのを、カイが手で制する。
それでも、身体は進もうと前のめりになっていく。
(あれは……お兄様……!)
喉の奥からその名を呼びそうになるのを、リシェルは必死に押し殺した。
視線の先、彼は何事もなかったように再びフードをかぶり、手綱を握る。
(お兄様。お兄様……! 私、リシェルです! お兄様!)
心の中で叫ぶけれど、当然その声は届かない。
(でも、どうしてお兄様が……? 見間違い? ううん、そんなわけない。私がお兄様の顔を見間違えるなんて、ありえない)
リシェルの手が震えた。
そして、隣のカイが静かに眉をひそめる。
「……どうした」
(だとしたら、お兄様はどうして生きてるの? どうして、ノクティアの魔導士としてここにいるの? 一体、どうして……)
リシェルは答えられなかった。
ただ、唇を噛みしめ、遠ざかっていくその背中を見つめていた。
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