9 / 30
**
怪しい気配
しおりを挟む拠点の会議室に、団員たちが集められる。
机の上に広げられた見取り図を指しながら、団長の低い声が響いた。
「昨夜を最後に、北の砦での黒炎の気配は完全に途絶えた。……だが油断はするな。いつまたどこで現れるかは分からん。警戒を怠るなよ」
張りつめた空気が会議室を包む。
団員たちは真剣な面持ちで頷き、武具の音だけが小さく鳴った。
「本日からは砦の再建に移る。生存者の捜索もまだ続けるつもりだ」
「とても生存者がいるようには見えませんでしたが……」
「それでも、一人は見つけたんだ。もしかしたらまだいるかもしれないだろ。砦の中だけじゃない。周辺も探して見つけ次第保護するんだ」
「了解しました」
「砦は国境からもさほど離れていない。そのためヴァルデン国にとって重要な土地だ。被害の調査、建物の修復をとにかく急ぐ。これは国からの指示だ。気を引き締めるように。そして異常を見つけた場合はすぐ報告しろ」
「はい!」
「いいか、些細なことでも見逃すなよ!」
「はい!」
皆の返事を聞き、団長の視線が全員を舐めるように走る。そして最後にリシェルで止まった。
ここにいること自体がリシェルの答えであり、それが団長にも理解できたのだろう。
団長は何も言わず、再び全体へと視線を戻した。
会議が終わると、団員たちは装備を整えるため散っていく。
剣を背に括りつけながら、リシェルはどこか落ち着かない気持ちを抱えていた。
黒炎は消えた。確かに消えたのだ。それなのに、どうして落ち着かないのか。
この静けさが、かえって息苦しいくらいに感じる。
あの消え方では消滅したかがわからないからだろうか。しかし、もう砦からは気配が無い。本当に消滅したのか。それとも違うのか。一体どうなっているのかがさっぱりわからない。
それに、何度遭遇しても感じる。
(あの黒炎は、確かに私を狙っている)
胸元のネックレスをぎゅっと握る。
その横でカイは無言で鎧を締め、ちらりと彼女を見た。
「リシュ」
「……はい」
「……昨日と今朝の話の続きだが」
低く落とされた声。
「え?」
リシェルは思わず顔を上げる。
カイは視線を逸らしたまま、剣を持った。
「お前がそう決めたなら……俺はもう何も言わない。俺はいつも通りお前を支えながら先に進むだけだ」
「隊長……」
「……だから今のうちに、気持ちを切り替えておけ。忙しい日々になるぞ」
一瞬、言葉を失う。
だがリシェルは息を吸い、強く頷いた。
「……はい」
短い返事に、カイはそれ以上何も言わず。
ただ、どこか遠くを見るように黙り込んでいた。
それから数日、砦に移動した一行は、忙しい毎日を過ごしていた。
崩れた建物は一旦取り壊してから修復を進め、折れた柵も新しい木材に取り替えられていく。
王都からも再建のための人員が派遣されてきており、団員たちは交代で森の警戒に当たりながら、黙々と作業を続けていた。
黒炎の気配は、嘘のように消えていた。
風も静かで、鳥の声さえ穏やかだった。
だが――その静けさが、かえって胸の奥をざわつかせた。
(不気味なくらい、静かだ)
リシェルは何度も森を巡回しながら、そんな予感を拭えずにいた。
そして、その日。
南の森で異変を発見したのは、偵察に出ていたカイだった。
「これは……」
「どうしました?」
「……転移魔法の痕跡だ」
「転移魔法?」
「見てみろ、ここ」
カイが指差した場所には、黒く丸い印のようなものが残っていた。だが、リシェルは魔法の痕跡は見たことがあれど、その種類まではわからない。
「これが転移魔法の痕跡なんですか?」
「そうだ。俺も詳しいことは知らないが、昔見たことがある。これは確かに転移魔法だ」
「ということは、誰かがここで……?」
ここで転移魔法を使ったか、あるいはここに移動するために転移魔法を使ったのか。……あるいは、その両方か。
「すぐに団長に報告だ」
「わかりました」
カイとリシェルは立ち上がり、団長の元へと走った。
報告を受けた団長は顔をしかめ、その現場に急いで向かった。
「確かにこれは……」
「転移魔法、それもかなり高度なものかと」
「……会議を開く。全員を招集しろ」
「了解しました」
すぐに全員が砦の大広間へ集められた。
机の上に広げられた地図の上に、赤い印が記されている。つい先ほど見つけた、魔法の痕跡の場所だ。
「南の森の外れで転移魔法の痕跡が見つかった。だが黒炎の反応があるかはわからない。今確認中だ」
団長の低い声が響く。
場の空気が一気に張りつめた。
「……黒炎と転移魔法に何か関係があるのですか?」
誰かが問うと、団長は短く息を吐き、首を振った。
「それもまだわからない。ただ、痕跡が残っていたのは黒炎の出現地点のすぐ近くだ。無関係とは言い切れないだろう」
重い沈黙が落ちる。
カイが腕を組み、低く呟いた。
「転移ってことは、もうこの砦にはいないということですよね」
「そうだ。あれはおそらくここに転移したのとここから転移したのと、二回魔法を使っている。かなり高度なものだ。だが、問題なのは逃げた先だな……。たとえ魔力を探知できたとしても、場所までは追えない」
団長の視線は地図をぐるりと回る。
「ここは国境から遠くない。国内の可能性もあるし、考えたくもないが国外からの侵入者という可能性もある」
「侵入者……」
皆がその可能性に静まり返る中、
「団長! 至急ご報告したいことが!」
団員の一人が慌てて大広間に飛び込んできた。
「どうした」
「それが……」
「なんだ、早く言え」
団員の視線は一度泳いだものの、一度喉を鳴らしてから顔を上げた。
「国境近くで、ノクティアの魔導士の一行が確認されました」
「何? ……ノクティアの魔導士だと?」
「はい。現在一行は王都の方角に向かっているそうです」
「王都……」
ノクティアと言えば、ここ、ヴァルデン国とは長年対立関係にある国だ。
規模自体は大きくなく、どちらかと言えば小国の部類に分けられる。しかし、その力は甚大なものだ。
武力を中心に国力を高めてきたヴァルデン国とは正反対に、高い魔力と高度な魔法を武器に力を強めてきた国だ。
二つの国は過去に何度も戦争をしているものの、一つ前の王の代からは表立った争いはなかった。
しかし、ノクティアの魔導士と言えば、その高い魔力故に実質国を牛耳っている集団だ。王族と同等の身分を持つと聞く。
そんな魔導士がノクティアから急にやってくるとは、あまりに突然すぎて不自然だった。
「……そうか。ノクティア……ノクティアか。……関連があるかどうか、すぐに確かめる必要があるな」
頷く団長に、団員たちの表情が一斉に引き締まる。
「リシュ、カイ。行ってこい」
短く告げられた任務。
二人の他にも、数名が指名された。
「ただ、目的は偵察だ。絶対に見つかることは許さない。交戦は避けろ。とにかく情報を掴め」
「了解しました」
リシェルは小さく息を吸い、頷いた。
再び剣を腰に下げ、砦の外に出て広がる風を感じる。
(やっぱり、ここから黒炎が消えても終わりじゃなかった……)
それでも、ようやくあの日の手がかりに近付けそう。
(やっと。やっとだ。お父様、お母様、お兄様。やっと、何かがわかるかもしれません)
見上げると、リシェルのはやる心とは反対に穏やかな空が広がっていた。
その夜、砦は早々に静まり返った。
出発を目前に控え、誰もが早めに休息を取っていた。
夜が更け、砦の灯りがひとつ、またひとつと落ちていく。
寝台に腰を下ろしたカイは、無造作に額を押さえた。
窓の外では、風が草を揺らす音だけが響いている。
――湯気の向こうに見えた金の髪。
もうあれから数日が経ったのに、その光景がどうしても頭を離れなかった。
(まさか、女だったなんてな)
あの瞬間の驚きも、動揺も、まだ整理がつかない。
だが何より胸の奥を掻き乱すのは、彼女を“女”として見てしまった自分自身への苛立ちだった。
(くだらねぇ……今更何を気にしてる)
小さく舌打ちし、寝台に背を投げ出す。
カイにとって、リシェルは生意気な部下でしかなかった。
小柄で、力も弱くて、全然食べなくて、体も細くて。剣もまともに握れなかった。
しかし、子どもの頃は男女なんてほぼ変わらないから全く気が付かなかった。男だと思い込んでいたのもあるだろう。
そういえば、いつだか女みたいに華奢だと感じたことがあったと思い出す。
(……でもまさか本当に女だったなんて、思わねぇじゃねぇか)
リシェルが女だと知ってしまった上で、カイは黙っていることを選んだ。それは、今までのリシェルを知っているからだ。
(誰がこんなこと信じるんだよ。誰も信じねーよ。傭兵団に女だなんて、ありえねぇだろ。それくらい、あいつは"ちゃんと"男を演じてた)
一番近くで見ていたカイがそう思うのだ。他の団員が知っているわけがないと思った。
だから、何も知らないふりを続けることにした。いつの日か、リシェルが自ら話してくれるまで。
──たとえそんな日が、来なかったとしても。
(でも、団長は知っているはず。……だから、"特別扱いはしない"……そういうことなのか? つーか、知ってて俺に預けたのかよ……)
天井を見上げても、まぶたを閉じても、落ち着かない。このざわめきの正体に気づきたくなかった。
(なんにせよ、明日からまた任務だ。……余計なこと、考えるな)
そう言い聞かせるように目を閉じた。
だが、眠りは浅く、夜はやけに長く感じられた。
12
あなたにおすすめの小説
私の息子を“愛人の子の下”にすると言った夫へ──その瞬間、正妻の役目は終わりました
放浪人
恋愛
政略結婚で伯爵家に嫁いだ侯爵令嬢リディアは、愛のない夫婦関係を「正妻の務め」と割り切り、赤字だらけの領地を立て直してきた。帳簿を整え、税の徴収を正し、交易路を広げ、収穫が不安定な年には備蓄を回す――伯爵家の体裁を保ってきたのは、いつも彼女の実務だった。
だがある日、夫オスヴァルドが屋敷に連れ帰ったのは“幼馴染”の女とその息子。
「彼女は可哀想なんだ」
「この子を跡取りにする」
そして人前で、平然と言い放つ。
――「君の息子は、愛人の子の“下”で学べばいい」
その瞬間、リディアの中で何かが静かに終わった。怒鳴らない。泣かない。微笑みすら崩さない。
「承知しました。では――正妻の役目は終わりましたね」
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?
夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」
教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。
ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。
王命による“形式結婚”。
夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。
だから、はい、離婚。勝手に。
白い結婚だったので、勝手に離婚しました。
何か問題あります?
初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。
だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。
しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。
王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。
そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。
地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。
⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。
二十年以上無視してきた夫が、今さら文通を申し込んできました
小豆缶
恋愛
「お願いです。文通から始めてもらえませんか?」
二十年以上会話もなかった夫――この国の王が、ある日突然そう言ってきた。
第一王妃マリアは、公爵家出身の正妃。だが夫はかつて、寵愛する第三王妃の話のみを信じ、彼女を殴ったことがある。その事件が原因で、マリアは男性恐怖症が悪化して、夫と二人きりでは会話すらできなくなっていた。
それから二十年。
第三王妃はとある事故で亡くなり、夫は反省したらしい。だからといって――今さら夫婦関係をやり直したいと言われても遅すぎる。
なのに王は諦めない。毎日の手紙。花を一輪。夜食の差し入れ。
不器用すぎる求愛に振り回されるうち、マリアの中で止まっていた感情が少しずつ動き始める。
これは、冷えきった政略夫婦が「文通」からやり直す恋の話。
※本作は「存在されていないことにされていた管理ギフトの少女王宮で真の家族に出会う」のスピンオフですが、単体で読めます。
【完結】モブ令嬢のわたしが、なぜか公爵閣下に目をつけられています
きゅちゃん
ファンタジー
男爵家の三女エリーゼは、前世の記憶を持つ元社畜OL。社交界デビューの夜、壁際でひとりジュースを飲んでいたところを、王国随一の権力者・ヴァルナ公爵カイルにスカウトされる。魔法省の研究員として採用されたエリーゼは、三年間誰も気づかなかった計算の誤りを着任三日で発見。着々と存在感を示していく。一方、公爵の婚約候補と噂されるクロード侯爵令嬢セラフィーヌは、エリーゼを目障りに思い妨害を仕掛けてくるが...
わたくしがお父様に疎まれている?いいえ、目に入れても痛くない程溺愛されております。
織り子
ファンタジー
王国貴族院の卒業記念パーティーの場で、大公家の令嬢ルクレツィア・アーヴェントは王太子エドワードから突然の婚約破棄を告げられる。
父であるアーヴェント大公に疎まれている――
噂を知った王太子は、彼女を公衆の面前で侮辱する。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる