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決意
しおりを挟む月明かりの下、リシェルはひとり剣を振っていた。
何度も、何度も。
肩で息をし、豆が潰れた手のひらから血が滲んでも、止められなかった。
――連れていきたくない。
カイの言葉が耳に焼きつき、振るう剣は荒々しさを増していく。
刃が岩に当たり、火花が散った。反動で膝をついた瞬間、背後から低い声が響く。
「……もう休め。そんな手で剣を振り回しても、斬れるのは自分自身だ」
リシェルは息を呑み、振り返った。
団長が腕を組み、暗がりの中で鋭い眼差しを向けていた。
頭を下げつつ言葉を返そうとして、声が詰まる。
やがてリシェルは唇を噛み、絞り出すように問うた。
「……団長。俺、本当に役に立っているんでしょうか」
団長に拾ってもらった日。自分で、"役に立つ人間になるから連れて行ってほしい"と懇願した。役に立たない奴はこの傭兵団にはいらないと言われている。
だとすれば、今の自分はどうだ。
カイに連れて行きたくないと言われ、団長の役に立てているのかの自信は全く無い。
これ以上迷惑をかけたら、本当に捨てられてしまうのではないか。そうでなくても、もう二度と任務に出してもらえなくなるのではないか。
それもまた、怖い。
短い沈黙が続く中、団長はゆっくりと歩み寄り、彼女の前に立つ。
「役に立ちたいなら、まずは立ち上がれ。倒れてる兵に、戦場で意味はない」
「……っ」
「お前がどうしたいかは知らん。だが一つだけ言える。強がるだけじゃ、生き残れない。お前はわかってるはずだ」
リシェルの胸に重く響くその言葉。だが団長はさらに続けた。
「立ち向かわないと、恐怖は克服できない」
「……」
「立ち向かわないと、あの日の真実を知ることはできない」
リシェルの瞳が揺れる。
団長はさらに一歩近づき、鋭い声で言い放った。
「お前がこの五年間、どう生きてきたのかは俺が一番知っている。お前なら、立ち向かえると思っている。……いや、立ち向かわないといけない。だから敢えてこの任務を与えている。そのためにここまできたんだろう?」
その言葉は胸を突き刺し、逃げ場を奪う。
「お前がここで立ち止まろうとも、ここを乗り越えて先に進もうとも、俺はどっちでもいい。団長として粛々と進めていくだけだ。そこに慈悲を持つつもりは無い。言っただろ。"俺は"特別扱いはしないと」
「……はい」
「お前が今恐れているのは、あの黒炎か? それとも、仲間に見捨てられることか? それとも、あの日の真実を知ることか?」
問いかけに、リシェルは即答できなかった。
剣を握る手がかすかに震え、唇を噛む。
(……私、いったい今、何を一番恐れているの……? 黒炎の正体? 仲間に置いていかれること? それとも、あの人の言葉に傷ついている自分? あの日の真実を、知ることなの?)
団長はただ静かに彼女を見下ろした。
「カイが、お前を任務から外してほしいと言ってきた」
「……はい」
「だが、俺は断った。その意味がわかるか」
「……」
「お前の周りには、お前のことを考えてくれている奴がいる。役に立っていないと謙遜するのも悩むのも好きにすればいい。だが、それは相手の気持ちを踏み躙ることだということを忘れるな。お前は、常に一人で動いているわけじゃない。傭兵団という、この組織に所属しているんだ。仲間がいるんだ。それをよく覚えておけ」
「……はい」
「もう一度だけ言う。"俺は"お前を特別扱いすることは無い。……後は自分で決めろ」
「……ありがとう、ございます」
団長は、お礼を言うリシェルの頭をグリグリと撫でてから去っていく。
ぐちゃぐちゃにされた髪の毛を整えながら、リシェルは驚きでその背を見送ることしかできなかった。
そのまま数刻が経ち、夜が更け砦の灯りも静まり始めた頃。
仲間たちが眠りについたのを見計らい、リシェルはそっと浴場へ向かった。
剣を振り続けた汗と、胸に残る靄を洗い流すように。そして、頭をすっきりさせて考える余裕を持つために。
"特別扱いはしない"
団長の二回目の言葉が、色々な意味に聞こえた。
期待してくれているのだろうか。心配してくれているのだろうか。それとも、これが最後のチャンス?
(……いや、団長はそんな人じゃない)
特別扱いしないということは、全員を平等に見てくれているということだ。リシェルが黒炎の被害者だとしても、そんなものは関係無い、と。トラウマを呼び起こして倒れたとしても、それでも平等に任務をこなしてみろ、と。
つまり、期待も心配もしていない。ただ、目の前の任務に行かせるだけ。ここに所属するということは、そういうことなのだろう。
周りの仲間と協力して、任務をこなす。苦しい時は助け合い、支え合い。そうして、倒れてもまた立ち上がる。目の前のことに、集中すればいい。
あれは、団長からの不器用な最上級の激励だったのではないか。
(それって、むしろものすごい特別扱いなんじゃ……)
そう思ったら、なんだか笑えてきそうだった。
後は、自分で決めるだけだ。
(隊長は、一体どう思っているんだろう)
リシェルは、頭をクリアにするためにお湯の中に顔を潜らせた。
空気が鼻から抜け、段々と苦しくなってくる。そんな中で、自分がどうしたいのか考えた。
もっと、頼ってもいいのだろうか。
もっと、甘えてもいいのだろうか。
……考えても、わからない。
一方その頃、カイは修練場をのぞきに行っていた。
「……また一人で剣でも振ってんじゃねぇだろうな」
だが、そこに彼女の姿はなく。
「どこ行った……?」
辺りを見回して歩いていると、浴場の方から湯気が立ちのぼっているのに気づく。
(こんな時間に……誰だ? 寝ろって言ってんのに)
半ば呆れながら近づいたカイは、そこで見た中の光景に息を呑んだ。
扉の隙間から見えたのは、湯に浸かる人の姿。
湯の中から飛び出して髪をかきあげる姿に、目を奪われた。
濡れた金の髪、肩をすべる水滴。呼吸するたびに揺れる胸元。
その顔は、見間違えるはずもなかった。
(あれは……リシュ……? だけど、どういうことだ……?)
カイが見た姿は、男ではなかった。
湯から立ち上がった姿は、曲線を描く女特有の身体つき。
(お、んな……? リシュが? 女?)
頭が真っ白になり、声をかけることもできずに背を向け、入口で立ち尽くす。
やがてリシェルが服を身にまとい、扉を開けて出てきた。
「う、わっ……びっくりした……! 隊長? そんなとこで何を?」
目の前に立つカイに驚き、思わず身をすくめる。
「……あ、いや……なんでもない。……お前も早く寝ろ」
目を合わせきれず、カイは言葉を切った。
「は、はい……?」
首をかしげるリシェルを置き去りに、カイはその場を離れる。
心臓がこれでもかというほどに速く脈打っていた。
夜が明けると、傭兵団の拠点には冷たい風が吹き込んでいた。
訓練場の片隅で、カイは既に剣を手にしていた。その背にリシェルは足を止め、じっと見つめた。
――一晩、考え抜いた。
恐怖から逃げることもできた。でも、あの問いかけが心から離れなかった。
リシェルは一歩踏み出し、声をかけた。
「……あの、隊長」
振り返ったカイの視線は、いつもよりも鋭く感じられる。だが、彼女は瞳を逸らさずに続けた。
「昨日のお言葉の返事をしに来ました」
「……」
短く黙って彼女を見据えるカイ。
リシェルは拳を握り締め、かすかに震える声で告げた。
「行きます。恐くても……俺は逃げません」
カイの目が僅かに細められる。
「……理由は?」
喉が詰まりそうになりながらも、リシェルは必死に言葉を紡いだ。
「俺も、立ち向かわないといけないからです。逃げてばかりじゃ何も変わらない。だから……行きます」
彼女の言葉に、カイはしばし沈黙した。
やがて小さく息を吐き、背を向ける。
「……そうか」
「でも、俺一人じゃ無理なんです!」
「……どういう意味だ?」
振り返るカイの視線は、動揺していた。
「隊長。俺、黒炎が怖いです。でも、その恐怖を克服したい。……迷惑ばかりかけてしまうと思います。だから、……その。厚かましいことは承知の上なのですが」
そこまで言って、一つ息を吐く。
「しんどい時、……隊長に頼ってもいいですか」
それが、リシェルの答えだった。
「……」
カイはうっすらと目を見開き、そしてほんの少しだけ泳がせてまた背を向けた。
「……そんなの、いつものことだろ。今更だ」
それだけを残し、歩き出す。
だがその背は、どこか安堵しているように見えた。
「はい。ありがとうございます」
リシェルもまた、一つ棘が抜けたような穏やかな表情をしていた。
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