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第45話

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 弾んだ足取りのハンナの後ろ姿を、ジャーヴィスは見送った。


 彼女のような目をした人間には、一度毎にきちんと報酬を与える。
 そして、簡単なことしか頼まない。
 功を焦るあまりに、彼等は余計なことをしがちだ。


 それ故ジャーヴィスは、ユリアナ・バークレーを選んだ。

 彼女のことは事前に調査済みだった。
 王命さえ出なければ、次期レイウッド領主の妻になるだろうと目されていた少女だ。
 しかし、それが順当に決まっていたかは分からない。


 婚約直後の挨拶に来た先代レイウッド伯爵のバーナード・アダムスが、自分がこの縁組を王家にお願いしたのを白状したと、彼等が帰った後アイヴァンから聞いたからだ。



「バーナードは繰り返される血縁婚に、恐れを抱いていたんだろう。
 幸いなことに、スチュワートは一族外からの前妻の息子だ。
 異母弟に比べて、アダムスの血は薄い。
 ミリーの相手が、彼で良かったよ。
 少し話しただけだが、彼は見所があると思わなかったか?」



 バーナードの母グロリアの兄が、ユリアナの祖父に当たる。
 ミルドレットよりもひとつ年下の少女は、妹の嫁入り後、専属侍女になると云う。
 調査をしないではいられない。
 もし、スチュワートに横恋慕をしていて、ミリーに対して何かを仕掛けたりするのなら……と。


 それで結婚式や披露宴でも、彼女の様子を伺っていたが、特に熱い視線を花婿に向けるわけでもなく。
 恨みがましい怨嗟を花嫁に向けるわけでもなく。
 それは、どちらかと言えばユリアナの母だった。


 披露宴会場からふたりの姿が消えたので、席を立つと。
 内密の話が出来そうな場所だと予め下見していた部屋に、ユリアナが連れ込まれたのが見えた。
 


 実はその部屋が、今回の会見に使われているアダムス本邸の第1応接室で。
 ジャーヴィスがバークレー母娘の会話を立ち聞きした隣の部屋が、ハンナがユリアナに教えた『応接室の話が筒抜けに聞こえる所』だったのは、笑える事実だ。
 



 当時を思い出し、人知れず密かに笑っていると、足音が聞こえた。
 彼女達が来る方向に、わざと背中を向けていたジャーヴィスだ。
 それは勿論、サリーに逃げられない為だ。
 まあ、多分若いメイドが捕まえてくれるだろうが。


「お、お待たせ致しました!
 わたしも、わたしも、お話を伺ってもいいんですね!」


 振り返ると、サリー・グレイの手を掴んだメイドが立っていて、興奮していた。
 反対にサリーは、彼の顔を見るなり震え出した。


 何と言って、彼女はここへ連れてこられたのだろうか……
 あまり興味はないが。
 簡単なことなら、このメイドは使える。



「いいよ、聞かれても全然問題ないから。
 ……お前がサリー・グレイか。
 礼を言いたくて、ここまで来て貰った」


 最初メイドに向けた微笑みを消して。
 底冷えするような眼差しを、口では礼と言いながらサリーに向けたジャーヴィスだ。



     ◇◇◇



 「レナード様が呼んでいる」


 もう随分と彼とは時を過ごしていないサリーは、簡単にハンナに騙された。
 彼が待っていてくれていると、場所も聞かされずに足早に、連れてこられた。
 そこで待っていたのは、ウィンガム伯爵……ミルドレッドの兄だった。


 伯爵のことは2回、葬儀で見かけただけだ。
 ご領主様の葬儀は領民も参列出来るから、前伯爵様の時とスチュワート様の時だ。


 遠くからでは、ミルドレッドと面差しの似た女性的な感じの男性だと見えていたのに。
 こうして対峙してみると、女性的なところ等どこにもない。
 ただ怖さや冷酷さが滲み見えた。

 
 それは彼の使いをしたハンナだってそうなのだろう。
 自分の手を掴んでいた彼女の力が弱まって放されたが、もう遅い。
 もう逃げられないと、サリーは観念した。


「お前には、妹を逃がして貰った貸馬車代と、普通なら言えないようなことを敢えて言ってくれた礼をしたくてな」


 ジャーヴィスはそう言いながら、サリーの目の前に革袋を落とした。
 男性の握り拳大に膨らんだ革袋は、紐でしっかりと結ばれていたから、地面に落とされても中身は散乱したりしないが。
 硬貨の音が少しだけ聞こえ、その分地面にめり込んだ重みを感じた。
 一体いくら入っているのか、ハンナの興味はそれに移ったが、肝心のサリーは目もくれずに苦しそうに答えた。


「あ、あの馬車代金なら……既にミルドレッド様に。
 ……多めにいた、いただきましたので……もう……」

「そうか、もう要らないのか。
 存外、お前は欲張りではないらしいが、今日は妹を名前で呼ぶのか?」

「……お、奥様には」

「今日は、疫病神とは呼ばないのか、聞いている」


 知られている、知られている、知られている!
 そして、隣にはメイドが居る。
 このひとがどうして、この場にハンナが居てもいいと言ったのか、今になって分かった。

 自分がミルドレッドに対して『疫病神』と罵ったことを、レナードに知られてしまう!
 彼の怒りが直ぐに想像出来た。
 今はまだ殴られたことは無いが、これが知られたらもしかして。


「私は怒っているわけではない。
 よくぞ言ってくれたと、思っているくらいだ。
 あの言葉のお陰で、ミルドレッドも自分はここに居てはいけない存在なんだと、身を引く決意をしたようだ。
 改めて礼を言うから、素直に金を受け取って、お前は一刻も早くこの家から出た方がいい。
 あの男から逃げろ」


 逃げろ? 殺されるのかと思っていたのに?


「前まではただのボンクラだったが、今のレナードは歪み始めている。
 さっきは急に興奮して、女性に手をあげようとした」


 女性と言われて、サリーに思い付くのは、今日戻ってきたミルドレッドだけ。
 身を引くと言った彼女を、レナードは殴ろうとした?


「お前がまだ殴られていないのだとしたら、それはまだ幸運なだけだったと思え。
 レナードが暴力を振るおうとした瞬間は、君も見たね?」


 ハンナに向かってだけ、優しい物言いになるジャーヴィスに真っ赤になってハンナが同意した。


「はい!はい!確かにレナード様が殴りかかって、誰かに止められて!」


 隣室では応接間の声は聞こえても、その姿は見えない。
 ハンナは嘘をついたのではなく、単にジャーヴィスに同意しただけ。


 それをサリーは信じた。

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