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お姫様に囁かれたのなら
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それは。
私の婚約者のノーマン様の声でした。
「お疲れになったでしょう?」
それは。
愛しいひとを気遣う声でした。
「やはり王都は、暑くて騒がしいですね。
クリスティン様もお疲れになりましたよね?」
「大丈夫ですわ。
疲れてなどいません。
貴方が側に居てくれているのですもの」
熱を帯びて震える様な彼の声に返事をした、その声は。
とても静かで。
とても涼やかな。
しっとりとした心に染み入るような声でした。
あの絵本に出てくるお姫様はきっとこの様な声をしていると思いました。
こんな声をしたお姫様に囁かれたのなら、凛々しい男の子が夢中になるのも仕方がない。
思い知らされるというのはこういうことなのだと、私は理解しました。
おふたりが寄り添う姿を、見たわけではありません。
ただノーマン様が問いかけ、クリスティン様が答える。
その声のやり取りだけで、判ってしまいました。
どれ程、お互いに相手に焦がれているのか。
彼のこんな声は聞いたことがありません。
ノーマン様はいつも私に微笑んでくれましたが。
『シャル』と、私の名前を呼ぶ彼の声は、いつもどこか冷めていたのです。
ノーマン様と会えない、この夏が始まってから。
何度も想像していたことでした。
彼が私を愛していない、と。
はっきりと突き付けられた時、私は泣くのかしら?
努力しても報われなかった、この想いはどうしたら、いい?
その時、私は?
多分、今がその時なのに。
自分では泣くだろうと、想像していたのに。
不思議と心が軽くなるのが判りました。
私はもう、我慢しなくていい。
ノーマン様に合わせる必要はない。
スカーレットとギリアンの視線に気付いて、私は口元に人差し指を立てました。
(このまま、おふたりの話を聞かせて)
「疲れてなどいないけれど……
こうして貴方と王都に居ると、どうしても考えてしまうの」
「何を考えるのですか?」
「王都に居る貴方の婚約者のことよ」
スカーレットが私の手を包むように握ってきたので。
『大丈夫よ』と伝えるつもりで、反対の手で軽く触れました。
(心配させてごめんなさい、私は大丈夫)
「どうしてシャーロットのことなんか」
『なんか、って言ったわよ、あいつ!』
スカーレットが小さく呟きました。
(彼にとって、私はそんな存在なの)
「別荘ではこの世界には私達ふたりだけと、夢を見ていられるのだけど……」
「……」
「王都には現実があって。
それが貴方の婚約者なの。
ここでは夢を見ることは叶わないの」
「……すみません」
クリスティン様の辛そうな声に、ノーマン様は小さな声で謝罪しました。
(謝るなら、もっと大きな声で言えばいいのに)
「どうして謝るの?
悪いのは私なのに。
決まったお相手のいる貴方を、愛してしまった私が悪いのに」
『こんなセリフの舞台なかった?』
スカーレットが小さな声でギリアンに問うと、彼は首を振りました。
(許されない恋に落ちたヒロインがよく言う台詞よ)
「あぁノーマン様!」
「クリスティン様!」
それはまるで、万感の想いを込めてお互いの名を呼ぶ恋人達。
スカーレットが言う通り、おふたりは舞台の主役のようです。
私はそう思うと可笑しくて。
このままおふたりがどんな台詞で悲劇の恋人同士を演じられるのか、最後まで聞きたくなりました。
その舞台では、きっと私はおふたりの愛の障害なのです。
「ノーマン様、貴方を愛しています。
夏の間だけと、私は約束したけれど……
どうか、この夏の思い出に一度だけでいいの。
私を貴方のものにして欲しいの」
「それは……僕も貴女を愛しています。
ですが、待って欲しいのです。
僕に時間をいただけませんか?」
「貴方のことが本当に好きなの。
貴方も愛してくださっているのなら、どうして?
応えてくれないの?」
熱烈なアプローチを続けるクリスティン様に、意外にもノーマン様は落ち着いて答えられました。
(初恋の人にここまで言われて、願いが叶ったわね?)
「僕にはまだ婚約者が居るのです。
そんな僕には、貴女を愛する資格はありません」
「資格なんて!
私がこんなにお願いしても、愛してはくださらないの!」
クリスティン様の声が少し大きくなったので、ノーマン様が
宥めようとされているように感じました。
(どうしたの、喜んでいないの?)
そう感じたのはご自分に都合が悪い時、彼は私に対してこの様な口調で、誤魔化すことが多かったのです。
「必ず、必ず婚約は破談に致します。
僕の婚約には双方の家の思惑が絡んでいるのです。
時間はかかるかもしれませんが、必ず綺麗な身になります。
貴女を辛い立場の女性には、したくないのです」
(好きなひとに対してなら、誠意のある男性だったのね)
もうこれ以上聞きたくないと、席を立てばよかったのでしょうか。
それとも、立ち上がって彼等の前に立ち、婚約者の不貞を罵ればよかったのでしょうか。
そのどちらもせずに、私は席を立ちました。
「これ以上、聞く必要はないよ」
それまで何も話さず、ずっと私を心配そうに見つめていたギリアンでした。
彼が小さな声でそう言って立ち、私に手を差しのべてくれたからです。
「僕らは先に出るので、姉上はお会計をお願いします」
私の婚約者のノーマン様の声でした。
「お疲れになったでしょう?」
それは。
愛しいひとを気遣う声でした。
「やはり王都は、暑くて騒がしいですね。
クリスティン様もお疲れになりましたよね?」
「大丈夫ですわ。
疲れてなどいません。
貴方が側に居てくれているのですもの」
熱を帯びて震える様な彼の声に返事をした、その声は。
とても静かで。
とても涼やかな。
しっとりとした心に染み入るような声でした。
あの絵本に出てくるお姫様はきっとこの様な声をしていると思いました。
こんな声をしたお姫様に囁かれたのなら、凛々しい男の子が夢中になるのも仕方がない。
思い知らされるというのはこういうことなのだと、私は理解しました。
おふたりが寄り添う姿を、見たわけではありません。
ただノーマン様が問いかけ、クリスティン様が答える。
その声のやり取りだけで、判ってしまいました。
どれ程、お互いに相手に焦がれているのか。
彼のこんな声は聞いたことがありません。
ノーマン様はいつも私に微笑んでくれましたが。
『シャル』と、私の名前を呼ぶ彼の声は、いつもどこか冷めていたのです。
ノーマン様と会えない、この夏が始まってから。
何度も想像していたことでした。
彼が私を愛していない、と。
はっきりと突き付けられた時、私は泣くのかしら?
努力しても報われなかった、この想いはどうしたら、いい?
その時、私は?
多分、今がその時なのに。
自分では泣くだろうと、想像していたのに。
不思議と心が軽くなるのが判りました。
私はもう、我慢しなくていい。
ノーマン様に合わせる必要はない。
スカーレットとギリアンの視線に気付いて、私は口元に人差し指を立てました。
(このまま、おふたりの話を聞かせて)
「疲れてなどいないけれど……
こうして貴方と王都に居ると、どうしても考えてしまうの」
「何を考えるのですか?」
「王都に居る貴方の婚約者のことよ」
スカーレットが私の手を包むように握ってきたので。
『大丈夫よ』と伝えるつもりで、反対の手で軽く触れました。
(心配させてごめんなさい、私は大丈夫)
「どうしてシャーロットのことなんか」
『なんか、って言ったわよ、あいつ!』
スカーレットが小さく呟きました。
(彼にとって、私はそんな存在なの)
「別荘ではこの世界には私達ふたりだけと、夢を見ていられるのだけど……」
「……」
「王都には現実があって。
それが貴方の婚約者なの。
ここでは夢を見ることは叶わないの」
「……すみません」
クリスティン様の辛そうな声に、ノーマン様は小さな声で謝罪しました。
(謝るなら、もっと大きな声で言えばいいのに)
「どうして謝るの?
悪いのは私なのに。
決まったお相手のいる貴方を、愛してしまった私が悪いのに」
『こんなセリフの舞台なかった?』
スカーレットが小さな声でギリアンに問うと、彼は首を振りました。
(許されない恋に落ちたヒロインがよく言う台詞よ)
「あぁノーマン様!」
「クリスティン様!」
それはまるで、万感の想いを込めてお互いの名を呼ぶ恋人達。
スカーレットが言う通り、おふたりは舞台の主役のようです。
私はそう思うと可笑しくて。
このままおふたりがどんな台詞で悲劇の恋人同士を演じられるのか、最後まで聞きたくなりました。
その舞台では、きっと私はおふたりの愛の障害なのです。
「ノーマン様、貴方を愛しています。
夏の間だけと、私は約束したけれど……
どうか、この夏の思い出に一度だけでいいの。
私を貴方のものにして欲しいの」
「それは……僕も貴女を愛しています。
ですが、待って欲しいのです。
僕に時間をいただけませんか?」
「貴方のことが本当に好きなの。
貴方も愛してくださっているのなら、どうして?
応えてくれないの?」
熱烈なアプローチを続けるクリスティン様に、意外にもノーマン様は落ち着いて答えられました。
(初恋の人にここまで言われて、願いが叶ったわね?)
「僕にはまだ婚約者が居るのです。
そんな僕には、貴女を愛する資格はありません」
「資格なんて!
私がこんなにお願いしても、愛してはくださらないの!」
クリスティン様の声が少し大きくなったので、ノーマン様が
宥めようとされているように感じました。
(どうしたの、喜んでいないの?)
そう感じたのはご自分に都合が悪い時、彼は私に対してこの様な口調で、誤魔化すことが多かったのです。
「必ず、必ず婚約は破談に致します。
僕の婚約には双方の家の思惑が絡んでいるのです。
時間はかかるかもしれませんが、必ず綺麗な身になります。
貴女を辛い立場の女性には、したくないのです」
(好きなひとに対してなら、誠意のある男性だったのね)
もうこれ以上聞きたくないと、席を立てばよかったのでしょうか。
それとも、立ち上がって彼等の前に立ち、婚約者の不貞を罵ればよかったのでしょうか。
そのどちらもせずに、私は席を立ちました。
「これ以上、聞く必要はないよ」
それまで何も話さず、ずっと私を心配そうに見つめていたギリアンでした。
彼が小さな声でそう言って立ち、私に手を差しのべてくれたからです。
「僕らは先に出るので、姉上はお会計をお願いします」
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