【完結】初恋の沼に沈んだ元婚約者が私に会う為に浮上してきました

Mimi

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~夢に見た王子様~

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王宮の昼下がり
少女は腹を立てていた。
こんな気持ちになったのは久しぶりだった。

少女の周りでは、わざわざ口に出さずとも
物事は良い方向に動いた。
良い…そう少女にとって都合良く。

少女は自分の事を幸運な女の子だと知っている。
父親は権力と金を持ち、名前も覚えられないくらいの数の
使用人にかしづかれ大事にされている。
少女の外見は赤ん坊の頃から『可愛い』と言われたが、
最近は『美しい』と形容されることの方が多い。

そして、少女の婚約者はこの国の第1王子で才気煥発な少年だ。
彼は再来年、立太子の儀式を受ける。

少女は自分が王太子妃となり、ゆくゆくは王妃になることを当然の
ように受け入れている。
だから。
高位貴族の子供達のみのお茶会で、他の令嬢達から王子のことで
羨ましがられても、特に何も思わなかった。

少女の家はこの国の貴族の頂点に君臨し、その血筋は遡れば
国王の弟だ。
長い歴史の中で王家の姫も何人も降嫁している家門の自分が。
他の令嬢と同じである筈はないのだから。

父親からも母親からも
自分は『選ばれし人間』と言われている。
『この家に相応しい人間になる為精進しろ』とも言われたが、
その精進の意味は判らなかった。

昔、少女の乳母をしていた侍女に尋ねると
『よくお勉強して、努力をなさることです』と言われたが、
その努力という言葉も判らなかった。

次に少女専用の執事見習いに努力の意味を尋ねたが
『お嬢様は今のままで充分でございます』
と視線を外され、はぐらかされるように言われた。
彼は若いから努力とは何なのか答えられないのかもしれないと
思った。


少女はこの先で執事見習いの様な表情をする男を、何人も何十人も
見ることになるが、まだ知らない。


 ◇◇◇


王太子妃になる為の講義が始まった。
幼い頃から『選ばれし人間』に相応しくなる為の授業は家庭教師
から受けていたのでそれ程苦労はなかった。

王宮でも講師達は皆少女に優しかった。
王国の歴史を学んだ時は、同じような名前が何人も出てきて
『覚えられない』と独り言を言っただけで、講師は次の時間に
判りやすいようにと、年表を作ってきてくれた。
ダンスの時間では足が痛み始めるより前に休憩を取ってくれる。
マナーを学んだ時は背筋を伸ばして下さいと、優しく背中を撫でられる。

たまに王子が講義の様子を見学にやって来ると、時間ではないのに
終了になった。
そして王子とのお茶の時間になる。

別に少女が頼んだ訳ではないのに、皆が優しく親切にしてくれる。
取り巻きのご令嬢達からは鞭を使う教師が居ることを聞いていたが
少女はそんなものを使われたことはない。

それが当たり前に思えて、最近は少女が
周囲に『ありがとう』と言うことも少なくなってきていたが、
誰も気にしていない様だった。


それなのに。
今日のマナーの授業は代理の講師が来た。
いつもの講師が体調を崩したのだ。

代理講師は若い男だった。
その年齢の異性に対して、いつもするように瞳を見て挨拶をした。
すると無表情に
『カーテシーの練習を今日は集中して行う』と言われた。

カーテシーに時間をかけた事などなかった。
男なのに、正しい作法が教えられるのかと言いたくなったが、
黙っていた。
代理講師は口うるさく何度も彼女の姿勢を注意した。
挨拶する相手によって変わると、腰や膝を曲げる角度、視線の上げ下げを
確認させられる。

少女は疲れて『休みたいのです』と伝えたが
『まだまだ』と一言だけ返して、講師は続けた。

こんな失礼な男は初めてだった。
もしかしたら、鞭を使うのかもしれない。
少女が恐怖で身を固くすると、ようやく講師は休憩にしてくれた。

少女は急いでその場を離れた。
腹が立って仕方なかった。
私が黙って我慢してやっているのに、そのありがたさが判っていない。

王宮の廊下を足早に歩きながら、知っている顔を探した。
出来るなら、父親か王子がいい。
彼らなら無礼な代理講師をどうにかしてくれる。

だが彼らは見つからない。
どうして自分が会いたい時に二人は居ないのか。
居なくてもいい時に会いに来るくせに。


そんな時に声を掛けられたのだった。

『廊下をそんな勢いで歩いたら危ないよ』

この私に、自分から声をかけて来るなんて。
無礼者の顔を見てやろうと振り返ると、そこに会ったことのない
美しいひとが居た。


本物の、少女が夢見た王子様がそこに居た。



少女はお茶の席で、第1王子からそのひとを紹介された。
隣国の第2皇子だという。
金色の長い髪と翠の瞳を持った美しい皇子様。
皇子は少女と目が合うと微笑んだ。

『先程廊下で会いましたね』

少女はその声にうっとりした。
もっとそのお声を聞かせて。
もっとお話をして。
もっと私を見て。

少女が誰かに対して、その様な感情を持ったのは初めてだった。


それからも何度か王宮で皇子の姿は見かけたが、簡単には近寄る事
など出来なかった。

常に皇子の側に誰かが付いて居て彼は一人ではなかったし、少女が
自分を見ている事に気付いてもいない様だった。
だが一度だけ、少女の視線に気付いた皇子は笑顔で手を振ってくれた。

皇子が隣国へ帰ってからも。

少女はその笑顔を何度も何度も思い出した。



 ◇◇◇


それから何年か過ぎ。
少女は美しい乙女になった。

立太子して正式に王太子となった婚約者は、最近は将来の側近と
なる少年達に囲まれる事が多くなり、ふたりでお茶をする機会は
減ってきていた。

少年達の血筋は良く、父親や伯父は権力者だった。
王立騎士団団長、宰相、大司教。

騎士団団長の息子は時々少女を見ていた。
異性が自分を見る視線に少女は慣れていたが、その息子の視線は
あの生意気な代理講師を思い出させて、少女を不快にした。

だが気にすることはない。
たかが王太子の側近だと少女は深く考えないようにした。


そして…5年ぶりに王宮に皇子が現れた。
隣国の皇帝陛下の名代だという。
彼の輝く金髪は短くなっていたが、変わらない翠の瞳は少女を
ときめかせた。
隣国では兄の皇太子殿下が皇帝の地位を継いだので、彼は皇弟殿下と
呼ばれていた。
5年前はまだ少年の面影を残していたが、大人になった皇弟殿下からは
男性の色気が漏れて、多くのご夫人ご令嬢に囲まれていた。

少女は彼女達より身分も高く容姿も美しいが、彼とは年齢が6歳も
離れていて、同じ様に側に侍ることは出来なかった。

何より少女には王太子という婚約者が居る。

久しぶりに会えたのに近付けなくて悲しんでいたら、皇弟殿下の方
からお声を掛けられた。
嬉しさにくらくらして、どう挨拶を返したのかも覚えていなかった。
何か話さなくては彼は行ってしまう、そう思って震える声で尋ねた。

髪をお切りになったのは何故ですか?と。

隣国の男性は成年を迎えると髪を短くすることを本当は知っていた。
隣国の歴史や伝統を学んでいた。
けれど咄嗟に出た言葉はそんな話題だった事に、自分に腹が立った。

自分がつまらない人間だと初めて思ったが、その感情を初めて与えて
くれたのが皇弟殿下だと思うと、嬉しくもあった。

『大人になったからです』

相変わらず美しいそのひとは短くした前髪を摘まんで彼女に微笑んだ。

皇弟殿下は離れて行ったが、少女は彼が残していった声と瞳と微笑みに
酔っていた。

いつの間にか婚約者が隣に居たことに気付かない程に。

少女の耳元に唇を寄せて婚約者が言った。

『皇弟殿下は、去年成年して、すぐに、ご結婚、されたよ』

一言一言区切るように伝える王太子の声はいつからこんなに低く
なったのだろうか?
彼が大人になりかけた年齢になって、声の高さが変わったことを
少女は知らなかった。
婚約者の事など深く考えた事もなかった。

だから意識は婚約者が話した内容の方に行った。
動揺したのが表情に出ていたのか、王太子は薄く嗤った。

『皇弟妃殿下も今回ご一緒するご予定だったが、お子が出来たと
 判ったので来られなくなった』

あのひとの赤ちゃん。
震えが来て、少女は両手を強く握り締めた。

『以前いらした時に皇弟殿下から教えて貰ったよ
 初恋のひとと婚約出来そうだと嬉しそうだった
 5歳年上のとても素敵な方で、元々は皇太子妃候補だったが、
 皇弟殿下が口説き落として辞退させたらしい』

情熱的な御方だよねと、王太子は話し終えて、少女の側を離れた。

王太子とは長らくふたりきりで話したことはなかったのに、
わざわざそれを少女に教えに来たのは何故なのか。
皇弟殿下から与えられた幸せな気持ちが萎んでしまい、離れていく
王太子の背中を睨んだ。


兄である皇帝陛下のお妃候補だった女性を、
あのひとは横からさらったのだ。

愛があればその行為が許されるのだと、
あのひとは考えている。

人のモノを奪っても、
あのひとに軽蔑はされない。


その思いは少女の心の奥に仕舞われた。


帝国へ旅立つ前までは。




    
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