【完結】初恋の沼に沈んだ元婚約者が私に会う為に浮上してきました

Mimi

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お前のその甘さが

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俺は耳を疑った。
聖女のように清らかで、女神のように儚げな
美しいクリスティン様は何処に行った?

(娘は私の言う通り、あの御方とふたりきりにしてくれたの。
初めてふたりで夕食を食べて、お酒を飲んで、お話しをしたの。
相変わらず護衛の騎士が後ろに立っているので、あの御方を
見つめたの。
あの御方は暫く黙っていて…ずっと額を押さえて、
何だかご気分が悪そうに見えたけれど。
それから、とうとう護衛に言ってくださったわ。
『呼ぶまで顔を出すな』って。)

クリスティン様の瞳は焦点が合ってなかった。
目の前の俺にも。
自分を庇って倒れている女にも。
その蒼い瞳は向けられていなかった。

(それから2日間、あの御方は私を離さなかったわ。
何度も何度も…凄く幸せで幸せで…
でも3日目の朝、あのおばさんが実家から帰ってくる日。
私をあの護衛の男が拘束した。
訳が判らなかったけれど、私が皇弟邸の女主人になったら
絶対に処分してやると思った。)

自分で自分が。
男に何を話しているのかわからない。
言葉を発しているのか、ただ獣の様に唸っているだけなのか。
ただ頭の中をぐるぐると、あの日の情景がフラッシュバック
していく。

まるで昨日の事みたいに、クリスティンの言葉を覚えているのは
何でなんだ?
俺はあの女から投げつけられた一言一言を忘れてなかったのか?

『お前』そう言って、あの女は蔑むような目で俺を見た。


…そうだ、こんな女のせいで、って。
こんな女のせいで俺は全部を失った、って。
怒りで瞼の裏が真っ赤になった…。
それで…それで、あの女の首を…
 

「その護衛が俺だ。」

目の前の男が言った。


 ◇◇◇


「もう一度飲め。」

男が俺に水を飲ませた。

「喋り続けて喉が乾いたろう。」

気遣ってくれてる様子に俺は殺されないのだと安堵した。

『こんなに取り留めなく、思い浮かぶままだらだら喋るとは…
 殿下に渡された薬はきつすぎる。』

男が向こうを向いて小さな声で呟いたが、俺は聞き逃さなかった。

皇帝陛下、とクリスティンは何度も俺の前で言っていた。
あの御方と呼んだのは皇弟殿下とも。
こいつは今は公爵となった元皇弟の護衛騎士。
という事は…殿下と言ったのは…
今、王国に来ている皇太子の事だ。

(考えろ、考えろ)
焦って頭が回らない。

『彼女は皇太子殿下のお気に入り』

マダムはシャルの事をそう言ってた。
俺が彼女の幼馴染みで、元婚約者だと知れば、この状況から
逃げられるかもしれない。

「クリスティンが喋った言葉はもう聞かせなくていい。
 吐き気がする。」

「…」

「何で殺したか、と聞いたのは確認だ。
 報告はされていたが、お前の口から聞きたかった。」

「…」

「今度はだんまりか?
 …それにしても、侍女長を生かしたのは甘かったな。
 あの女と一緒に始末していたら、公爵にお前だとばれなかった。」

始末、そう言う男の口調が恐ろしかった。
あの時は自分の仕出かした事に怖くなって、隠す事と逃げる事
しか考えられなかった。

気を失っていた侍女長を殺さなかった俺を、この男は甘いと言った。
それは自分が甘くないと言うことだ。

目隠しされていないことに急に不安になった。
さっき、殿下と呟いた事も。
俺を帰すつもりなら身元が判りそうな言葉を呟いたりしない。

自分の身元を知られたら。
こいつは相手を、生かしたままにしない。


暫く男は何も言わなかった。
沈黙が怖い。
シャルの名前を出すタイミングが難しい。

「歌ってくれたお返しに、
 お前が知るべき話を教えてやろう。」

教えないでくれ、と願った。
聞かされたら、それだけで消されてしまう話かもしれない。

「お前のその甘さが実家の、ブライトン伯爵家を没落させる
 ことになった。」

うちは確かに領地に引っ込んだが、俺がシャルと復縁したら、社交界にも
戻って来る筈だ。

「没落なんて大げさ…」

「クリスティンの父親がお前に追手を差し向けなかったのは、
 勝手に落ちて行くからだ。
 …お前など、追い詰めても仕方ない。
 だが公爵はお前を許した訳じゃない。
 プライドをかけて、お前の実家を断絶させることにしたんだ。」

俺が何も言えないので、男が続ける。

「下の兄貴は王宮文官の職を失った。
 試験を優秀な成績で合格して上級文官になった途端、失職だ。
 ブライトンの当主と嫡男は公爵家に呼び出され、王都に二度と
 戻らないことを誓わされた。」

「何で!何でお前にそんな事が判る!」

うちが王都を引き払ったのは、シャルの父親に気を遣ってだと
思っていた。
それなのに、クリスティンの父親に脅されて?

「とどめは、どの家門からもブライトンの家に嫁ぐ娘は居ない。」

「…どう言うことだ。」

「言葉通り、お前の兄貴達は誰とも結婚出来ない。」

「…そんな事が出来るわけない!」

「ランカスターになら出来る。
 王家と血筋が繋がっている筆頭公爵家だ。
 現に兄貴達に縁組の話は来てないだろ?」

確かに2人がまだ結婚してないとメイド長から聞いていたが。

「お前の母親は知らない。
 だからお前の情報源のメイドも知らない。」

男は俺の全部を知っているのだ、と改めて思い知った。
クリスティンを沈めてあの街へ逃げ込んだこと。
あの街で俺がしてた仕事。
月に一度、かつての使用人と会っていることも。
全部を知られている。

「兄貴達が嫁に取れるのは領内の平民だけだから、子供が
 生まれても伯爵位は継げない。
 ブライトンに養子に行く貴族は居ない。
 兄貴2人が亡くなれば、爵位も領地も返上しなくては
 いけない。
 お前の家はただのダドリーになる。
 息子が3人も居て将来は盤石だったのに、1人の馬鹿のせいで
 没落だ。」

俺のせい…?
両親や兄達の顔を見たのは夏が終って、クリスティンの所から
戻った日が最後だった。

「お前がやらかしたのは娘の殺害だけじゃない。
 ランカスターの力を止めたからだ。」

「…」

「その意味をお前が知る必要はない。」


 ◇◇◇


そのまま、男は話さなくなった。
王都からどれくらい離れてしまったのか、見当もつかない。

「もうすぐ着く。」

男は外を眺めながら低い声で言った。

着いたら、どんな目に合うのか考えたくない。
そもそも、この男がどうして俺をこんな目に合わすのかが
判らない。


こいつは帝国の男だ。
皇太子が俺を拉致する様に命じたのか?

皇弟にやらかしたらしいあの女を始末したけど、それは
責められる事か?
お腹の中の子供か?
いや、それは生まれてはいけない子供の筈なので感謝して
貰ってもいい。

それとも。
やはりシャルは皇太子の愛妾で、俺が邪魔だから皇太子は…

だったらもう会いませんと誓えば許して貰えるか?

目まぐるしく考えがあちらこちらに飛んで纏まらなかった。

気が付けば、目の前の男が俺を見てた。
だからそんな目で俺を見るな、と思った。
そんなチビのギリアンと同じような。

「お前みたいな小者は捨て置け、と言われたのだが。」

「…」

「…これは俺の私情だ。
 これからは俺の大切なものを傷つける可能性が
 少しでもあるものは排除すると、3年前に誓った。」

「…何を、何言ってんだよ…、意味わかんねえよ。」

「お前がクリスティンとひと夏過ごした湖、久しぶりだろう?
 あの女が底に沈んでから、水が濁ってしまって、まるで沼の様だと
 報告されてる…さすが妖女だ。」

「…」

「喜べ、俺の代わりにお前はあの女を片付けてくれた。
 御礼にお前の女神の所まで、送り届けてやるからな。」

もう男は俺を睨み付けてはいなかった。
その灰色の瞳は凪いでいる。

男は俺を逃がすつもりはない。


なぁ、シャル…。
あの時、俺は…
お前のところに戻ると言ったけど…。



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