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12.拠点
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姉妹のじゃれ合いが終わると、俺達は名残惜しそうなルフィリアに手を振り、リュミエールの待つ場所へと向かう。
道中改めて聞いてみると、ソアラ自体も精霊種だが、乗っていた馬も精霊種だった事が解った。 これに関しては素直に喜ばしい情報だった。
いくらソアラが精霊種であっても、馬が普通ではリュミエールの速度に付いてこれるとは思えないし、ソアラ自身に走って付いて来てもらうなども論外だ。
そんな風に、今まで話せなかった事をお互いに話し合いながら進んでいく。ミレニアは少々疲れたのだろう、今は猫状態になり俺の肩の上で休んでいる。
改めて見るソアラの容姿、ボーイッシュな形に整った金に近い輝きを持つ黄色の髪、同じ色の瞳は少し不思議な光を帯びているようにも見える。
防具はレザーに薄い鉄板を張り付けた部分鎧、武器は背中に長弓を背負い、腰に短剣が2本。魔法鞄を馬にも据え付けているらしく、短弓の方は乗馬時以外そっちにしまってあるそうだ。
[二刀流か、そう言えばナイフの二刀流と同系統で大丈夫なのかね]
ナイフの修練を積む時には、基本的に二刀流でやっているのだが、他の武器でもこの二刀流スキルが適用されるか試した事が無かったと今更ながら気付く。
元来斬るより叩くに近いソード系では、二刀流での取り回しには向かず、サーベルは強度的に不安があったので見送っていた。つまり鉱山都市ヌールにてやっと、実戦に耐えうるほどの得物が二振り揃ったのだ。
「そう言えばソアラ、馬はどこへ?」
どこからこの空間へと移動してきたのか解らないが、もしかしたらどこかへ馬を置き去りにしてきたのではないかと思った俺は、先に回収するべきかと考え尋ねた。
「大丈夫、呼べる」
俺の意図を汲んだのかソアラが短くそう告げると、大地に魔方陣のような紋様が浮かび上がり、その上に鹿毛の馬が現れた。
「地属性の精霊種じゃからのう。ルフィニアと繋がっておるこやつであれば、大地のどこへなりとも呼びだす事が可能じゃろうて」
肩の上で横になっているミレニアが、小さな欠伸と共に説明してくれる。
「ふーむ便利だなぁ。俺も使えたら・・・ん?て事は、ミレニアならリュミエールを呼び出せるって事か?」
「無論じゃ、と言っても光の差す場所でなければならんのだがのう」
「光の差すって事は修行の時に出して貰ってるのは違うのか?」
「左様。アレらは厳密に言えば生命体ではない、少量の魔力で運用が可能な駒じゃ」
言われて見れば確かに、呼び出されたモノを倒した後、その遺体が残る事なく消滅していたと思い出す。妖も遺体を残す事なく消滅したが、あれは竜気による作用だろう。
それよりもだ。もし今後、リュミエールをどこかで待機させる事になったとしても、必要に応じてミレニアに呼び出して貰えば良いと解ったので旅の不安は一つ減った。
「そう言えばソアラの馬はなんて名前なんだ?」
話の流れ的にこの場へ呼び出して貰う事になったが、せっかくなので新しく仲間に加わったこの馬の名前も聞いておきたいと俺は考えた。
「ファリス」
「へぇ、何か由来とかあるのか?」
「私と同じ、ルフィニア様がつけた」
「そうなのか。改めてよろしくなファリス」
俺は、ソアラの隣を連れ添って歩くファリスに手を上げ挨拶をする。ファリスはそれを理解したようで短く鼻を鳴らす。
そうこうしている内に、俺達はリュミエールの待つ広場へと戻ってきた。
「地上に戻ったらソアラの本来の実力を見せて貰いたいな」
護衛任務の道中では1度盗賊からの襲撃があったのみだった。それは別としても、精霊種であるソアラが人前で全力を出す事は無かっただろうと思い、本気になった場合の戦力を見極めておきたかった。
「ん、解った」
ソアラはこっくりと頷き了承してくれた。あとはどう実力を測るかだが。
「ミレニア、どのくらいの強さの野獣なら相応しいと思う?」
実際に呼び出しを行うのはミレニアだし、実力を見抜く力もずば抜けている。そう思い俺は確認する。
「ウォルフ、お主が格闘術で対応すればよかろう?どうせ死ぬ事は無いのじゃ。好きなだけ切り刻まれれば良かろう」
だが帰ってきたのは物騒な返答だった。しかも、気のせいか何やら楽しそうである。
「俺が切り刻まれるのはいいけど、ソアラに怪我させるのは・・・」
「大丈夫」
俺がミレニアに歯切れ悪い返事を返していると、思わぬ方ーソアラの方から逆に肯定の言葉が飛び出した。
「お主が思っておる以上に精霊種は強いぞえ。中でもこやつは、地属性がもっとも濃い属性溜まりから産まれておる、その実力は相当に高かろう」
ミレニアがソアラを見ながら評価を下す。俺には計り知れない物であっても、ミレニアからすれば全てお見通しなのだろう。
「仕方ない、それで行こう」
俺は不承不承ミレニアの言葉に従い、ストレージの中から格闘用の装備を取り出す。
普段つけている物も手袋型の手甲だが、格闘用のそれは拳や指を保護するように鉄板が張り付けられており、掌の側も鎖帷子になっている。
また、靴の方も膝まであるロングブーツで全体的に薄い鉄板を張り付けられており、脛には厚めの鉄板、また、足首から先は鉄の板が覆い被さるように加工され作られている。
[軽くて丈夫な金属でもあればそれを使って作れるから、装備し直す必要もないんだけどな]
俺はそんな風に考えながらブーツと手甲を装備し、その感触を確かめる。
そして来た時と同じ様に、円形の魔方陣のような紋様の放つ光りに包まれて地上へと戻る。
地上に戻ると、さっそくリュミエールの鞍の上へと飛び乗りくつろぐミレニア。その隣にはファリスが仲良く並んで見守っている。
「では両者、準備が出来次第始めるが良い」
俺はミレニアの掛け声と同時に、死に戻りのポイントを設定し構えを作る。
腰を落とした体勢で右足を前に伸ばし、右手を少し曲げソアラに向かい突き出す。左足には体重を掛け左手は折り畳み力を込める。
対するソアラは腰の短剣を二本とも抜き出し、右足に体重を掛け、右手は握った短剣を突き出すように曲げ、左足は大地を蹴りやすいように少し伸ばし、左手のナイフは身体を使って隠すように構えた。
「行くよ」
短く告げるソアラの身体は同時に沈み込むようにして加速し、流れるように俺へと迫る。
俺はその速度に少し驚いたが、慌てず迫り来る短剣を警戒する。
[右のナイフはブラフ、本命は左]
俺は迫り来る右の短剣を手甲で捌くと、左手を貫手に構えなおし、死角から迫り来る左手に合わせ貫手を放つ。
貫手によって腕を抑えられた短剣は威力を失う。しかしソアラはそのまま掴まれる事無く身体を翻し、右の上段蹴りを放なってきた。
俺は素早く体勢を立て直し、迫り来る右上段蹴りをガードする。右手に重い衝撃が走る。
そして、上段蹴りが当たった勢いを利用し、ソアラは距離をとる。
「予想以上に重い、見事な蹴りだ。・・・けどまだ本気じゃないね?」
「ん、様子見」
再び構えなおした俺が尋ねると、ソアラはあっさりと答える。どうやらソアラには駆け引きと言う概念が無いようだ。
「本気出していいよ。さっき話した通り俺は死なないから」
「解った」
俺の言葉に短く返事を返し、ソアラは構えを変える。両手に持った短剣を胸の前でクロスさせた前傾姿勢。しかし変化はそれだけでは無かった。
構えを取るソアラの全身が薄く光を帯び、威圧感が膨れ上がる。
「ふむ、やはり繋がっているだけの事はある。竜気を扱えるようじゃな」
ミレニアが興味深そうにソアラの事を観察している。どうやらルフィニアさんとのリンクを解して竜気を扱う術を体得しているようだ。
「これはちょっとヤバいな。・・・エンチャント・フィジカルブースト」
俺は全身に元素を取り込み、魔力と融合させ隅々まで行き渡らせる。どうやらこちらも持てる力を全て使わないといけないようだ。・・・とは言え、ソアラに怪我を負わせる気はない、なのでダメージ系の魔法は使わない。
「行くよ?」
ソアラが確認する。死ぬ準備はいいかと言わんばかりに。
「いつでも」
俺はその問いかけに短く答える。後は成るようにしかならない。
瞬動、空気が震えるような振動と共にソアラの姿が消える。
フィジカルブーストで動体視力も強化されているにも関わらず、俺は完全にソアラの姿を見失った。
そして、辺りの地面が断続的に弾ける。超速で虚実織り交ぜつつソアラが移動しているようだ。
俺は危機回避を発動しつつ、ソアラの放つ気配を探る。その間も俺の周りで地面は弾け、牙を突き立てる瞬間を狙っているようだ。
[・・・辛うじて気配は掴めるけど殺気が無い。不味いな]
どんな生物であれ、獲物に襲い掛かる瞬間には必ず殺気が現れる。しかし、種族的な性質なのか、性格的な要素なのか、ソアラからは殺気と呼べる気配を感じ取る事が出来ない。
俺は目を閉じ、更に集中を高め気配を掴もうとする。
[こっちか!]
俺は右側から強く迫る気配を捕らえた。それに合わせるように体を捌き、中段回し蹴りを放つ。
「ハズれ」
しかし俺の放った蹴りは空を斬り、背後からソアラの声が響く。そして首に突き立てられる刃物の感触と共に意識が暗転する。
ー数秒後、俺は指定したポイントに死に戻りしていた。
「参った、ここまでとは思わなかった」
「勝った」
苦笑する俺とは対照的に、ソアラはフンと胸を張る。
「だから言うたであろう?こやつは強いと。・・・とは言えじゃ、こう簡単に負けたのでは面白くないのう。ウォルフや、明晩よりお主の修行もっときつくせねばならぬのう」
予想通りの結果に得意気になっていたのも束の間、ミレニアはあまりにあっけない敗北を見せた俺を、更に鍛え直す必要があると睨み付けた。
そして朝まで、いつも以上の密度の修行が続いた。
-翌朝、そのままその場で食事をし、海都ニムルへ向かう護衛の仕事でもないかと冒険者ギルドを訪れると、セレンが俺充ての書簡を手渡して来た。差出人はバルザックの記名。
話を聞いてみると、今朝早くに使いの早馬が伝言を持ってきたらしい。
理由は不明だが、宛先が明記されている以上受け取るべきだと判断し、俺は書簡を預かる。
気になるので早速封を切り、中身に目を通す。
書簡に書かれていたのは、今回の件に関して苦労を掛けたという謝辞、そして表だって褒賞を出す事が出来ない故に、バルザックの個人的な資産からの報酬を支払うとの事。
どうやら同封されていた証文と書簡を持行くことで、商業ギルドに管理を委託している資産を譲渡して貰えるらしい。
[どうしたもんかね。受け取らないのも失礼とは思うが、ここまでして貰うのも気が引ける]
自分的には、二振りの刀が手に入った時点ですでに充分な報酬を得ていると考えていただけに、今回のバルザックの申し出に対してどう判断するべきか迷ってしまう。
[気にせず受け取るが良かろう。妖の存在は抜きとしても、お主がこの国の王族を救った事に変わりないのじゃ。むしろ受け取らねば顔に泥を塗る事になるのではないかえ?]
[なるほど。俺はこっちの世界の文化にはまだ疎いけど、ミレニアがそう言うならそうなのかもしれないな]
ミレニアに諭されて、俺は申し出を受ける事に決め、さっそく商業ギルドへと向かった。
「おやまあ、ウォルフじゃないかい!久しぶりだねぇ」
商業ギルドの受け付けを終え、呼び出しを待っていると見覚えのある女性に声をかけられた。
「お久しぶりですデボラさん、今日も視察ですか?」
「勿論さ、あたしゃ職員に任せっきりでふんぞり返ってるのは性に合わないからね」
この女性デボラは、ここ商業ギルドのギルドマスターだ。
商業ギルドはその性質上、多種多様な商品や商人が出入りする。なので職員の仕事量も全ギルド中最大規模となり、受け付けを済ませたあとしばらく待つ必要が出て来るほどだ。
彼女、デボラは天性の慧眼と商売センスの持ち主でありながら努力を怠らず、毎日のように輸送されてくる商品や市場の視察を行っている。
「それで、今日はどうしたんだい?」
多忙だろうにそれを微塵も表に出す事なく、俺が訪れた理由を尋ねてくる。
「はい、実は」
そう言って俺は、バルザックからの書簡に書かれていた管理資産についてかいつまんで話す。
「ああアレかい、ちょっと待っておくれよ」
そう言うなりデボラは事務室へと向かい、俺が預けた証文と書簡を持って再び現れた。
「待たせたね、それじゃ行こうか」
そう言ってデボラが促してくる。
「え、忙しいでしょうに大丈夫なんですか?」
「アッハハ!気にする事じゃないよ。と言うより、バルザックの資産管理を任されてるのがあたしだってだけの話さ」
デボラは豪快に笑い飛ばし、付いて来いと俺を促す。
相変わらずの気風の良さに内心感心しながら、俺はソアラと共にデボラの後を追いかけた。
「そのお嬢さんはアンタの連れかい?」
道中、一緒に付いてくるソアラを見てデボラが尋ねて来る。
「はい、今後行動を共にする仲間のソアラです」
「よろしく」
俺はそう言ってソアラをデボラに紹介する。それを受けてソアラはぺこりと頭を下げる。
「はいよ、よろしくね。・・・一人で活動する事が多かったアンタも、仲間を持つようになったんだねぇ。どうやら今回は色々とめぐり合わせがいいみたいだよ」
そう言ってデボラはニンマリと微笑む。彼女に限って変な勘違いなどは無いと思うが、妙に気になる笑顔だ。
しばらく歩き、北門通りへと差し掛かる頃。
「さあ着いたよ。ここがバルザックから管理を任されていた場所さ」
俺達へ振り返り、デボラが後ろにある建物を指し示す。
「これ、ですか?」
俺は驚きの余り目が釘付けになる。そこにあるのは、宿屋よりも大きな邸宅と呼べるサイズの建物だったからだ。
「そうだよ。バルザックがまだ一介の冒険者だった頃、団を束ねて使ってた拠点さ」
団。話には聞いていたが、今まで自分に縁が無かった為聞き流していた情報を振り返る。
ギルドの依頼の中には当然難易度の高い物や、人数の必要な物もある。それを個別で受ける事は勿論可能だが、即席のメンバーでは当然連携もうまく取れない事がままある。
そう言った問題を解決する為に、相互補助的な役割として集団を運営する事が、金札以上の冒険者には許可されている。その集団が生活基盤として利用する場所、それがこの建物のような拠点である。
つまり団とは、解りやすく言えばクランのようなモノというわけだ。
「まあ、この規模だと20人は生活できるからね。アンタが驚くのも無理ないさ」
デボラはそう言って笑うと懐から鍵を取り出す。
「これがこの拠点の鍵さ。ひとまず中を見て回るかい?」
「お願いします」
俺には過ぎた代物のように思えるが、少なくとも王都滞在中の宿代を気にしなくていいと考えると少し興味が出て来る。
俺の言葉を聞きデボラが門を開けてくれる。
門を開け、そこから邸宅まで続く石畳を敷いた舗装路。その舗装路の両脇は、芝生のような青々とした草が茂った庭先になっており、そのスペースだけで一軒家が建ちそうだ。
左手奥には大きめの厩が設置されており、十数頭の馬を繋いでおく事が出来そうだ。逆に右手奥には倉庫だろうか、今は何も入ってないであろう建物が見える。
俺達はそのまま正面の邸宅へと向かい、デボラの持つ鍵で中に入る。
「へぇ・・・」
「綺麗」
内部は華美ではない物の、落ち着いたデザインの家具類、そして各部屋と思われるところへ扉が設置してある。それらが争う事なく調和し、上品な空気を醸し出している。
「簡単に説明するよ。左は談話室、その奥は食堂と厨房、右は会議室と書斎、正面奥に厠、2階はそれぞれの個室と言った造りさ」
デボラが身振り手振りで説明してくれる。宿屋や個人宅とは、根本の建築理念から違うのだと俺は感心する。
そして俺達はさっそく内部を見て回る事にした。
談話室には暖炉が添え付けられており、複数のソファーと個人用の椅子、そして低めのテーブルなど寛げる造りになっている。
次に食堂と厨房、食堂のテーブルは、10人程度が座って食事を取れる大きさになっている。冒険者という稼業の宿命として、おそらく最大人数で食事を取るという事はあまりなかったのだろう。もしかしたら、全員そろって何か宴を行う時は、庭先でやっていたのかもしれない。
厨房は、ナザニアで見た王弟殿下の宮殿の物には流石に劣るが、それぞれの設備が使いやすそうに配置され、コンパクトながらも実用的だった。
次いで会議室を覗いて見る。こちらはまさに実務用の部屋という趣になっており、大きめのテーブルの上に置かれた2つの燭台と並べられた20脚の椅子。壁には何かを張る事が出来そうなスペースと、明り取りの窓や壁付けランタンなど、おそらくここで受けた依頼に対する作戦などが練られていたのだと推測できる。
そして書斎には、スクロールだけではなく、ちゃんと装丁を施された本が棚に並んでいた。
この世界にも木版印刷自体は存在するが、丸めただけのスクロールと違い、ちゃんと装丁された本と言うのは、手間も材料もかかっている分価値がとても高い。
一般的には出回っておらず、あるとすれば国立図書館、もしくは王侯貴族の邸宅くらいなものだろう。
そんな物が平然と並べてある時点で、バルザックの率いていた集団がどれほど優秀だったか良く解ると言う物だ。
「この本は処分しなかったんですか?」
俺は恐る恐るデボラに聞いてみる。普通であれば金銭へ交換していてもおかしくない代物だ。
「あたしも処分したらどうかって打診してみたんだけどね。後進がここを使う時に知識を得られるように敢えて置いておく事にしたって言われてねぇ。まあ、その本の価値を知識として得るか金銭として得るか、どっちがより価値のある行為か解らないような奴には、譲る気はなかったんだろうね」
デボラは肩をすくめ、呆れたようにバルザックの考えを語る。
こちらとしては逆に有り難い話である。得られる知識量がどれくらいかは、読んでみなければ解らないが、少なくとも現ギルドマスターの使っていた拠点に残された書物だ、読み解く価値は大いにある。
俺は、バルザックが戻ってきたら改めてお礼をしようと心に決める。
「それからね、この拠点には特別な設備があってね」
そんな俺を見ながらデボラがニヤリと微笑む。・・・いや、正確にはソアラを見ながらだ。
言うが早いか、デボラは俺達を引っ張るように連れて行く。
連れられて来た場所は、先ほどの説明でトイレがあると言っていたところだ。
「こっちさ」
デボラはそう言いながら一番左の扉を開ける。
俺達も誘われるように中に入る。そこには壁に打ち付けられた、上下2段の少し広めの棚が二つとランタン、その上には採光用の格子。そして左壁にまた扉がある。
そしてデボラはその扉を躊躇なく開ける。
「お風呂!」
「そうさ、この拠点はお風呂付きなのさ」
ソアラが珍しく大きな声で歓声を上げる。それを聞いてデボラが微笑みながら語る。
「昔、バルザックと組んでた魔導師の一人が大のお風呂好きだったらしくてね、この拠点を立てる時に水回り関係を全部監督して浴室まで作ったって話でね」
「給水と排水・・・どうやったんですかね」
俺は呆気に取られたままデボラに尋ねる。
浴室内を見た限り、温泉旅館の浴室並に広い湯船があり、天井には採光用の格子、これは湿気対策も兼ねていそうだ。
また、壁も床も石を磨いた物で出来ており手触りはとても良いが、湯船に使われている物は更に気を配ってあるようで、長時間浸かっていても身体が痛む事はなさそうだ。
「水源は井戸さ、地下深くまで掘り込んで風車で水を上げる造りだよ。これは厨房の方へも送られていて、いつでも新鮮な水を使う事が出来るようになってるね。排水の方は、使用済みの水を漏らさないよう、地面に開けた横穴を魔法で変化させて、城壁の外にある小川に流れ込むようにしてあるそうだよ」
「・・・とんでもないですね」
気持ちが解らない訳ではないが、風呂一つの為にそこまでするその情熱に俺は言葉を失った。
デボラの話を聞いて改めて観察してみると、湯船の中は中心へと向かい緩く傾斜しており、中心には色の違う石がはめ込まれている。それを動かしてみると中には穴が開いており、湯船の中身はここから排水出来るようになっているようだ。
更に、湯船のふちに沿って細い溝も刻まれており、身体を洗ったお湯や溢れたお湯などは、ここを通って地下の排水管へと流れ込むようだ。
「色々な意味で、破天荒な人だったからねぇ」
デボラは何やら遠い目をして答える。どうやら他にもまだ色々と逸話があるようだ。
「という事は、今は水を止めてるんですね」
「ああ、そうさ。誰も暮らしてないのに水だけ流れてたんじゃ、カビが生えてしまうからね。管理を委託されてた以上、すぐにでも使える状態に保存しておかなきゃ商人の名折れだからね。アンタ達も今日から入用なら、ギルドに戻ったら設備を使えるよう手配しておくよ」
「それなんですが、拠点を離れている間の管理を、商業ギルドへ委託する事も可能でしょうか?」
当初の予定では、明朝にでもリヴェニアへと会う為に海都へ向かうつもりだった。しかし、成り行きとは言え、拠点を持つ事になった以上、これを放置したままには出来ない。となると、誰かに管理を委託する必要があるのだが、生憎現在は2人パーティだ。
団を設立するには、金札以上でなければいけない規則があるのでこっちも不可能。もっとも、ソレ以上にうちの場合事情が事情なので、一般的な冒険者を呼び入れるつもりもない。
つまり今の状況は、言ってしまえば身に余ると言う奴だ。
「まあ、アンタら冒険者だからね。団を作るにもまだ段位が足りてないし、旅の間の管理は当然必要になるね。・・・解った、そっちの方はアタシで何とかしようじゃないか」
デボラはそう言い自分の胸を叩く。商業ギルドのギルドマスターである彼女に任せておけば、大抵の問題は解決するだろう。
「ありがとうございます」
俺はデボラにお礼をいい、今後自分達でも管理出来るよう、風呂の設備や風車などの扱いを教えて貰った。
その仕組みを聞く中で、俺は更に驚きを感じた。
設計としては風車の力で水に圧をかけ、併設された中空管の中を水が登ってくると言う仕組み。
つまり揚水風車なのだが、この管が腐食対策として金で造られていた。
更にその風車の羽根も、小さなサイズでも力を生み出せる多翼構造ながら、メンテナンスをしやすいように脱着式になっている。
この世界の一般的な家庭は、街中にある井戸から水を汲み使っている。国王の住む宮殿ならばあるいは揚水風車を使っている可能性はあるが、素材やメンテナンスの面においてもかなりの費用が掛かるだろう。
それを拠点で風呂に入る為に作製し、実現してしまうのだから、その魔導師とやらは中々にぶっ飛んでいると言えるだろう。
汲まれた水は壁の中の流水路を通って、厨房と風呂場へと送られるのだが、そこにも一工夫がされており、風呂の中から仕切り板を使って水路をふさぎ、湯船へと流れる水を遮断する事が出来るようになっていた。更に、流れを妨げられた水は厨房の方の水路へと流れ込むので、溢れかえったり逆流する事もない。
「まあ簡単に説明するとこんな感じだね。今は風車が動かないように羽根を外してあるだけだから、すぐにでも元に戻せるよ。それからお湯だけどね、流石にこれはどうしようも無かったみたいで入る時に魔法で沸かしてたと聞いたね」
「風呂に命かけてますねその人」
俺は思わず突っ込まずにはいられなかった。確かに、水の元素魔法を使って、水の元素に干渉して高速運動させる事で、水からお湯へと変化させる事も出来る。とは言っても、干渉範囲によってそれなりに魔力が消費されるのだから、湯船一杯のお湯を生み出すとなれば、結構な量の魔力を消費する事になるだろう。
つまり、魔力切れによって昏倒する可能性を考慮した上で、それでも風呂に入りたかったという事になる。
しかし、娯楽とは案外そう言う物かもしれない。少なくともソアラは早く入りたくてうずうずしているように見える。
そんな様子を見てると、出発前に1度くらいは入らせてやった方がいいような気がしたので、俺はデボラに頼み、今日中に入れるようにして貰う事にした。
デボラは快く引き受けてくれ、準備をしてくると言い残しギルドへと戻って行った。
その間に俺達は自分の部屋を決める事にした。と言っても俺は2階に登って一番手前、ソアラはその隣でいいと言うのであっけなく決まってしまった。
「ふかふか」
自分の部屋の確認をしに行ったソアラが、慌てて戻ってくるなりそう叫んだ。促されるままに俺もベッドに腰かけてみる。確かに、その辺りの宿屋なんか目じゃないくらいにふかふかの座り心地。その反応を見て、ミレニアも颯爽と飛び降り、ベッドの上を占拠する。
30分ほど経って、作業員を連れたデボラが戻ってきた。
俺達はさっそく風車の復旧作業に取り掛かり、無事に水を汲み上げる事に成功する。
程よい勢いで流れる水は、徐々に湯船の中を満たしていく。風の勢いがあれば、もっと量を汲み上げられるだろうが、この後水を沸かす必要がある為出来るだけ魔力は温存したい。
「じゃあアタシらはこの辺りで戻るよ。この拠点の管理の手続きもあるし、明日出発前にでも顔出しておくれ」
「解りました。色々とありがとうございます」
手を上げギルドに戻っていくデボラ達を見送り、俺は邸宅に戻る。
「やれやれ、ようやく落ち着けるのう。しかし、こうして気兼ねなく過ごせる場所が手に入ったのは有り難い話じゃ」
邸宅の中に戻ると、ベッドを占拠していたミレニアが、いつの間にか玄関先まで降りて来ていた。
「確かにここならミレニアも気楽に過ごせるか」
なんだかんだで目立たないよう、猫の振りをして貰ったりしていた事を考えると、今回の申し出はミレニアにとって一番良い物だったのかもしれないと俺は思った。
「まあ、明日にはまた旅が始まるけど、今日くらいはくつろいでくれ」
「無論じゃ。それよりもお主らが騒いでおった風呂とはなんじゃ?」
「ああ、簡単に言えば水浴びだよ。ただ使うのは水じゃなくお湯だけど」
竜であるミレニアにとって、風呂と言うのはは未知の物だったのだろう。しかし、好奇心を刺激されていたらしく俺に尋ねてきた。
俺はミレニアに解りやすいように言葉を選び、簡単な説明をする。
「お湯を使う水浴び・・・?ふむ、人とはずいぶんと面妖な事をするのじゃのう」
「気になるなら入ってみればいいさ、ソアラと一緒なら心配ない」
あの時の反応を見る限り、ソアラは風呂に入った事があるのだろうと俺は考える。
「ふむ・・・。まあ良い、その辺りはお主達に任せようぞ」
そう言うと、ミレニアはいきなり人型へと変化する。
「突然人型になるなんてどうしたんだ?」
「この建物は人が過ごすのに適した造りになっておろう?であるからして、人型の方が何かと動きやすいのじゃ」
言われて見れば確かに。邸宅の各部屋には扉があり、猫状態のミレニアに開けるのは少々骨が折れそうだと理解する。
「なるほど、確かにそうだな。それにこの建物の中なら人に見られる心配もないか」
「左様。じゃからお主はさっさとその風呂とやらの準備をせんか」
なんだかんだで気になって仕方ないのだろう、俺にそう告げると談話室の方へと消えて行くミレニア。
俺はそれを見ながら苦笑し、風呂場へと向かった。
風呂場ではソアラが湯船に水が溜まっていくのをじっと見つめていた。
「ちょうどいい量になるまでもうちょっとかな」
「早く入りたい」
余程風呂が好きなのか、珍しくソアラがうずうずしている。
「まあもうちょっとだから。それでちょっと頼みがあるんだけどさ、ミレニアが風呂に入ってみたいようなんだけど、初めてだから一緒に入って貰えないかな?」
「解った。ミレニア様と一緒に待ってる」
「ありがとう、それじゃ頼んだよ。ミレニアは今談話室にいるから」
俺の話を聞き終えるなり、ソアラはミレニアの元へと向かう。
ソアラにとってミレニアは、母とも言えるルフィニアの姉である。それ故、不敬がないようになのか様付けでミレニアの事を呼ぶ。
とは言え俺にまでそれを強要する事もなく、またミレニア自身が呼び捨てを許容しているので、特に問題になるような事はない。
[そうだ、水が溜まるまでまだかかりそうだし、先にリュミエール達を連れて来るか]
俺は、商業ギルド前に繋いでおいたリュミエールとファリスの事を思い出し、談話室にいるミレニアとソアラに一言告げて迎えに行く事にした。
「リュミエールにファリス、今日からここがお前達の新しい家だ」
十数分後、リュミエールとファリスを厩へと入れ、馬具を外してやる。今夜一晩とは言えやはりリラックスして貰いたいと考えたからだ。
馬具を外された2頭は、久々の解放感に喜んでいるようだった。せっかくなので軽くブラッシングをし、飼い葉桶に飼い葉を入れ、水桶に元素魔法で水を溜めてやる。
[そろっと溜まった頃かな]
なんだかんだと厩で30分以上を費やし、俺は再び風呂場へと向かう。
[丁度いい量だな。良し]
風呂場に戻って来て確認した湯船には、溢れんばかりの水が湛えられている。
俺はまず流れ込む水せき止め、湯船の中に両手を入れると、水の元素へ魔力で干渉する。
イメージは電子レンジ、水の分子が高速運動を行い熱量を持つように干渉し、それを湯船全体へと広げていく。
[予想以上に魔力使うなこれは]
思った以上に魔力の消費が激しい事を理解した俺は、方法を考え直し、湯船のふちに沿って魔力を巡らす。そして全体が均一に熱量を持つように全方位から分子を高速運動させる。
どうやらうまく行ったようだ。最初の方法よりも遥かに短い時間、少ない魔力の消費で湯船の中にお湯を生み出す事が出来た。
[さて、待たせてる二人へ報告に行くかね]
俺は丁度いい温度になった湯船から手を引き抜き、談話室で待つ二人の元へと報告へ向かう。
そして、その話を聞くなりソアラは、ミレニアを引っ張るように大急ぎで風呂場へと向かった。
そんな二人を見送り、俺は湯上りに夕飯を食べられるよう、厨房で準備を始めた。
明日の出発までの束の間の休息、俺達は思い思いにそれを存分に満喫していた。
道中改めて聞いてみると、ソアラ自体も精霊種だが、乗っていた馬も精霊種だった事が解った。 これに関しては素直に喜ばしい情報だった。
いくらソアラが精霊種であっても、馬が普通ではリュミエールの速度に付いてこれるとは思えないし、ソアラ自身に走って付いて来てもらうなども論外だ。
そんな風に、今まで話せなかった事をお互いに話し合いながら進んでいく。ミレニアは少々疲れたのだろう、今は猫状態になり俺の肩の上で休んでいる。
改めて見るソアラの容姿、ボーイッシュな形に整った金に近い輝きを持つ黄色の髪、同じ色の瞳は少し不思議な光を帯びているようにも見える。
防具はレザーに薄い鉄板を張り付けた部分鎧、武器は背中に長弓を背負い、腰に短剣が2本。魔法鞄を馬にも据え付けているらしく、短弓の方は乗馬時以外そっちにしまってあるそうだ。
[二刀流か、そう言えばナイフの二刀流と同系統で大丈夫なのかね]
ナイフの修練を積む時には、基本的に二刀流でやっているのだが、他の武器でもこの二刀流スキルが適用されるか試した事が無かったと今更ながら気付く。
元来斬るより叩くに近いソード系では、二刀流での取り回しには向かず、サーベルは強度的に不安があったので見送っていた。つまり鉱山都市ヌールにてやっと、実戦に耐えうるほどの得物が二振り揃ったのだ。
「そう言えばソアラ、馬はどこへ?」
どこからこの空間へと移動してきたのか解らないが、もしかしたらどこかへ馬を置き去りにしてきたのではないかと思った俺は、先に回収するべきかと考え尋ねた。
「大丈夫、呼べる」
俺の意図を汲んだのかソアラが短くそう告げると、大地に魔方陣のような紋様が浮かび上がり、その上に鹿毛の馬が現れた。
「地属性の精霊種じゃからのう。ルフィニアと繋がっておるこやつであれば、大地のどこへなりとも呼びだす事が可能じゃろうて」
肩の上で横になっているミレニアが、小さな欠伸と共に説明してくれる。
「ふーむ便利だなぁ。俺も使えたら・・・ん?て事は、ミレニアならリュミエールを呼び出せるって事か?」
「無論じゃ、と言っても光の差す場所でなければならんのだがのう」
「光の差すって事は修行の時に出して貰ってるのは違うのか?」
「左様。アレらは厳密に言えば生命体ではない、少量の魔力で運用が可能な駒じゃ」
言われて見れば確かに、呼び出されたモノを倒した後、その遺体が残る事なく消滅していたと思い出す。妖も遺体を残す事なく消滅したが、あれは竜気による作用だろう。
それよりもだ。もし今後、リュミエールをどこかで待機させる事になったとしても、必要に応じてミレニアに呼び出して貰えば良いと解ったので旅の不安は一つ減った。
「そう言えばソアラの馬はなんて名前なんだ?」
話の流れ的にこの場へ呼び出して貰う事になったが、せっかくなので新しく仲間に加わったこの馬の名前も聞いておきたいと俺は考えた。
「ファリス」
「へぇ、何か由来とかあるのか?」
「私と同じ、ルフィニア様がつけた」
「そうなのか。改めてよろしくなファリス」
俺は、ソアラの隣を連れ添って歩くファリスに手を上げ挨拶をする。ファリスはそれを理解したようで短く鼻を鳴らす。
そうこうしている内に、俺達はリュミエールの待つ広場へと戻ってきた。
「地上に戻ったらソアラの本来の実力を見せて貰いたいな」
護衛任務の道中では1度盗賊からの襲撃があったのみだった。それは別としても、精霊種であるソアラが人前で全力を出す事は無かっただろうと思い、本気になった場合の戦力を見極めておきたかった。
「ん、解った」
ソアラはこっくりと頷き了承してくれた。あとはどう実力を測るかだが。
「ミレニア、どのくらいの強さの野獣なら相応しいと思う?」
実際に呼び出しを行うのはミレニアだし、実力を見抜く力もずば抜けている。そう思い俺は確認する。
「ウォルフ、お主が格闘術で対応すればよかろう?どうせ死ぬ事は無いのじゃ。好きなだけ切り刻まれれば良かろう」
だが帰ってきたのは物騒な返答だった。しかも、気のせいか何やら楽しそうである。
「俺が切り刻まれるのはいいけど、ソアラに怪我させるのは・・・」
「大丈夫」
俺がミレニアに歯切れ悪い返事を返していると、思わぬ方ーソアラの方から逆に肯定の言葉が飛び出した。
「お主が思っておる以上に精霊種は強いぞえ。中でもこやつは、地属性がもっとも濃い属性溜まりから産まれておる、その実力は相当に高かろう」
ミレニアがソアラを見ながら評価を下す。俺には計り知れない物であっても、ミレニアからすれば全てお見通しなのだろう。
「仕方ない、それで行こう」
俺は不承不承ミレニアの言葉に従い、ストレージの中から格闘用の装備を取り出す。
普段つけている物も手袋型の手甲だが、格闘用のそれは拳や指を保護するように鉄板が張り付けられており、掌の側も鎖帷子になっている。
また、靴の方も膝まであるロングブーツで全体的に薄い鉄板を張り付けられており、脛には厚めの鉄板、また、足首から先は鉄の板が覆い被さるように加工され作られている。
[軽くて丈夫な金属でもあればそれを使って作れるから、装備し直す必要もないんだけどな]
俺はそんな風に考えながらブーツと手甲を装備し、その感触を確かめる。
そして来た時と同じ様に、円形の魔方陣のような紋様の放つ光りに包まれて地上へと戻る。
地上に戻ると、さっそくリュミエールの鞍の上へと飛び乗りくつろぐミレニア。その隣にはファリスが仲良く並んで見守っている。
「では両者、準備が出来次第始めるが良い」
俺はミレニアの掛け声と同時に、死に戻りのポイントを設定し構えを作る。
腰を落とした体勢で右足を前に伸ばし、右手を少し曲げソアラに向かい突き出す。左足には体重を掛け左手は折り畳み力を込める。
対するソアラは腰の短剣を二本とも抜き出し、右足に体重を掛け、右手は握った短剣を突き出すように曲げ、左足は大地を蹴りやすいように少し伸ばし、左手のナイフは身体を使って隠すように構えた。
「行くよ」
短く告げるソアラの身体は同時に沈み込むようにして加速し、流れるように俺へと迫る。
俺はその速度に少し驚いたが、慌てず迫り来る短剣を警戒する。
[右のナイフはブラフ、本命は左]
俺は迫り来る右の短剣を手甲で捌くと、左手を貫手に構えなおし、死角から迫り来る左手に合わせ貫手を放つ。
貫手によって腕を抑えられた短剣は威力を失う。しかしソアラはそのまま掴まれる事無く身体を翻し、右の上段蹴りを放なってきた。
俺は素早く体勢を立て直し、迫り来る右上段蹴りをガードする。右手に重い衝撃が走る。
そして、上段蹴りが当たった勢いを利用し、ソアラは距離をとる。
「予想以上に重い、見事な蹴りだ。・・・けどまだ本気じゃないね?」
「ん、様子見」
再び構えなおした俺が尋ねると、ソアラはあっさりと答える。どうやらソアラには駆け引きと言う概念が無いようだ。
「本気出していいよ。さっき話した通り俺は死なないから」
「解った」
俺の言葉に短く返事を返し、ソアラは構えを変える。両手に持った短剣を胸の前でクロスさせた前傾姿勢。しかし変化はそれだけでは無かった。
構えを取るソアラの全身が薄く光を帯び、威圧感が膨れ上がる。
「ふむ、やはり繋がっているだけの事はある。竜気を扱えるようじゃな」
ミレニアが興味深そうにソアラの事を観察している。どうやらルフィニアさんとのリンクを解して竜気を扱う術を体得しているようだ。
「これはちょっとヤバいな。・・・エンチャント・フィジカルブースト」
俺は全身に元素を取り込み、魔力と融合させ隅々まで行き渡らせる。どうやらこちらも持てる力を全て使わないといけないようだ。・・・とは言え、ソアラに怪我を負わせる気はない、なのでダメージ系の魔法は使わない。
「行くよ?」
ソアラが確認する。死ぬ準備はいいかと言わんばかりに。
「いつでも」
俺はその問いかけに短く答える。後は成るようにしかならない。
瞬動、空気が震えるような振動と共にソアラの姿が消える。
フィジカルブーストで動体視力も強化されているにも関わらず、俺は完全にソアラの姿を見失った。
そして、辺りの地面が断続的に弾ける。超速で虚実織り交ぜつつソアラが移動しているようだ。
俺は危機回避を発動しつつ、ソアラの放つ気配を探る。その間も俺の周りで地面は弾け、牙を突き立てる瞬間を狙っているようだ。
[・・・辛うじて気配は掴めるけど殺気が無い。不味いな]
どんな生物であれ、獲物に襲い掛かる瞬間には必ず殺気が現れる。しかし、種族的な性質なのか、性格的な要素なのか、ソアラからは殺気と呼べる気配を感じ取る事が出来ない。
俺は目を閉じ、更に集中を高め気配を掴もうとする。
[こっちか!]
俺は右側から強く迫る気配を捕らえた。それに合わせるように体を捌き、中段回し蹴りを放つ。
「ハズれ」
しかし俺の放った蹴りは空を斬り、背後からソアラの声が響く。そして首に突き立てられる刃物の感触と共に意識が暗転する。
ー数秒後、俺は指定したポイントに死に戻りしていた。
「参った、ここまでとは思わなかった」
「勝った」
苦笑する俺とは対照的に、ソアラはフンと胸を張る。
「だから言うたであろう?こやつは強いと。・・・とは言えじゃ、こう簡単に負けたのでは面白くないのう。ウォルフや、明晩よりお主の修行もっときつくせねばならぬのう」
予想通りの結果に得意気になっていたのも束の間、ミレニアはあまりにあっけない敗北を見せた俺を、更に鍛え直す必要があると睨み付けた。
そして朝まで、いつも以上の密度の修行が続いた。
-翌朝、そのままその場で食事をし、海都ニムルへ向かう護衛の仕事でもないかと冒険者ギルドを訪れると、セレンが俺充ての書簡を手渡して来た。差出人はバルザックの記名。
話を聞いてみると、今朝早くに使いの早馬が伝言を持ってきたらしい。
理由は不明だが、宛先が明記されている以上受け取るべきだと判断し、俺は書簡を預かる。
気になるので早速封を切り、中身に目を通す。
書簡に書かれていたのは、今回の件に関して苦労を掛けたという謝辞、そして表だって褒賞を出す事が出来ない故に、バルザックの個人的な資産からの報酬を支払うとの事。
どうやら同封されていた証文と書簡を持行くことで、商業ギルドに管理を委託している資産を譲渡して貰えるらしい。
[どうしたもんかね。受け取らないのも失礼とは思うが、ここまでして貰うのも気が引ける]
自分的には、二振りの刀が手に入った時点ですでに充分な報酬を得ていると考えていただけに、今回のバルザックの申し出に対してどう判断するべきか迷ってしまう。
[気にせず受け取るが良かろう。妖の存在は抜きとしても、お主がこの国の王族を救った事に変わりないのじゃ。むしろ受け取らねば顔に泥を塗る事になるのではないかえ?]
[なるほど。俺はこっちの世界の文化にはまだ疎いけど、ミレニアがそう言うならそうなのかもしれないな]
ミレニアに諭されて、俺は申し出を受ける事に決め、さっそく商業ギルドへと向かった。
「おやまあ、ウォルフじゃないかい!久しぶりだねぇ」
商業ギルドの受け付けを終え、呼び出しを待っていると見覚えのある女性に声をかけられた。
「お久しぶりですデボラさん、今日も視察ですか?」
「勿論さ、あたしゃ職員に任せっきりでふんぞり返ってるのは性に合わないからね」
この女性デボラは、ここ商業ギルドのギルドマスターだ。
商業ギルドはその性質上、多種多様な商品や商人が出入りする。なので職員の仕事量も全ギルド中最大規模となり、受け付けを済ませたあとしばらく待つ必要が出て来るほどだ。
彼女、デボラは天性の慧眼と商売センスの持ち主でありながら努力を怠らず、毎日のように輸送されてくる商品や市場の視察を行っている。
「それで、今日はどうしたんだい?」
多忙だろうにそれを微塵も表に出す事なく、俺が訪れた理由を尋ねてくる。
「はい、実は」
そう言って俺は、バルザックからの書簡に書かれていた管理資産についてかいつまんで話す。
「ああアレかい、ちょっと待っておくれよ」
そう言うなりデボラは事務室へと向かい、俺が預けた証文と書簡を持って再び現れた。
「待たせたね、それじゃ行こうか」
そう言ってデボラが促してくる。
「え、忙しいでしょうに大丈夫なんですか?」
「アッハハ!気にする事じゃないよ。と言うより、バルザックの資産管理を任されてるのがあたしだってだけの話さ」
デボラは豪快に笑い飛ばし、付いて来いと俺を促す。
相変わらずの気風の良さに内心感心しながら、俺はソアラと共にデボラの後を追いかけた。
「そのお嬢さんはアンタの連れかい?」
道中、一緒に付いてくるソアラを見てデボラが尋ねて来る。
「はい、今後行動を共にする仲間のソアラです」
「よろしく」
俺はそう言ってソアラをデボラに紹介する。それを受けてソアラはぺこりと頭を下げる。
「はいよ、よろしくね。・・・一人で活動する事が多かったアンタも、仲間を持つようになったんだねぇ。どうやら今回は色々とめぐり合わせがいいみたいだよ」
そう言ってデボラはニンマリと微笑む。彼女に限って変な勘違いなどは無いと思うが、妙に気になる笑顔だ。
しばらく歩き、北門通りへと差し掛かる頃。
「さあ着いたよ。ここがバルザックから管理を任されていた場所さ」
俺達へ振り返り、デボラが後ろにある建物を指し示す。
「これ、ですか?」
俺は驚きの余り目が釘付けになる。そこにあるのは、宿屋よりも大きな邸宅と呼べるサイズの建物だったからだ。
「そうだよ。バルザックがまだ一介の冒険者だった頃、団を束ねて使ってた拠点さ」
団。話には聞いていたが、今まで自分に縁が無かった為聞き流していた情報を振り返る。
ギルドの依頼の中には当然難易度の高い物や、人数の必要な物もある。それを個別で受ける事は勿論可能だが、即席のメンバーでは当然連携もうまく取れない事がままある。
そう言った問題を解決する為に、相互補助的な役割として集団を運営する事が、金札以上の冒険者には許可されている。その集団が生活基盤として利用する場所、それがこの建物のような拠点である。
つまり団とは、解りやすく言えばクランのようなモノというわけだ。
「まあ、この規模だと20人は生活できるからね。アンタが驚くのも無理ないさ」
デボラはそう言って笑うと懐から鍵を取り出す。
「これがこの拠点の鍵さ。ひとまず中を見て回るかい?」
「お願いします」
俺には過ぎた代物のように思えるが、少なくとも王都滞在中の宿代を気にしなくていいと考えると少し興味が出て来る。
俺の言葉を聞きデボラが門を開けてくれる。
門を開け、そこから邸宅まで続く石畳を敷いた舗装路。その舗装路の両脇は、芝生のような青々とした草が茂った庭先になっており、そのスペースだけで一軒家が建ちそうだ。
左手奥には大きめの厩が設置されており、十数頭の馬を繋いでおく事が出来そうだ。逆に右手奥には倉庫だろうか、今は何も入ってないであろう建物が見える。
俺達はそのまま正面の邸宅へと向かい、デボラの持つ鍵で中に入る。
「へぇ・・・」
「綺麗」
内部は華美ではない物の、落ち着いたデザインの家具類、そして各部屋と思われるところへ扉が設置してある。それらが争う事なく調和し、上品な空気を醸し出している。
「簡単に説明するよ。左は談話室、その奥は食堂と厨房、右は会議室と書斎、正面奥に厠、2階はそれぞれの個室と言った造りさ」
デボラが身振り手振りで説明してくれる。宿屋や個人宅とは、根本の建築理念から違うのだと俺は感心する。
そして俺達はさっそく内部を見て回る事にした。
談話室には暖炉が添え付けられており、複数のソファーと個人用の椅子、そして低めのテーブルなど寛げる造りになっている。
次に食堂と厨房、食堂のテーブルは、10人程度が座って食事を取れる大きさになっている。冒険者という稼業の宿命として、おそらく最大人数で食事を取るという事はあまりなかったのだろう。もしかしたら、全員そろって何か宴を行う時は、庭先でやっていたのかもしれない。
厨房は、ナザニアで見た王弟殿下の宮殿の物には流石に劣るが、それぞれの設備が使いやすそうに配置され、コンパクトながらも実用的だった。
次いで会議室を覗いて見る。こちらはまさに実務用の部屋という趣になっており、大きめのテーブルの上に置かれた2つの燭台と並べられた20脚の椅子。壁には何かを張る事が出来そうなスペースと、明り取りの窓や壁付けランタンなど、おそらくここで受けた依頼に対する作戦などが練られていたのだと推測できる。
そして書斎には、スクロールだけではなく、ちゃんと装丁を施された本が棚に並んでいた。
この世界にも木版印刷自体は存在するが、丸めただけのスクロールと違い、ちゃんと装丁された本と言うのは、手間も材料もかかっている分価値がとても高い。
一般的には出回っておらず、あるとすれば国立図書館、もしくは王侯貴族の邸宅くらいなものだろう。
そんな物が平然と並べてある時点で、バルザックの率いていた集団がどれほど優秀だったか良く解ると言う物だ。
「この本は処分しなかったんですか?」
俺は恐る恐るデボラに聞いてみる。普通であれば金銭へ交換していてもおかしくない代物だ。
「あたしも処分したらどうかって打診してみたんだけどね。後進がここを使う時に知識を得られるように敢えて置いておく事にしたって言われてねぇ。まあ、その本の価値を知識として得るか金銭として得るか、どっちがより価値のある行為か解らないような奴には、譲る気はなかったんだろうね」
デボラは肩をすくめ、呆れたようにバルザックの考えを語る。
こちらとしては逆に有り難い話である。得られる知識量がどれくらいかは、読んでみなければ解らないが、少なくとも現ギルドマスターの使っていた拠点に残された書物だ、読み解く価値は大いにある。
俺は、バルザックが戻ってきたら改めてお礼をしようと心に決める。
「それからね、この拠点には特別な設備があってね」
そんな俺を見ながらデボラがニヤリと微笑む。・・・いや、正確にはソアラを見ながらだ。
言うが早いか、デボラは俺達を引っ張るように連れて行く。
連れられて来た場所は、先ほどの説明でトイレがあると言っていたところだ。
「こっちさ」
デボラはそう言いながら一番左の扉を開ける。
俺達も誘われるように中に入る。そこには壁に打ち付けられた、上下2段の少し広めの棚が二つとランタン、その上には採光用の格子。そして左壁にまた扉がある。
そしてデボラはその扉を躊躇なく開ける。
「お風呂!」
「そうさ、この拠点はお風呂付きなのさ」
ソアラが珍しく大きな声で歓声を上げる。それを聞いてデボラが微笑みながら語る。
「昔、バルザックと組んでた魔導師の一人が大のお風呂好きだったらしくてね、この拠点を立てる時に水回り関係を全部監督して浴室まで作ったって話でね」
「給水と排水・・・どうやったんですかね」
俺は呆気に取られたままデボラに尋ねる。
浴室内を見た限り、温泉旅館の浴室並に広い湯船があり、天井には採光用の格子、これは湿気対策も兼ねていそうだ。
また、壁も床も石を磨いた物で出来ており手触りはとても良いが、湯船に使われている物は更に気を配ってあるようで、長時間浸かっていても身体が痛む事はなさそうだ。
「水源は井戸さ、地下深くまで掘り込んで風車で水を上げる造りだよ。これは厨房の方へも送られていて、いつでも新鮮な水を使う事が出来るようになってるね。排水の方は、使用済みの水を漏らさないよう、地面に開けた横穴を魔法で変化させて、城壁の外にある小川に流れ込むようにしてあるそうだよ」
「・・・とんでもないですね」
気持ちが解らない訳ではないが、風呂一つの為にそこまでするその情熱に俺は言葉を失った。
デボラの話を聞いて改めて観察してみると、湯船の中は中心へと向かい緩く傾斜しており、中心には色の違う石がはめ込まれている。それを動かしてみると中には穴が開いており、湯船の中身はここから排水出来るようになっているようだ。
更に、湯船のふちに沿って細い溝も刻まれており、身体を洗ったお湯や溢れたお湯などは、ここを通って地下の排水管へと流れ込むようだ。
「色々な意味で、破天荒な人だったからねぇ」
デボラは何やら遠い目をして答える。どうやら他にもまだ色々と逸話があるようだ。
「という事は、今は水を止めてるんですね」
「ああ、そうさ。誰も暮らしてないのに水だけ流れてたんじゃ、カビが生えてしまうからね。管理を委託されてた以上、すぐにでも使える状態に保存しておかなきゃ商人の名折れだからね。アンタ達も今日から入用なら、ギルドに戻ったら設備を使えるよう手配しておくよ」
「それなんですが、拠点を離れている間の管理を、商業ギルドへ委託する事も可能でしょうか?」
当初の予定では、明朝にでもリヴェニアへと会う為に海都へ向かうつもりだった。しかし、成り行きとは言え、拠点を持つ事になった以上、これを放置したままには出来ない。となると、誰かに管理を委託する必要があるのだが、生憎現在は2人パーティだ。
団を設立するには、金札以上でなければいけない規則があるのでこっちも不可能。もっとも、ソレ以上にうちの場合事情が事情なので、一般的な冒険者を呼び入れるつもりもない。
つまり今の状況は、言ってしまえば身に余ると言う奴だ。
「まあ、アンタら冒険者だからね。団を作るにもまだ段位が足りてないし、旅の間の管理は当然必要になるね。・・・解った、そっちの方はアタシで何とかしようじゃないか」
デボラはそう言い自分の胸を叩く。商業ギルドのギルドマスターである彼女に任せておけば、大抵の問題は解決するだろう。
「ありがとうございます」
俺はデボラにお礼をいい、今後自分達でも管理出来るよう、風呂の設備や風車などの扱いを教えて貰った。
その仕組みを聞く中で、俺は更に驚きを感じた。
設計としては風車の力で水に圧をかけ、併設された中空管の中を水が登ってくると言う仕組み。
つまり揚水風車なのだが、この管が腐食対策として金で造られていた。
更にその風車の羽根も、小さなサイズでも力を生み出せる多翼構造ながら、メンテナンスをしやすいように脱着式になっている。
この世界の一般的な家庭は、街中にある井戸から水を汲み使っている。国王の住む宮殿ならばあるいは揚水風車を使っている可能性はあるが、素材やメンテナンスの面においてもかなりの費用が掛かるだろう。
それを拠点で風呂に入る為に作製し、実現してしまうのだから、その魔導師とやらは中々にぶっ飛んでいると言えるだろう。
汲まれた水は壁の中の流水路を通って、厨房と風呂場へと送られるのだが、そこにも一工夫がされており、風呂の中から仕切り板を使って水路をふさぎ、湯船へと流れる水を遮断する事が出来るようになっていた。更に、流れを妨げられた水は厨房の方の水路へと流れ込むので、溢れかえったり逆流する事もない。
「まあ簡単に説明するとこんな感じだね。今は風車が動かないように羽根を外してあるだけだから、すぐにでも元に戻せるよ。それからお湯だけどね、流石にこれはどうしようも無かったみたいで入る時に魔法で沸かしてたと聞いたね」
「風呂に命かけてますねその人」
俺は思わず突っ込まずにはいられなかった。確かに、水の元素魔法を使って、水の元素に干渉して高速運動させる事で、水からお湯へと変化させる事も出来る。とは言っても、干渉範囲によってそれなりに魔力が消費されるのだから、湯船一杯のお湯を生み出すとなれば、結構な量の魔力を消費する事になるだろう。
つまり、魔力切れによって昏倒する可能性を考慮した上で、それでも風呂に入りたかったという事になる。
しかし、娯楽とは案外そう言う物かもしれない。少なくともソアラは早く入りたくてうずうずしているように見える。
そんな様子を見てると、出発前に1度くらいは入らせてやった方がいいような気がしたので、俺はデボラに頼み、今日中に入れるようにして貰う事にした。
デボラは快く引き受けてくれ、準備をしてくると言い残しギルドへと戻って行った。
その間に俺達は自分の部屋を決める事にした。と言っても俺は2階に登って一番手前、ソアラはその隣でいいと言うのであっけなく決まってしまった。
「ふかふか」
自分の部屋の確認をしに行ったソアラが、慌てて戻ってくるなりそう叫んだ。促されるままに俺もベッドに腰かけてみる。確かに、その辺りの宿屋なんか目じゃないくらいにふかふかの座り心地。その反応を見て、ミレニアも颯爽と飛び降り、ベッドの上を占拠する。
30分ほど経って、作業員を連れたデボラが戻ってきた。
俺達はさっそく風車の復旧作業に取り掛かり、無事に水を汲み上げる事に成功する。
程よい勢いで流れる水は、徐々に湯船の中を満たしていく。風の勢いがあれば、もっと量を汲み上げられるだろうが、この後水を沸かす必要がある為出来るだけ魔力は温存したい。
「じゃあアタシらはこの辺りで戻るよ。この拠点の管理の手続きもあるし、明日出発前にでも顔出しておくれ」
「解りました。色々とありがとうございます」
手を上げギルドに戻っていくデボラ達を見送り、俺は邸宅に戻る。
「やれやれ、ようやく落ち着けるのう。しかし、こうして気兼ねなく過ごせる場所が手に入ったのは有り難い話じゃ」
邸宅の中に戻ると、ベッドを占拠していたミレニアが、いつの間にか玄関先まで降りて来ていた。
「確かにここならミレニアも気楽に過ごせるか」
なんだかんだで目立たないよう、猫の振りをして貰ったりしていた事を考えると、今回の申し出はミレニアにとって一番良い物だったのかもしれないと俺は思った。
「まあ、明日にはまた旅が始まるけど、今日くらいはくつろいでくれ」
「無論じゃ。それよりもお主らが騒いでおった風呂とはなんじゃ?」
「ああ、簡単に言えば水浴びだよ。ただ使うのは水じゃなくお湯だけど」
竜であるミレニアにとって、風呂と言うのはは未知の物だったのだろう。しかし、好奇心を刺激されていたらしく俺に尋ねてきた。
俺はミレニアに解りやすいように言葉を選び、簡単な説明をする。
「お湯を使う水浴び・・・?ふむ、人とはずいぶんと面妖な事をするのじゃのう」
「気になるなら入ってみればいいさ、ソアラと一緒なら心配ない」
あの時の反応を見る限り、ソアラは風呂に入った事があるのだろうと俺は考える。
「ふむ・・・。まあ良い、その辺りはお主達に任せようぞ」
そう言うと、ミレニアはいきなり人型へと変化する。
「突然人型になるなんてどうしたんだ?」
「この建物は人が過ごすのに適した造りになっておろう?であるからして、人型の方が何かと動きやすいのじゃ」
言われて見れば確かに。邸宅の各部屋には扉があり、猫状態のミレニアに開けるのは少々骨が折れそうだと理解する。
「なるほど、確かにそうだな。それにこの建物の中なら人に見られる心配もないか」
「左様。じゃからお主はさっさとその風呂とやらの準備をせんか」
なんだかんだで気になって仕方ないのだろう、俺にそう告げると談話室の方へと消えて行くミレニア。
俺はそれを見ながら苦笑し、風呂場へと向かった。
風呂場ではソアラが湯船に水が溜まっていくのをじっと見つめていた。
「ちょうどいい量になるまでもうちょっとかな」
「早く入りたい」
余程風呂が好きなのか、珍しくソアラがうずうずしている。
「まあもうちょっとだから。それでちょっと頼みがあるんだけどさ、ミレニアが風呂に入ってみたいようなんだけど、初めてだから一緒に入って貰えないかな?」
「解った。ミレニア様と一緒に待ってる」
「ありがとう、それじゃ頼んだよ。ミレニアは今談話室にいるから」
俺の話を聞き終えるなり、ソアラはミレニアの元へと向かう。
ソアラにとってミレニアは、母とも言えるルフィニアの姉である。それ故、不敬がないようになのか様付けでミレニアの事を呼ぶ。
とは言え俺にまでそれを強要する事もなく、またミレニア自身が呼び捨てを許容しているので、特に問題になるような事はない。
[そうだ、水が溜まるまでまだかかりそうだし、先にリュミエール達を連れて来るか]
俺は、商業ギルド前に繋いでおいたリュミエールとファリスの事を思い出し、談話室にいるミレニアとソアラに一言告げて迎えに行く事にした。
「リュミエールにファリス、今日からここがお前達の新しい家だ」
十数分後、リュミエールとファリスを厩へと入れ、馬具を外してやる。今夜一晩とは言えやはりリラックスして貰いたいと考えたからだ。
馬具を外された2頭は、久々の解放感に喜んでいるようだった。せっかくなので軽くブラッシングをし、飼い葉桶に飼い葉を入れ、水桶に元素魔法で水を溜めてやる。
[そろっと溜まった頃かな]
なんだかんだと厩で30分以上を費やし、俺は再び風呂場へと向かう。
[丁度いい量だな。良し]
風呂場に戻って来て確認した湯船には、溢れんばかりの水が湛えられている。
俺はまず流れ込む水せき止め、湯船の中に両手を入れると、水の元素へ魔力で干渉する。
イメージは電子レンジ、水の分子が高速運動を行い熱量を持つように干渉し、それを湯船全体へと広げていく。
[予想以上に魔力使うなこれは]
思った以上に魔力の消費が激しい事を理解した俺は、方法を考え直し、湯船のふちに沿って魔力を巡らす。そして全体が均一に熱量を持つように全方位から分子を高速運動させる。
どうやらうまく行ったようだ。最初の方法よりも遥かに短い時間、少ない魔力の消費で湯船の中にお湯を生み出す事が出来た。
[さて、待たせてる二人へ報告に行くかね]
俺は丁度いい温度になった湯船から手を引き抜き、談話室で待つ二人の元へと報告へ向かう。
そして、その話を聞くなりソアラは、ミレニアを引っ張るように大急ぎで風呂場へと向かった。
そんな二人を見送り、俺は湯上りに夕飯を食べられるよう、厨房で準備を始めた。
明日の出発までの束の間の休息、俺達は思い思いにそれを存分に満喫していた。
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