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14.月の濡らす潮騒
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[やはり風呂は良いのう!何故もっと多くの宿で扱わぬのじゃ]
一夜明け、宿を後にした俺達は再び街道を進む。勿論ミレニアは途中で猫状態に戻りいつもの定位置へと納まっている。
[ん、同意]
そんなミレニアの言葉にソアラが強く頷く。すっかり風呂仲間である。
[仕方ないさ、浴室を作るのも維持するのもお金がかかる。水を張るのだって、お湯を沸かすのだって一苦労だし、使用後の処理や掃除も大変だからね]
俺は昨日泊まった宿の浴室を思い出し、拠点の浴室がいかに異常かを再認識していた。
昨日の宿は、主人が昼間の内に水を張っておいたのだろうが、流水路などの設備は当然なく、桶に汲んだ水を何往復もかけて湯船に溜めたのだと想像できる。
湯を沸かすのも焼き石を使った方法、当然薪などのコストがかかるし、更に使用後にはお湯を湯船から運び出し処分する手間もある。そう考えると、お湯を沸かす以外はほとんど手間のかからない拠点の風呂の設計思想は天才的とさえ言える。
[まあ要するに、昨日のは運よく入れたと考えた方がいいかもしれないって事さ]
[ふん。目的の地までにはまだ4つの宿場があるのじゃろう?もしかすれば、もう1軒くらいはあるやも知れぬではないか]
[ん、祈る]
むくれたような調子でそう言うミレニアと、それに同調するソアラ。しかし2人の願い虚しく、これより海都ニムルまでの間に風呂付きの宿がある宿場は無かったのだった。
[おおーっ!これは綺麗だなぁ!]
ニムルに目前まで到達した俺達は、街道のそば、ちょっとした丘の上から景色を眺める。
眼下に臨むのは、白い壁材によって作られた街並みと、青というより碧に近い透明度の高い海。
そしておそらくは遠浅なのだろう、都市の左手側には砂浜が広がっている。
[それじゃ、ひとまず都市へ入ろうか。宿も取らなきゃだしな]
そう言うと俺達は街道へと戻り、海都ニムルへ向かった。
ニムル入り口の一つ、南門にて身分証明を行うと俺達は都市内へと進む。眼前には海まで続く大通り。左右の城壁沿いにも通りが通っており、その全てが港へと向かう造りになっているようだ。
そのまま進み、俺達は大通り沿いにある手頃な1軒の宿を取る。輸送護衛の依頼で訪れた事があるらしいソアラから、この都市の宿屋に風呂は無いと予め聞いていたからだ。
宿屋の店主に手続きをしながら話を聞き、大まかな都市内のマップを埋めると、リュミエール達を厩へ繋ぎ、さっそく冒険者ギルドへと向かう。ノーテからの道中で倒したゴブリンの換金の為だ。
ギルドに入るとさっそく依頼掲示板を確認し、適当なゴブリン討伐の依頼をはがす。ニムルから東にはゴブリンの繁殖地として有名なニデミア森林があるため、討伐の依頼がかなり多い。
当然、討伐対象の数が多いほど1匹辺りの相場は下がる。王都では1匹銅貨500枚だったが、このニムルでは1体200と言ったところだ。
「これ、お願いします」
俺はそう言ってゴブリンの耳の入った革袋を取り出し、討伐系の受け付け窓口へと声をかける。
「はい少々お待ちください。・・・15匹、銀貨3枚になりますね」
「ありがとう。実はそのゴブリンなんですが、ニデミア森林ではなく、王都に近い宿場の近郊にある森の中で遭遇しまして・・・」
俺は職員に遭遇した場所と状況を細かく説明する。職員は少々驚いた様子だったが、すぐに冷静な態度に戻り、報告への感謝として情報料銅貨500枚を渡してくれた。
おそらくこれによって、ゴブリンの生息範囲の調査が新たに依頼として発行されるだろう。
俺達はその様子を確認すると、ギルドを出て市場へと向かう。
[やっぱり海沿いの都市だけあって海産物が豊富だなぁ]
海の近く、大通りから少し入ったところに露店が乱立している。一般的な肉や野菜類も売っているが、目を引くのはやはり海産物だった。
桶に海水を満たした中に、生きたまま売られているあさりのような貝類や、獲れたてをすぐに活〆にした魚が所狭しと並ぶ出店。かと思えば、逆に干物や海藻などをメイン商品にして並べている出店など様々だ。
更には海外との取引品を扱っている店も当然あり、この国では見かけないようなデザインの服やそれの元になった布や皮、錬金術に使える素材などが並べられていた。
そんな風に観察しながら市場を歩き回っていると、魚介類を焼いている露店が見つかる。
[魚の油が焼けるいい匂いだ。塩焼きか、素焼きだろうかね]
目の前で焼かれているのは、串に刺さったイワシくらいの大きさの赤い魚。今が旬なのだろうか、油がのっているらしくとても香ばしい良い匂いを放っている。
「すいません、その焼いてる魚3匹ほど下さい」
「ほいほい、3匹で銅貨6枚ね」
そう言って店主は、串焼きの魚を3匹とも大き目の葉っぱに包んで渡してくれる。丁度いいのでミレニアの分はこの葉っぱに置いてやろうと考える。
[食材を買うにしても、まずは味見をしてみないとね。せっかくだから海のそばで食べようか]
[良かろう]
[ん、桟橋]
ミレニアとソアラも俺の意見に同意し、俺達は大通りに戻ると海の方へと進んでいく。この都市の造りからしてこの先に港があるだろう。
しばらく歩いて行くと目の前が広がり、再び碧い輝きが視界に飛び込んでくる。
[丘から見た時も思ったけど、本当に透き通るような美しさだなぁ]
まるで南国の海のような美しさ、だがこの国は南国に位置する訳ではない。他の国や海を見てみないとはっきりとは解らないが、少なくとも地球の海とは水質そのものが違う気がする。
そんな事を考えながら進んでいると、次第に桟橋が近づいたからか停泊している船も徐々に姿を現してきた。
[へぇ、外洋船はキャラック型か。やっぱりどこか似たような発想になるのかね。まあでもこの世界だと、元素魔法で風や水に干渉する事も可能だし、ガレー船の発想は無かったかもしれないな]
4本マストを威風堂々と掲げる外洋帆船達、よく見るとその手前には2本マストからなる小型の帆船もある。おそらくこちらは近海用、漁業などに用いられている船だろう。
丁度商船が入ってきたところなのだろう、激しく人の行き交う人の流れの邪魔にならないよう俺達は帆船の停泊しているのとは反対の方へと向かう。
どうやらこちらは釣り人などが使う桟橋らしく、船の出入りはなさそうだ。
俺達は海岸通りに設置されたベンチに腰を下ろし、さっそく魚を食べる事にした。
俺とソアラは串付きのまま、ミレニアには串から外して葉っぱの上に置いてやる。
[ほほう、これは中々に美味じゃのう。妾としては肉の方が好みじゃが魚も中々ではないか]
[ん、おいしい]
ミレニアもソアラも思い思いに魚の味を楽しんでいるようだ。それを微笑ましく感じながら俺も焼きたての魚へと噛り付く。
[うん、油がのってて旨いなぁ。味付けは塩だけかと思ったけど、海藻から取った出汁を表面に塗り付けて焼いてるのか]
地球の料理全てを知り尽くしている訳ではないが、この世界の料理にも新しい味覚と発見の出会いがあり楽しい。
とは言え、純和食にこだわっている訳ではないが、やはり日本人としては、魚は生で食べてみたいと感じるのも仕方ないだろう。
[発酵食品か。大豆に近い物があれば醤油や味噌は作れるだろうけど。そうなると米も欲しくなるんだよなぁ・・・]
この世界に来るようになって早1ヶ月くらいだろうか、今のところ流通している食品の中に米と思われる物は存在していない。ある意味それは仕方ないのかもしれない。
荒地でも育つほど丈夫な麦とは違い、米はとにかく世話が必要な食物だ。土壌の改良から始まり稲の生育の為に水田の中の水の状態を新鮮に保ったり、雑草や害虫などの処理も必要な上に、病気になりやすいと言う繊細さまであり、収穫までにおよそ半年近くを要する。
更に二毛作などを行えば、1年は土地を休ませる必要があったりなど、リスクに対してのリターンが少ない。そんな面倒な食物を現代の地球で常食出来るのは、絶え間ない努力により改善されてきたからである。
そんな米の利点は、1回辺りの収穫量と保存性の高さだ。だからこそ、育成されているのであれば市場に出回っているはずなのだ。
[まあ無い物ねだりしても仕方がない。もしかしたら、この世界の米は生態が違う可能性もあるしな]
日本食に使われている食材を探してみるのも面白いかもしれないな、と思いながら俺は焼き魚を食べ尽すと、残った3人分の骨と串と葉っぱを掌に作った火球で燃やし、灰にしてストレージに仕舞う。あとで木の根元にでも撒いて処分する予定だ。
[さてどうしようか。昼間は人目もあるし、リヴェニアさんのところへは夜向かうんだろ?]
[まあそうじゃのう。目立つのは困る故夜分にせねばなるまい。なんぞ用でも出来たかえ?]
[いやなに、ちょっと釣りをしてみようかと思ってね]
そう言って俺はミレニアをソアラに預け、一番近い桟橋にいる釣り人へと近づいて行く。
「こんにちは、良い腕前ですね」
そう言って俺は釣り人の足元、海の中にある網に入れられた魚の数を見ながら声をかける。
「わしゃぁ産まれも育ちもニムルじゃからのう、このくらいは造作もない。お若いの、お前さんも釣りをやりなさるかね?」
ふぉっふぉと笑い、さも当然のように答える老人。しかし、そうしている間にもすでに新しい獲物を釣り上げている。
「いえ、ニムルへ来たのは初めてでして、生憎と釣りの経験はないんですよ。どこかで釣り道具が売ってれば教えて欲しいのですが」
「・・・ふむ、お若いの。良かったらコレを使ってみなさるかね?」
そう言って老人は、桟橋に置いてあった別の釣り竿を俺に差し出して来た。
「お借りしてもよろしいのですか?」
思いがけない老人の申し出に、その釣り竿を受け取りながら、俺はおずおずと尋ねる。
「ふむ、一つ勘違いしておるようじゃの。その竿はお前さんに譲ると言っておるのじゃよ」
老人はその年季の入った顔に。いたずらっぽい笑顔を浮かべ俺を見て頷く。
「それは流石に・・・」
「構わんよ。このニムルの漁師はみな、自分で自分の得物を作るのじゃ。儂も歳で漁師としては身を引いたが竿造りはまだ現役じゃよ。・・・まあ、もっぱら趣味の釣り用じゃがのう。そいつも儂に付き合ってた分多少くたびれてはいるが、そこらで売ってる竿よりはいい仕事をしてくれるじゃろう」
老人は豪快に笑い、俺の持つ釣り竿をまるで我が子を愛でるように見つめる。
老人にとってこの釣り竿は、自ら作り出した我が子であり、相棒でもあったのだろう。使い込まれたその釣り竿はまるで手に吸い付くように馴染む。
「ありがとうございます。使わせていただきます」
俺は頭を、下げ老人へとお礼を述べる。一瞬礼金を渡す事も考えたが辞めた。老人は、釣り竿の間にあるだろう思い出を大切に思いながらも気持ちよく譲ってくれたのだ、その心意気を汚すような事をしてはならないと感じた。
「うむうむ。どれ、餌も分けてやろう」
老人はそう言うと懐から革袋を取り出し俺に差し出してくる。餌と言えば虫が相場だと思いながら中を見ると、小さなキラキラと光る物が入っている。
「これはなんでしょう?」
「干して細かく千切った魚の皮じゃよ。この辺りは波も比較的穏やかで所々海藻が生えておるじゃろ?そこに魚達が卵を産み付け稚魚が孵る。そして、それを狙って大物がやってくる、と。つまりそれは稚魚に見立てて作った餌という事じゃ」
俺は素直に感心する。漁師故に考え付いた知恵なのだろう、自然の掟である弱肉強食を逆手に取ったうまい考えだと理解した。
海に生き、海と共に過ごして来た民だからこその、無駄の無い生計がそこに感じられた。
「では、失礼して」
俺は釣り針に餌を付けると老人とは背中合わせで桟橋へと腰を下ろす。老人の腕前を考えると、隣り合わせで釣りを行うのは邪魔にしかならないと考えたのだ。
俺は餌の付いた釣り針を持ち竿を立てると、先を少ししならせるようにし、餌の付いた釣り針をスイングさせる。
ややあって、ポチャンと可愛らしい音と共に、餌が重りに引かれるようにして海へと沈む。繋がれている浮きは木製だろうか、ある程度まで重りが沈むと縦になり、刻まれた黒い線で水位を示してくれる。
[透明度が高いから魚の動きが良く見えるな。・・・お?1匹近付いて行ったぞ]
さっそく餌に引かれた魚がゆっくりと近づいて行くのが見える。
俺は慎重に釣り竿を握り、浮きに注意を傾ける。
魚は餌に近づくと、どういう訳かその場で動きを止める。・・・そして、まるで興味を失ったかのように、泳いで離れて行ってしまう。
「ふぉっふぉっふぉ。まあ最初はそんなもんじゃろうて、魚の気持ちを理解せんと釣らせては貰えんよ」
まるで最初から解っていたかのように、後ろから豪快な笑い声が聞こえる。
「魚の気持ち、ですか?」
「うむ、先ほど言ったじゃろ?その餌は稚魚に見立てた物じゃと。お前さんが稚魚だったら、その命の危険を感じたらどうするかね?」
言われて俺はハッとなる。確かに命の危機が迫っているのに、ぼんやりとして動かないなんて生き物はいない。先ほどの魚が興味を失ったのは、餌が生きているように見えなかったからだ。
「助言、ありがとうございます」
俺は背中合わせに老人へと感謝を述べると、再び餌を投じる。
少しして、先ほどとは別の魚が餌へと向かって泳いでいく。俺はそこで少し竿を動かし、餌が稚魚に見えるように誘導する。
その動きに引かれ、迫る魚の勢いが増す。俺はそれに合わせて、いかにも稚魚が逃げているように見えるよう竿を操る。
グンッと竿に重量がかかり、浮きが一気に水没する。どうやら今度は上手く行ったようだ。
糸を引く魚の動きに合わせつつ、俺は釣り竿を操り魚が疲れさせる。そして、疲れが動きを鈍らせたタイミングに合わせ、一気に釣り竿を引き上げた。
[釣りスキルを取得しました]
魚を釣り上げたと同時に、アインからスキル取得のアナウンスが入る。
「ほほう、お前さん中々筋がええようじゃのう」
老人は気配で解ったのか、初釣果を上げた俺を祝福してくれる。
「いえ、ご老人のおかげです」
俺は謙遜ではなく、素直な気持ちで老人へのお礼を述べた。実際、釣り竿も餌も老人から融通して貰った物であり、助言までいただいた。とても自分の力とは呼べるような物ではないだろう。
「ふぉっふぉっふぉ。どうやら竿を譲った甲斐があったようじゃのう」
老人は満足気に豪快な笑いを上げる。ニムルについて早々良い出会いに恵まれたと俺は自然と笑みがこぼれる。
それからしばらく、俺達2人は他愛のない話をしつつ糸を垂らす。
「ふむ、こんなもんじゃな」
そう言って老人は釣り竿を置き、桟橋の先の方へ居直って座る。
「本日も、我らに命の糧をお与え下さいまして有難うございます。その恵み、その御慈悲に感謝の祈りを持ってお返しさせていただきます」
老人は海の先に見える島に向かいお祈りを捧げている。気になったので、俺は老人の祈りが終わった頃、尋ねてみた。
「失礼ですがご老人、あの島は?」
「あそこはな海人族の島じゃよ。海人族は海の民、それ故に奉るのは産海母神様じゃ。この国の国教は大地母神様じゃが、儂ら海に生きる者にとっては、産海母神様も等しく大切な存在じゃからのう。その日の漁の終わりには、必ずこうして感謝の祈りを捧げるのじゃ」
老人は再び島を仰ぎ、俺にそう言って説明してくれた。
「海人族の島ですか、交流はあるのでしょうか?」
「儂らニムルの民とは同じ海に生きる者同士、昔から交流があるのう。彼らは船を使わんから定期船のような物はないんじゃが、儂らが漁に出た時に、教会へと参拝する為に寄るのじゃよ」
老人の話を聞くところ、どうやら先ほどの祈りはあの島へと言うより、海と島の中にある教会へ対し行われていたようだ。
「それに海人族の街は見事な造りでのう。島には街へと続く入り口があるのじゃが、実のところ街本体は海の中にあるのじゃ」
「それは凄い!でもその街の中で息は出来るんですか?」
あまりにもファンタジックな街並みを聞いた俺の中で衝撃が走り、行ってみたいと言う衝動に駆られる。
「街の入り口に入ると、不思議な薄い泡のような物が全身を包むんじゃが、不思議と息は出来たのう。儂も初めて親父に連れられて行った時は驚いたもんじゃ」
どういう原理かは解らないが、老人の話によると薄い泡のような物が全身をコーティングしてくれるらしい。そして、そのコーティング状態では、海の中でも息が出来るようだ。
「いいですね~、俺も行ってみたくなりましたよ。海人族の方とも話してみたいですし」
「すまんなぁ、儂が現役なら連れて行ってやりたいところなんじゃがのう。いくら儂の伝手でも漁師でない者を乗せてくれとは言えんのでのう」
うっかり自分の話で気を持たせてしまったと感じたらしく、老人は謝罪する。
「いえいえお気になさらず。そこまでご迷惑をかける訳にはいきませんから。それは別として海人族の方はこの街に寄る事はあるのでしょうか?」
「ふむ、それならば良いのじゃが。・・・彼らの中でも好奇心の強い者はごく稀に訪れる事はあるが、基本的にはあまり人の街へは寄り付かん」
「それは何か理由があるのですか?」
「逆じゃな。理由がないから訪れる事がほとんどないと言う状態じゃ。彼らは海の民、その生活の全てを海の恵みで賄っておる。彼らが着ている服なども、全て海の恵みによって生み出された物じゃ。故に人の街へと寄り付く必要がないのじゃよ」
俺は老人の話を聞き少々残念な気持ちになる。未知なる存在との邂逅は刺激的であり、きっとロマン溢れる物になると思ったからだ。
とは言え、それはあくまでも個人的な事情であり、この気のいい老人に迷惑をかけるような事は避けるべきだ。
俺は聞いた話と釣り道具のお礼などを兼ねて、釣り上げた魚の半分を老人へと渡す。老人は最初こそ遠慮していたものの、俺の真剣な態度に呆れたように微笑むと快く魚を受け取ってくれた。
「お前さんがどのくらいこの街に滞在するかは解らんが、儂は大抵ここで釣りをしておる。暇があったらまた来なされ。ではのう」
老人はそう言って魚が入った網を引き揚げる。そしてそれを背負うと、ふらつく事もなく確かな足取りで家路へと着いた。
「海人族か・・・」
俺は水面に浮かぶ島をちらりと見ると、誰に向けた物でもない一言を呟き、釣り竿と餌をストレージへ仕舞うと、ベンチに待つミレニアとソアラの元へと戻る。
「すぅ・・・すぅ・・・」
[まったく、やっと戻って来おったか]
可愛らしい寝息を立てるソアラに抱きしめられたミレニアが、俺を見るなり悪態を付く。予想以上に時間が経過していた上に、ポカポカと柔ら温かいミレニアを抱きしめた事で、ソアラはすっかり夢の中のようだ。
[ごめんごめん。ちょっと夢中になってしまったみたいだ]
「・・・ん。おかえり」
俺達のやり取りによってか、はたまた冒険者としての経験からか、すっかり熟睡している物と思っていたソアラが目覚め、俺を出迎えてくれた。
[ソアラもごめんな。待ちくたびれちゃったみたいだな]
[大丈夫、ミレニア様ぬくぬく、気持ちがいい]
そう言ってソアラはもう一度その感触を確かめるように抱きしめ、ミレニアを手放す。
[そうか、それなら良かった。多分またお願いする事があると思うけど、その時もよろしく]
[ん、了解]
余程気持ちが良かったのだろうか、俺の言葉にソアラがコクコクと頷く。もしかしたら、リンクしているルフィニアさんの意思が混ざってるかもしれないが、姉妹のスキンシップにもなるし問題ないだろう、うん。
[他人事だと思うて好き勝手言いおってからに、まったく・・・。して、お主の事じゃ、何ぞ土産があるのではなかえ?]
ソアラの腕の中を脱出したミレニアは、ベンチに腰を下ろす俺の膝の上に転がりながら、顔を見上げ問いかけて来る。
[まあ一応。物質的な物と情報的な物の二種類を持ち帰ったよ]
そう言って俺はストレージからスズキに似た銀色の魚を取り出す。勿論収納する前に、予め血抜きをし活〆にしてある物だ。
一応、釣り上げた魚をそのままストレージに収納出来ないかアインに確認してみたのだが、返ってきた答えは俺の予想を遥かに超えていた。
そもそもストレージの仕組みそのものとして、事前に設定された位相空間へと、アバター体を経由し物質を収納するのだと言う。そしてその空間内では、運動エネルギーは完全に固定される為、物質の劣化などの変質化が起きないようになっている。
ところが、生命体と言うのは基本的に、運動エネルギーを発生させる原子核の集合体である。だが、その位相空間へと生命体を収納した場合、全ての運動エネルギーは固定されてしまう。つまりそれは死と同義の状態と言えるモノだと言う。
つまり、ストレージから取り出したところで、一度完全に停止した運動エネルギーは発生する事はなく、ただただ経過時間によって朽ちて行くだけという事になる。
それでは意味が無いと感じた俺は、生きたままの収納を諦め、鮮度を落とさないよう予め血抜きをし、活〆とする事で完全な鮮度を保った状態で保存する事に決めたのだ。
[ほう、これは中々にうまそうな魚ではないか。して、情報とやらはなんじゃ?]
ミレニアは一瞬、今にも食いつきそうな顔付きになるが、すぐに居住まいを正し、更に問いかけて来る。
[まあ、直接的には関係の無い話だろうけど、この先の海の中に海人族の街があるそうだ]
[ふむ、あやつらか。肥沃なる海に暮らす故にその気質は温厚、少々保守的ではあるが排他的ではなく、むしろ融和を是とした生き方をしておる者達じゃな]
ミレニアは、より詳しい海人族の情報を教えてくれる。悠久の時を過ごす竜にとって、この世界に存在する生命は等しく全て慈しむべき存在である。当然その知識は膨大な物であり、およそ全ての生命体を知り尽くしているのではないかとさえ思わせる。
[なるほどね。ちょっと行ってみたいなと思ったんだけど、定期船も出てないようだし、教えてくれたご老人に迷惑をかける訳にもいかないから今回は諦めるかね]
[ふむ、・・・リヴェニアであれば、あるいは海人族の都市へと道を開いてくれるやもしれんのう。あやつにとって海の中は全て己の領域じゃ。どこであろうと簡単に行けるじゃろう]
[え?本当に!?]
ほとんど諦めていたところへ訪れた魅惑の提案は、俺の心をあっという間に高揚させる。
[あくまでもリヴェニアの許可を得られた場合のみ、じゃ。あやつは温和な性格ではあるが、海に生きる者共を我が子のように思うておる故、余計な干渉を嫌うところがあるのじゃ]
[そりゃ勿論無理強いなんてしないさ。迷惑をかける気も更々ない。でも、わずかでも可能性があるなら是非お願いしたいところだよ]
俺は逸る気持ちを抑えきれず、ミレニアを抱きしめようとするが、ミレニアはスルリと俺の腕を逃れ肩へと避難する。
[何にせよ夜になってからの話じゃ。場所は街を出た先に広がる砂浜が良かろう。ともあれ、まずは夕餉を取り、腹拵えとしようぞ]
先ほどのお返しとばかりにミレニアに頭をパシパシ叩かれながら、俺達は宿へと戻る事にした。
宿に戻るなり、俺達は店主へニムルの名物料理を注文する。
しばらく待つかと思いきや、店主は意外に早く料理を持って現れた。
その料理は、海の幸をふんだんに盛り込んだブイヤベースのようだった。
スープの色はコンソメより淡い色あい、しかし鼻腔をくすぐる心地よい香りが食欲をそそる。
一口飲んでみると、混然一体となった海の幸の濃厚な味わいが舌を楽しませてくれる。器の中に入っている具材も出汁が出やすい物が多いのだろう、スープに沁み出した味を吸収し、深い味わいを感じさせる。
俺達は、口の中一杯に広がる海の味を堪能し尽くすと、部屋へと戻った。
-夜更け過ぎ、俺達は隠形を使い音もなく宿を出ると、砂浜にほど近い西門から都市を出る。
今回は、リュミエール達を連れて行く必要がないので、そのまま宿でお留守番だ。
月の光に照らされ、海岸を濡らす潮騒を楽しみながら、俺達は砂浜を行く。
すると、遥か先の方に何やら動く影のような物が見て取れた。
[何かいる]
ソアラが短剣を抜き、注意深く辺りを索敵する。俺のマップには、現時点ではまだ敵性反応はない。それでも、大地を通して索敵する事が可能なソアラの意見に俺は腰の刀に手をやる。
そのまま少しペースを落とし、砂浜を進んでいく。当然周りに遮蔽物はないので辺りからは丸見えだが、それはこちらも同条件。
ゆっくりと進む、すると不意に馬の嘶きが耳に飛び込んできた。
[お主ら警戒せんでも良い、あれは海馬じゃ]
その鳴き声から影の正体を看破したのか、ミレニアが警戒を解くよう告げる。
[海馬?・・・海の馬か。この世界の海沿いでは一般的な生き物なのか?]
[いや、あやつの主食は海藻故、普段は名前の通り海の中で暮らしておる。陸に上がる事など滅多にないはずじゃ]
俺達に気付いているのか海馬は再び嘶き、まるでこちらに来いと急かしているように感じる。
[誰か倒れてる?]
ソアラの索敵に反応があったらしく、海馬のすぐそばに誰かが倒れていると判明する。
[急ごう、ただ事じゃない気がしてきた]
俺達は勢いよく走り出し、海馬のいる方へと向かう。
[これは・・・?]
少しして、海馬の元へと到着した俺達の目に飛び込んできたのは美しい女性のようだった。
[海人族の娘じゃな。なるほど、この娘はこやつの主のようじゃ]
少々興奮気味の海馬へミレニアが視線を送ると、意思が通じたのか落ち着きを取り戻す。
[とにかく回復しないと]
俺は神聖魔法を使い、海人族の娘の回復を行う。治療しながら観察してみると、その手足の指には水かきがあり、手首、足首、肘、膝、にそれぞれヒレがある。
呼吸器官は脇腹の辺りにあるエラのようだが、陸上でも問題なく呼吸を行えている。
髪は長く今は乱れているが、美しい瑠璃色をしている。
そしてもっとも特徴的なのが、耳の位置にあるヒレだった。その位置に人のような耳は存在せず、ヒレが張っている。おそらくそのヒレに伝わる振動を音として聞いているのだろう。
そして、その身体を包む薄い布は不思議な光沢をしており、身体にフィットするように調整されているようだ。
[全身に無数の傷があるな、失血で気を失ったのかもしれない]
[海馬の身体にも傷があるのう。・・・何やら不穏じゃな]
神聖魔法に造血作用はないので、ポーションを併用しながら回復を行う。
「う・・・」
わずかに娘がうめく、そしてそのまぶたが薄っすらと開いて行く。
「ここ・・・は?」
「ニムルの近く、西の砂浜だ。君は海人族の娘さんなのか?」
俺の言葉を聞くなり娘は勢い良く跳ね起きる。しかしまだ完全には回復していないためか、激しくむせる。
「無理はしちゃいけない。君に何が起こったのかは解らないが、酷い怪我をして倒れていた」
「わ、私の事はいいんです・・・!早く、・・・早くニムルに伝えないと・・・!」
「落ち着かんか。そのような状態では満足に動く事も敵うまい。何があったか話して見よ」
珍しくミレニアが声を出し、娘に向かって言い諭す。
「・・・貴方様は、もしや」
「うむ、白銀竜じゃ。して何があった?」
「ああ、産海母神エネスフィリア様のお導きに感謝を。白銀竜様、このような見苦しい姿を御前に晒す事をお許し下さい」
娘は感極まったように祈りを捧げると、居住まいを正しミレニアに向き直る。
「申し上げます。私の名はイリア、海人族が都市、セインリットの族長イザリムの娘。此度は父の命により、ニムルへと火急の知らせを伝令に参りました」
彼女、イリアはそこまで言うと一度言葉を切り、震える声でミレニアに伝える。
「・・・禁海の封が破られました。それにより我がセインリットにも眷属の者が押し寄せ、現在都市は防衛の為に尽力している状況です」
「リヴェニアは?」
ミレニアは真剣な眼差しでイリヤへと鋭く聞く。
「水紺竜様は現在、禁海の封を再び施すために動いてございます。お願いでございます!どうかニムルの人々へ避難の呼びかけを!」
焦燥感に駆られるイリヤの声は、最後には絶叫に近く、事態の深刻さを浮き立たせていた。
「あい解った。じゃがニムルへの伝令は無用じゃ。ウォルフ、ソアラ、済まぬがお主らの手を借りねばならん」
ミレニアはイリヤへときっぱりと言い放つと、俺とソアラを交互に見やり真剣な口調でそう告げる。
「ん、了解」
「確認、禁海と眷属について掻い摘んで教えてくれ」
ミレニアの言葉を聞き、ソアラは一も二もなく、俺は状況の把握に努める。
「禁海とは妖によって汚染された海域の事じゃ。妖そのものはすでに滅したのじゃが、やつの生み出した浄化する事の敵わぬ汚染により、その海域の生命体が全て眷属と化した。幸い眷属そのものは妖と違い、魂を変質させるほどの力はないのじゃが、凶暴性と数の暴力によって多大な被害が生まれたのじゃ」
「つまり、その封印が何故か破られ、眷属と言うのが今セインリットへ襲い掛かっている。そしてリヴェニアさんはその封印を再度施しに向かったので手が足りないという訳か」
「左様じゃ」
「セインリットへの移動手段は?」
「そこな海馬を使うのが早かろう」
状況の確認を完了した俺達は頷きあい、代表してミレニアがイリアに声をかける。
「という訳じゃ、イリヤとやら。お主はその海馬を引いて妾達を案内せい」
「え?あ、あの、でも」
イリヤは困惑している。もっともそうなるのも仕方ないだろう、突然襲い掛かってきた厄災に加え、姿を見る事すら稀な白銀竜ミレニアとの遭遇、そしてその連れらしき2人を連れてセインリットへ戻れと言われたのだから。
命がけで預かってきた伝令も果たせていないのも、彼女自身の行動を縛ってる要因だろう。
「安心せい。この男は妾が加護を与えし者。そこな娘はルフィニアの直系じゃ。この二人と妾がおれば眷属程度物の数ではないわ」
ミレニアは努めて優しく、しかしはっきりとした口調でイリヤへと告げる。
「・・・解りました。巻き込むような事になってしまい申し訳ありません。どうか故郷をお願いいたします」
イリヤは震える声で俺達に願う。その頬を流れる涙に月の光を滲ませながら。
そして俺達はイリヤの海馬へと跨り、暴威渦巻くグレンシア海へと漕ぎ出した。
一夜明け、宿を後にした俺達は再び街道を進む。勿論ミレニアは途中で猫状態に戻りいつもの定位置へと納まっている。
[ん、同意]
そんなミレニアの言葉にソアラが強く頷く。すっかり風呂仲間である。
[仕方ないさ、浴室を作るのも維持するのもお金がかかる。水を張るのだって、お湯を沸かすのだって一苦労だし、使用後の処理や掃除も大変だからね]
俺は昨日泊まった宿の浴室を思い出し、拠点の浴室がいかに異常かを再認識していた。
昨日の宿は、主人が昼間の内に水を張っておいたのだろうが、流水路などの設備は当然なく、桶に汲んだ水を何往復もかけて湯船に溜めたのだと想像できる。
湯を沸かすのも焼き石を使った方法、当然薪などのコストがかかるし、更に使用後にはお湯を湯船から運び出し処分する手間もある。そう考えると、お湯を沸かす以外はほとんど手間のかからない拠点の風呂の設計思想は天才的とさえ言える。
[まあ要するに、昨日のは運よく入れたと考えた方がいいかもしれないって事さ]
[ふん。目的の地までにはまだ4つの宿場があるのじゃろう?もしかすれば、もう1軒くらいはあるやも知れぬではないか]
[ん、祈る]
むくれたような調子でそう言うミレニアと、それに同調するソアラ。しかし2人の願い虚しく、これより海都ニムルまでの間に風呂付きの宿がある宿場は無かったのだった。
[おおーっ!これは綺麗だなぁ!]
ニムルに目前まで到達した俺達は、街道のそば、ちょっとした丘の上から景色を眺める。
眼下に臨むのは、白い壁材によって作られた街並みと、青というより碧に近い透明度の高い海。
そしておそらくは遠浅なのだろう、都市の左手側には砂浜が広がっている。
[それじゃ、ひとまず都市へ入ろうか。宿も取らなきゃだしな]
そう言うと俺達は街道へと戻り、海都ニムルへ向かった。
ニムル入り口の一つ、南門にて身分証明を行うと俺達は都市内へと進む。眼前には海まで続く大通り。左右の城壁沿いにも通りが通っており、その全てが港へと向かう造りになっているようだ。
そのまま進み、俺達は大通り沿いにある手頃な1軒の宿を取る。輸送護衛の依頼で訪れた事があるらしいソアラから、この都市の宿屋に風呂は無いと予め聞いていたからだ。
宿屋の店主に手続きをしながら話を聞き、大まかな都市内のマップを埋めると、リュミエール達を厩へ繋ぎ、さっそく冒険者ギルドへと向かう。ノーテからの道中で倒したゴブリンの換金の為だ。
ギルドに入るとさっそく依頼掲示板を確認し、適当なゴブリン討伐の依頼をはがす。ニムルから東にはゴブリンの繁殖地として有名なニデミア森林があるため、討伐の依頼がかなり多い。
当然、討伐対象の数が多いほど1匹辺りの相場は下がる。王都では1匹銅貨500枚だったが、このニムルでは1体200と言ったところだ。
「これ、お願いします」
俺はそう言ってゴブリンの耳の入った革袋を取り出し、討伐系の受け付け窓口へと声をかける。
「はい少々お待ちください。・・・15匹、銀貨3枚になりますね」
「ありがとう。実はそのゴブリンなんですが、ニデミア森林ではなく、王都に近い宿場の近郊にある森の中で遭遇しまして・・・」
俺は職員に遭遇した場所と状況を細かく説明する。職員は少々驚いた様子だったが、すぐに冷静な態度に戻り、報告への感謝として情報料銅貨500枚を渡してくれた。
おそらくこれによって、ゴブリンの生息範囲の調査が新たに依頼として発行されるだろう。
俺達はその様子を確認すると、ギルドを出て市場へと向かう。
[やっぱり海沿いの都市だけあって海産物が豊富だなぁ]
海の近く、大通りから少し入ったところに露店が乱立している。一般的な肉や野菜類も売っているが、目を引くのはやはり海産物だった。
桶に海水を満たした中に、生きたまま売られているあさりのような貝類や、獲れたてをすぐに活〆にした魚が所狭しと並ぶ出店。かと思えば、逆に干物や海藻などをメイン商品にして並べている出店など様々だ。
更には海外との取引品を扱っている店も当然あり、この国では見かけないようなデザインの服やそれの元になった布や皮、錬金術に使える素材などが並べられていた。
そんな風に観察しながら市場を歩き回っていると、魚介類を焼いている露店が見つかる。
[魚の油が焼けるいい匂いだ。塩焼きか、素焼きだろうかね]
目の前で焼かれているのは、串に刺さったイワシくらいの大きさの赤い魚。今が旬なのだろうか、油がのっているらしくとても香ばしい良い匂いを放っている。
「すいません、その焼いてる魚3匹ほど下さい」
「ほいほい、3匹で銅貨6枚ね」
そう言って店主は、串焼きの魚を3匹とも大き目の葉っぱに包んで渡してくれる。丁度いいのでミレニアの分はこの葉っぱに置いてやろうと考える。
[食材を買うにしても、まずは味見をしてみないとね。せっかくだから海のそばで食べようか]
[良かろう]
[ん、桟橋]
ミレニアとソアラも俺の意見に同意し、俺達は大通りに戻ると海の方へと進んでいく。この都市の造りからしてこの先に港があるだろう。
しばらく歩いて行くと目の前が広がり、再び碧い輝きが視界に飛び込んでくる。
[丘から見た時も思ったけど、本当に透き通るような美しさだなぁ]
まるで南国の海のような美しさ、だがこの国は南国に位置する訳ではない。他の国や海を見てみないとはっきりとは解らないが、少なくとも地球の海とは水質そのものが違う気がする。
そんな事を考えながら進んでいると、次第に桟橋が近づいたからか停泊している船も徐々に姿を現してきた。
[へぇ、外洋船はキャラック型か。やっぱりどこか似たような発想になるのかね。まあでもこの世界だと、元素魔法で風や水に干渉する事も可能だし、ガレー船の発想は無かったかもしれないな]
4本マストを威風堂々と掲げる外洋帆船達、よく見るとその手前には2本マストからなる小型の帆船もある。おそらくこちらは近海用、漁業などに用いられている船だろう。
丁度商船が入ってきたところなのだろう、激しく人の行き交う人の流れの邪魔にならないよう俺達は帆船の停泊しているのとは反対の方へと向かう。
どうやらこちらは釣り人などが使う桟橋らしく、船の出入りはなさそうだ。
俺達は海岸通りに設置されたベンチに腰を下ろし、さっそく魚を食べる事にした。
俺とソアラは串付きのまま、ミレニアには串から外して葉っぱの上に置いてやる。
[ほほう、これは中々に美味じゃのう。妾としては肉の方が好みじゃが魚も中々ではないか]
[ん、おいしい]
ミレニアもソアラも思い思いに魚の味を楽しんでいるようだ。それを微笑ましく感じながら俺も焼きたての魚へと噛り付く。
[うん、油がのってて旨いなぁ。味付けは塩だけかと思ったけど、海藻から取った出汁を表面に塗り付けて焼いてるのか]
地球の料理全てを知り尽くしている訳ではないが、この世界の料理にも新しい味覚と発見の出会いがあり楽しい。
とは言え、純和食にこだわっている訳ではないが、やはり日本人としては、魚は生で食べてみたいと感じるのも仕方ないだろう。
[発酵食品か。大豆に近い物があれば醤油や味噌は作れるだろうけど。そうなると米も欲しくなるんだよなぁ・・・]
この世界に来るようになって早1ヶ月くらいだろうか、今のところ流通している食品の中に米と思われる物は存在していない。ある意味それは仕方ないのかもしれない。
荒地でも育つほど丈夫な麦とは違い、米はとにかく世話が必要な食物だ。土壌の改良から始まり稲の生育の為に水田の中の水の状態を新鮮に保ったり、雑草や害虫などの処理も必要な上に、病気になりやすいと言う繊細さまであり、収穫までにおよそ半年近くを要する。
更に二毛作などを行えば、1年は土地を休ませる必要があったりなど、リスクに対してのリターンが少ない。そんな面倒な食物を現代の地球で常食出来るのは、絶え間ない努力により改善されてきたからである。
そんな米の利点は、1回辺りの収穫量と保存性の高さだ。だからこそ、育成されているのであれば市場に出回っているはずなのだ。
[まあ無い物ねだりしても仕方がない。もしかしたら、この世界の米は生態が違う可能性もあるしな]
日本食に使われている食材を探してみるのも面白いかもしれないな、と思いながら俺は焼き魚を食べ尽すと、残った3人分の骨と串と葉っぱを掌に作った火球で燃やし、灰にしてストレージに仕舞う。あとで木の根元にでも撒いて処分する予定だ。
[さてどうしようか。昼間は人目もあるし、リヴェニアさんのところへは夜向かうんだろ?]
[まあそうじゃのう。目立つのは困る故夜分にせねばなるまい。なんぞ用でも出来たかえ?]
[いやなに、ちょっと釣りをしてみようかと思ってね]
そう言って俺はミレニアをソアラに預け、一番近い桟橋にいる釣り人へと近づいて行く。
「こんにちは、良い腕前ですね」
そう言って俺は釣り人の足元、海の中にある網に入れられた魚の数を見ながら声をかける。
「わしゃぁ産まれも育ちもニムルじゃからのう、このくらいは造作もない。お若いの、お前さんも釣りをやりなさるかね?」
ふぉっふぉと笑い、さも当然のように答える老人。しかし、そうしている間にもすでに新しい獲物を釣り上げている。
「いえ、ニムルへ来たのは初めてでして、生憎と釣りの経験はないんですよ。どこかで釣り道具が売ってれば教えて欲しいのですが」
「・・・ふむ、お若いの。良かったらコレを使ってみなさるかね?」
そう言って老人は、桟橋に置いてあった別の釣り竿を俺に差し出して来た。
「お借りしてもよろしいのですか?」
思いがけない老人の申し出に、その釣り竿を受け取りながら、俺はおずおずと尋ねる。
「ふむ、一つ勘違いしておるようじゃの。その竿はお前さんに譲ると言っておるのじゃよ」
老人はその年季の入った顔に。いたずらっぽい笑顔を浮かべ俺を見て頷く。
「それは流石に・・・」
「構わんよ。このニムルの漁師はみな、自分で自分の得物を作るのじゃ。儂も歳で漁師としては身を引いたが竿造りはまだ現役じゃよ。・・・まあ、もっぱら趣味の釣り用じゃがのう。そいつも儂に付き合ってた分多少くたびれてはいるが、そこらで売ってる竿よりはいい仕事をしてくれるじゃろう」
老人は豪快に笑い、俺の持つ釣り竿をまるで我が子を愛でるように見つめる。
老人にとってこの釣り竿は、自ら作り出した我が子であり、相棒でもあったのだろう。使い込まれたその釣り竿はまるで手に吸い付くように馴染む。
「ありがとうございます。使わせていただきます」
俺は頭を、下げ老人へとお礼を述べる。一瞬礼金を渡す事も考えたが辞めた。老人は、釣り竿の間にあるだろう思い出を大切に思いながらも気持ちよく譲ってくれたのだ、その心意気を汚すような事をしてはならないと感じた。
「うむうむ。どれ、餌も分けてやろう」
老人はそう言うと懐から革袋を取り出し俺に差し出してくる。餌と言えば虫が相場だと思いながら中を見ると、小さなキラキラと光る物が入っている。
「これはなんでしょう?」
「干して細かく千切った魚の皮じゃよ。この辺りは波も比較的穏やかで所々海藻が生えておるじゃろ?そこに魚達が卵を産み付け稚魚が孵る。そして、それを狙って大物がやってくる、と。つまりそれは稚魚に見立てて作った餌という事じゃ」
俺は素直に感心する。漁師故に考え付いた知恵なのだろう、自然の掟である弱肉強食を逆手に取ったうまい考えだと理解した。
海に生き、海と共に過ごして来た民だからこその、無駄の無い生計がそこに感じられた。
「では、失礼して」
俺は釣り針に餌を付けると老人とは背中合わせで桟橋へと腰を下ろす。老人の腕前を考えると、隣り合わせで釣りを行うのは邪魔にしかならないと考えたのだ。
俺は餌の付いた釣り針を持ち竿を立てると、先を少ししならせるようにし、餌の付いた釣り針をスイングさせる。
ややあって、ポチャンと可愛らしい音と共に、餌が重りに引かれるようにして海へと沈む。繋がれている浮きは木製だろうか、ある程度まで重りが沈むと縦になり、刻まれた黒い線で水位を示してくれる。
[透明度が高いから魚の動きが良く見えるな。・・・お?1匹近付いて行ったぞ]
さっそく餌に引かれた魚がゆっくりと近づいて行くのが見える。
俺は慎重に釣り竿を握り、浮きに注意を傾ける。
魚は餌に近づくと、どういう訳かその場で動きを止める。・・・そして、まるで興味を失ったかのように、泳いで離れて行ってしまう。
「ふぉっふぉっふぉ。まあ最初はそんなもんじゃろうて、魚の気持ちを理解せんと釣らせては貰えんよ」
まるで最初から解っていたかのように、後ろから豪快な笑い声が聞こえる。
「魚の気持ち、ですか?」
「うむ、先ほど言ったじゃろ?その餌は稚魚に見立てた物じゃと。お前さんが稚魚だったら、その命の危険を感じたらどうするかね?」
言われて俺はハッとなる。確かに命の危機が迫っているのに、ぼんやりとして動かないなんて生き物はいない。先ほどの魚が興味を失ったのは、餌が生きているように見えなかったからだ。
「助言、ありがとうございます」
俺は背中合わせに老人へと感謝を述べると、再び餌を投じる。
少しして、先ほどとは別の魚が餌へと向かって泳いでいく。俺はそこで少し竿を動かし、餌が稚魚に見えるように誘導する。
その動きに引かれ、迫る魚の勢いが増す。俺はそれに合わせて、いかにも稚魚が逃げているように見えるよう竿を操る。
グンッと竿に重量がかかり、浮きが一気に水没する。どうやら今度は上手く行ったようだ。
糸を引く魚の動きに合わせつつ、俺は釣り竿を操り魚が疲れさせる。そして、疲れが動きを鈍らせたタイミングに合わせ、一気に釣り竿を引き上げた。
[釣りスキルを取得しました]
魚を釣り上げたと同時に、アインからスキル取得のアナウンスが入る。
「ほほう、お前さん中々筋がええようじゃのう」
老人は気配で解ったのか、初釣果を上げた俺を祝福してくれる。
「いえ、ご老人のおかげです」
俺は謙遜ではなく、素直な気持ちで老人へのお礼を述べた。実際、釣り竿も餌も老人から融通して貰った物であり、助言までいただいた。とても自分の力とは呼べるような物ではないだろう。
「ふぉっふぉっふぉ。どうやら竿を譲った甲斐があったようじゃのう」
老人は満足気に豪快な笑いを上げる。ニムルについて早々良い出会いに恵まれたと俺は自然と笑みがこぼれる。
それからしばらく、俺達2人は他愛のない話をしつつ糸を垂らす。
「ふむ、こんなもんじゃな」
そう言って老人は釣り竿を置き、桟橋の先の方へ居直って座る。
「本日も、我らに命の糧をお与え下さいまして有難うございます。その恵み、その御慈悲に感謝の祈りを持ってお返しさせていただきます」
老人は海の先に見える島に向かいお祈りを捧げている。気になったので、俺は老人の祈りが終わった頃、尋ねてみた。
「失礼ですがご老人、あの島は?」
「あそこはな海人族の島じゃよ。海人族は海の民、それ故に奉るのは産海母神様じゃ。この国の国教は大地母神様じゃが、儂ら海に生きる者にとっては、産海母神様も等しく大切な存在じゃからのう。その日の漁の終わりには、必ずこうして感謝の祈りを捧げるのじゃ」
老人は再び島を仰ぎ、俺にそう言って説明してくれた。
「海人族の島ですか、交流はあるのでしょうか?」
「儂らニムルの民とは同じ海に生きる者同士、昔から交流があるのう。彼らは船を使わんから定期船のような物はないんじゃが、儂らが漁に出た時に、教会へと参拝する為に寄るのじゃよ」
老人の話を聞くところ、どうやら先ほどの祈りはあの島へと言うより、海と島の中にある教会へ対し行われていたようだ。
「それに海人族の街は見事な造りでのう。島には街へと続く入り口があるのじゃが、実のところ街本体は海の中にあるのじゃ」
「それは凄い!でもその街の中で息は出来るんですか?」
あまりにもファンタジックな街並みを聞いた俺の中で衝撃が走り、行ってみたいと言う衝動に駆られる。
「街の入り口に入ると、不思議な薄い泡のような物が全身を包むんじゃが、不思議と息は出来たのう。儂も初めて親父に連れられて行った時は驚いたもんじゃ」
どういう原理かは解らないが、老人の話によると薄い泡のような物が全身をコーティングしてくれるらしい。そして、そのコーティング状態では、海の中でも息が出来るようだ。
「いいですね~、俺も行ってみたくなりましたよ。海人族の方とも話してみたいですし」
「すまんなぁ、儂が現役なら連れて行ってやりたいところなんじゃがのう。いくら儂の伝手でも漁師でない者を乗せてくれとは言えんのでのう」
うっかり自分の話で気を持たせてしまったと感じたらしく、老人は謝罪する。
「いえいえお気になさらず。そこまでご迷惑をかける訳にはいきませんから。それは別として海人族の方はこの街に寄る事はあるのでしょうか?」
「ふむ、それならば良いのじゃが。・・・彼らの中でも好奇心の強い者はごく稀に訪れる事はあるが、基本的にはあまり人の街へは寄り付かん」
「それは何か理由があるのですか?」
「逆じゃな。理由がないから訪れる事がほとんどないと言う状態じゃ。彼らは海の民、その生活の全てを海の恵みで賄っておる。彼らが着ている服なども、全て海の恵みによって生み出された物じゃ。故に人の街へと寄り付く必要がないのじゃよ」
俺は老人の話を聞き少々残念な気持ちになる。未知なる存在との邂逅は刺激的であり、きっとロマン溢れる物になると思ったからだ。
とは言え、それはあくまでも個人的な事情であり、この気のいい老人に迷惑をかけるような事は避けるべきだ。
俺は聞いた話と釣り道具のお礼などを兼ねて、釣り上げた魚の半分を老人へと渡す。老人は最初こそ遠慮していたものの、俺の真剣な態度に呆れたように微笑むと快く魚を受け取ってくれた。
「お前さんがどのくらいこの街に滞在するかは解らんが、儂は大抵ここで釣りをしておる。暇があったらまた来なされ。ではのう」
老人はそう言って魚が入った網を引き揚げる。そしてそれを背負うと、ふらつく事もなく確かな足取りで家路へと着いた。
「海人族か・・・」
俺は水面に浮かぶ島をちらりと見ると、誰に向けた物でもない一言を呟き、釣り竿と餌をストレージへ仕舞うと、ベンチに待つミレニアとソアラの元へと戻る。
「すぅ・・・すぅ・・・」
[まったく、やっと戻って来おったか]
可愛らしい寝息を立てるソアラに抱きしめられたミレニアが、俺を見るなり悪態を付く。予想以上に時間が経過していた上に、ポカポカと柔ら温かいミレニアを抱きしめた事で、ソアラはすっかり夢の中のようだ。
[ごめんごめん。ちょっと夢中になってしまったみたいだ]
「・・・ん。おかえり」
俺達のやり取りによってか、はたまた冒険者としての経験からか、すっかり熟睡している物と思っていたソアラが目覚め、俺を出迎えてくれた。
[ソアラもごめんな。待ちくたびれちゃったみたいだな]
[大丈夫、ミレニア様ぬくぬく、気持ちがいい]
そう言ってソアラはもう一度その感触を確かめるように抱きしめ、ミレニアを手放す。
[そうか、それなら良かった。多分またお願いする事があると思うけど、その時もよろしく]
[ん、了解]
余程気持ちが良かったのだろうか、俺の言葉にソアラがコクコクと頷く。もしかしたら、リンクしているルフィニアさんの意思が混ざってるかもしれないが、姉妹のスキンシップにもなるし問題ないだろう、うん。
[他人事だと思うて好き勝手言いおってからに、まったく・・・。して、お主の事じゃ、何ぞ土産があるのではなかえ?]
ソアラの腕の中を脱出したミレニアは、ベンチに腰を下ろす俺の膝の上に転がりながら、顔を見上げ問いかけて来る。
[まあ一応。物質的な物と情報的な物の二種類を持ち帰ったよ]
そう言って俺はストレージからスズキに似た銀色の魚を取り出す。勿論収納する前に、予め血抜きをし活〆にしてある物だ。
一応、釣り上げた魚をそのままストレージに収納出来ないかアインに確認してみたのだが、返ってきた答えは俺の予想を遥かに超えていた。
そもそもストレージの仕組みそのものとして、事前に設定された位相空間へと、アバター体を経由し物質を収納するのだと言う。そしてその空間内では、運動エネルギーは完全に固定される為、物質の劣化などの変質化が起きないようになっている。
ところが、生命体と言うのは基本的に、運動エネルギーを発生させる原子核の集合体である。だが、その位相空間へと生命体を収納した場合、全ての運動エネルギーは固定されてしまう。つまりそれは死と同義の状態と言えるモノだと言う。
つまり、ストレージから取り出したところで、一度完全に停止した運動エネルギーは発生する事はなく、ただただ経過時間によって朽ちて行くだけという事になる。
それでは意味が無いと感じた俺は、生きたままの収納を諦め、鮮度を落とさないよう予め血抜きをし、活〆とする事で完全な鮮度を保った状態で保存する事に決めたのだ。
[ほう、これは中々にうまそうな魚ではないか。して、情報とやらはなんじゃ?]
ミレニアは一瞬、今にも食いつきそうな顔付きになるが、すぐに居住まいを正し、更に問いかけて来る。
[まあ、直接的には関係の無い話だろうけど、この先の海の中に海人族の街があるそうだ]
[ふむ、あやつらか。肥沃なる海に暮らす故にその気質は温厚、少々保守的ではあるが排他的ではなく、むしろ融和を是とした生き方をしておる者達じゃな]
ミレニアは、より詳しい海人族の情報を教えてくれる。悠久の時を過ごす竜にとって、この世界に存在する生命は等しく全て慈しむべき存在である。当然その知識は膨大な物であり、およそ全ての生命体を知り尽くしているのではないかとさえ思わせる。
[なるほどね。ちょっと行ってみたいなと思ったんだけど、定期船も出てないようだし、教えてくれたご老人に迷惑をかける訳にもいかないから今回は諦めるかね]
[ふむ、・・・リヴェニアであれば、あるいは海人族の都市へと道を開いてくれるやもしれんのう。あやつにとって海の中は全て己の領域じゃ。どこであろうと簡単に行けるじゃろう]
[え?本当に!?]
ほとんど諦めていたところへ訪れた魅惑の提案は、俺の心をあっという間に高揚させる。
[あくまでもリヴェニアの許可を得られた場合のみ、じゃ。あやつは温和な性格ではあるが、海に生きる者共を我が子のように思うておる故、余計な干渉を嫌うところがあるのじゃ]
[そりゃ勿論無理強いなんてしないさ。迷惑をかける気も更々ない。でも、わずかでも可能性があるなら是非お願いしたいところだよ]
俺は逸る気持ちを抑えきれず、ミレニアを抱きしめようとするが、ミレニアはスルリと俺の腕を逃れ肩へと避難する。
[何にせよ夜になってからの話じゃ。場所は街を出た先に広がる砂浜が良かろう。ともあれ、まずは夕餉を取り、腹拵えとしようぞ]
先ほどのお返しとばかりにミレニアに頭をパシパシ叩かれながら、俺達は宿へと戻る事にした。
宿に戻るなり、俺達は店主へニムルの名物料理を注文する。
しばらく待つかと思いきや、店主は意外に早く料理を持って現れた。
その料理は、海の幸をふんだんに盛り込んだブイヤベースのようだった。
スープの色はコンソメより淡い色あい、しかし鼻腔をくすぐる心地よい香りが食欲をそそる。
一口飲んでみると、混然一体となった海の幸の濃厚な味わいが舌を楽しませてくれる。器の中に入っている具材も出汁が出やすい物が多いのだろう、スープに沁み出した味を吸収し、深い味わいを感じさせる。
俺達は、口の中一杯に広がる海の味を堪能し尽くすと、部屋へと戻った。
-夜更け過ぎ、俺達は隠形を使い音もなく宿を出ると、砂浜にほど近い西門から都市を出る。
今回は、リュミエール達を連れて行く必要がないので、そのまま宿でお留守番だ。
月の光に照らされ、海岸を濡らす潮騒を楽しみながら、俺達は砂浜を行く。
すると、遥か先の方に何やら動く影のような物が見て取れた。
[何かいる]
ソアラが短剣を抜き、注意深く辺りを索敵する。俺のマップには、現時点ではまだ敵性反応はない。それでも、大地を通して索敵する事が可能なソアラの意見に俺は腰の刀に手をやる。
そのまま少しペースを落とし、砂浜を進んでいく。当然周りに遮蔽物はないので辺りからは丸見えだが、それはこちらも同条件。
ゆっくりと進む、すると不意に馬の嘶きが耳に飛び込んできた。
[お主ら警戒せんでも良い、あれは海馬じゃ]
その鳴き声から影の正体を看破したのか、ミレニアが警戒を解くよう告げる。
[海馬?・・・海の馬か。この世界の海沿いでは一般的な生き物なのか?]
[いや、あやつの主食は海藻故、普段は名前の通り海の中で暮らしておる。陸に上がる事など滅多にないはずじゃ]
俺達に気付いているのか海馬は再び嘶き、まるでこちらに来いと急かしているように感じる。
[誰か倒れてる?]
ソアラの索敵に反応があったらしく、海馬のすぐそばに誰かが倒れていると判明する。
[急ごう、ただ事じゃない気がしてきた]
俺達は勢いよく走り出し、海馬のいる方へと向かう。
[これは・・・?]
少しして、海馬の元へと到着した俺達の目に飛び込んできたのは美しい女性のようだった。
[海人族の娘じゃな。なるほど、この娘はこやつの主のようじゃ]
少々興奮気味の海馬へミレニアが視線を送ると、意思が通じたのか落ち着きを取り戻す。
[とにかく回復しないと]
俺は神聖魔法を使い、海人族の娘の回復を行う。治療しながら観察してみると、その手足の指には水かきがあり、手首、足首、肘、膝、にそれぞれヒレがある。
呼吸器官は脇腹の辺りにあるエラのようだが、陸上でも問題なく呼吸を行えている。
髪は長く今は乱れているが、美しい瑠璃色をしている。
そしてもっとも特徴的なのが、耳の位置にあるヒレだった。その位置に人のような耳は存在せず、ヒレが張っている。おそらくそのヒレに伝わる振動を音として聞いているのだろう。
そして、その身体を包む薄い布は不思議な光沢をしており、身体にフィットするように調整されているようだ。
[全身に無数の傷があるな、失血で気を失ったのかもしれない]
[海馬の身体にも傷があるのう。・・・何やら不穏じゃな]
神聖魔法に造血作用はないので、ポーションを併用しながら回復を行う。
「う・・・」
わずかに娘がうめく、そしてそのまぶたが薄っすらと開いて行く。
「ここ・・・は?」
「ニムルの近く、西の砂浜だ。君は海人族の娘さんなのか?」
俺の言葉を聞くなり娘は勢い良く跳ね起きる。しかしまだ完全には回復していないためか、激しくむせる。
「無理はしちゃいけない。君に何が起こったのかは解らないが、酷い怪我をして倒れていた」
「わ、私の事はいいんです・・・!早く、・・・早くニムルに伝えないと・・・!」
「落ち着かんか。そのような状態では満足に動く事も敵うまい。何があったか話して見よ」
珍しくミレニアが声を出し、娘に向かって言い諭す。
「・・・貴方様は、もしや」
「うむ、白銀竜じゃ。して何があった?」
「ああ、産海母神エネスフィリア様のお導きに感謝を。白銀竜様、このような見苦しい姿を御前に晒す事をお許し下さい」
娘は感極まったように祈りを捧げると、居住まいを正しミレニアに向き直る。
「申し上げます。私の名はイリア、海人族が都市、セインリットの族長イザリムの娘。此度は父の命により、ニムルへと火急の知らせを伝令に参りました」
彼女、イリアはそこまで言うと一度言葉を切り、震える声でミレニアに伝える。
「・・・禁海の封が破られました。それにより我がセインリットにも眷属の者が押し寄せ、現在都市は防衛の為に尽力している状況です」
「リヴェニアは?」
ミレニアは真剣な眼差しでイリヤへと鋭く聞く。
「水紺竜様は現在、禁海の封を再び施すために動いてございます。お願いでございます!どうかニムルの人々へ避難の呼びかけを!」
焦燥感に駆られるイリヤの声は、最後には絶叫に近く、事態の深刻さを浮き立たせていた。
「あい解った。じゃがニムルへの伝令は無用じゃ。ウォルフ、ソアラ、済まぬがお主らの手を借りねばならん」
ミレニアはイリヤへときっぱりと言い放つと、俺とソアラを交互に見やり真剣な口調でそう告げる。
「ん、了解」
「確認、禁海と眷属について掻い摘んで教えてくれ」
ミレニアの言葉を聞き、ソアラは一も二もなく、俺は状況の把握に努める。
「禁海とは妖によって汚染された海域の事じゃ。妖そのものはすでに滅したのじゃが、やつの生み出した浄化する事の敵わぬ汚染により、その海域の生命体が全て眷属と化した。幸い眷属そのものは妖と違い、魂を変質させるほどの力はないのじゃが、凶暴性と数の暴力によって多大な被害が生まれたのじゃ」
「つまり、その封印が何故か破られ、眷属と言うのが今セインリットへ襲い掛かっている。そしてリヴェニアさんはその封印を再度施しに向かったので手が足りないという訳か」
「左様じゃ」
「セインリットへの移動手段は?」
「そこな海馬を使うのが早かろう」
状況の確認を完了した俺達は頷きあい、代表してミレニアがイリアに声をかける。
「という訳じゃ、イリヤとやら。お主はその海馬を引いて妾達を案内せい」
「え?あ、あの、でも」
イリヤは困惑している。もっともそうなるのも仕方ないだろう、突然襲い掛かってきた厄災に加え、姿を見る事すら稀な白銀竜ミレニアとの遭遇、そしてその連れらしき2人を連れてセインリットへ戻れと言われたのだから。
命がけで預かってきた伝令も果たせていないのも、彼女自身の行動を縛ってる要因だろう。
「安心せい。この男は妾が加護を与えし者。そこな娘はルフィニアの直系じゃ。この二人と妾がおれば眷属程度物の数ではないわ」
ミレニアは努めて優しく、しかしはっきりとした口調でイリヤへと告げる。
「・・・解りました。巻き込むような事になってしまい申し訳ありません。どうか故郷をお願いいたします」
イリヤは震える声で俺達に願う。その頬を流れる涙に月の光を滲ませながら。
そして俺達はイリヤの海馬へと跨り、暴威渦巻くグレンシア海へと漕ぎ出した。
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【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
転生したら名家の次男になりましたが、俺は汚点らしいです
NEXTブレイブ
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ただの人間、野上良は名家であるグリモワール家の次男に転生したが、その次男には名家の人間でありながら、汚点であるが、兄、姉、母からは愛されていたが、父親からは嫌われていた
悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる
竜頭蛇
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ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。
評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。
身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。
わけありな教え子達が巣立ったので、一人で冒険者やってみた
名無しの夜
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教え子達から突然別れを切り出されたグロウは一人で冒険者として活動してみることに。移動の最中、賊に襲われている令嬢を助けてみれば、令嬢は別れたばかりの教え子にそっくりだった。一方、グロウと別れた教え子三人はとある事情から母国に帰ることに。しかし故郷では恐るべき悪魔が三人を待ち構えていた。
裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね
竹井ゴールド
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冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。
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代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。
父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。
カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。
その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。
ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。
「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」
そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。
もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。
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