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第一章『無意識の衝動』
第四話『秘め事』
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数十㎝後ろにあったベッドにゆっくりと身体を沈められ、きつく抱き締められて。しゃくり上げながら泣き噦られて、顔中に何の確認も取らずにキスされて。だけど、唇にする前だけは、潤んだ眼差しだけで確認をしてきて。それは狡いよなぁ、と思いながらも、一応は、空気を読んで瞼を閉じてあげた。
息を飲んだのか、唾を飲んだのか、どっちか分からない間が開く。変な奴。さっきまでの勢いはどうしたの。僕だって、僕だってさぁ、必死だよ。でも、これが最後かもしれないでしょ。だから、それなりに気構えはしてるんだよ。
「瑠衣君、いまシたら、絶対に止まんない……それでも良い?」
うーん、良くは無いよね。そこまでの気構えは、流石にしてないし。それに、止まんないって、一体何処までを言うのやら。僕、本当に男同士の知識無くて。意識した試しも無いから、知識が本当の意味でゼロだ。それに、彼女もいなかったから、経験値も全く無いし。だから、瞼をゆっくり開いて、目の前にいる真剣な、それでいてとろりとした情欲に濡れた幼馴染の瞳を覗き込……まずに視線を逸らした。
いまこの子と視線を合わせるだなんて、出来る訳ない。そんな僕に、大人のスキンシップなんて、土台無理な話だ。付き合っていないとエッチしちゃ駄目とか、そんなカマトトぶった発想まではしないけれど、だからと言って、初体験をこの場でする余裕は僕には無い。第一、ずっと弟として接してきた幼馴染と、そんな……は、破廉恥だ。
「そ、そ……そんな事したら、元の関係に戻れないじゃない」
「新しい関係をまた一から始めれば良いよ。絶対に、誰よりも大切にするから。怖がらないで、俺を受け入れて。お願い……瑠衣」
あ、あー……そっちかぁ。僕、やっぱりお前の中で、そっちなんだぁ……体格差とかこの場の空気とか、今までの態度とかを合算して、何処と無くそうかなと思ってたけど。それにしても、急ぎ過ぎている感は否めない。
勢いよく、それでいて躊躇なく、ごく自然に呼び捨てにして来るし。今日を逃したら、もう一生こんな機会は無い、という僕と共通する感覚も、どうやら薄いみたい。だとしたら、余計に僕の中にある答えは一つだ。
「ごめんなさい。僕は、お前と、今まで通りの関係性でいたい。今日を、綺麗なままの思い出にしたいから。過去を振り返った時に、あんな事もあったよねって……ふたりで」
一時の気の迷いに任せて、過去にしこりを残したら、お互いに家庭を持ったり、子供が出来た時に、純粋な気持ちでお祝いが出来ない。僕は、この子を生涯に掛けて失ったりしたくない。そんなに、僕のこの子に対する気持ちは軽くないから。何故なら、僕は・・・
「嫌だ。俺は、貴方との思い出を、綺麗なだけの物にするつもりなんてない」
「克樹……」
それを言われてしまったら、もう。僕達、この場でキスするよりも、身体を重ねるよりも、もっと後戻り出来なくなっちゃうの、分からない子じゃないのに。それだけ必死なの。そんなに、苦しかったの。なのに、僕は何も知らずに、易々とお前と戯れて。どれだけ残酷なんだ、僕は。本当に、最低な人間だ。
「気持ちは、本当に凄く嬉しかった。今までも、ずっと、僕の為に、ありがとう。だけど、やっぱり、お前の気持ちには応えられない。ストーカーの事とか、全部背負って、ずっと僕を守ってくれてたのに……ごめん」
だけど、軌道修正を図るなら、今しかない。この子に任せていたら、本当に、僕達の関係性は、ここで終わってしまう。嫌だ、それだけは、嫌なんだ。我儘で、ごめん。身勝手で、ごめん。だけど、僕は、お前との絆が、お前と過ごす時間が、何よりも大切なんだ。他の、どんな物よりも。
「今まで、報復とか、行動がどんどんエスカレートして、お前にもっと迷惑掛けたらって考えたら、怖くて身動きが取れなくて……だけど、これからは、きちんとした場所に相談していくつもりでいるから」
だから、今は。絵に描いた様な、最低の人間になろう。今更、信じられないかも知れないけれど、でも、僕は、自分なんかより、ずっとずっと、お前の事が大切なんだ。軽蔑しても、謗られても、お前の側に居られるなら、お前からのどんな視線や言葉も受け止める。そう、気持ちを新たにした、そんな時。
「……あぁ、その事?それだったら、もう俺の中では解決してるから、何にも問題ないよ」
言われた事の意味が分からず、『え?』と、馬鹿みたいに聞き返す。するとその子は、僕を腕の中から解放し、ベッドから離れて、自分の机の引き出しを開け、黒いUSBメモリを取り出した。この場の空気にそぐわない、にっこりと明るいのに、何処か薄気味悪さすら感じさせる笑みを浮かべる克樹に、どんな言葉を掛けたらいいのか分からず。彼が口を開き、事の次第を説明してくれるのを、じっと待った。
「俺の家、監視カメラを付けたんだ。だから、ストーカーの正体も分かったし、貴方じゃなく俺に付き纏っていた理由も何となく分かった。だから、ここ数ヶ月は好きにさせていたんだ。泳がせて、観察していたというのが、正しいかな」
「……なんで、そんな」
「ふふ……理由が知りたい?なら、一緒に観てみる?」
背筋が、ぞわ、と粟立って、本能的な恐怖を覚える。自分に強い執着を抱いていた人物が、見える形になって、目の前に現れる恐怖。いつだって、不安はあった。そいつの矛先が自分に向くその日が、いつか来るだろうと。だけどその分、幼馴染に対する刺激が減れば、それでこの子への負担が少なくなれば、それで良いとも考えていた。だけど、どんな人物なのかをきちんと確認出来る今になって、恐怖で胃が縮み上がる。なんて情け無い人間なんだ、僕は。だけど、それでも。
「………見る」
我が意を得たり、と言わんばかりに、克樹は頷き、立ち上げたノート型PCに、そのUSBメモリを挿し込んだ。そして、画面上に無数にある動画データを確認し、その中で問題の人物の顔が最もはっきり映っている動画を呼び出した。
克樹は、憎き相手である、その人物が。
『峰岸 瑠衣を解放せよ』
と、大きく印字されている大量のコピー用紙を郵便受けに詰め込み走り去るまでの一部始終を無表情で眺めると、自分自身を、大切にしてきた幼馴染を精神的に苦しめ続けてきたストーカーの正体を知り、放心状態にあった僕に向けて、今度は穏やかに微笑んでみせた。
「まだ見せたい動画が、いくつかあるんだ」
カメラの場面が転換する。次に映されていたのは、今僕達がいる、克樹の自室だった。ベッドに向けて、定点で固定されたそのカメラの映像には、先程監視カメラの前から走り去ったストーカーが、その時と同じ格好でベッドにぼんやりと座り込んでいた。
学年カラーの中学ジャージをパジャマの上から窮屈そうに無理矢理羽織り、白い靴下を履いているそいつの胸には、ジャージの持ち主である本人の名前が刺繍されている。そんな、深夜に徘徊するにしては割と目立つ格好をしているそいつの顔の前で、横からぬっと、深く暗い海の底から顔を出した深海魚の様に画面上に現れた克樹が、大きく指を鳴らした。
しかし、そいつは瞼も全く動かさず、微動だにしない。そんな、ストーカーの明らかに不自然な様子に、動画の中にいた克樹は口元を吊り上げてくつくつと笑った。
そして、暫くそのまま笑っていたかと思いきや、突然その場で腰を折り、今度はベッドに顔を突っ伏して、激しく嗚咽し始めた。
僕は、その一部始終を、呼吸すら忘れて見つめ続けた。
「この後、何度も対話を試みたけど、結局それは叶わなかった。そして、この状態にある間に取った行動も、平常時は全て忘れているという事も、段々と分かって来たんだ。俺はゆっくりと時間を掛けて、それを確認していった。俺がそれをどうやって確認してきたかは、この後直ぐに分かるよ」
記憶の亡失の確認の仕方は、至ってシンプルだった。しかし、目に飛び込んでくる情報量は未だかつて無いほどに膨大で、それが僕自身に与える衝撃は計り知れず。僕は、克樹がそいつに行う『確認作業』を、ただただ、呆然と流し見ていくしか無かった。
初めは、触れるだけの幼いキスから始まった。けれど、それでも何の反応も返って来ない事を確認した動画の中にいる克樹は、時間や日を追うごとに、見るからに猛々しく興奮していった。
確認していくその作業を、徐々に過激な物へと移していく、幼馴染。あまり音を拾うのには長けていないカメラでも、しっかりと録音出来るくらいに、じゅるじゅると厭らしい水音を立てながら、克樹は、ぽかんと口を開いたままだったそいつの口内を、べとべとに舐め回していった。
そして、確認作業を始めてから数週間経ったある日。遂に克樹は、そいつのジャージの下に隠されていた素肌に、手を伸ばした。
胸の尖りを指先で執拗に弄りながら、ゆっくりと胸筋を揉みしだき、シーツの上にそいつを押し倒していく克樹の鼻息は荒く。ジャージに刺繍されたそいつの名前を、欲情の色に濡れた声で連呼して。そして、目の前にいるそいつを見つめる双眸は、遠目でも分かるほどに血走っていた。
胸に対する執着心が幾ばくか落ち着いてきたかという頃合いで、克樹は、そいつのジャージのズボンの中にも、ぬっと手を伸ばした。全く躊躇なく、パンツの中にしっかりと、手を手首の上まで侵入させると、そのまま、股間部全体を大袈裟にも見える動作でまさぐっていった。
克樹の遠慮も配慮も無い手の動きに合わせて、ぴくん、ぴくん、と微かに全身を痙攣させるそいつに気を良くしたのか、克樹は、恍惚とした表情を浮かべながら、ジャージの下にあるパジャマをたくし上げ、その下に現れた薄いピンクベージュの乳首にむしゃぶりついた。
乳首の先端をくりくりと舌で転がし、そこを完全に勃起させると、今度は乳首全体を口に含み、強く吸引していく。股間部をまさぐる手の動きを止めないまま、乳首への刺激を入念に続ける克樹は、まるで何かに取り憑かれている様だった。
暫くして、両方の乳首を交互に強く吸引しながら舌で刺激を加え続けた克樹が、漸く其処を解放した。すると、すっかりと腫れ上がった乳輪が、紅くふっくらと充血し、乳首全体が、まるで熟れた桜桃の様な見た目に変貌していた。
圧倒的に淫靡な色気を放つその姿を見て、にたり、と満足気に微笑む克樹の全身からは、目に見えるほど分かりやすい達成感が迸っている。そして、自らが作り上げた芸術作品の様に、とっくりと全身を舐め回す様に見つめてから、克樹は、自分のズボンの前を寛げ始めた。
そして、其処から、ぶるん、と飛び出してきた凶悪かつ暴力的な其れに、僕は、言葉を失い、ただ只管に、唖然とした。
何の刺激も加えていない筈の其処は、猛々しく反り上がり。幼児の握り拳大のずんぐりと大きい剥き出しの亀頭の先端からは、夥しい量のカウパーが滴っている。雁首は大きく張り出し、全体的に浅黒く、その太さと長さは、アジア人平均を著しく超過していた。
幼い頃から一緒にお風呂には入ってきたけど、流石に勃起状態にある其れを見た事は無かったから、ただただ圧倒されてしまう。最後に一緒にお風呂に入ったのは、お互いが中学生の時で、『なんか、やっぱり、大きいよね?』と僕が尋ねると、克樹は顔を赤らめて、サッと其処を隠してしまった。それ以降、一緒に公衆トイレに行った時にだって視線は逸らしてきたし、当たり前の様に、其処の成長なんて、きちんと確認してきていなかった。それがマナーだと思ったし、普通だと思ったから。その時の経験も踏まえて、デリケートな話題だから、思春期の克樹にそんな話をして申し訳なかったな、とずっと罪悪感を抱いてきたのに。今では、カメラの前で、こんな風に大胆に其れを晒せるだなんて。男としての自信に満ちている克樹を見て、僕は、いつの間にこの子は、こんなにも大人びてしまったんだろうと、自然に胸の上から、服をギュッと握り締めた。
克樹は、躊躇なくそいつのジャージを下着ごと脱がし、下半身を丸出しにした。そして、そいつの膝を割り、そこをじっとりと時間を掛けて眺め始めた。
下半身の薄い茂み。なんの兆しも見せていない、幼い見た目のまま成長が止まっている印象のある小さな性器。薄紅色した小さなふぐりと、キュッと慎ましく窄まった、色素沈着の全く無い肛……もう、見ていられない。顔を真っ赤にした僕が、身体をちっちゃくして、共感性羞恥に耐えていると、今現在の目の前にいる克樹が、そんな僕を、くすりと笑った。
画面の中にいる克樹は、はぁ、と熱い息を吐き、再びそいつに深い、大人がするキスをしながら、自分の性器とそいつの性器を一緒に手の平で包み込んだ。そして、ゆっくりと其処を扱き上げる動作を繰り返し、手淫を施していった。最初の内は、体調を気遣っていたり、意識を取り戻さないかという不安から、穏やかな手付きだったそれも、時間が経つ程に荒々しい物となり。ものの数分で、まるで自慰を覚えてしまった猿の様な激しい物へと変化していった。
大人と子供のそれに近いサイズ感の差がある男性器を同時に擦り上げていく克樹の視線は、股間部ではなくそいつの顔に固定されていて。その視線は、他のどんな人間でも、どれだけ鈍感な人間であっても、一眼見れば、克樹がその犯罪者に激しく燃える様な好意を抱いているのが分かる様な代物だった。
びゅくり、と弾けた克樹の怒張から飛び出した精液が、度重なる洗濯と、大きくなった身体のまま無理矢理羽織った影響で伸びきったジャージの上着に飛び散ると、全力疾走した後の様に肩を上下させている克樹が、そいつの肩口に額を寄せた。そして、呻く様にして、カメラが拾えるぎりぎりの音量で『好きだ』と微かに呟くと、克樹は再び、激しく嗚咽し始めた。
そこから先は、はっきりとは覚えていない。男同士で繋がる為に必要な克樹の苦労シーンが続いたり、割と地味な印象のある動画が続いたので、克樹自身も、俺の前で動画を再生するのを割愛したりしたからだ。
だけど、動画の日付がごく最近の・・・つい一週間前に撮影された物に及ぶと、その動画内の二人の様子は、あまりにも大きな変貌を遂げていた。
ぱん、ぱん、と一定のリズムで刻まられる乾いた破裂音に、ぬちゅぬちゅというローションの粘り気のある水音。スプリングが馬鹿になりそうなくらいに激しく軋むシングルベッド。荒々しい雄の息遣いと、じっとりと汗ばんだ、筋骨の隆々とした広く逞しい背中。完全に丸見えの接合部と、生殖能力の高さが窺える丸々と膨らんだ黒ずみの深い睾丸。怒張を迎え入れる肛門の、ふっくらと縁が盛り上がった雌の濃いピンク色の媚肉。薄い被膜越しにも分かるくらい血管と雁首がはっきりと張り出した、自らの凶悪さと暴力性を最大限に発揮している、赤黒い色をした怒張。
雌の足を膝裏から持ち上げ、尻を高く上げさせた状態で、上から杭を打ち込む様に、激しくも荒々しく挿入を繰り返すその雄は、今にも破裂しそうに膨らんだ睾丸をぴくぴくと怒らせながら、ずんぐりと肥え太った亀頭で、何度も何度も、執拗に雌の体内の奥深くを穿ち続けていった。
今まで見てきた動画の中で、最も強烈なインパクトを放つそれに、全身がカッと燃える様に熱くなる。恥ずかしいとか、内容が過激過ぎるだとか、そんな分かりやすい理由からじゃなかった。
鑑賞物としての完成度というか、生き物全てを圧倒させるまでの、純然たる交配や交尾の瞬間を、まざまざと見せつけられた様な気持ちになって。本能が刺激されたのか、なんなのか。頭は強かに殴られたかの如く強烈なショックを受けた影響で真っ白になっているのに、兎に角、身体の一部が反応してしまうのを止められなかった。
目を閉じて、耳を塞いで、もうやめて、こんな物もう僕に見せないで、と叫びたい気持ちは、間違いなくあるのに。僕は、反応した身体の一部が、幼馴染の克樹から見えない様に隠しながら、初めて見る雄と雌の熱い情交を、無言のまま食い入る様に見つめ続けた。
どうして、何で、僕は画面から目を逸らせないの?
僕が、すっかり混乱状態に陥っていると、画面の中にいる若い雄が、一度大きく、そして深く腰を打ち付けてから、ピタリとその動きを止めた。そして、下生えをぴったりと尻肉に押し当てながら、最深部をこじ開ける様にしてぐりぐりと入念に腰を動かし、雌の後頭部をがっちりと両手で抱えたまま、下半身の接合部の様相に競り負けないまでに、ねっとりとした深い口付けをし始めた。
雌の頬は雄の舌の動きに合わせてぬくぬくと不思議に盛り上がり、雄は喉の手前にある小さな口蓋垂までをも逃さないとばかりに、舌根まで舌を伸ばし、口内を犯し続けた。まるで、喉の先にある脳幹を直接刺激して啜り上げ、強烈な快楽をダイレクトに脳に塗り込めていくかの様な長い長い接吻をするその姿からは、腕の中にいる雌に向けた、若い雄の強い執着心と独占欲、そして溢れんばかりの支配欲求が、ありありと見て取れた。たっぷりと時間を掛けて口内を犯し尽くすと、雄はずるる、と長く挿し入れていた舌を引き抜き、うっとりと熱に浮かされた様な声で、一方的に犯し続けている腕の中にいる雌に向けて語り掛け始めた。
………嗚呼、凄い、もう、こんなに深くまで飲み込める様になったの。こんなに厭らしい身体ぶら下げてるのに、昼間は何にも知らないみたいな顔して。弟みたいに可愛がってる俺に、毎晩どれだけ滅茶苦茶にされてるか、想像すらしてませんって顔して……でも、本当は分かってるんでしょう。全部全部、覚えてるんでしょう。俺の事好きで好きで堪らないから、こうして俺に構って欲しいから、一番寂しかった時代の服を無理矢理着込んで、毎晩毎晩、懲りずに遊びに来るんでしょう。焦らしてないで、早く好きだって言いなよ。無茶苦茶にして下さいって、早くさぁ。ゴムなんて付けないで、中に全部ぶち撒けて、朝まで繋がっててあげるから。
貴方は俺の物だ。ずっと、ずっと、そうなんだ。だから、俺以外と遊んじゃ駄目なんだよ。俺の見える範囲にいて、ずっと俺と一緒に居ないと。なのに、なんで最近帰りが遅いの。何処の誰と一緒に居るの。なんて、あはは、嘘。全部知ってる、全部、貴方が、いつ、何処で、どんなクソ野郎と一緒にいるのか、ちゃんと知ってる。俺が知らない筈無いでしょ。貴方の一番の理解者は、この俺なんだから。ねぇ、嫉妬させたいんでしょ、俺に。そんな事しなくても、俺は貴方以外見ていないから、そんな無駄な事しないでいいのに。貴方はそんな事しなくても、いつだって、世界で一番、魅力的だよ。だから。
『「虚しい一方通行の会話は、もう終わりにしよう」』
最後に締め括った克樹の台詞は、動画内の物と寸分違わず重なっていた。あまりに、長い時間、小さな液晶画面を凝視していたから、目が乾燥してしぱしぱする。それに、身体もずっと熱くて、熱が全然身体から逃げていってくれない。だけど、僕の全身は、ずぶ濡れの状態で極寒地に放り出された幼児の様に、頭の天辺から足の爪先まで、ガタガタと震えていた。
混乱状態の中で見始めた動画は、進むにつれてどんどんと内容が濃くなっていき、気が付けば、いつの間にか本格的なSEXにも連れ込んでいた。僕は、男女のそれだって映像では見た事が無かったから、その鮮烈さと過剰な情報量に、胸がばくばくとして、呼吸すら碌に出来なかった。
何故、今になって、こんな映像を僕に見せ、現状を赤裸々に暴露したのか。その理由が、最初は全く分からなかった。黙っていれば、誰にも見せなければ、誰にも分からなかったのに。それだけ、僕の無意識の内に行ってきたストーカー行為に対する仕返しがしたかったのかと思った瞬間も、あったけれど。
僕には分かってしまった。きっとこの動画を克樹が僕に見せたのは、自分自身の強い執着心や独占欲や、迸る程の支配欲求を見せ付けたかったから、というものの他に、恐怖で僕の身体を縛り付け、拘束する為であると。そして、何よりも。動画の終わる間際に僕が起こした行動について、逃げ場を失わせた状態に陥らせて、問い詰めたかったからなんだと。
「この時、俺がイク直前に、足と腕で、しっかり背中にしがみついてきたよね。今まで、どんな事しても絶対に反応しなかったのに。ねぇ、教えてよ、瑠衣。この日、最後に繋がった時の事だけでも良いから……貴方は、俺に抱かれている時、本当に意識が無かったの?」
動画の最後に克樹が、『出すよ』と僕の耳元で囁きながら、僕のお腹の最深部に目掛けて、腰をべったりと尻肉に押し付けながら、長い長い射精をしていたタイミングがあった。その際に、映像の中の僕は、その声に導かれる様にして、足を、手を、克樹の背中にしっかりと纏わせたんだ。
まるで、番である雌が、雄の子種を強請る様に、浅ましく。
だけど、それの意味を聞かれた所で、僕には本当に、身に覚えがない。結局、答えを用意しきれなかった僕は、口を噤むだけで、何の言葉も生み出せず。その間に、部屋の柱に掛けてある時計の秒針が、あっという間にひと回りしてしまった。
何か、なにか、話さないと。怖くて堪らないけれど。この子とこうして対面し続けるだけで、恐怖で身体が硬直するけれど。それを理由にして、いつまでも黙り込んでいい場面じゃない。
だけど、意識が無い内に襲われ、毎晩毎晩、来る日も来る日も犯されて、その事実をずっと隠されてきた、という歴然とした事実が、目の前にごろりと転がって。怒りよりも恐怖が。嫌悪感よりも畏怖が、自分自身に降り掛かって。いつも通りに、話が出来る様な心理状態に無かった。
ぶるぶると、小刻みに身体を震わせ、一言一言、細心の注意を払いながら、言葉を尽くしていく。どの言葉が、これまで執拗に自分をレイプし続けてきた目の前の男の逆鱗に触れるか、分からない。だから、僕はずっと、頭が酸欠でクラクラするくらい緊張しながら、話を続けていった。
「全部、本当に、全部、記憶に残ってない。いつも、夜は、夢でお前と……初めて会った頃の、小さなお前と遊んでいたり、そんな夢ばかり見ていて。朝起きた時も、ちゃんと家の自室にいるし、パジャマも来てるし、ベッドに寝てるし、身体の違和感とかもなくて。疲れが取れた感覚が最近あまり無いなとか、思ってるくらい……だった」
幼稚園で、初めて会った頃、克樹は、いつも鼻の上を擦りむいていて、鼻を横断する形で絆創膏を貼っていた。僕がそれを変える係になったのは、いつからだろう。克樹を狙ういじめっ子を撃退し始めた、夏頃からかもしれない。記憶は判然としないけれど、兎に角、夢に出てくる克樹は、その頃の姿でいる事が多くて。僕は、夢の中では、まず、泣いている克樹を宥める事から始めていたんだ。
その夢の記憶を思い起こしていく内に、次第に身体激しいの震えが治っていった。そう、僕達は、ずっと一緒に過ごしてきた。それなのに、僕は、克樹の気持ちや、苦悩や、葛藤に全然気が付かずに、克樹が僕の為に用意してくれたぬるま湯の様な世界の中で、のほほんと生活していたんだ。自分自身は、ストーカーなんて最低な行いをしていた癖に。無意識だからって、罪にならないなんて都合の良い話にはならない。
「お前がいつも泣いていたから、昔みたいに泣き止ませて、抱き締めて、そんな夢ばかりみていた。だから、もしかしたら、身体がいつの間にか、反応してたのかも……信じて貰えないかもしれないけど」
「本当に?本当に、全部覚えていないの?」
「うん……こんな風に酷い真似しながら、長い間、付き纏っていたから、説得力なんてないのは分かるけど、本当に覚えてないんだ。ごめんなさい」
痺れた様に動かなくなった身体は、いつの間にか少しだけ自由が効くようになっていた。だから、僕はその場で、つまり、ベッドの下によろよろと覚束ない足取りで降りて正座をし、椅子に座っていた克樹と目線を合わせてから、深く頭を下げて、誠心誠意を込めて謝罪した。だけど、僕の心に植え付けられた恐怖や、身体の奥深くから無理矢理引き摺り出された興奮は如実に身体の反応に現れ、床についた指や手は、その末端に掛けて、まだ微かに震えていた。
「あの男と、寝た?それで、無意識の内に、いつもの癖が出たとかなんじゃないの」
どんな言葉が降り掛かってくるのかと身を固くしていた僕は、あまりに予想外の話の展開に、下げていた頭を思わず上げて、は?と小さく声を上げた。すると、鋭い舌打ちをした克樹は、自分の頭をぐしゃり、と掻き混ぜてから、重い溜息を吐いて、苦渋を滲ませた声色で、自分の心情を吐露し始めた。
「違うのは、分かってる。けど、どうしても考えるんだ。考えるよ、そりゃ。だって、そうでしょ。貴方、自分がどれだけ変わったか、分からないの?俺が、どれだけ今まで貴方の為に……貴方の笑顔の為に、頑張ってきたか。だから、だから、俺は……」
胸を引き絞るかの様な切なる気持ちに、純粋なその願いに、ずきり、と、胸が痛みを訴える。きっと、こんな事になってしまった罪悪感は、この子の中にも、間違いなくあるんだろう。最初からこんな事になるなんて、きっとこの子だって思っていなかった筈だ。
周囲の環境をコントロールされている内に、恐らく僕は、この子に対して無意識の内にストレスを溜め込んでいたのかもしれない。他にも理由が心当たりとして無い訳ではないけれど、でなければ、夜中無意識の内に動き出して、『峰岸 瑠衣を解放せよ』だなんて書かれた紙を大量に郵便受けに詰め込むなどという行動に及ばないだろう。
だから、僕がそんな奇怪過ぎる行動を起こし、不必要な隙を与えなければ、この子は僕を好き好んでレイプなんてしなかったに違いない。
優しい子なんだ。優し過ぎるくらい優しくて、繊細で、明るくて、素直で、いつだって僕を一番に優先してくれた。
誰よりも僕を大切にしてくれたこの子に、引き金を引かせてしまったのは、僕なんだ。
克樹は僕の恩人でもあるのに、謝っても謝っても足りないくらいに、申し訳ない事をした。今までこの子を精神的に追い詰めてきた罪を償う為なら、何でもするつもりでいるけれど。まずはそれより先に、この子に伝えたい正直な気持ちがあった。だから、今にも泣き出してしまいそうな、一回り身体が小さくなってしまった印象すら感じさせるその子に向けて、僕は自分の本心をゆっくりと紡いでいった。
どうか、この気持ちが、この子に伝わりますように。
「あのね、克樹。きっとね、普通なら、こんな風に記憶にすっかり残らないのが分かったら、人って、もっと自分勝手になると思うんだ。だけど、克樹は、僕を、僕の身体を、とても大事にしてくれたんだね。僕が、その事を覚えていないのを、知っていても」
「………ッ、」
嗚呼、泣かせたいわけじゃ無いんだ。お前には、笑っていて欲しいんだ。僕の大切な子。愛しい子。だけど、お前は僕を好きになっちゃいけないと、そう教えなければいけないから。こんな、記憶に残らないのをいい事に、好き勝手してきた最低な僕なんて忘れて、前を向いて欲しいから。
僕は、君のお兄ちゃんで。
君は、僕の大切な人だから。
「ずっと、ずっと、ごめんなさい。だけど、こうなったからには、もう一緒には居られない。どうか、僕の事は忘れて、幸せになって欲しい。世界中の、誰よりも」
だから、今日で、さようなら。
「なに言ってんの。勝手に綺麗に終わらせないでよ。俺達のSEX観て興奮してた癖に、今更、俺を知る前の元の身体に戻れると思ってるの」
頭から、冷水を浴びせられたかの様な、無理矢理ハッと我に返らされたかの様な、強い衝撃。その子の、甘えや逃げを許さない鋭い眼光は、僕の心臓を貫き、食い破った。
「貴方は俺の物なんだから、ずっと俺の側にいなくちゃ駄目なんだよ。その前提を変えないで、これから二人でどうして行けば良いか考えてくのかが、これから先の課題なのに……もう、それくらい言わなくても分かってよ」
椅子から降りて、床に正座したままだった僕を、氷の様に冷たい眼差しで、上から見据え。
「友達も、あともう少しで新しいの用意してあげられるから。それまでの間に、今いる遠野とかいう奴と、手を切って。あいつ、絶対に貴方の事狙ってる。俺には分かるんだ。理解者ぶって近付いて、貴方のケツ狙う奴は、嗅覚でね」
主観で物事を図り、主観で話を展開し、平然と僕の人間関係を再構築しようとしている克樹を見上げながら、僕は思った。
僕達には、言葉が足りていなかった。対話も、向き合い方も、ずっとずっと、間違えてきた。もっと早く向き合えていたら、こんな結果にはなっていなかっただろうに。こんなにも、会話というものが成り立たない、不健全で歪な関係性にはならなかっただろうに。
ごめんね、お前の苦悩に、葛藤に、いつの間にか黒く澱んでしまった、その思想に、気が付いてやれなくて。僕は、本当に、お前のお兄ちゃん失格だ。
でも、そんなお前の目を、覚ましてやれるのは、きっと、この世界で僕しかいないから。僕は、僕の持てる勇気を全部振り絞って。今、目の前にいるお前を、否定する。
「中学の時、カラオケ行ったよね。みんなと」
『峰岸 瑠衣を解放せよ』
「あの日、女の子も何人かいて。その子達が、みんな、克樹と連絡先交換したくて、僕に間を取り持ってくれないか頼んで来たんだけど、僕、それ全部断ったんだ」
『峰岸 瑠衣を解放せよ』
「ムカついたから。お前目当てで僕に近付いてくる人間も、みんな嫌で。それに、僕、お前の紹介してくれる友達も、本当は、みんな苦手だった」
『峰岸 瑠衣を解放せよ』
「お前と過ごす時間を奪う人間は、みんなみんな、苦手だし、嫌だった。だけど、そんな風に思っちゃう、お前に依存ばかりしている自分が……本当は一番、嫌いだった」
『峰岸 瑠衣を解放せよ』
「友達なんて、本当は、他の誰かが用意するものじゃない。自分で選んで、選ばれて、作っていくものなんだ。僕とお前が、初めて出逢った時、みたいに」
『峰岸 瑠衣を解放せよ』
「僕は、もう、お前の言う通りに、しない。だから、友達も、もう紹介しなくていい。僕は、お前への罪を償いながら、病院に通ってきちんと病気を治して……また、きちんとお前に、謝りに行く」
峰岸 瑠衣を。
「今更、お前の側にいたいとは思えない。思わないように、しないといけない。だから」
解放せよ。
「これからは、お互いに、別々の道を、生きていこう」
僕のこの、ずっとずっと隠し持ってきた気持ちを、高く果てしない大空に向けて解放出来るのは、この世界で、ただ一人。
「僕に、遠くから、君の幸せを、願わせて。そして、僕の知る誰よりも、幸せになって、下さい」
君だけなんだ。
「ずっと、ずっと、愛してた」
数十㎝後ろにあったベッドにゆっくりと身体を沈められ、きつく抱き締められて。しゃくり上げながら泣き噦られて、顔中に何の確認も取らずにキスされて。だけど、唇にする前だけは、潤んだ眼差しだけで確認をしてきて。それは狡いよなぁ、と思いながらも、一応は、空気を読んで瞼を閉じてあげた。
息を飲んだのか、唾を飲んだのか、どっちか分からない間が開く。変な奴。さっきまでの勢いはどうしたの。僕だって、僕だってさぁ、必死だよ。でも、これが最後かもしれないでしょ。だから、それなりに気構えはしてるんだよ。
「瑠衣君、いまシたら、絶対に止まんない……それでも良い?」
うーん、良くは無いよね。そこまでの気構えは、流石にしてないし。それに、止まんないって、一体何処までを言うのやら。僕、本当に男同士の知識無くて。意識した試しも無いから、知識が本当の意味でゼロだ。それに、彼女もいなかったから、経験値も全く無いし。だから、瞼をゆっくり開いて、目の前にいる真剣な、それでいてとろりとした情欲に濡れた幼馴染の瞳を覗き込……まずに視線を逸らした。
いまこの子と視線を合わせるだなんて、出来る訳ない。そんな僕に、大人のスキンシップなんて、土台無理な話だ。付き合っていないとエッチしちゃ駄目とか、そんなカマトトぶった発想まではしないけれど、だからと言って、初体験をこの場でする余裕は僕には無い。第一、ずっと弟として接してきた幼馴染と、そんな……は、破廉恥だ。
「そ、そ……そんな事したら、元の関係に戻れないじゃない」
「新しい関係をまた一から始めれば良いよ。絶対に、誰よりも大切にするから。怖がらないで、俺を受け入れて。お願い……瑠衣」
あ、あー……そっちかぁ。僕、やっぱりお前の中で、そっちなんだぁ……体格差とかこの場の空気とか、今までの態度とかを合算して、何処と無くそうかなと思ってたけど。それにしても、急ぎ過ぎている感は否めない。
勢いよく、それでいて躊躇なく、ごく自然に呼び捨てにして来るし。今日を逃したら、もう一生こんな機会は無い、という僕と共通する感覚も、どうやら薄いみたい。だとしたら、余計に僕の中にある答えは一つだ。
「ごめんなさい。僕は、お前と、今まで通りの関係性でいたい。今日を、綺麗なままの思い出にしたいから。過去を振り返った時に、あんな事もあったよねって……ふたりで」
一時の気の迷いに任せて、過去にしこりを残したら、お互いに家庭を持ったり、子供が出来た時に、純粋な気持ちでお祝いが出来ない。僕は、この子を生涯に掛けて失ったりしたくない。そんなに、僕のこの子に対する気持ちは軽くないから。何故なら、僕は・・・
「嫌だ。俺は、貴方との思い出を、綺麗なだけの物にするつもりなんてない」
「克樹……」
それを言われてしまったら、もう。僕達、この場でキスするよりも、身体を重ねるよりも、もっと後戻り出来なくなっちゃうの、分からない子じゃないのに。それだけ必死なの。そんなに、苦しかったの。なのに、僕は何も知らずに、易々とお前と戯れて。どれだけ残酷なんだ、僕は。本当に、最低な人間だ。
「気持ちは、本当に凄く嬉しかった。今までも、ずっと、僕の為に、ありがとう。だけど、やっぱり、お前の気持ちには応えられない。ストーカーの事とか、全部背負って、ずっと僕を守ってくれてたのに……ごめん」
だけど、軌道修正を図るなら、今しかない。この子に任せていたら、本当に、僕達の関係性は、ここで終わってしまう。嫌だ、それだけは、嫌なんだ。我儘で、ごめん。身勝手で、ごめん。だけど、僕は、お前との絆が、お前と過ごす時間が、何よりも大切なんだ。他の、どんな物よりも。
「今まで、報復とか、行動がどんどんエスカレートして、お前にもっと迷惑掛けたらって考えたら、怖くて身動きが取れなくて……だけど、これからは、きちんとした場所に相談していくつもりでいるから」
だから、今は。絵に描いた様な、最低の人間になろう。今更、信じられないかも知れないけれど、でも、僕は、自分なんかより、ずっとずっと、お前の事が大切なんだ。軽蔑しても、謗られても、お前の側に居られるなら、お前からのどんな視線や言葉も受け止める。そう、気持ちを新たにした、そんな時。
「……あぁ、その事?それだったら、もう俺の中では解決してるから、何にも問題ないよ」
言われた事の意味が分からず、『え?』と、馬鹿みたいに聞き返す。するとその子は、僕を腕の中から解放し、ベッドから離れて、自分の机の引き出しを開け、黒いUSBメモリを取り出した。この場の空気にそぐわない、にっこりと明るいのに、何処か薄気味悪さすら感じさせる笑みを浮かべる克樹に、どんな言葉を掛けたらいいのか分からず。彼が口を開き、事の次第を説明してくれるのを、じっと待った。
「俺の家、監視カメラを付けたんだ。だから、ストーカーの正体も分かったし、貴方じゃなく俺に付き纏っていた理由も何となく分かった。だから、ここ数ヶ月は好きにさせていたんだ。泳がせて、観察していたというのが、正しいかな」
「……なんで、そんな」
「ふふ……理由が知りたい?なら、一緒に観てみる?」
背筋が、ぞわ、と粟立って、本能的な恐怖を覚える。自分に強い執着を抱いていた人物が、見える形になって、目の前に現れる恐怖。いつだって、不安はあった。そいつの矛先が自分に向くその日が、いつか来るだろうと。だけどその分、幼馴染に対する刺激が減れば、それでこの子への負担が少なくなれば、それで良いとも考えていた。だけど、どんな人物なのかをきちんと確認出来る今になって、恐怖で胃が縮み上がる。なんて情け無い人間なんだ、僕は。だけど、それでも。
「………見る」
我が意を得たり、と言わんばかりに、克樹は頷き、立ち上げたノート型PCに、そのUSBメモリを挿し込んだ。そして、画面上に無数にある動画データを確認し、その中で問題の人物の顔が最もはっきり映っている動画を呼び出した。
克樹は、憎き相手である、その人物が。
『峰岸 瑠衣を解放せよ』
と、大きく印字されている大量のコピー用紙を郵便受けに詰め込み走り去るまでの一部始終を無表情で眺めると、自分自身を、大切にしてきた幼馴染を精神的に苦しめ続けてきたストーカーの正体を知り、放心状態にあった僕に向けて、今度は穏やかに微笑んでみせた。
「まだ見せたい動画が、いくつかあるんだ」
カメラの場面が転換する。次に映されていたのは、今僕達がいる、克樹の自室だった。ベッドに向けて、定点で固定されたそのカメラの映像には、先程監視カメラの前から走り去ったストーカーが、その時と同じ格好でベッドにぼんやりと座り込んでいた。
学年カラーの中学ジャージをパジャマの上から窮屈そうに無理矢理羽織り、白い靴下を履いているそいつの胸には、ジャージの持ち主である本人の名前が刺繍されている。そんな、深夜に徘徊するにしては割と目立つ格好をしているそいつの顔の前で、横からぬっと、深く暗い海の底から顔を出した深海魚の様に画面上に現れた克樹が、大きく指を鳴らした。
しかし、そいつは瞼も全く動かさず、微動だにしない。そんな、ストーカーの明らかに不自然な様子に、動画の中にいた克樹は口元を吊り上げてくつくつと笑った。
そして、暫くそのまま笑っていたかと思いきや、突然その場で腰を折り、今度はベッドに顔を突っ伏して、激しく嗚咽し始めた。
僕は、その一部始終を、呼吸すら忘れて見つめ続けた。
「この後、何度も対話を試みたけど、結局それは叶わなかった。そして、この状態にある間に取った行動も、平常時は全て忘れているという事も、段々と分かって来たんだ。俺はゆっくりと時間を掛けて、それを確認していった。俺がそれをどうやって確認してきたかは、この後直ぐに分かるよ」
記憶の亡失の確認の仕方は、至ってシンプルだった。しかし、目に飛び込んでくる情報量は未だかつて無いほどに膨大で、それが僕自身に与える衝撃は計り知れず。僕は、克樹がそいつに行う『確認作業』を、ただただ、呆然と流し見ていくしか無かった。
初めは、触れるだけの幼いキスから始まった。けれど、それでも何の反応も返って来ない事を確認した動画の中にいる克樹は、時間や日を追うごとに、見るからに猛々しく興奮していった。
確認していくその作業を、徐々に過激な物へと移していく、幼馴染。あまり音を拾うのには長けていないカメラでも、しっかりと録音出来るくらいに、じゅるじゅると厭らしい水音を立てながら、克樹は、ぽかんと口を開いたままだったそいつの口内を、べとべとに舐め回していった。
そして、確認作業を始めてから数週間経ったある日。遂に克樹は、そいつのジャージの下に隠されていた素肌に、手を伸ばした。
胸の尖りを指先で執拗に弄りながら、ゆっくりと胸筋を揉みしだき、シーツの上にそいつを押し倒していく克樹の鼻息は荒く。ジャージに刺繍されたそいつの名前を、欲情の色に濡れた声で連呼して。そして、目の前にいるそいつを見つめる双眸は、遠目でも分かるほどに血走っていた。
胸に対する執着心が幾ばくか落ち着いてきたかという頃合いで、克樹は、そいつのジャージのズボンの中にも、ぬっと手を伸ばした。全く躊躇なく、パンツの中にしっかりと、手を手首の上まで侵入させると、そのまま、股間部全体を大袈裟にも見える動作でまさぐっていった。
克樹の遠慮も配慮も無い手の動きに合わせて、ぴくん、ぴくん、と微かに全身を痙攣させるそいつに気を良くしたのか、克樹は、恍惚とした表情を浮かべながら、ジャージの下にあるパジャマをたくし上げ、その下に現れた薄いピンクベージュの乳首にむしゃぶりついた。
乳首の先端をくりくりと舌で転がし、そこを完全に勃起させると、今度は乳首全体を口に含み、強く吸引していく。股間部をまさぐる手の動きを止めないまま、乳首への刺激を入念に続ける克樹は、まるで何かに取り憑かれている様だった。
暫くして、両方の乳首を交互に強く吸引しながら舌で刺激を加え続けた克樹が、漸く其処を解放した。すると、すっかりと腫れ上がった乳輪が、紅くふっくらと充血し、乳首全体が、まるで熟れた桜桃の様な見た目に変貌していた。
圧倒的に淫靡な色気を放つその姿を見て、にたり、と満足気に微笑む克樹の全身からは、目に見えるほど分かりやすい達成感が迸っている。そして、自らが作り上げた芸術作品の様に、とっくりと全身を舐め回す様に見つめてから、克樹は、自分のズボンの前を寛げ始めた。
そして、其処から、ぶるん、と飛び出してきた凶悪かつ暴力的な其れに、僕は、言葉を失い、ただ只管に、唖然とした。
何の刺激も加えていない筈の其処は、猛々しく反り上がり。幼児の握り拳大のずんぐりと大きい剥き出しの亀頭の先端からは、夥しい量のカウパーが滴っている。雁首は大きく張り出し、全体的に浅黒く、その太さと長さは、アジア人平均を著しく超過していた。
幼い頃から一緒にお風呂には入ってきたけど、流石に勃起状態にある其れを見た事は無かったから、ただただ圧倒されてしまう。最後に一緒にお風呂に入ったのは、お互いが中学生の時で、『なんか、やっぱり、大きいよね?』と僕が尋ねると、克樹は顔を赤らめて、サッと其処を隠してしまった。それ以降、一緒に公衆トイレに行った時にだって視線は逸らしてきたし、当たり前の様に、其処の成長なんて、きちんと確認してきていなかった。それがマナーだと思ったし、普通だと思ったから。その時の経験も踏まえて、デリケートな話題だから、思春期の克樹にそんな話をして申し訳なかったな、とずっと罪悪感を抱いてきたのに。今では、カメラの前で、こんな風に大胆に其れを晒せるだなんて。男としての自信に満ちている克樹を見て、僕は、いつの間にこの子は、こんなにも大人びてしまったんだろうと、自然に胸の上から、服をギュッと握り締めた。
克樹は、躊躇なくそいつのジャージを下着ごと脱がし、下半身を丸出しにした。そして、そいつの膝を割り、そこをじっとりと時間を掛けて眺め始めた。
下半身の薄い茂み。なんの兆しも見せていない、幼い見た目のまま成長が止まっている印象のある小さな性器。薄紅色した小さなふぐりと、キュッと慎ましく窄まった、色素沈着の全く無い肛……もう、見ていられない。顔を真っ赤にした僕が、身体をちっちゃくして、共感性羞恥に耐えていると、今現在の目の前にいる克樹が、そんな僕を、くすりと笑った。
画面の中にいる克樹は、はぁ、と熱い息を吐き、再びそいつに深い、大人がするキスをしながら、自分の性器とそいつの性器を一緒に手の平で包み込んだ。そして、ゆっくりと其処を扱き上げる動作を繰り返し、手淫を施していった。最初の内は、体調を気遣っていたり、意識を取り戻さないかという不安から、穏やかな手付きだったそれも、時間が経つ程に荒々しい物となり。ものの数分で、まるで自慰を覚えてしまった猿の様な激しい物へと変化していった。
大人と子供のそれに近いサイズ感の差がある男性器を同時に擦り上げていく克樹の視線は、股間部ではなくそいつの顔に固定されていて。その視線は、他のどんな人間でも、どれだけ鈍感な人間であっても、一眼見れば、克樹がその犯罪者に激しく燃える様な好意を抱いているのが分かる様な代物だった。
びゅくり、と弾けた克樹の怒張から飛び出した精液が、度重なる洗濯と、大きくなった身体のまま無理矢理羽織った影響で伸びきったジャージの上着に飛び散ると、全力疾走した後の様に肩を上下させている克樹が、そいつの肩口に額を寄せた。そして、呻く様にして、カメラが拾えるぎりぎりの音量で『好きだ』と微かに呟くと、克樹は再び、激しく嗚咽し始めた。
そこから先は、はっきりとは覚えていない。男同士で繋がる為に必要な克樹の苦労シーンが続いたり、割と地味な印象のある動画が続いたので、克樹自身も、俺の前で動画を再生するのを割愛したりしたからだ。
だけど、動画の日付がごく最近の・・・つい一週間前に撮影された物に及ぶと、その動画内の二人の様子は、あまりにも大きな変貌を遂げていた。
ぱん、ぱん、と一定のリズムで刻まられる乾いた破裂音に、ぬちゅぬちゅというローションの粘り気のある水音。スプリングが馬鹿になりそうなくらいに激しく軋むシングルベッド。荒々しい雄の息遣いと、じっとりと汗ばんだ、筋骨の隆々とした広く逞しい背中。完全に丸見えの接合部と、生殖能力の高さが窺える丸々と膨らんだ黒ずみの深い睾丸。怒張を迎え入れる肛門の、ふっくらと縁が盛り上がった雌の濃いピンク色の媚肉。薄い被膜越しにも分かるくらい血管と雁首がはっきりと張り出した、自らの凶悪さと暴力性を最大限に発揮している、赤黒い色をした怒張。
雌の足を膝裏から持ち上げ、尻を高く上げさせた状態で、上から杭を打ち込む様に、激しくも荒々しく挿入を繰り返すその雄は、今にも破裂しそうに膨らんだ睾丸をぴくぴくと怒らせながら、ずんぐりと肥え太った亀頭で、何度も何度も、執拗に雌の体内の奥深くを穿ち続けていった。
今まで見てきた動画の中で、最も強烈なインパクトを放つそれに、全身がカッと燃える様に熱くなる。恥ずかしいとか、内容が過激過ぎるだとか、そんな分かりやすい理由からじゃなかった。
鑑賞物としての完成度というか、生き物全てを圧倒させるまでの、純然たる交配や交尾の瞬間を、まざまざと見せつけられた様な気持ちになって。本能が刺激されたのか、なんなのか。頭は強かに殴られたかの如く強烈なショックを受けた影響で真っ白になっているのに、兎に角、身体の一部が反応してしまうのを止められなかった。
目を閉じて、耳を塞いで、もうやめて、こんな物もう僕に見せないで、と叫びたい気持ちは、間違いなくあるのに。僕は、反応した身体の一部が、幼馴染の克樹から見えない様に隠しながら、初めて見る雄と雌の熱い情交を、無言のまま食い入る様に見つめ続けた。
どうして、何で、僕は画面から目を逸らせないの?
僕が、すっかり混乱状態に陥っていると、画面の中にいる若い雄が、一度大きく、そして深く腰を打ち付けてから、ピタリとその動きを止めた。そして、下生えをぴったりと尻肉に押し当てながら、最深部をこじ開ける様にしてぐりぐりと入念に腰を動かし、雌の後頭部をがっちりと両手で抱えたまま、下半身の接合部の様相に競り負けないまでに、ねっとりとした深い口付けをし始めた。
雌の頬は雄の舌の動きに合わせてぬくぬくと不思議に盛り上がり、雄は喉の手前にある小さな口蓋垂までをも逃さないとばかりに、舌根まで舌を伸ばし、口内を犯し続けた。まるで、喉の先にある脳幹を直接刺激して啜り上げ、強烈な快楽をダイレクトに脳に塗り込めていくかの様な長い長い接吻をするその姿からは、腕の中にいる雌に向けた、若い雄の強い執着心と独占欲、そして溢れんばかりの支配欲求が、ありありと見て取れた。たっぷりと時間を掛けて口内を犯し尽くすと、雄はずるる、と長く挿し入れていた舌を引き抜き、うっとりと熱に浮かされた様な声で、一方的に犯し続けている腕の中にいる雌に向けて語り掛け始めた。
………嗚呼、凄い、もう、こんなに深くまで飲み込める様になったの。こんなに厭らしい身体ぶら下げてるのに、昼間は何にも知らないみたいな顔して。弟みたいに可愛がってる俺に、毎晩どれだけ滅茶苦茶にされてるか、想像すらしてませんって顔して……でも、本当は分かってるんでしょう。全部全部、覚えてるんでしょう。俺の事好きで好きで堪らないから、こうして俺に構って欲しいから、一番寂しかった時代の服を無理矢理着込んで、毎晩毎晩、懲りずに遊びに来るんでしょう。焦らしてないで、早く好きだって言いなよ。無茶苦茶にして下さいって、早くさぁ。ゴムなんて付けないで、中に全部ぶち撒けて、朝まで繋がっててあげるから。
貴方は俺の物だ。ずっと、ずっと、そうなんだ。だから、俺以外と遊んじゃ駄目なんだよ。俺の見える範囲にいて、ずっと俺と一緒に居ないと。なのに、なんで最近帰りが遅いの。何処の誰と一緒に居るの。なんて、あはは、嘘。全部知ってる、全部、貴方が、いつ、何処で、どんなクソ野郎と一緒にいるのか、ちゃんと知ってる。俺が知らない筈無いでしょ。貴方の一番の理解者は、この俺なんだから。ねぇ、嫉妬させたいんでしょ、俺に。そんな事しなくても、俺は貴方以外見ていないから、そんな無駄な事しないでいいのに。貴方はそんな事しなくても、いつだって、世界で一番、魅力的だよ。だから。
『「虚しい一方通行の会話は、もう終わりにしよう」』
最後に締め括った克樹の台詞は、動画内の物と寸分違わず重なっていた。あまりに、長い時間、小さな液晶画面を凝視していたから、目が乾燥してしぱしぱする。それに、身体もずっと熱くて、熱が全然身体から逃げていってくれない。だけど、僕の全身は、ずぶ濡れの状態で極寒地に放り出された幼児の様に、頭の天辺から足の爪先まで、ガタガタと震えていた。
混乱状態の中で見始めた動画は、進むにつれてどんどんと内容が濃くなっていき、気が付けば、いつの間にか本格的なSEXにも連れ込んでいた。僕は、男女のそれだって映像では見た事が無かったから、その鮮烈さと過剰な情報量に、胸がばくばくとして、呼吸すら碌に出来なかった。
何故、今になって、こんな映像を僕に見せ、現状を赤裸々に暴露したのか。その理由が、最初は全く分からなかった。黙っていれば、誰にも見せなければ、誰にも分からなかったのに。それだけ、僕の無意識の内に行ってきたストーカー行為に対する仕返しがしたかったのかと思った瞬間も、あったけれど。
僕には分かってしまった。きっとこの動画を克樹が僕に見せたのは、自分自身の強い執着心や独占欲や、迸る程の支配欲求を見せ付けたかったから、というものの他に、恐怖で僕の身体を縛り付け、拘束する為であると。そして、何よりも。動画の終わる間際に僕が起こした行動について、逃げ場を失わせた状態に陥らせて、問い詰めたかったからなんだと。
「この時、俺がイク直前に、足と腕で、しっかり背中にしがみついてきたよね。今まで、どんな事しても絶対に反応しなかったのに。ねぇ、教えてよ、瑠衣。この日、最後に繋がった時の事だけでも良いから……貴方は、俺に抱かれている時、本当に意識が無かったの?」
動画の最後に克樹が、『出すよ』と僕の耳元で囁きながら、僕のお腹の最深部に目掛けて、腰をべったりと尻肉に押し付けながら、長い長い射精をしていたタイミングがあった。その際に、映像の中の僕は、その声に導かれる様にして、足を、手を、克樹の背中にしっかりと纏わせたんだ。
まるで、番である雌が、雄の子種を強請る様に、浅ましく。
だけど、それの意味を聞かれた所で、僕には本当に、身に覚えがない。結局、答えを用意しきれなかった僕は、口を噤むだけで、何の言葉も生み出せず。その間に、部屋の柱に掛けてある時計の秒針が、あっという間にひと回りしてしまった。
何か、なにか、話さないと。怖くて堪らないけれど。この子とこうして対面し続けるだけで、恐怖で身体が硬直するけれど。それを理由にして、いつまでも黙り込んでいい場面じゃない。
だけど、意識が無い内に襲われ、毎晩毎晩、来る日も来る日も犯されて、その事実をずっと隠されてきた、という歴然とした事実が、目の前にごろりと転がって。怒りよりも恐怖が。嫌悪感よりも畏怖が、自分自身に降り掛かって。いつも通りに、話が出来る様な心理状態に無かった。
ぶるぶると、小刻みに身体を震わせ、一言一言、細心の注意を払いながら、言葉を尽くしていく。どの言葉が、これまで執拗に自分をレイプし続けてきた目の前の男の逆鱗に触れるか、分からない。だから、僕はずっと、頭が酸欠でクラクラするくらい緊張しながら、話を続けていった。
「全部、本当に、全部、記憶に残ってない。いつも、夜は、夢でお前と……初めて会った頃の、小さなお前と遊んでいたり、そんな夢ばかり見ていて。朝起きた時も、ちゃんと家の自室にいるし、パジャマも来てるし、ベッドに寝てるし、身体の違和感とかもなくて。疲れが取れた感覚が最近あまり無いなとか、思ってるくらい……だった」
幼稚園で、初めて会った頃、克樹は、いつも鼻の上を擦りむいていて、鼻を横断する形で絆創膏を貼っていた。僕がそれを変える係になったのは、いつからだろう。克樹を狙ういじめっ子を撃退し始めた、夏頃からかもしれない。記憶は判然としないけれど、兎に角、夢に出てくる克樹は、その頃の姿でいる事が多くて。僕は、夢の中では、まず、泣いている克樹を宥める事から始めていたんだ。
その夢の記憶を思い起こしていく内に、次第に身体激しいの震えが治っていった。そう、僕達は、ずっと一緒に過ごしてきた。それなのに、僕は、克樹の気持ちや、苦悩や、葛藤に全然気が付かずに、克樹が僕の為に用意してくれたぬるま湯の様な世界の中で、のほほんと生活していたんだ。自分自身は、ストーカーなんて最低な行いをしていた癖に。無意識だからって、罪にならないなんて都合の良い話にはならない。
「お前がいつも泣いていたから、昔みたいに泣き止ませて、抱き締めて、そんな夢ばかりみていた。だから、もしかしたら、身体がいつの間にか、反応してたのかも……信じて貰えないかもしれないけど」
「本当に?本当に、全部覚えていないの?」
「うん……こんな風に酷い真似しながら、長い間、付き纏っていたから、説得力なんてないのは分かるけど、本当に覚えてないんだ。ごめんなさい」
痺れた様に動かなくなった身体は、いつの間にか少しだけ自由が効くようになっていた。だから、僕はその場で、つまり、ベッドの下によろよろと覚束ない足取りで降りて正座をし、椅子に座っていた克樹と目線を合わせてから、深く頭を下げて、誠心誠意を込めて謝罪した。だけど、僕の心に植え付けられた恐怖や、身体の奥深くから無理矢理引き摺り出された興奮は如実に身体の反応に現れ、床についた指や手は、その末端に掛けて、まだ微かに震えていた。
「あの男と、寝た?それで、無意識の内に、いつもの癖が出たとかなんじゃないの」
どんな言葉が降り掛かってくるのかと身を固くしていた僕は、あまりに予想外の話の展開に、下げていた頭を思わず上げて、は?と小さく声を上げた。すると、鋭い舌打ちをした克樹は、自分の頭をぐしゃり、と掻き混ぜてから、重い溜息を吐いて、苦渋を滲ませた声色で、自分の心情を吐露し始めた。
「違うのは、分かってる。けど、どうしても考えるんだ。考えるよ、そりゃ。だって、そうでしょ。貴方、自分がどれだけ変わったか、分からないの?俺が、どれだけ今まで貴方の為に……貴方の笑顔の為に、頑張ってきたか。だから、だから、俺は……」
胸を引き絞るかの様な切なる気持ちに、純粋なその願いに、ずきり、と、胸が痛みを訴える。きっと、こんな事になってしまった罪悪感は、この子の中にも、間違いなくあるんだろう。最初からこんな事になるなんて、きっとこの子だって思っていなかった筈だ。
周囲の環境をコントロールされている内に、恐らく僕は、この子に対して無意識の内にストレスを溜め込んでいたのかもしれない。他にも理由が心当たりとして無い訳ではないけれど、でなければ、夜中無意識の内に動き出して、『峰岸 瑠衣を解放せよ』だなんて書かれた紙を大量に郵便受けに詰め込むなどという行動に及ばないだろう。
だから、僕がそんな奇怪過ぎる行動を起こし、不必要な隙を与えなければ、この子は僕を好き好んでレイプなんてしなかったに違いない。
優しい子なんだ。優し過ぎるくらい優しくて、繊細で、明るくて、素直で、いつだって僕を一番に優先してくれた。
誰よりも僕を大切にしてくれたこの子に、引き金を引かせてしまったのは、僕なんだ。
克樹は僕の恩人でもあるのに、謝っても謝っても足りないくらいに、申し訳ない事をした。今までこの子を精神的に追い詰めてきた罪を償う為なら、何でもするつもりでいるけれど。まずはそれより先に、この子に伝えたい正直な気持ちがあった。だから、今にも泣き出してしまいそうな、一回り身体が小さくなってしまった印象すら感じさせるその子に向けて、僕は自分の本心をゆっくりと紡いでいった。
どうか、この気持ちが、この子に伝わりますように。
「あのね、克樹。きっとね、普通なら、こんな風に記憶にすっかり残らないのが分かったら、人って、もっと自分勝手になると思うんだ。だけど、克樹は、僕を、僕の身体を、とても大事にしてくれたんだね。僕が、その事を覚えていないのを、知っていても」
「………ッ、」
嗚呼、泣かせたいわけじゃ無いんだ。お前には、笑っていて欲しいんだ。僕の大切な子。愛しい子。だけど、お前は僕を好きになっちゃいけないと、そう教えなければいけないから。こんな、記憶に残らないのをいい事に、好き勝手してきた最低な僕なんて忘れて、前を向いて欲しいから。
僕は、君のお兄ちゃんで。
君は、僕の大切な人だから。
「ずっと、ずっと、ごめんなさい。だけど、こうなったからには、もう一緒には居られない。どうか、僕の事は忘れて、幸せになって欲しい。世界中の、誰よりも」
だから、今日で、さようなら。
「なに言ってんの。勝手に綺麗に終わらせないでよ。俺達のSEX観て興奮してた癖に、今更、俺を知る前の元の身体に戻れると思ってるの」
頭から、冷水を浴びせられたかの様な、無理矢理ハッと我に返らされたかの様な、強い衝撃。その子の、甘えや逃げを許さない鋭い眼光は、僕の心臓を貫き、食い破った。
「貴方は俺の物なんだから、ずっと俺の側にいなくちゃ駄目なんだよ。その前提を変えないで、これから二人でどうして行けば良いか考えてくのかが、これから先の課題なのに……もう、それくらい言わなくても分かってよ」
椅子から降りて、床に正座したままだった僕を、氷の様に冷たい眼差しで、上から見据え。
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主観で物事を図り、主観で話を展開し、平然と僕の人間関係を再構築しようとしている克樹を見上げながら、僕は思った。
僕達には、言葉が足りていなかった。対話も、向き合い方も、ずっとずっと、間違えてきた。もっと早く向き合えていたら、こんな結果にはなっていなかっただろうに。こんなにも、会話というものが成り立たない、不健全で歪な関係性にはならなかっただろうに。
ごめんね、お前の苦悩に、葛藤に、いつの間にか黒く澱んでしまった、その思想に、気が付いてやれなくて。僕は、本当に、お前のお兄ちゃん失格だ。
でも、そんなお前の目を、覚ましてやれるのは、きっと、この世界で僕しかいないから。僕は、僕の持てる勇気を全部振り絞って。今、目の前にいるお前を、否定する。
「中学の時、カラオケ行ったよね。みんなと」
『峰岸 瑠衣を解放せよ』
「あの日、女の子も何人かいて。その子達が、みんな、克樹と連絡先交換したくて、僕に間を取り持ってくれないか頼んで来たんだけど、僕、それ全部断ったんだ」
『峰岸 瑠衣を解放せよ』
「ムカついたから。お前目当てで僕に近付いてくる人間も、みんな嫌で。それに、僕、お前の紹介してくれる友達も、本当は、みんな苦手だった」
『峰岸 瑠衣を解放せよ』
「お前と過ごす時間を奪う人間は、みんなみんな、苦手だし、嫌だった。だけど、そんな風に思っちゃう、お前に依存ばかりしている自分が……本当は一番、嫌いだった」
『峰岸 瑠衣を解放せよ』
「友達なんて、本当は、他の誰かが用意するものじゃない。自分で選んで、選ばれて、作っていくものなんだ。僕とお前が、初めて出逢った時、みたいに」
『峰岸 瑠衣を解放せよ』
「僕は、もう、お前の言う通りに、しない。だから、友達も、もう紹介しなくていい。僕は、お前への罪を償いながら、病院に通ってきちんと病気を治して……また、きちんとお前に、謝りに行く」
峰岸 瑠衣を。
「今更、お前の側にいたいとは思えない。思わないように、しないといけない。だから」
解放せよ。
「これからは、お互いに、別々の道を、生きていこう」
僕のこの、ずっとずっと隠し持ってきた気持ちを、高く果てしない大空に向けて解放出来るのは、この世界で、ただ一人。
「僕に、遠くから、君の幸せを、願わせて。そして、僕の知る誰よりも、幸せになって、下さい」
君だけなんだ。
「ずっと、ずっと、愛してた」
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攻め:ヴィクター・ローレンツ
受け:リアム・グレイソン
弟:リチャード・グレイソン
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ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
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給餌行為が求愛行動だってなんで誰も教えてくれなかったんだ!
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まー様企画の「おっさん受けBL企画」参加作品です。
他サイトにも掲載しています。
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※作者の個人的な解釈が含まれています。
※Rシーンがある回はタイトルに☆が付きます。
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