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第二話 俺の初恋は、どうかしている。
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借りている部屋が狭いので、本棚は最初から家具として採用しなかった。本はタブレットで読むから本棚なんて必要無い、とか格好付けているわけでもなく。私生活に本が無いのは、単純に金が無いのが理由だ。だから、借りているワンルームから徒歩10分の場所にある市立図書館は、俺にとって自分の本棚の様な扱いで。流行りのミステリ物に視線をチラチラと寄せつつも、ベストセラーの自己啓発本に手を出したりしながら、バイトに明け暮れる日々にあって、僅かに作れる休みの時間をその場所で潰した。青春只中とも呼べる黄金期を、こんな風に無為に浪費出来るのは、世の中が平和な証拠かもしれないなと思いながらも、奨学金を借りて大学に進んだは良いものの、就職活動に碌な動きを見せずにいる自分の現実逃避にはうってつけなその場所に通い詰めた。
壁一面がガラス張りになっている窓際にある図書スペースには、ゆったりと読書が出来る場所が設けてあって、コンセントとフリーWi-Fiも完備されているので、俺にとってそこは、抜群に快適な時間を過ごせる空間だった。その場所にあるいつもの席に座り、お気に入りの自己啓発本を読むのが俺の楽しみだったのだけど、いつもの場所にその本は無く。どれだけ探しても見当たらないので、誰かに借りられてしまったのかと、肩を落とした。一応、いつ返却予定かくらいは知っておきたいと思えたから、俺は珍しく、司書さんに声を掛けて返却予定日を尋ねる事にした。
しかし、その司書さんの話によれば、誰かに借りられた様子は無いとの事。つまりその本は、この図書館内にある人物の手元にあり、浮遊図書としてこの施設にいる誰かが所持している、という事実が判明したのだった。出版されてから何年か経っている本だったから、珍しい話もあるんだな、と思いつつ、頭を軽く下げてお礼を言ってその場を去ろうとしたのだけど、その司書さんは俺を引き留めて、予約をしていくかどうか尋ねてきた。そう言えば、そんなシステムが存在したな、と思いながら、軽く逡巡していると、俺の隣にスッと並び、カウンターにいる他の司書さんに貸し出し手続きをして欲しいと求める利用客がいて。俺はその人の手の中にあった数冊ある料理本やスポーツ関連書籍の下に、自分が探し回っていたその本が挟まれているのを見つけ、思わず声を上げてしまった。
「……あ」
「……え?」
しまった、と言う時には、もう遅くて。俺の声は、その利用客の耳にまで飛び込んでしまっていた。利用客である男性は、俺を振り返ると、そのままジッと俺を見つめ、俺の次に続く言葉を待っている様な雰囲気を醸し始めた。何か話さなくちゃいけない気持ちになって、あ、その、と言葉にならない単語を口の中で繰り返していると、その利用客の男性は本格的に俺と話す体勢を整えてから。
「なぁ、もしかして、お前、康介か?」
自分の名前を突然言い当てられ、伸ばしっぱなしの前髪と飾り気の無い細縁眼鏡の下にある目をパチクリと瞬く。俺の動揺を知ってか知らずか、その利用客の男性は俺ににっこりと笑い掛けた。
「高校のダンス部で、少しだけど一緒にやっただろ?俺は直ぐに引退しちまったからあんまり関わらなかったけど。もしかして、忘れた?」
懐かしい、ともまだ言い切れない記憶を思い起こすと、確かにその中に、目の前にいる人物が朧げながら存在して、その人が部内においてどんな存在だったのかを併せて思い出し、慌てて首を横に振った。ダンス部には、あまり良い思い出は無かった。虐められはしなかったけれど、当時から前髪をずっと伸ばし続けていたから、周りに与える印象は最悪だったようで。実力的な面で他の部員に引けは取らなかったけれど、だからこそ悪目立ちしていた。だけど俺は、この顔をぶら下げてきた中学までの期間、良い思いなんて一つもして来なかったから、少し距離を置かれるくらいが丁度良くて。だけど、この先輩と、もう一人いた先輩だけは、俺の事を特別可愛がってくれていた。
「原田先輩、変わりませんね」
「お前もな。てか、前髪まだそんな風にしてるの?」
「あ、はい。まぁ……」
「まぁ、それがお前のポリシーなら仕方ないけどさ。勿体ないよ、顔だって性格だって良いのに」
有難い指摘ではあるけど、性格が良いというのは、どうだろうか。だいぶ主観が入っている気がするんだけど。乾いた笑いしか浮かべられない。あまり触れてくれるな、という空気を感じ取ったのか、原田先輩は直ぐに話題を変えてくれた。こうした気遣いに、俺は随分と助けられてきたんだよなと、懐かしい感慨に耽った。
「お前、大学ではダンス続けてるの?」
「いえ、学費の問題もあって、バイトしてます」
「それこそ勿体ないなぁ……だけど、それは仕方ないよな。いっその事、何処かの芸能事務所にでも応募したら?お前の顔とダンスの実力なら、良いとこ行けると思うけど」
「買い被り過ぎですって」
「そうかなぁ、でも、お前もそう思うだろ、未来」
突然、カウンターの向こう側に向けて話を振った原田先輩の声に導かれる様にして。
その、名前の意味に。
その、視線の先にいる人物に。
言葉を失い、ただ見入る。
「うん、僕も、そう思うな。勿体無いよ、康介」
その人は、過去に見た姿とはまるで別人にしか見えない、人畜無害な人物に見事なまでに擬態していた。濡れた様な黒髪に、眉を超えた辺りで真っ直ぐに整えられた長い前髪。厚ぼったい黒縁眼鏡と、チェック柄のベスト。首元までかっちりボタンを留めた白いワイシャツ。あまりに禁欲的なその見た目は、俺を唖然とさせるだけの強烈な衝撃を与えた。
「お前、僕にもずっと気が付いていなかったでしょう?……あんなに可愛がってあげたのに、酷い奴」
どうかしている。
「ねぇ、僕、5時半くらいに上がるんだ。もし、この後予定無かったら、少し話さない?」
俺の初恋は、どうかしている。
借りている部屋が狭いので、本棚は最初から家具として採用しなかった。本はタブレットで読むから本棚なんて必要無い、とか格好付けているわけでもなく。私生活に本が無いのは、単純に金が無いのが理由だ。だから、借りているワンルームから徒歩10分の場所にある市立図書館は、俺にとって自分の本棚の様な扱いで。流行りのミステリ物に視線をチラチラと寄せつつも、ベストセラーの自己啓発本に手を出したりしながら、バイトに明け暮れる日々にあって、僅かに作れる休みの時間をその場所で潰した。青春只中とも呼べる黄金期を、こんな風に無為に浪費出来るのは、世の中が平和な証拠かもしれないなと思いながらも、奨学金を借りて大学に進んだは良いものの、就職活動に碌な動きを見せずにいる自分の現実逃避にはうってつけなその場所に通い詰めた。
壁一面がガラス張りになっている窓際にある図書スペースには、ゆったりと読書が出来る場所が設けてあって、コンセントとフリーWi-Fiも完備されているので、俺にとってそこは、抜群に快適な時間を過ごせる空間だった。その場所にあるいつもの席に座り、お気に入りの自己啓発本を読むのが俺の楽しみだったのだけど、いつもの場所にその本は無く。どれだけ探しても見当たらないので、誰かに借りられてしまったのかと、肩を落とした。一応、いつ返却予定かくらいは知っておきたいと思えたから、俺は珍しく、司書さんに声を掛けて返却予定日を尋ねる事にした。
しかし、その司書さんの話によれば、誰かに借りられた様子は無いとの事。つまりその本は、この図書館内にある人物の手元にあり、浮遊図書としてこの施設にいる誰かが所持している、という事実が判明したのだった。出版されてから何年か経っている本だったから、珍しい話もあるんだな、と思いつつ、頭を軽く下げてお礼を言ってその場を去ろうとしたのだけど、その司書さんは俺を引き留めて、予約をしていくかどうか尋ねてきた。そう言えば、そんなシステムが存在したな、と思いながら、軽く逡巡していると、俺の隣にスッと並び、カウンターにいる他の司書さんに貸し出し手続きをして欲しいと求める利用客がいて。俺はその人の手の中にあった数冊ある料理本やスポーツ関連書籍の下に、自分が探し回っていたその本が挟まれているのを見つけ、思わず声を上げてしまった。
「……あ」
「……え?」
しまった、と言う時には、もう遅くて。俺の声は、その利用客の耳にまで飛び込んでしまっていた。利用客である男性は、俺を振り返ると、そのままジッと俺を見つめ、俺の次に続く言葉を待っている様な雰囲気を醸し始めた。何か話さなくちゃいけない気持ちになって、あ、その、と言葉にならない単語を口の中で繰り返していると、その利用客の男性は本格的に俺と話す体勢を整えてから。
「なぁ、もしかして、お前、康介か?」
自分の名前を突然言い当てられ、伸ばしっぱなしの前髪と飾り気の無い細縁眼鏡の下にある目をパチクリと瞬く。俺の動揺を知ってか知らずか、その利用客の男性は俺ににっこりと笑い掛けた。
「高校のダンス部で、少しだけど一緒にやっただろ?俺は直ぐに引退しちまったからあんまり関わらなかったけど。もしかして、忘れた?」
懐かしい、ともまだ言い切れない記憶を思い起こすと、確かにその中に、目の前にいる人物が朧げながら存在して、その人が部内においてどんな存在だったのかを併せて思い出し、慌てて首を横に振った。ダンス部には、あまり良い思い出は無かった。虐められはしなかったけれど、当時から前髪をずっと伸ばし続けていたから、周りに与える印象は最悪だったようで。実力的な面で他の部員に引けは取らなかったけれど、だからこそ悪目立ちしていた。だけど俺は、この顔をぶら下げてきた中学までの期間、良い思いなんて一つもして来なかったから、少し距離を置かれるくらいが丁度良くて。だけど、この先輩と、もう一人いた先輩だけは、俺の事を特別可愛がってくれていた。
「原田先輩、変わりませんね」
「お前もな。てか、前髪まだそんな風にしてるの?」
「あ、はい。まぁ……」
「まぁ、それがお前のポリシーなら仕方ないけどさ。勿体ないよ、顔だって性格だって良いのに」
有難い指摘ではあるけど、性格が良いというのは、どうだろうか。だいぶ主観が入っている気がするんだけど。乾いた笑いしか浮かべられない。あまり触れてくれるな、という空気を感じ取ったのか、原田先輩は直ぐに話題を変えてくれた。こうした気遣いに、俺は随分と助けられてきたんだよなと、懐かしい感慨に耽った。
「お前、大学ではダンス続けてるの?」
「いえ、学費の問題もあって、バイトしてます」
「それこそ勿体ないなぁ……だけど、それは仕方ないよな。いっその事、何処かの芸能事務所にでも応募したら?お前の顔とダンスの実力なら、良いとこ行けると思うけど」
「買い被り過ぎですって」
「そうかなぁ、でも、お前もそう思うだろ、未来」
突然、カウンターの向こう側に向けて話を振った原田先輩の声に導かれる様にして。
その、名前の意味に。
その、視線の先にいる人物に。
言葉を失い、ただ見入る。
「うん、僕も、そう思うな。勿体無いよ、康介」
その人は、過去に見た姿とはまるで別人にしか見えない、人畜無害な人物に見事なまでに擬態していた。濡れた様な黒髪に、眉を超えた辺りで真っ直ぐに整えられた長い前髪。厚ぼったい黒縁眼鏡と、チェック柄のベスト。首元までかっちりボタンを留めた白いワイシャツ。あまりに禁欲的なその見た目は、俺を唖然とさせるだけの強烈な衝撃を与えた。
「お前、僕にもずっと気が付いていなかったでしょう?……あんなに可愛がってあげたのに、酷い奴」
どうかしている。
「ねぇ、僕、5時半くらいに上がるんだ。もし、この後予定無かったら、少し話さない?」
俺の初恋は、どうかしている。
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