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最終章『そして、彼等は伝説となる』

忠誠と、永遠の愛と

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まるで、言いたい事を全て言い終えたとでも言う様に、雅之はスッキリとした顔をしてから、ぼんやりと立ち尽くしていた背後にいる真司を振り返り、慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。


「これじゃあ、君にとっては全く慰安にはならないよね。ブラック・バカラに頼んで、もっと居心地の良い空間にして貰おう」

「御方……ですが……」

「君は充分に俺の為に自分の力を示してきた。そして、そんな君の築き上げてきた経歴は、誰にも踏みにじれない紛れもない本物なんだ。それを肩書きや役割が気に入らないからといって、他人にとやかく言われる筋合いはない。だから、もっと胸を張って……ね?」


慰撫する様な、穏やかな声色で真司に語りかける雅之のその姿からは、先程まで纏っていた教祖としての威厳と威圧に満ちたオーラはまるで感じられない。真司は、そのギャップに、ギュッと胸が苦しくなった。ずっと自分にときめいていて、なんて良く自分の口で言えたものだと、自分自身に呆れ返る。薔薇の花園で雅之と再会してから、これまで、ずっとずっと、この人にときめいていたのは、真司自身の方だというのに。


一目その姿を見た瞬間に、真司は泣いた。心の中で、大号泣した。態度には表さなかったけれど、心はずっと、雅之への愛を叫び続けていた。声が枯れるほど咽び叫んで、雅之が自分に改めて洗礼をしてくれている時も、態度にはおくびに出さないまでも、真司は雅之のその身体を今にも掻き抱かんとする自分を必死に抑え込んでいた。感情をコントロールする技術を得て、それでいてもなお暴れ狂う雅之への恋心で気が触れてしまいそうになったが、それすらも強靭な精神力でもって抑え込む事になんとか成功した。


何故そこまで真司が努力して、雅之に対して表面上はあっさりとした態度を取らざるを得なかったのか、それには、きちんとした理由があった。


真司は、ブラック・バカラに所属していた頃からずっと、自分が同じ組織の人間達から監視の対象にされている事に気が付いていた。また、薔薇の花園までの移動中も、花園を出て飛行機に乗り、隣国に着いてからも、その先のテーマパークですらも、常に監視の対象とされていたのにも、勿論気が付いていた。薔薇の花園から先はブラック・バカラがその存在を隠さなくなったので、これならまだ、いつもよりストレスを感じないな、と考えてしまうくらい、真司はブラック・バカラの構成員として生きてきたこの一年で、自分が監視を受ける対象になってしまっている事を受け入れ続けてきたのだ。


それだけ、教会関係者に置ける、御方の忠実なる守護者『ケルベロス』に向けた興味関心は強かった、という事だろう。しかし、真司もその辺りに関しては寧ろそうされて当然だろうという印象しかなかったので、その状況はすぐに受け入れはしたのだけれど。とはいえ、ストレスが全く無いかと言われたらそれは別問題だったので、監視役を務めている同僚とも普通にコミュニケーションを計りながら、ふつふつとした怒りを腹の中に抱え込んでいた。


ブラック・バカラの任期を終えて、新庄の最後に用意した関門を突破したとて、状況は変わらず。これで自分に対する監視の目も無くなるのではないか、という真司の淡い期待はあっさりと打ち砕かれた。ならば、いつまで自分は教会から監視を受け続けなくてはならないのかと、強い憤りと焦りを感じながら、雅之による洗礼が行われるまでの間も苛立ちを募らせていたのだが。ついには慰安先にまで監視の手が及んでいる事に気が付いた真司は、ここまできて今までの苦労が水の泡になってしまうのだけは避けねばならないと考えて、強い作用を持つ軍事用に使用されている精神を落ち着ける薬を大量に服薬して、慰安初日である今日に臨んでいた。


何故ならば、そうでもしなければ、真司は雅之に、例えどんな状況であろうとも襲い掛かっていただろうという、強い確信があったからだ。


成長した自分の姿に、雅之が、惚れ惚れして見惚れていてくれている実感を得ていた真司は、表面上はそうと悟らせずにいたが、それに気を良くして、はっきりと調子に乗っていた。必要以上に男らしさを見せつけたり、甲斐甲斐しく世話を焼いたり、自分にきっと胸を高鳴らせてくれているだろう雅之を見ているだけで、嬉しくて堪らなくて。けれど、その場には常にブラック・バカラ達がいて、自分達を終始に渡り見張り続けているのも分かりきっていたから、真司は悪目立ちする様な行動だけはしない様に常に気を張っていたのだった。


部屋に仕掛けられている盗聴器やカメラの数と場所も、潜入のプロでもある真司には手に取る様に分かる。だから、いついかなる時も気を抜かず、また、雅之に自分自身の我欲の矛先を向けない様に、必死になって自分の怒りと情欲とを抑え込んでいた。


三年振りにあった雅之は、それだけ真司にとって、衝撃的な存在だったのだ。


薬を服薬しておいて良かったと、どれだけの瞬間、思った事か。雅之の笑顔、体温、眼差しを向けられる度に、真司の心は大きく掻き乱された。しかし、それを態度として表してはいけない。自分は未だ監視対象とされ、いまは雅之すらもその対象となっている。で、あるならば、自分達の行動は全て、教会の上層部……真司除外派の人間達に筒抜けになっているも同然なのだ。


ここで御方の忠実なる守護者に相応しくない行動や言動を取れば、すぐさま真司はその立場を追われてしまうだろう。雅之や真司擁護に乗り出してくれている薔薇の八大原種四人や、媚薬を盛って雅之を手に入れようとしていたあの幹部の男などは、何故か真司の味方になってくれてはいたが、それでも圧倒的に数に不安が残った。


教会の人間達が数の暴力で立ち向かってきた場合、真司は自分の立場が危うくなるだろう自覚を有していた。勿論、そうなれば雅之も黙ってはいないだろうから、事態は膠着状態を迎える様になるかも知れない。しかし、そんな未来を真司は全く望んでなどいなかったのだ。


本当の意味で真司が望んでいるのは、御方の御身を、その一番側で支え、守り抜く事。決して昔の様な足枷にだけはなるつもりはなかった。真司は、これから先ずっと自分に対する監視の目が無くならずとも、雅之と共に在れるのなら、自分自身の今にも溢れんばかりの我欲を薬や精神力で押さえつけ、振り払いながら生きていく覚悟は出来ていた。例え、薬漬けになった自分がいずれ廃人になろうとも、雅之の為に生きられる人生であるならば、悔いはない。当然、雅之の肌に色を含んだ指先で触れられない生き地獄を味わい、のたうち回るだろうが、それでも真司は、雅之と共に生きていきたかった。


しかし、そんな覚悟を決めて臨んだ初日である今日。初手の初手の段階で、真司は自分自身の限界をまざまざと実感したのだった。


雅之の体調を心配して向かったホテルの寝室で、雅之の服を脱がし、その全身を一眼見て確認しただけで。真司の張り詰めていた理性や信念は、根底から、ぐらり、と大きく揺らいだ。それでも何とかして雅之をバスルームに連れて行き、全力で理性を働かせながら雅之の頭や身体を洗っていったのだが、いざ局部を洗うという段階にきて、真司は、雅之の花芯が緩く勃ち上がっている様を目撃してしまったのだ。


明らかに、期待している。雅之が、愛しい人が、己が全てを捧げてきたその人が、自分を求めている。


それを確認した瞬間、真司は、我を忘れて雅之に襲い掛かりそうになった自分の頬の肉を噛みちぎった。そして、その痛みで理性を取り戻すと、何事も無かったかの様にあっさりと局部の洗浄を終わらせて、バスルームを後にし、一日の服用の限界を著しく超過した量の薬を飲んで、寝室にあるソファーに座って、薬の影響を受けて霞む景色を窓からぼんやりと眺めた。


あれだけの覚悟を決めて臨んだというのに、初日からこのザマとは。このままでは、この四日間で自分は、薬の大量服薬により廃人一歩手前まで追い詰められてしまうかもしれない。雅之と一緒に生きていきたいという一念で、死ぬ物狂いでこれまでやってきたのに。一体何をどうすればいいのか、真司には全く分からなかった。


誰かに相談したとて、それは確実に雅之の耳に入ってしまう。そうすれば雅之は、真司の為に自分自身の立場や権能を振るうかも知れない。しかし、そうすれば雅之は、自分自身の求心力を失って、ひいては教会内での教祖として存続していく事も難しくなり、御方という存在の在り方そのものに関わる問題にまで、問題が波及していっあつしまうかも知れない。


だが、真司は、そんな未来は望んではいない。雅之の覇道を歩むその助けになりたいが為にこれまでやってきたのに、その足枷になってしまうくらいなら、真司は、いっそ自分の命に手を掛けようとまで考えていた。


しかし、もしも、万が一。


雅之が、御方という存在から、ごく普通の人間に身を落としてくれたなら。しかも、その理由が、真司と共に生きる為、という理由であるとするならば。真司は、例えどんな茨の道であろうとも、雅之を守り、支えて、一緒に生きていく覚悟は出来ていた。


神から、稀代の詐欺師に変貌し、崇められる立場から、誹謗中傷の的となり、身を隠す様にひっそりと生きる雅之を、自分が支えていく。贅沢な暮らしはさせてあげられないかもしれない。だけど、そこに溢れる愛だけは、誰よりも、どんな人間よりも、注ぎ込める自信がある。


そう、今の自分には、自信があった。どんな環境にいても、雅之と共に生き延びていける自信が。


だからこそ真司は、雅之が一言、昔の様に『ここから連れ出して』と言ってくれたなら、その言葉に従って、雅之をあの狂った場所から救い出そうという覚悟を固めていた。


昔、果たせなかった、その約束を、今度こそは、と。


しかし雅之は、真司のその微かな希望めいた未来を選び取る様な人間では無かった。そもそも、前提とした雅之の人間像を、幼い頃に泣き噦っていた雅之の記憶と混同する中で、真司がいつの間にか勘違いしていったのも、問題の一端ではあった。


そんなか弱い精神力を有している人間が、死の淵から生還を果たし、世界最大規模を誇る巨大信仰宗教の教祖を長年に渡り継続し、たった一人の人間を囲い込む為に、一から街作りをしようなどと考える筈がない。


神とは、強欲な存在なのだ。そして、その規格外の強欲さが、人々を導いていくのだ。


自分の采配に声にならない異議を唱えた愚者達を、雅之は絶対に許さなかった。例えそれで、信者達の心が自分から離れたとしても、雅之にとっては、その人間達の変わらぬ信仰心よりも、真司一人の方が優先されるからだ。教祖として個人的な利益を追求する雅之に異議があるのだというのであれば、結果で応えるまでであると、雅之はこれまで誠心誠意を傾けて、真司に纏わるこの三年間の経験や情報を、幹部層に向けて惜しみなく発信してきた。そんな真司の経歴を踏み躙り、雅之の誠意に応じず、それでも尚、真司の存在に異議を唱える人間など、雅之には、もはや必要ない存在なのである。


雅之の全身から迸る神々しいオーラを浴びながら、真司は、御方として、教祖として、神としてあるべき姿を体現する雅之に、圧倒された。三年間かけて、様々な人間と対峙し、どんな屈強な戦士を見ても気圧された経験などなかった真司だったが、目の前にいて神としての権能を発揮している雅之を一目確認した瞬間に、身体が勝手に膝を折っていた。


そんな雅之から一身に愛を注がれている己が存在を、どこまでも尊く、得難く感じた。真司の中に信仰という概念が本当の意味で生まれたのは、だから、今この瞬間であったのだと、真司は晩年になって振り返っている。


「俺は、貴方に出会えなかったら、直ぐに何処かで野垂れ死ぬ運命だった。貴方が、俺を見つけてくれたから、貴方が俺を愛してくれたから、今の俺があるんです……俺という人間の持つ全てを、生涯貴方に捧げます」 


真司は、自分の手荷物であるボディバッグから、今日この日の為に用意した、『もう一つの小さな小箱』を急いで取り出すと、洗面台の前にある椅子に座っていた雅之のもとに疾風の如く舞い戻り、跪いた。そして、小箱を開いてその中身を雅之に見せると、自分自身の信仰する『神』である雅之に、祈り、懇請する様な強い眼差しを向けた。


「……これは、もしかして、君の?」


小さな小箱の中に光る、指輪の真ん中にある小さな一粒石をしげしげと覗き込む雅之に、真司は顔をキリッと引き締めて、力強く頷いた。


「はい。アメリカにある海軍特殊部隊に入隊する時に坊主にしまして、これは、その時の髪で作ったダイヤです」


髪を刈り上げられながら、いや、坊主にすると決めた瞬間から、自分にとって、これ以上ない素材だとしか思えなかったその髪を集めて、真司はそれを、一粒のダイヤにした。小箱の中できらりと光るそれを見て、雅之はくすり、と微笑んでから、真司のその力強い眼差しに、自分の視線を絡めた。


「けど、これとは違う物を前にもくれたよね?どうして、またこんな事を?」

「お恥ずかしい話なんですが、薔薇の八大原種の方々に触発されたからです。昔の指輪も気持ちだけは負けていませんが、あれには心しか込められていなかった。だから、あんな風にして、まるで花束を受け取って貰える様にしか、貴方に扱われなかったんです。それが分かったから、もう一度……」

「じゃあ、この指輪には、一体何が込められているの?」


真司は、息を吐いて、大きくまた吸ってから、声に、眼差しに、気合いを込めた。


「覚悟です。貴方と共に、生きていく覚悟が、込められています。何があっても、貴方の幸せは、俺が守る。貴方の笑顔の為に、俺は生きる。だから、貴方のその一番近くにいる権利を、俺に下さい」


誰かに縋り付いて生きる男に、その誰がが心を揺らしたとしならば、そこには間違いなく同情が潜んでいる。真司は、そんな風に情け無い人間にはなりたくなかった。だからこそ、何があっても雅之を守り抜くだけの力を身に付けた。実際、ブラック・バカラ達の現在の包囲網を潜り抜けて、雅之と共にこの場から逃げるのも、今の真司には可能だ。それをする必要は今のところないのだが、真司除外派の人間達がいる限り、油断はしてはならない。だからこそ、雅之にこの話をして指輪を渡すなら、今このタイミングしかないと思った。人生二度目のプロポーズは、スイートルームの洗面台の前で行われた。あまり色気のある場所ではないが、そんな所もまた、真司らしいなと雅之は、笑った。


「ふふ……俺の忠実なる守護者ケルベロス。君に、俺の隣を生きていく権利を与えるよ。薔薇の八大原種に並ぶ、時にはそれ以上の信頼を俺から君に注ぐと誓おう」


真司の、『思ってたんと違う』という釈然としない顔を見て、雅之は堪えきれずに、お腹を抱えて笑った。


「うふ、あはははっ、ごめん、違うよ。今のは、そんな洗礼を間違いなくしましたよって、『みんな』にも分かりやすくしただけだから。真司、君の気持ちは嬉しいよ。だけど、俺の身体は、俺だけの物ではない。それを分かった上で、君はそれを言ったんだよね?……なら、俺に何をどうして貰いたいの?俺は、同性婚が許される国に国籍を移す気はないよ?」


以前一度したプロポーズとは全く違う真摯な反応を見せる雅之に、薬で押さえ付けられている筈の動悸が、止まるところを知らない。どくどくと耳の裏で鳴る鼓動を聴きながら、真司は乾燥した唇を一つ舐めた。


「いつか、この国で同性婚が認められる様になったその時は、俺を生涯の伴侶にして下さい。それまでは、その……事実婚で」

「恋人じゃ、駄目なの?」

「はい。俺は貴方の、唯一無二の夫になりたい」


以前とは比べ物にならないまでに成長を果たし、男が持つ最大級の覚悟でもって、自らの前に跪く真司に、雅之の心は深く揺れた。その動揺が態度に現れたのか、真司は更に雅之に詰め寄った。


「貴方だけの判断では難しいなら、ゆっくりでいい。だけど、せめて婚約だけでもして欲しいんです。そして、一緒のお墓には入れなくても、確かに貴方と家庭を築いたんだという記憶が欲しい。それが胸にあれば俺は……例え貴方を見送っても、きっとすぐに後を追う気にはならないだろうから」

「君は、狡いね。俺を長生きさせたいなら結婚しろだなんて……本当に、狡いよ」

「狡くもなります。貴方の隣に立って、貴方を支えて、守り抜いていく為なら」


愛する男の真摯な言葉に、気持ちに、態度に、思わずこの場で頷いてしまいそうになる。雅之は、天井を仰ぎ見て、はぁ、と身体に籠った熱を解き放つ様にして吐息を漏らしてから、ゆっくりと、真司の真摯なその気持ちと覚悟に応えていった。


「……まずは、この慰安が終わってから考えよう。やはり、どうあっても、俺だけの判断で決められる話ではないから。真司自身も、教会からその存在を認められなければ、教会の人間達は、俺達の関係性を認めないだろう。あのロサ・ダマスケナとロサ・モスカータだって、いまだに表立った関係性は築けていないんだ。結婚とは、事実婚であっても、とても、とても難しい問題なんだよ。だから、まずは目の前にあるものをゆっくりと片付けていこう。だけど、これだけは言わせて」


真司は、またしても不発に終わったプロポーズに、しゅん、と肩を落としていた。そんな真司を可哀想に思いながらも、しかし顔だけは上げさせたくて、雅之は自分なりに懸命になって言葉を選んだ。


「俺が生涯で愛した人は、君だけだ。君以外の男に触られても、俺は心も身体も動かない。君に出会わなければ、君に触れてもらえなければ、俺は人として本来持つ幸せという感情を持てなかった。ありがとう、真司。俺は、誰よりも君を愛してる」

「……雅之さん」


忠実なる信徒であり、誰よりも深い恭順を誓った真司に、身体の芯を貫く程の熱い眼差しで名前を呼ばれ、雅之は、きゅうん、と胸が高鳴って、思わずそこを手で押さえた。すると、真司が徐に小箱から指輪を取り出して、雅之の左手をとり、その薬指に無理矢理指輪を身に付けさせようとし始めた。


「……あ、……真司、待って、みんなが見てる。だから、まだ、……」

「見せよう、もう。雅之さん……これは俺達の絆だから」


そう言って、真司は小箱の台座にあったもう一つの指輪を取り出して、無理矢理雅之の左手に握らせた。雅之の左手薬指には、しっかりと指輪が嵌っている。雅之は、頬を桜色に染めながら、握らされた指輪を握り締め、真司の差し出された左手を、じっと眺めた。その左手には、見た事の無い傷がいくつもついていて。雅之の心に、つきん、というガラスの棘が刺さった様な痛みが走った。


「こんなに、怪我したの?」

「ええ、でも、神経も全部繋がってますし、欠損もないでしょう?大丈夫ですよ」


大丈夫の基準がこの三年でおかしくなってしまった真司を、こんな風にしたのは自分なんだという思いで、雅之の胸は罪悪感と僅かな興奮で満たされた。自分を守るため、支えるため、愛し抜くために自らを成長させ、真司は変わった。強靭な、何者にも屈しない、強い男に。


恐る恐る、その左手に触れ、傷をゆっくりと辿っていく。真司は、擽ったそうに、くすり、と笑いながら、愛おしげに雅之をじっと見つめた。


「指輪を付けてくれたら、さっさとこの部屋にある盗聴器とカメラを外しにいきます。終わったら貴方を、明日の朝まで離すつもりはないので、そのつもりで心の準備をしていて下さい」


言葉選びの率直さに、どきり、としたが、雅之はそれに小さく頷いた。そして、微かに緊張と興奮、そして、いまこの状況を見ているだろう教会の人間達を出し抜く爽快感を感じながら、雅之は、真司の左手薬指に、自分の分とは対となる指輪を、ゆっくりと嵌めていった。


「雅之さん……御方、嬉しいです。本当に、本当に、嬉しい。俺を選んで頂いて、これまでずっと導いて下さって、ありがとうございます。変わらぬ忠誠と、止まるところを知らない愛を、生涯貴方だけに捧げます」


真司は、雅之の足の爪先にキスを落とすと、そこから膝立ちになって、雅之を下から掬い上げる様にして抱き締めた。そして、頬に手のひらを当てて顔を固定し、そのまま夢中で雅之の唇を吸った。ちゅっ、ちゅっ、というリップ音を立てながら、パジャマの上から全身を撫で上げていく。そして、雅之の耳元で熱く囁いた。


「貴方を絶対に襲わない様に、精神を落ち着かせる薬を大量に飲んでいるので、俺の身体は明日になるまで反応しません。だから、貴方の身体の隅々まで、触れて確かめさせて。貴方が、この三年間本当に俺しか知らなかったんだって」


パジャマのズボンの上から、じっくりと尻たぶを撫で回し、本当に薬で身体の熱が押さえつけられているのか甚だ疑問な反応を見せる真司の腕の中で、あん、と未来に寄せる想像をして小さく身を振るわせる雅之の首筋に強く吸い付いて、真司は紅い薔薇の花弁を散らした。最初のうちは雅之も嫌がったが、ぺちゃぺちゃとその部分に執拗に舌を這わして『ごめんなさい』を示してくる真司に、次第に諦めた様な表情を浮かべていった。そして、そんな雅之のその口元には、心の底から満たされた人間の微笑みが浮かんでいた。


「明日からは、温泉地に移動して個室露天風呂付きの旅館に二泊する予定ですから、部屋から一歩も出ない様にしましょう。俺が、全部、お風呂も、お手洗いも、お食事もお世話しますね」

「それじゃあ、君の慰安にならないんじゃない?」

「何言ってるんですか?それ以上の贅沢が、俺にあるわけないでしょう。変な事を言わないで下さい」


力説する真司に、雅之が思わず吹き出してしまうと、その笑顔を見た真司が、瞳を輝かせながら、本当に幸せそうな笑みを浮かべた。


その笑顔は、三年もの間、想像を絶する人間の悪意と残虐性を目にしてきた人間のそれとは思えないくらい、純粋な物に見えた。


しかし、これは、この男が、大量に服薬した薬の効力が最大限に生かされている結果だからこそ。雅之に向ける、三年間どろどろに煮詰め続けてきた深く濃く赤黒い想いは、いまだ開花どころか芽吹きすらも迎えていない状態だったのだ。


キスをして、お互いの身体に優しく触れて、戯れ合いながら、和やかな夜を過ごしたのは、四日間ある慰安のうち、初日のみ。


谷川 真司という、地獄を見て、また自らの手で地獄を作り上げてきた男の、三年間掛けて募りに募らせた雅之への狂愛と、驕り高ぶったはちきれんばかりの肉欲を、雅之がその身に受ける様になるのは、次の日……四日間予定されている『慰安旅行』の、二日目からの事だった。
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