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言葉にすれば容易いが
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「こないだの、あれ、どうする?」
「ああ、あれね。安かろう悪かろう的な……」
「まだ言ってんの」
「いやでも、だってさ、実際そうじゃないですか」
「でも、吃驚するくらいジャストフィットだったじゃん。あれ一から作るとなると……無いよ、無い。材料費と手間暇考えたら、絶対に買った方が良い」
「言いたい事は分かりますよ。でも、べランピング用にテーブルと椅子用意して、実際にそれ使いますかってのが、そもそもね?」
「そっから?お前、そっから話す?」
同じベッドの上で素肌を晒して、腕の中にいるその人から、コイツ信じられない、的な顔を向けられる。今年に入ってから、これで見るの何度目だろう。つい先日、ベッド下から丸まった埃だらけの片方だけの靴下を発掘した時も、同じ様な顔をしていた。隣にあるグラビア雑誌の方には反応しないんですね、と頭の隅で思いながら平謝りして、慣れって怖いなぁ、なんて他人事の様に考えたりしたけれど。俺があの雑誌を購入した理由はグラビア雑誌のメインであるグラビア写真の方ではなく、その雑誌の後方に位置して掲載されている、貴方の担当したコラムの方なんですが、という言い訳すら口にさせてくれない貴方に、俺は俺なりに、ほんの少しだけ不満はあったりするわけなんですよ。今の貴方程じゃありませんがね。
「偶には外の空気吸いながら飯食うのも良いですよね、とか言って乗り気になってたの、どこのどいつよ」
「あれは、観光地だったから言ってみただけで。開放的になった、その場の空気とかあるじゃないですか」
「間に受けた方が悪いみたいな?ふーん、そう、そう来る。なら、その後の話は何だったんだよ」
「え?何でしたっけ……何言った?俺」
「まさか、七輪置く置かないの下り、全く覚えてないの?僕が、めっちゃ必死で止めたやつ」
「ええ?七輪?……炭の?」
「そう。普通に考えて、頭可笑しいだろ。僕もそう思う」
あー、ない事になってるな、頭の中で。最近、良くあるんだよなぁ、こういうの。大抵は、その時のアルコールの所為なんだろうけど。会話自体が適当になってるっていうか、その場の思いつきで言葉にしてるから、記憶にすら残らない。昔は、特に思春期の頃なんかは、この人の一挙一動が気になって仕方なくて、瞬き一つすら見過ごさない様に、全身の気力を振り絞って会話したりしてたけど。その時の反動かなぁ……良くないよね、こういうの。
釣った魚に餌やらないとまでは行かないけど、本当に良くない。高嶺の花とまでの扱いじゃないにしろ、この人が俺の手元にまで降りてきてくれた時は、この世の奇跡を体現したとばかりのこの人を、精巧なガラス細工の様に扱ったりもしたけど。あれも、良くなかったね。相手は生きてる人間な訳だから。大切にするって言葉を履き違えてましたよね、完全に。
それにしても、自分なりの工夫をして、ぶつかり合って丸まって、この人を、天使や神様なんかじゃなく、地上に生きるただ一人と認めるまで、本当に苦労してきたよなぁ。つまり、今のこの現状は、その当時の苦労を重ねてきた結果でもある訳なんだよね。世間一般に言う倦怠期とかと、簡単に一括りにはされたくないし、この人にも、その辺の勘違いはして欲しくはないし。なので、今回の件はきちんと反省します。
「ベランダで七輪は、流石に……」
「言ったよ、僕。今のお前と同じ事。だから、本格的に七輪セット置くんじゃなくて、せめて、作った料理を並べて食べるだけのべランピングくらいに収めてって説得して……それからの流れだったのに」
特別アウトドア気質な人って訳でも無いのに、突然こんな話に乗り気になり始めたから、何事かと思ってましたよ。なるほどねー、そんな会話の流れがあったのか。それなのに当の本人である俺が、若干押し負けてたり、乗り気になってなかったり、他人事にしてたら、こうなりますよね。泣きまではしないけど、不満には思うよね。
「ごめん、渚。七輪は冗談としてさ、べランピングの話は先に進める?」
「……別に、僕がしたくて言ってた話じゃないし」
思いっきり拗ねてる。この人、こうなると長いんだよなぁ。一回ヤれば済んじゃうんだけど、そればっかりしちゃうとね。今日だって、俺が、この人と同僚との距離感の近さについて文句を言って、それだけだと腹の虫が治らず滾々と説教して、この人を必要以上に精神的に追い詰めてしまったツケを払うべく、似た様な流れでベッドインした訳だし。流石に、二番煎じばかりしていたら、いつかこの手は通用しなくなるから、甘えてばかりはいられない。でもなあ、こういう時のこの人、めっちゃエロいんだよね。末期なのかなぁ……多分だけど、これも良くないよなぁ。癖になってるもんね、絶対に。
初めのうち、拗ねていたのは俺の方だったけど、説教していくうちに、次第にこの人の方が拗ね始めて。何で素直に、もう紛らわしい真似はしないと反省せずに、言い訳ばかり口にするかなと、俺自身も、次第に呆れ返っていったけれど。段々と、一方的に責め続けるのにも疲れてきて。すると、身体が勝手に癒しを求め始めて。気が付いたら、半泣きになっていたこの人を、シーツに縫い付けて、上から覆い被さる様にキスしていた。
なんで、こんな日に限って、ドラッグストアにフラッと立ち寄ってしまったのか。今日こそは、絶対に、付けなくても大丈夫な日だったのに。帰り道、話し合いをする為という名目でこの人を会社まで迎えに行って、久し振りに隣にこの人がいたもんだから、いつも以上に、ちゃんとしてしまった。
付き合って長いし、それなりに紆余曲折を経てはきたけれど。それでも、やっぱりまだ、格好付けたいとか、そんな0.01㎜の見栄を張りたいとか、ある程度はパートナーに対して気遣いが出来る男でありたいとか、あるんですよね。喧嘩してても、何か空気悪くなっても、そこはさ、最低限だから。男の落とし所として。
「ベランダ使ったりしながら宅飲み充実させて行ったら、今よりもっと外行かなくなるね。そしたら貯金も出来るし、そろそろ家とかも考えていいよね」
この人の隣にいると、ちゃんとしたい、と思える。俺達の始まりが、ちゃんとしていなかったから、余計に。だから、お互いの帰る場所くらいは、ちゃんと用意したいと思えたんだ。口に出して言っては来なかったけれど、俺達がこんな関係になった、最初から。
「……僕は、家なんてなくても」
「うん、知ってる。でもね、やっぱり、あると無いとじゃ違うから」
「何が?」
「責任感とか、罪の重さ」
良くないよなぁ、本当。この人のこんな顔、定期的に見たくなるのも、辞められたらいいのに。だけど、俺はもっとこの人を雁字搦めにしたい。俺自身に、住処に、罪の意識に、この人を縛り付けたい。
ちゃんと。
「悠、やっぱり、家はやめようよ」
「何で?怖くなった?」
「そうじゃない。そうじゃないけど、でも……本当に、後戻り出来なくなるから」
「そんなに思い詰めなくても。今時、珍しくも無いでしょ、兄弟で家買うくらい」
お金を貯めて家を買ったら、犬を飼おう。その庭だったら、きっと思う存分、俺と貴方のしたい事が出来るはず。ご近所付き合いもあまり関係が無い、俺達の縁のゆかりも無い土地に住んで、今まで二人で出来なかった事を、積み重ねて来れなかった思い出を、決して思い遣れなかった感情の其々を、二人で、一から築き上げて行きたい。
「中古でも良いけど、人の目があるから、新築もいいかなって。渚は、どう思う?」
「僕、ここでいい」
「どうして?ここ、貴方にとっては、あんまり良い思い出ないでしょ」
煮え切らない態度を示すこの人に焦れて、何回当てつけで、この部屋に女を連れ込んだタイミングで、この人を呼びつけてきたか。俺の当時の心境を思えば、何故そんな残酷な行動に及べたのかは分からなくもないけれど。俺自身にとっても、この部屋自体、当時の苦い記憶をまざまざと思い起こさせるスイッチを所々に内蔵しているから。この場所を終の住処には選びたくないという気持ちに、違いはなかった。
「嫌な思い出ばかりじゃないから。お前と初めてキスしたのも、ここだったし」
キスだけじゃない。こうして、両親の再婚により、血の繋がらない兄弟となった俺達が、肌膚を交わす様になったのも、この部屋が始まりだった。そう考えてみれば、確かに、俺達にとっての歴史の様々を見送り続けてきたこの部屋に、思い入れが無いとは言い切れないけれど。
「貴方、そんな綺麗な人じゃないでしょ。本音はどうなの」
この人は、俺が扉の隙間から覗き見ているのを知りながら、その唇を、俺と共同で使っていた部屋に連れ込んだ同級生に許した人だから。きっと、この人の中にある本心は、こんなにも綺麗なばかりの物なんかじゃないと、確信を持って尋ねた。
「顔も知らないけど、ピアスとか、ネックレスとか、態とらしい落とし物する人いたじゃん」
「うん。それで?」
「まだ、見つかってないんだ、このベッドの周りからは。普通なら、髪の毛の一、二本くらい仕込んでも可笑しくないのに」
言わんとする事の意味を知り、そして深く思い知る。この人は、小手先程度の誤魔化しが通用する人なんかじゃないのだと。だからこそ思う。貴方がそんな人間だからこそ、俺はこんなにも、自分自身の初恋を拗らせてしまったのだと。
「だから、気にならないんだ、この部屋に住み続けるの。お互いに、色んな初めてを積み重ねてきたね、って言う思い出があるだけだから」
「……ふぅん」
「なんで拗ねるの」
「別に、拗ねてないですよ」
「なら、こっち向いて。顔見て話がしたいから」
「嫌だ」
「どうして?」
俺は全部、貴方が初めてだった。初恋も、キスも、セックスも、本当に全部。なのに、貴方はそうじゃないから。だから拗ねてるんです。なんて、言えるはずが無いじゃないか。俺が貴方を抱く側なのに、だから立場的に見ても、何だか格好悪いし。もう、全部遅いけど。丸分かりでしょうしね、態度で。
「キス、お前の方が、あいつより先だったよ」
気付いていたのか。あの夜、貴方は、本当はずっと、起きていたのか。貴方が高校に上がる直前の、春休み。その高校の制服に身を包んだ貴方に、確かな欲を見出してしまった自分自身に、深く絶望して。だけど、どうあっても、その日その内に生まれた熱を、そのまま胸の中に取り置けなかった。
あの、惨めで堪らない夜にしたキスを、貴方はずっと覚えていたのか。
「もう一度、起きてる時にして、なんて、僕からは、強請れないでしょう」
「強請れば良かったのに」
「無理だよ」
「何で?」
「……止まらないもの」
『止められない』ではなく、『止まらない』。その言葉の持つ意味の違いに、かつて、この人が俺を前にして押さえ込んできた激情の発露を、其処に見て。
「ねぇ、渚。やっぱり家買おうよ」
言葉にすれば容易い、その感情を、持て余した。
「こないだの、あれ、どうする?」
「ああ、あれね。安かろう悪かろう的な……」
「まだ言ってんの」
「いやでも、だってさ、実際そうじゃないですか」
「でも、吃驚するくらいジャストフィットだったじゃん。あれ一から作るとなると……無いよ、無い。材料費と手間暇考えたら、絶対に買った方が良い」
「言いたい事は分かりますよ。でも、べランピング用にテーブルと椅子用意して、実際にそれ使いますかってのが、そもそもね?」
「そっから?お前、そっから話す?」
同じベッドの上で素肌を晒して、腕の中にいるその人から、コイツ信じられない、的な顔を向けられる。今年に入ってから、これで見るの何度目だろう。つい先日、ベッド下から丸まった埃だらけの片方だけの靴下を発掘した時も、同じ様な顔をしていた。隣にあるグラビア雑誌の方には反応しないんですね、と頭の隅で思いながら平謝りして、慣れって怖いなぁ、なんて他人事の様に考えたりしたけれど。俺があの雑誌を購入した理由はグラビア雑誌のメインであるグラビア写真の方ではなく、その雑誌の後方に位置して掲載されている、貴方の担当したコラムの方なんですが、という言い訳すら口にさせてくれない貴方に、俺は俺なりに、ほんの少しだけ不満はあったりするわけなんですよ。今の貴方程じゃありませんがね。
「偶には外の空気吸いながら飯食うのも良いですよね、とか言って乗り気になってたの、どこのどいつよ」
「あれは、観光地だったから言ってみただけで。開放的になった、その場の空気とかあるじゃないですか」
「間に受けた方が悪いみたいな?ふーん、そう、そう来る。なら、その後の話は何だったんだよ」
「え?何でしたっけ……何言った?俺」
「まさか、七輪置く置かないの下り、全く覚えてないの?僕が、めっちゃ必死で止めたやつ」
「ええ?七輪?……炭の?」
「そう。普通に考えて、頭可笑しいだろ。僕もそう思う」
あー、ない事になってるな、頭の中で。最近、良くあるんだよなぁ、こういうの。大抵は、その時のアルコールの所為なんだろうけど。会話自体が適当になってるっていうか、その場の思いつきで言葉にしてるから、記憶にすら残らない。昔は、特に思春期の頃なんかは、この人の一挙一動が気になって仕方なくて、瞬き一つすら見過ごさない様に、全身の気力を振り絞って会話したりしてたけど。その時の反動かなぁ……良くないよね、こういうの。
釣った魚に餌やらないとまでは行かないけど、本当に良くない。高嶺の花とまでの扱いじゃないにしろ、この人が俺の手元にまで降りてきてくれた時は、この世の奇跡を体現したとばかりのこの人を、精巧なガラス細工の様に扱ったりもしたけど。あれも、良くなかったね。相手は生きてる人間な訳だから。大切にするって言葉を履き違えてましたよね、完全に。
それにしても、自分なりの工夫をして、ぶつかり合って丸まって、この人を、天使や神様なんかじゃなく、地上に生きるただ一人と認めるまで、本当に苦労してきたよなぁ。つまり、今のこの現状は、その当時の苦労を重ねてきた結果でもある訳なんだよね。世間一般に言う倦怠期とかと、簡単に一括りにはされたくないし、この人にも、その辺の勘違いはして欲しくはないし。なので、今回の件はきちんと反省します。
「ベランダで七輪は、流石に……」
「言ったよ、僕。今のお前と同じ事。だから、本格的に七輪セット置くんじゃなくて、せめて、作った料理を並べて食べるだけのべランピングくらいに収めてって説得して……それからの流れだったのに」
特別アウトドア気質な人って訳でも無いのに、突然こんな話に乗り気になり始めたから、何事かと思ってましたよ。なるほどねー、そんな会話の流れがあったのか。それなのに当の本人である俺が、若干押し負けてたり、乗り気になってなかったり、他人事にしてたら、こうなりますよね。泣きまではしないけど、不満には思うよね。
「ごめん、渚。七輪は冗談としてさ、べランピングの話は先に進める?」
「……別に、僕がしたくて言ってた話じゃないし」
思いっきり拗ねてる。この人、こうなると長いんだよなぁ。一回ヤれば済んじゃうんだけど、そればっかりしちゃうとね。今日だって、俺が、この人と同僚との距離感の近さについて文句を言って、それだけだと腹の虫が治らず滾々と説教して、この人を必要以上に精神的に追い詰めてしまったツケを払うべく、似た様な流れでベッドインした訳だし。流石に、二番煎じばかりしていたら、いつかこの手は通用しなくなるから、甘えてばかりはいられない。でもなあ、こういう時のこの人、めっちゃエロいんだよね。末期なのかなぁ……多分だけど、これも良くないよなぁ。癖になってるもんね、絶対に。
初めのうち、拗ねていたのは俺の方だったけど、説教していくうちに、次第にこの人の方が拗ね始めて。何で素直に、もう紛らわしい真似はしないと反省せずに、言い訳ばかり口にするかなと、俺自身も、次第に呆れ返っていったけれど。段々と、一方的に責め続けるのにも疲れてきて。すると、身体が勝手に癒しを求め始めて。気が付いたら、半泣きになっていたこの人を、シーツに縫い付けて、上から覆い被さる様にキスしていた。
なんで、こんな日に限って、ドラッグストアにフラッと立ち寄ってしまったのか。今日こそは、絶対に、付けなくても大丈夫な日だったのに。帰り道、話し合いをする為という名目でこの人を会社まで迎えに行って、久し振りに隣にこの人がいたもんだから、いつも以上に、ちゃんとしてしまった。
付き合って長いし、それなりに紆余曲折を経てはきたけれど。それでも、やっぱりまだ、格好付けたいとか、そんな0.01㎜の見栄を張りたいとか、ある程度はパートナーに対して気遣いが出来る男でありたいとか、あるんですよね。喧嘩してても、何か空気悪くなっても、そこはさ、最低限だから。男の落とし所として。
「ベランダ使ったりしながら宅飲み充実させて行ったら、今よりもっと外行かなくなるね。そしたら貯金も出来るし、そろそろ家とかも考えていいよね」
この人の隣にいると、ちゃんとしたい、と思える。俺達の始まりが、ちゃんとしていなかったから、余計に。だから、お互いの帰る場所くらいは、ちゃんと用意したいと思えたんだ。口に出して言っては来なかったけれど、俺達がこんな関係になった、最初から。
「……僕は、家なんてなくても」
「うん、知ってる。でもね、やっぱり、あると無いとじゃ違うから」
「何が?」
「責任感とか、罪の重さ」
良くないよなぁ、本当。この人のこんな顔、定期的に見たくなるのも、辞められたらいいのに。だけど、俺はもっとこの人を雁字搦めにしたい。俺自身に、住処に、罪の意識に、この人を縛り付けたい。
ちゃんと。
「悠、やっぱり、家はやめようよ」
「何で?怖くなった?」
「そうじゃない。そうじゃないけど、でも……本当に、後戻り出来なくなるから」
「そんなに思い詰めなくても。今時、珍しくも無いでしょ、兄弟で家買うくらい」
お金を貯めて家を買ったら、犬を飼おう。その庭だったら、きっと思う存分、俺と貴方のしたい事が出来るはず。ご近所付き合いもあまり関係が無い、俺達の縁のゆかりも無い土地に住んで、今まで二人で出来なかった事を、積み重ねて来れなかった思い出を、決して思い遣れなかった感情の其々を、二人で、一から築き上げて行きたい。
「中古でも良いけど、人の目があるから、新築もいいかなって。渚は、どう思う?」
「僕、ここでいい」
「どうして?ここ、貴方にとっては、あんまり良い思い出ないでしょ」
煮え切らない態度を示すこの人に焦れて、何回当てつけで、この部屋に女を連れ込んだタイミングで、この人を呼びつけてきたか。俺の当時の心境を思えば、何故そんな残酷な行動に及べたのかは分からなくもないけれど。俺自身にとっても、この部屋自体、当時の苦い記憶をまざまざと思い起こさせるスイッチを所々に内蔵しているから。この場所を終の住処には選びたくないという気持ちに、違いはなかった。
「嫌な思い出ばかりじゃないから。お前と初めてキスしたのも、ここだったし」
キスだけじゃない。こうして、両親の再婚により、血の繋がらない兄弟となった俺達が、肌膚を交わす様になったのも、この部屋が始まりだった。そう考えてみれば、確かに、俺達にとっての歴史の様々を見送り続けてきたこの部屋に、思い入れが無いとは言い切れないけれど。
「貴方、そんな綺麗な人じゃないでしょ。本音はどうなの」
この人は、俺が扉の隙間から覗き見ているのを知りながら、その唇を、俺と共同で使っていた部屋に連れ込んだ同級生に許した人だから。きっと、この人の中にある本心は、こんなにも綺麗なばかりの物なんかじゃないと、確信を持って尋ねた。
「顔も知らないけど、ピアスとか、ネックレスとか、態とらしい落とし物する人いたじゃん」
「うん。それで?」
「まだ、見つかってないんだ、このベッドの周りからは。普通なら、髪の毛の一、二本くらい仕込んでも可笑しくないのに」
言わんとする事の意味を知り、そして深く思い知る。この人は、小手先程度の誤魔化しが通用する人なんかじゃないのだと。だからこそ思う。貴方がそんな人間だからこそ、俺はこんなにも、自分自身の初恋を拗らせてしまったのだと。
「だから、気にならないんだ、この部屋に住み続けるの。お互いに、色んな初めてを積み重ねてきたね、って言う思い出があるだけだから」
「……ふぅん」
「なんで拗ねるの」
「別に、拗ねてないですよ」
「なら、こっち向いて。顔見て話がしたいから」
「嫌だ」
「どうして?」
俺は全部、貴方が初めてだった。初恋も、キスも、セックスも、本当に全部。なのに、貴方はそうじゃないから。だから拗ねてるんです。なんて、言えるはずが無いじゃないか。俺が貴方を抱く側なのに、だから立場的に見ても、何だか格好悪いし。もう、全部遅いけど。丸分かりでしょうしね、態度で。
「キス、お前の方が、あいつより先だったよ」
気付いていたのか。あの夜、貴方は、本当はずっと、起きていたのか。貴方が高校に上がる直前の、春休み。その高校の制服に身を包んだ貴方に、確かな欲を見出してしまった自分自身に、深く絶望して。だけど、どうあっても、その日その内に生まれた熱を、そのまま胸の中に取り置けなかった。
あの、惨めで堪らない夜にしたキスを、貴方はずっと覚えていたのか。
「もう一度、起きてる時にして、なんて、僕からは、強請れないでしょう」
「強請れば良かったのに」
「無理だよ」
「何で?」
「……止まらないもの」
『止められない』ではなく、『止まらない』。その言葉の持つ意味の違いに、かつて、この人が俺を前にして押さえ込んできた激情の発露を、其処に見て。
「ねぇ、渚。やっぱり家買おうよ」
言葉にすれば容易い、その感情を、持て余した。
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