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第一話 鼈甲眼鏡の店主
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地元民には観光客向けで住み心地が悪いと眉を顰められ、観光客はそれを肌感覚で感じながらも、恩恵を与える立場である事を自覚し、だからどうしたと開き直って闊歩しているその街は、彼女のお気に入りのデートスポットだった。
親と、親の仕事筋の知り合いからの紹介で、世間一般に言う交際を始めた俺達は、この場所に足を踏み入れてもう三度目になる。彼女はこの街の常連の様な顔をして意気揚々としているが、雑誌やSNSで話題のスポットを浚っているだけの関わり方しかしておらず、本当にこの街に詳しい人間からしてみたら鼻で笑われてしまう様な知識と経験しか培っていなかった。そんな所も可愛い、と蝶よ花よと育ってきたと思われる自己肯定感の高い彼女と過ごしていると、自分の偏屈さと心の狭さに辟易とする時もあるけれど、基本的にプラス思考な彼女といると自分自身の矮小さも何処と無く誤魔化せる様な気がして、これも他人を利用した生き方の一つなのかもしれないな、と最近では感じ始めている。
彼女だけでなく、周囲の人間も、自分自身すら騙くらかそうとしている俺にとって、彼女という存在は、ある意味で救いの存在だった。何故なら彼女は素直過ぎて、貴女を大切に思っているので、婚前交渉は考えていない、と言う俺の口から出まかせを信じきっているからだ。裏を返せば、今すぐにでも手を出したいと言う衝動を抑えられるだけしか、貴女に性的魅力を感じません、という話になってしまうのだけど、彼女はそれを、本気で自分を愛してくれているからだと真面目に捉えている。罪悪感が無いわけじゃない。彼女は、本当に素直で優しく、明るい子だ。友達として考えるなら、これ以上ない存在だと思えたし、彼女といる時間は、俺にとって安らぎを感じる物だった。
しかし、ただ、それだけの関係でしかない。
こんな場所に、お茶屋さんなんてあるんだね、と感想を漏らした彼女の眼差しには、既にその店に対する興味関心は感じ取れない物になっていた。だから、てっきりいつもの様に素通りするかと思ったのだけど、彼女は俺の予想を裏切り、店内へと足を進めた。このお店に入っていい?と伺いを立ててこない所が彼女らしい。どうせ入るつもりならいちいち聞いてこなくてもいいだろう、という突っ込みを入れる隙を与えない彼女の、女の鬱陶しさがあまり無い所には、好感を持っていた。
彼女に続いて店内に入った瞬間に、今まで嗅いだ事の無い、スッキリとした清廉な香りに全身が包まれた。これだけ香りが店内に充満しているのだから、商品の取り扱いに粗があるのかと思いきや、レジ横にカウンターバーが備え付けられていて、そこで店員らしき人が、男女のカップルを相手に丁寧な手付きで紅茶を淹れていた。成る程、だからかと、内心で納得する。紅茶専門店と謳っているだけあり、誤魔化しの効かない本物を取り扱っているのだろう。店に入った瞬間の、素人の俺ですらそう感じるのだから、観光客向けに商売をしている店とは若干の毛色の違いを感じざるを得なかった。
「いらっしゃいませ。ただいま他のスタッフが参りますので、どうぞ遠慮無く、奥まで進んで下さい」
紅茶を丁寧な手付きで淹れていた店員が、入り口付近にいた俺達に向けて、にこりと微笑んだ。前髪をやんわりと撫で上げてある鼈甲眼鏡を掛けた長身の男性は、一部の隙もなくその場所にあって、俺達を穏やかに出迎えた。彼の佇まいを見た瞬間に、俺はしまった、と唐突に焦りを抱いた。自分で言うのも何だが、彼女は俺を始めとして男性の顔に目が無く、店員が男性で、更に言えば顔が良ければ良い程、店内滞在時間が長くなる傾向がある。そして、店員が勧めてきた物には多大なる興味を示し、それをその場で即決してしまうのだ。今までは、それがまかり通る環境にあったから問題は無かったのだけど、今一緒にいるのは、貴女の父親ではないのだから、申し訳ないけれど、恥ずかしいから、あまりはしゃがないで頂きたいというのが俺の率直な意見だった。
「いらっしゃいませ。何か気になる商品が御座いましたら、仰って下さいね」
鼈甲眼鏡の店員から促された通り、もう一人の店員が店の奥から現れた。髪染めを一度もした事が無い様な、真面目そうな見た目の青年だ。此方も黒縁の眼鏡を掛けていて、細目がちな其れを余計に小さく見せている。似合う似合わないというよりは、親から買って貰った物や、昔から使い馴染みのある代物を、後生大切に使い続けています、という雰囲気を感じ取った。全体的に細身で、女性に見紛う様な物では無いにしろ、中性的な面立ちをしている。パッと見の印象で語り過ぎている感は否めないけれど。
はっきりと、自分好みだと思った。
彼女を同伴せずに店に訪れる様になるのも、それから先は時間の問題で。この癖は、例え結婚して身を固めたとしても、生涯治りそうも無いな、と自嘲しつつ、俺は彼がカウンターで淹れてくれる紅茶を飲みながら談笑し、次第に彼との距離を詰めていった。帰りには、彼が勧めてくれた紅茶を少量だけ購入し、また来ます、と言って寂しげな笑みを浮かべ、店先で別れるのを繰り返していく。そして、いつしか彼が名残惜しそうな雰囲気を醸し始めたところを見計らって、連絡先を書いた紙を渡した。
困惑と当惑、そして微かな喜色を彩る彼に、この連絡先が直ぐに活用され、そして彼自身が俺の手の内に落ちてくる未来を予測し、内心でほくそ笑んでいると。
「……ごめんなさい。僕、いま、付き合っている方がいるんです」
彼のその視線の先には、常連客とカウンター越しに談笑している、鼈甲眼鏡の店主が居た。
地元民には観光客向けで住み心地が悪いと眉を顰められ、観光客はそれを肌感覚で感じながらも、恩恵を与える立場である事を自覚し、だからどうしたと開き直って闊歩しているその街は、彼女のお気に入りのデートスポットだった。
親と、親の仕事筋の知り合いからの紹介で、世間一般に言う交際を始めた俺達は、この場所に足を踏み入れてもう三度目になる。彼女はこの街の常連の様な顔をして意気揚々としているが、雑誌やSNSで話題のスポットを浚っているだけの関わり方しかしておらず、本当にこの街に詳しい人間からしてみたら鼻で笑われてしまう様な知識と経験しか培っていなかった。そんな所も可愛い、と蝶よ花よと育ってきたと思われる自己肯定感の高い彼女と過ごしていると、自分の偏屈さと心の狭さに辟易とする時もあるけれど、基本的にプラス思考な彼女といると自分自身の矮小さも何処と無く誤魔化せる様な気がして、これも他人を利用した生き方の一つなのかもしれないな、と最近では感じ始めている。
彼女だけでなく、周囲の人間も、自分自身すら騙くらかそうとしている俺にとって、彼女という存在は、ある意味で救いの存在だった。何故なら彼女は素直過ぎて、貴女を大切に思っているので、婚前交渉は考えていない、と言う俺の口から出まかせを信じきっているからだ。裏を返せば、今すぐにでも手を出したいと言う衝動を抑えられるだけしか、貴女に性的魅力を感じません、という話になってしまうのだけど、彼女はそれを、本気で自分を愛してくれているからだと真面目に捉えている。罪悪感が無いわけじゃない。彼女は、本当に素直で優しく、明るい子だ。友達として考えるなら、これ以上ない存在だと思えたし、彼女といる時間は、俺にとって安らぎを感じる物だった。
しかし、ただ、それだけの関係でしかない。
こんな場所に、お茶屋さんなんてあるんだね、と感想を漏らした彼女の眼差しには、既にその店に対する興味関心は感じ取れない物になっていた。だから、てっきりいつもの様に素通りするかと思ったのだけど、彼女は俺の予想を裏切り、店内へと足を進めた。このお店に入っていい?と伺いを立ててこない所が彼女らしい。どうせ入るつもりならいちいち聞いてこなくてもいいだろう、という突っ込みを入れる隙を与えない彼女の、女の鬱陶しさがあまり無い所には、好感を持っていた。
彼女に続いて店内に入った瞬間に、今まで嗅いだ事の無い、スッキリとした清廉な香りに全身が包まれた。これだけ香りが店内に充満しているのだから、商品の取り扱いに粗があるのかと思いきや、レジ横にカウンターバーが備え付けられていて、そこで店員らしき人が、男女のカップルを相手に丁寧な手付きで紅茶を淹れていた。成る程、だからかと、内心で納得する。紅茶専門店と謳っているだけあり、誤魔化しの効かない本物を取り扱っているのだろう。店に入った瞬間の、素人の俺ですらそう感じるのだから、観光客向けに商売をしている店とは若干の毛色の違いを感じざるを得なかった。
「いらっしゃいませ。ただいま他のスタッフが参りますので、どうぞ遠慮無く、奥まで進んで下さい」
紅茶を丁寧な手付きで淹れていた店員が、入り口付近にいた俺達に向けて、にこりと微笑んだ。前髪をやんわりと撫で上げてある鼈甲眼鏡を掛けた長身の男性は、一部の隙もなくその場所にあって、俺達を穏やかに出迎えた。彼の佇まいを見た瞬間に、俺はしまった、と唐突に焦りを抱いた。自分で言うのも何だが、彼女は俺を始めとして男性の顔に目が無く、店員が男性で、更に言えば顔が良ければ良い程、店内滞在時間が長くなる傾向がある。そして、店員が勧めてきた物には多大なる興味を示し、それをその場で即決してしまうのだ。今までは、それがまかり通る環境にあったから問題は無かったのだけど、今一緒にいるのは、貴女の父親ではないのだから、申し訳ないけれど、恥ずかしいから、あまりはしゃがないで頂きたいというのが俺の率直な意見だった。
「いらっしゃいませ。何か気になる商品が御座いましたら、仰って下さいね」
鼈甲眼鏡の店員から促された通り、もう一人の店員が店の奥から現れた。髪染めを一度もした事が無い様な、真面目そうな見た目の青年だ。此方も黒縁の眼鏡を掛けていて、細目がちな其れを余計に小さく見せている。似合う似合わないというよりは、親から買って貰った物や、昔から使い馴染みのある代物を、後生大切に使い続けています、という雰囲気を感じ取った。全体的に細身で、女性に見紛う様な物では無いにしろ、中性的な面立ちをしている。パッと見の印象で語り過ぎている感は否めないけれど。
はっきりと、自分好みだと思った。
彼女を同伴せずに店に訪れる様になるのも、それから先は時間の問題で。この癖は、例え結婚して身を固めたとしても、生涯治りそうも無いな、と自嘲しつつ、俺は彼がカウンターで淹れてくれる紅茶を飲みながら談笑し、次第に彼との距離を詰めていった。帰りには、彼が勧めてくれた紅茶を少量だけ購入し、また来ます、と言って寂しげな笑みを浮かべ、店先で別れるのを繰り返していく。そして、いつしか彼が名残惜しそうな雰囲気を醸し始めたところを見計らって、連絡先を書いた紙を渡した。
困惑と当惑、そして微かな喜色を彩る彼に、この連絡先が直ぐに活用され、そして彼自身が俺の手の内に落ちてくる未来を予測し、内心でほくそ笑んでいると。
「……ごめんなさい。僕、いま、付き合っている方がいるんです」
彼のその視線の先には、常連客とカウンター越しに談笑している、鼈甲眼鏡の店主が居た。
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