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しおりを挟むギュッと、抱き締める腕に力を込めながら話すフィクスだったが、続きの言葉がセレーナの耳に届くことはなかった。
「あー!! フィクスお兄様! 遅いと思ったら私のセレーナになにをしていますの!?」
「フィクス! 俺のセレーナに抱き着くとは、万死に値する!!」
というのも、またもや全速力で走るキャロルとクロードが現れたからだった。クロードはまだしも、キャロルの思いもよらぬ身体能力の高さには驚くばかりである。
「……うわ、もう来たよ」
「キャロル様に、兄様……! ……って、フィクス様! そろそろ離してください……!」
「残念。もう少し抱いていたかったけど、仕方がないね」
フィクスの腕から開放されてからというもの、セレーナはキャロルに質問攻めにあった。
抱き締められた時に変なところを触られていないか、匂いを嗅がれていないかなど、変な質問ばかりだったので、驚いたものだ。
一方クロードは、フィクスに顔を近付け、「婚約者としての節度は守れ!と額に青筋を浮かべている。
しかし、おそらく、マスコットを人質──物質? にされて、上手く言いくるめられるのだろう。
セレーナにはそんな未来が容易に想像できたが、直ぐに他のことに意識を奪われた。
(……あの頃っていつのことだろう)
◇◇◇
「ハァ、ハァ……」
──同日。夜が更けた頃。
静まり返った訓練場は、少し不気味な雰囲気を醸し出している。
そんな中、セレーナは一人でブンブンと木刀を振るっていた。
「やっぱり、色々考えてしまう時は体を動かすに限る……!」
──昼間、手洗い場での出来事の後、フィクスはリックに懇願されて執務室へと戻っていった。
どうやら、フィクスにしか処理ができない急ぎの案件があったらしい。
そのため、セレーナは再びフィクスと手合わせをすることなく、キャロルの護衛の任務に戻り、いつもと変わらない日常を送った。
しかし、現在。
いつもならベッドに入ると直ぐに熟睡できるはずのセレーナだが、今日は悩み事が頭を支配してなかなか眠りにつけなかったため、一人で汗を流していた。
「ふぅ、もう少し、だけ……!」
一心不乱に素振りを行い始めてから、既に一時間を超えた。
額には汗が滲み、それが顎を伝って地面を濡らしている。
体力の限界が近く足下がふらつくが、こうやって鍛錬に打ち込んでいる間は、悩み事についてあまり考えずに済んだので、気が楽だった。
「セレーナ、無理のし過ぎは体を壊すぞ」
「……! 兄様……何故ここに?」
昼間とは違い、静かに登場した兄、クロード。
クロードは御前試合までの間、騎士棟に部屋を借りるらしい。そのため、場内に居る事自体は驚かなかったが、何故訓練場に居るのだろう。
セレーナと同じで、クロードも体力作りや素振りなどは早朝に行うことが多かったというのに。
「俺に用意された部屋の窓から、この場所が見えてな。それで、セレーナがフラフラになっても素振りを切り上げないから、様子を見に来た」
「そうでしたか……。手間を取らせてしまい申し訳ありません。もう少しで切り上げますから、兄様は先に部屋に戻ってお休みください」
本音は、どうせ部屋に戻っても眠れないので、素振りを切り上げるつもりはないのだけれど。
(とはいえ、ここだと兄様の部屋から見えてしまうから、兄様が去ってから場所を変えないと)
クロードに余計な心配をかけたくないセレーナはそんな嘘を吐き、クロードを背にして再び木刀を振り上げる。
しかし、それが先程と同じように素早く振り下ろされることはなかった。
「セレーナ、お前なにか悩みでもあるんじゃないのか?」
「……!」
まさか、こんな指摘をされるとは思わなかったセレーナはゆっくりと木刀を下ろして、クロードに向き直った。
「何故、そのように思うのですか……?」
「昼間、辛そうな顔をしていたから。それと、セレーナは悩み事があるといつにもまして剣を振るいたがるからな」
「兄様……」
クロードの眉尻が僅かに下り、頼りないのかと言いたげな目でこちらを見てくる。
(そういえば、手洗い場に行く直前、兄様は心配してくださっていた……。私がなにかに悩んでいることなんて、兄様にはお見通しだったんだ)
クロードは昔から優しい。とても良く見てくれて、声をかけてくれる。
時には暴走したり、マスコットのことになると我を忘れたりするところがあるものの、セレーナにとって自慢の兄だった。
「申し訳ありません兄様……。少し聞いていただいても?」
「ああ、もちろん」
嘘に嘘を重ねても、クロードを余計に心配させるだけだろう。
「その、実は──」
それならいっそのこと話してしまおうと、セレーナはポツポツと話し始めた、のだけれど。
「……なるほどな。つまり、フィクスを見ると胸が高鳴ると」
「はい。そうなのです。過去にない現象でして……こう、体も熱くなってくるというか、こう、うわーっとなるのです。……なにか病気なのでしょうか? 兄様はご存知ですか?」
セレーナの話に、クロードは「嘘だろ……?」と言いながら大袈裟に頭を抱え、髪の毛を掻き毟った。
(そ、そんなにまずい病気なのか……?)
話した内容は、フィクスを見たり、話したり、触れられたりした時のことだ。
(スカーレット様とフィクス様が両思いなのだと思うと胸がズキズキすることも話してしまいたいけれど)
クロードはフィクスとセレーナが仮初の婚約者同士であることを知らない。
そのため、スカーレットが関わった時の胸の違和感については言わなかったというのに、クロードの反応に、セレーナは不安げに眉尻を下げた。
「あ、あの兄様……」
「セレーナが……。まさかそんな……」
「兄様! 一人で落ち込んでいないでそろそろ教えてください……!」
セレーナはクロードを落ち着かせるために、勢いよく彼の両頬を挟み込む。
「兄様、大丈夫ですから、なにか分かるのならば話してください」
すると、クロードは少し落ち着きを取り戻したのか、髪の毛を乱したまま、小さな声でポツリと言い放った。
「セレーナ、それは恋だ……」
「え?」
「セレーナはフィクスが、好きなんじゃないか……? 俺もらびたんやちゅーりんのことを思うと胸が高鳴るから、間違いない」
「私がフィクス様を好き……?」
──確かに、そう仮定すると、全て納得がいく。
フィクスに胸が高鳴るのも。スカーレットとフィクスが互いに好意を抱いていると知って、胸がズキズキと痛くなったのも。
それは、全て──。
(私、いつの間にかフィクス様のことが好きになってたんだ……)
しかし、自覚しても、その恋が叶うことはないのだ。
セレーナは仮初の婚約者でしかなくて、フィクスはスカーレットを愛しているのだから。
(初めて恋を自覚した日に、失恋するだなんて──)
仮初の婚約者になりたいと言い出した時は、フィクスに恋心を抱くようになるなんて夢にも思わなかった。
フィクスの想い人がスカーレットなのだと知った時は、自分になにかできることはないかと思っていたというのに。
(失恋って、こんなにも苦しいものなんだ……)
けれど、現実に打ちひしがれてばかりはいられない。
セレーナが今、フィクスの仮初の婚約者であることは事実なのだ。
フィクスが仮初の婚約者をいらないと言うまで、フィクスとスカーレットの恋が叶うまでは、自分の役目を全うしなければ──。
「ハァ……。あいつの喜ぶ顔を想像すると、無性に腹が立つな……」
ボソッと呟いたクロードの話はセレーナに届かない。
セレーナは騎士服の上から、ネックレスをギュッと握り締めた。
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