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その日は、雨が降っていた。
地面に打ち付ける雨が、多くの水溜りを作っている。
学園の敷地内への正面入口付近で、フィクスは傘を指しながらその様を眺めていた。
『止まないな……これは』
貴族が多く通う騎士学園の生徒たちの移動手段は、家が手配してくれている馬車だ。
今日は大雨のため、学園の出入り口から近い箇所に多くの馬車が停まっており、自分を迎えに来てくれた王家専用の馬車は見当たらなかった。
『……仕方ない、少し待つか』
もう少しすれば帰宅する生徒の数も落ち着いて、馬車の姿が見えるだろう。
(それに、少し休憩がしたい……)
フィクスの毎日は、早朝の勉強から始まる。
騎士になりたいとはいえ、王族として恥じないように勉強に励んでいるのだ。
学園ではほとんど実技の授業だが、これがまた大変で、基礎体力の向上に戦場を仮定した戦略考案、剣技の技術を磨くなどといったことに体力と精神が削られていく。
だが、王族が弱音を吐いたり、下手な成績を残すことなどできないため、フィクスは日々努力を怠らなかった。
授業が自習になった時や放課後は、人が居ないところで素振りを行ったり、公務で学園にいけない時は、王城の敷地内の一角で授業以上に厳しい訓練を自ら課したり。
もちろん、もとから運動能力はそれなりに高かったし、比較的剣を扱うセンスも持ち合わせてはいたけれど、王族なのに大した事ないと言われないために、できる限りのことはやってきたつもりだ。
今日だって、どうせ雨で馬車の停車場が混むと分かっていたので、放課後に一人で素振りをしてから、この場に立っている。
(あ……確か、今日の夜はいくつか書類の確認をしないといけなかったな……)
ザーザーと雨が地面を打ち付けるからなのか、フィクスはほんの少しだけ憂鬱な気持ちになった。
『そういえば、この前の実技と座学の試験の結果が今日出ただろ? それでさ、俺一つ思ったんだけどさ』
そんな時、約三メートルほど離れた真隣に、傘を指している男子生徒二人が並んだ。
フィクスとは違うクラス男子生徒であり、おそらくこの二人も、馬車を待っているのだろう。
その奥の少し離れた場所には、一人の女子生徒の姿があった。
『ああ、フィクス殿下だろ?』
『そうそう。あの人、実技も座学もめちゃくちゃ成績良かったよな』
男子生徒たちの話題はフィクスのことだった。
雨が降っているとはいえ、距離が近いため彼らの話し声はしっかりとフィクスの耳に届いた。
(……俺だって気付いてないのか)
二人が話しに夢中であることと、全員が傘を指していることから、隣にいるのがフィクスだという認識が二人にはないのだろう。
突然の噂話には多少驚いたが、好成績であることを知られているのは嫌な気分はしないため、フィクスがその場をわざわざ動かずにいた。
──しかし、直後のことだった。
『……なぁ、公務で結構学園を休んでいるのに、あんなに成績がいいのおかしくないか?』
男子生徒の一人がフィクスの成績に難癖をつけると、もう一人の男が大きく頷いた。
『分かる! 俺も思ってた! 他の奴らも不思議がってたよ!』
『そうだよな! やっぱり、フィクス殿下が教官たちに圧力をかけて、好成績にしてもらってるんじゃないか? ほら、王族があんまり無様な成績だと影で笑われるだろ?』
『あははははっ! 確かにそうかもな! それかあれじゃないか? 王子様だから才能だけで全部完璧にできちゃうんです、みたいなさ』
『ああ、それもあり得る! 良いよなぁ~努力もなしに好成績とか。必死にやってる俺らが馬鹿みたいだ』
聞くに堪えない言葉の数々は、自然と耳に届く。
フィクスはやや俯いて、唇を噛み締めた。
(……こんなこと、言われ慣れているはずなのに)
王族に大っぴらに悪意の言葉を向けてくるものは少ないが、こうして陰口を叩かれることは少なくなかった。
良くも悪くも、王族は目立つ。
フィクスは人当たりが悪い方ではなかったが、なんでも卒無くこなす様子は、気取っているように見られることもあったため、それも要因の一つなのだろう。
(……どうしたって、傷付くものは傷付く)
とはいっても、悪意のある言葉はフィクスの心に傷を作った。
どれだけ努力をしても、謂れのない陰口が無くなることはなく、終いには虚しくなってくる。
(……場所を移動するか)
王族を悪く言ったとして、男子生徒たちに苦言を呈することはできる。
けれど、そんなことをしても、王族としての権力を行使していると陰口を言われるだけだろう。
そう考えたフィクスが、男子生徒たちとか反対方向に歩き出そうとした、その時だった。
『堂々と他人を貶すような話しをして、恥ずかしくないのですか?』
それは、無意識に惹きつけられるほど、凛とした声だった。
フィクスは足を止めて振り返り、その声の主の女子生徒を見つめた。
(なんて、力強い目だろう)
顔付きにあどけなさが残る一方で、その目の力強さに、フィクスは吸い込まれそうになる。
『な、なんだよお前! これくらいのこと他の奴も言ってるだろ……!』
『他の人が言っていたら、自分はなにを言っても良いのですか? 殿下が教官を脅しただの、努力をしていないなどと……』
『そ、それは……』
女子生徒の問いかけに、男子生徒たちは口籠り、互いに気まずそうに顔を見合わせる。
そんな男子生徒の姿に、根っからの悪人ではないと思ったのか、女子生徒は僅かに表情を緩めた。
『……私は殿下の人となりはほとんど知りませんから、殿下が成績のために教官を脅したかどうかは分かりません。しかし、私は、放課後に殿下がお一人で剣技磨いている姿をよく見かけます』
『『…………!』』
『そんな方が不正を働くとは思えません。……むしろ、人一倍努力をされるお方なのかなと思いました。……それと、騎士を目指す者ならば、本人が居ないところで陰口で盛り上がるなんて恥ずべき行動は控えるべきでは?』
女子生徒のその言葉を最後に、男子生徒たちはグッと言葉を詰まらせる。
それから『分かったよ……! 悪かったよ……!』と言って、逃げるようにして迎えに来た馬車ヘ乗り込んだ。
──名も知らぬ一人の女子生徒が、男子生徒二人を相手にフィクスを庇ってくれたこと。
そして、彼の努力を見ていてくれたこと。
それはフィクスにとって、忘れられない出来事となった。
◇◇◇
「俺をちゃんと見てくれる人がいるんだって、嬉しかった。……ありがとう、セレーナ」
「い、いえ。そう……だったのですね、あの時の、ことが……」
フィクスの話によって、思い返された当時の記憶。
確かあの時は、影で努力しているフィクスが悪く言われるのが許せなくて、セレーナは男子生徒たちに立ち向かったのだ。
「フィクス様……申し訳ありません。私、今の今まで、すっかりそのことを忘れていて……」
まさか、あの時の現場にフィクスも居たなんて。
驚きさあったものの、今はそれよりも申し訳ないという感情が強かった。
「六年も前のことだからね。礼を言ったのも今が初めてだし、忘れていても仕方がないよ」
フィクスに優しげな笑顔を向けられ、セレーナはほっと胸を撫で下ろす。
そして、引き続きフィクスの話に耳を傾けた。
「あの日を境に、俺はセレーナを目で追うようになった。真面目なところや責任感が強いところ、騎士に対して強い誇りを持っているところや、なんにでも一生懸命なところ。笑顔がとっても綺麗で、たまに見せる照れた顔がとても可愛いところも……。人として、騎士として尊敬してるし、女性としてセレーナを大愛おしいと思うようになった」
「……っ」
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