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梓の高校生が大学進学を考えたとき、まず視野に入れるのは関西だ。いい学校も複数あるし、家賃など生活にかかる費用はそこそこで、帰省もしやすい距離。
しかし。
しやすくちゃ困るんだよ――
椿は進学を機に就職も東京でして、二度と帰るつもりはなかった。もちろん戻ってこいと親類一同からは言われるだろうが、連絡は最低限にして、逃げ切ればいいだけの話だ。物理的な距離がいかに重大か、子供の頃から流行が一年後れて届く地域に暮らしたからこそ、よくわかっている。
なんといっても、東京は人種の坩堝。当然のことながらゲイも沢山いる。その中に紛れることができたなら、自分も楽に身を潜められるはずだった。砂粒を隠すなら砂浜に、の理論だ。
そんなわけで始まった東京暮らしは、椿にとって快適そのものだった。
学校の斡旋で入ったマンションはそれなり
に築年数も経たバブルの遺産で、部屋の形が
台形という中途半端なデザイナーズ物件だっ
たが、多少の使いにくさなど椿にとってはど
うでもいいことだった。
朝、ワンルームの窓を開けて街を眺める。そこに広がるのは、同じような古ぼけたマンションが立ち並ぶ見るものもない景色。
それでも椿は毎朝震えるほどの感動を覚えていた。
ここから見える部屋全部に人が住んでいる。
なのにその全部が俺のことなんか知らないんだ。
なんて素晴らしいんだろう。
誰の目を気にすることもない。それだけで椿の毎日は輝き、充実していた。
田舎にいた頃は友だちなど作ろうとも思わなかったが、コンパがあればたまには参加もした。バックボーンをなにも知られず、ただその場その場で楽しく過ごせば許されるのは楽だったし、都会の若者は皆洗練されていて、ずけずけと踏み込んでくるようなこともない。なによりみんな勉強と遊ぶのに夢中で、結婚の「け」の字もないのがいい。
そんな東京生活が二年目を迎えた頃のこと。
同じゼミ生でしかなかった佐久間と特別親しくなったのは、椿が二丁目の店から出てきたところで声をかけられたからだった。
「えっと、月森――だよな」
路上で突然声をかけられたとき、終わった、と思った。
性格上、東京に出てからも椿は積極的にカムアウトして回ったわけではない。自然と知られてしまえば否定するつもりはなかったが、まだ心の準備が整っていなかった。
しかも佐久間は見るからに「高校時代スクールカースト最上位でした!」というタイプ。経験上、こういう歴代の彼女の数を誇るようなタイプに限って、ゲイ批判を強くするものだ。
「さ、佐久間、なんでここに……」
「俺? 先輩の劇団がそこの箱で芝居やってて、賑やかしに呼ばれたんだよ」
二丁目界隈には小さな芝居小屋がいくつか点在する。そして芝居に入れあげる学生の数は、きっとゲイの数より多い。万が一、いや、億が一佐久間もこちら側だったなら、という希望はその言葉で潰えた。
「月森はさ、」
「俺も、あっちの劇場で」
訊かれもしないうちからまくしたてる。佐久間は髪をかき上げていた手をふと、とめた。
「あ……うん、悪ィ俺、そこの店から出てくるの見てた」
「――」
新宿は十二時手前のこの時間でも、交通量が多い。その行きかう車の音、飲み屋から漏れてくる人の声――何層にも折り重なった音のごちゃごちゃした圧は田舎とはあまりにも違って押し潰されそうなほどなのに、このとき椿は自分の血の気の引く音をはっきりと聞いた。
「え、月森顔色やばいぞ。なんかあったのか。やばい店だったのか」
「……なにもない」
「え?」
「なにもなかった! ――俺、二丁目来るの今日が初めてで、さっきの店だって初めて入ったけど、なんか緊張してすぐ出てきたから」
こうなればやけだ。椿はここぞとばかりに鬱憤をまき散らした。
「息苦しい田舎から出てきて、今日がやっと二丁目デビューで、でも緊張で長居できなかった。よりによってそんな日に学校の奴にみつかるなんて……!」
他の日ならいいというわけでもないが、一年様子を見てやっとというこの日に、しかもリア充を絵に描いたような佐久間に見つかってしまうとは。人間、生まれながらの星回りというものが本当に存在するのかと思ってしまっても無理はないと思うのだ。
まくしたてるだけまくしたてて我に返る。いや別に佐久間はなにも悪くない。これは言いがかりだ。完全なる。
ただでさえ住む世界が違うリア充佐久間なのだ。これはキレられる――と覚悟する。
だが佐久間は言った。
「マジで? え、もったいねー」
拍子抜けするほど、あっけらかんと。
「え。――え?」
「だってせっかく腹きめて店行ったのに、すぐ出て来ちゃったんだろ? よくわかんないけど、チャージとかもかかんじゃないの。おまえんち大学の近くだっけ? だったら、ここまで来るのだってけっこうあんのに」
さくまくーん、と劇場の前にたむろする人垣から声がする。先輩とやらだろう。やっぱりというかなんというか、先輩は女で、ざっと見た限り他のメンバーも女性が多い。
これから打ち上げでもあるのだろうと思っていると、佐久間はくるりと振り向いて叫び返した。
「すみません、友だちと偶然会っちゃって、俺今日はちょっと!」
――とも、だち?
ええ~という声もものともせず、佐久間は再び椿に向きなおると、背中から肩を抱くように腕を回し、二の腕をぽんぽん、と叩いた。
「この先に二十四時間やってる喫茶店あるからさ、対策練ろうぜ、そこで」
しかし。
しやすくちゃ困るんだよ――
椿は進学を機に就職も東京でして、二度と帰るつもりはなかった。もちろん戻ってこいと親類一同からは言われるだろうが、連絡は最低限にして、逃げ切ればいいだけの話だ。物理的な距離がいかに重大か、子供の頃から流行が一年後れて届く地域に暮らしたからこそ、よくわかっている。
なんといっても、東京は人種の坩堝。当然のことながらゲイも沢山いる。その中に紛れることができたなら、自分も楽に身を潜められるはずだった。砂粒を隠すなら砂浜に、の理論だ。
そんなわけで始まった東京暮らしは、椿にとって快適そのものだった。
学校の斡旋で入ったマンションはそれなり
に築年数も経たバブルの遺産で、部屋の形が
台形という中途半端なデザイナーズ物件だっ
たが、多少の使いにくさなど椿にとってはど
うでもいいことだった。
朝、ワンルームの窓を開けて街を眺める。そこに広がるのは、同じような古ぼけたマンションが立ち並ぶ見るものもない景色。
それでも椿は毎朝震えるほどの感動を覚えていた。
ここから見える部屋全部に人が住んでいる。
なのにその全部が俺のことなんか知らないんだ。
なんて素晴らしいんだろう。
誰の目を気にすることもない。それだけで椿の毎日は輝き、充実していた。
田舎にいた頃は友だちなど作ろうとも思わなかったが、コンパがあればたまには参加もした。バックボーンをなにも知られず、ただその場その場で楽しく過ごせば許されるのは楽だったし、都会の若者は皆洗練されていて、ずけずけと踏み込んでくるようなこともない。なによりみんな勉強と遊ぶのに夢中で、結婚の「け」の字もないのがいい。
そんな東京生活が二年目を迎えた頃のこと。
同じゼミ生でしかなかった佐久間と特別親しくなったのは、椿が二丁目の店から出てきたところで声をかけられたからだった。
「えっと、月森――だよな」
路上で突然声をかけられたとき、終わった、と思った。
性格上、東京に出てからも椿は積極的にカムアウトして回ったわけではない。自然と知られてしまえば否定するつもりはなかったが、まだ心の準備が整っていなかった。
しかも佐久間は見るからに「高校時代スクールカースト最上位でした!」というタイプ。経験上、こういう歴代の彼女の数を誇るようなタイプに限って、ゲイ批判を強くするものだ。
「さ、佐久間、なんでここに……」
「俺? 先輩の劇団がそこの箱で芝居やってて、賑やかしに呼ばれたんだよ」
二丁目界隈には小さな芝居小屋がいくつか点在する。そして芝居に入れあげる学生の数は、きっとゲイの数より多い。万が一、いや、億が一佐久間もこちら側だったなら、という希望はその言葉で潰えた。
「月森はさ、」
「俺も、あっちの劇場で」
訊かれもしないうちからまくしたてる。佐久間は髪をかき上げていた手をふと、とめた。
「あ……うん、悪ィ俺、そこの店から出てくるの見てた」
「――」
新宿は十二時手前のこの時間でも、交通量が多い。その行きかう車の音、飲み屋から漏れてくる人の声――何層にも折り重なった音のごちゃごちゃした圧は田舎とはあまりにも違って押し潰されそうなほどなのに、このとき椿は自分の血の気の引く音をはっきりと聞いた。
「え、月森顔色やばいぞ。なんかあったのか。やばい店だったのか」
「……なにもない」
「え?」
「なにもなかった! ――俺、二丁目来るの今日が初めてで、さっきの店だって初めて入ったけど、なんか緊張してすぐ出てきたから」
こうなればやけだ。椿はここぞとばかりに鬱憤をまき散らした。
「息苦しい田舎から出てきて、今日がやっと二丁目デビューで、でも緊張で長居できなかった。よりによってそんな日に学校の奴にみつかるなんて……!」
他の日ならいいというわけでもないが、一年様子を見てやっとというこの日に、しかもリア充を絵に描いたような佐久間に見つかってしまうとは。人間、生まれながらの星回りというものが本当に存在するのかと思ってしまっても無理はないと思うのだ。
まくしたてるだけまくしたてて我に返る。いや別に佐久間はなにも悪くない。これは言いがかりだ。完全なる。
ただでさえ住む世界が違うリア充佐久間なのだ。これはキレられる――と覚悟する。
だが佐久間は言った。
「マジで? え、もったいねー」
拍子抜けするほど、あっけらかんと。
「え。――え?」
「だってせっかく腹きめて店行ったのに、すぐ出て来ちゃったんだろ? よくわかんないけど、チャージとかもかかんじゃないの。おまえんち大学の近くだっけ? だったら、ここまで来るのだってけっこうあんのに」
さくまくーん、と劇場の前にたむろする人垣から声がする。先輩とやらだろう。やっぱりというかなんというか、先輩は女で、ざっと見た限り他のメンバーも女性が多い。
これから打ち上げでもあるのだろうと思っていると、佐久間はくるりと振り向いて叫び返した。
「すみません、友だちと偶然会っちゃって、俺今日はちょっと!」
――とも、だち?
ええ~という声もものともせず、佐久間は再び椿に向きなおると、背中から肩を抱くように腕を回し、二の腕をぽんぽん、と叩いた。
「この先に二十四時間やってる喫茶店あるからさ、対策練ろうぜ、そこで」
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