みなしごと百貨の王

あまみや慈雨

文字の大きさ
22 / 50

まよいごは百貨の王1

しおりを挟む
龍郷視点のおまけになります。

*************


「……本日の予定は以上です」
 開店前の執務室で野々宮が一日の予定を読み上げる。それに「ああ」とだけ応じると、野々宮は早速諸々の手配のために部屋を出て行く―それがいつもの日課。
 だがいつまでも動こうとしない気配に、龍郷は面を上げた。
「なんだ?」
「本当に宜しいんですか?」
「一日の予定はおまえに任せておけば間違いないだろう?」
「〈そう〉じゃなくて!」
 野々宮が、秘書ではなく友人の距離感で声を荒げる。
「車を手配したら、まだ間に合うと思う」
「なんの話だ? 無駄話ならそのくらいにしてもう行け」
 仕事は山積みなんだ、と言外に告げるため、書類と万年筆を取る。それで追い払えたと思ったのに野々宮はまだそこにいて、しつこく声をかけて来た。
「社長」
「なんだ」
「失礼ですが、書類が逆さまでは」
「……ッ」
 思わず面を上げると、野々宮はもう戸口にいて、出て行きざま告げるのだ。
「後悔しても知らないぞ」


 厭味なほど静かにドアは閉められて―あいつはそういうところがある―龍郷はどかっと椅子に体を収めると、思い切り顔を歪めた。
 今朝、しおんを英吉利に送り出した。
 その役を押しつけたから、戻ってきてからずっと剣呑な空気を醸していたことには気づいていた。剣呑とはあいつのためにあるような字面だ。表向きは公家華族らしいつるんとした貌で穏やかにしているが、目の奥が笑っていない。そういうところが味方にするには頼もしくもあるのだが、ひとたび敵に回るとおそろしく厄介だった。
 ―だが、他にどうしろと?
 野々宮は知らない。他ならぬ野々宮の采配で避暑に行ったあの日紡がれた、しおんの言葉を。
 今でも思い返すと苦いものが胸いっぱいに広がる。そんな思いは、母を亡くしたとき以来だ。

『……いつまで続くんだ?』


 あの日、しおんはそう呟いた。
 自分がすっかり寝入っていると思っていたのだろう。それだけに、紡がれた言葉は本心であるはずだった。
 いつまで続くんだ?
 金のために音楽隊に縛られる日々が。
 そういう意味だろう。
 

 しおんを拾ったのは、本当にただの好奇心だった。
 父の代からの従業員の嫌がらせで仕組まれた、まったく実のない入団試験。百貨店で働けると聞いて、中流家庭の子供もやってきていた。将来的には顧客になってくれる大事な層だ。どう穏便にことを収めるか―怒りと同時に忙しなく計算する中で、突然蹴り出されて来たのがしおんだった。

 これはまた。
 とりわけみすぼらしいのが来たな。

 それが第一印象。けれど龍郷は、我知らずのうち身を乗り出していた。
 文字通りの、毛色の変わった子供。なにかが頭の中でしきりに訴えてくる。子供の頃から、なにかを思いつくときはいつもこうだった。
 ただ髪の色、瞳の色だけだったなら、外国暮らしに慣れた龍郷にはなんの珍しさもない。目を引いたのは、触れたら斬れそうな空気を隠しもしないところだった。まったく人慣れしない山猫のような。邸の者も店の者も、龍郷を快く思わなかったとしてもこんなに敵意を露わにはしない。大人はそういうものだ。経済界のお歴々に至ってはなおさら。
 久し振りに触れた気がした。人間のむき身の感情というものに。
 そしてそれがひどく痩せこけた体に独特の色気を纏わせている。不思議な少年だ。
 だから挑発してみたくなった。
 首尾良くしおんが歌い出したとき、こういうとき人はありがちな表現しか思いつかないものだと龍郷は思い知った。

 天使のような歌声。

 英吉利の寄宿学校には聖歌隊もいて、容姿と声が自慢の者が選ばれる習わしだったが―そのどれよりも惹きつけられた。荒削りなところはある。だが、だからこそこれを完璧にしてみたいという欲が生まれる。それこそがしおんの纏う不思議な色気の正体かもしれないと思った。この不完全なものの、その先を聞きたい。そういうものをしおんの歌声は持っている。買い付けに成功した原石をどう加工し、他にない意匠に仕立てて店頭に並べるか。その感覚と似ていた。

 父といっても、感情的には半分血が繋がっているだけの男から百貨店を受け継いだ当初、正直思い入れはなかった。
 いっそ閉めてしまえばいいと考えていたくらいだ。あるいは見所のある番頭に任せて、自分は他の好きなことでもやればいいと。
 だが店の帳簿をざっとさらってみて、古くからの上客の存在にあぐらをかき新機軸を名にも打ち出していないことに気がつくと、そうも言っていられなくなった。なにしろ従業員数は千人を超えている。人任せにして下手を打てば、それだけの数の人間を路頭に迷わせることになる。
 自分も母も、父の気分一つで人生を翻弄された。……他人の都合でそんな目に遭うのは、自分たちだけで充分だ。
 それを憂いて色々と断行しているというのに、父の代からの人間はこのままでいいと言って、頑なに改革を受け容れようとしない。行き着いたのがこのくだらない嫌がらせだ。
 気持ちが腐っていたところに舞い降りたしおんの姿は、文字通り輝いて見えた。
 
 龍郷は書類の山に再び手を伸ばし、努めて淡々と署名する。
 見窄らしい少年を自ら抱えて帰宅したときの家令の顔を思い出すと、今でも笑みがこみあげる。

 腹の探り合いならお手のもの。なんなら満面の笑みを浮かべながらでも巧みに厭味が言える家令が、見るからに嫌そうな顔をしたのだ。いうなれば化けの皮が剥がれて、狸の尻尾がのぞいている。
 ―これは入隊試験のことも番頭と共謀してたな。
 おおかた自分がうちひしがれて戻るのを心待ちにしていたのだろう。
 天使がさっそく面白いものを見せてくれたと内心ほくそ笑みながら手配した医者が下した診察は、幸い「栄養失調と疲労」というものだった。
 あの界隈をうろついている孤児、という情報だけはあった。それだけでどんな暮らしぶりかは察しがつく。日本語は話せるようだが、この容姿だ。ただの孤児以上の苦労があっただろう。
 自分も経験があるからわかる。集団の中の異物を、人は始め良く思わない。
 英吉利に渡って最初の日々は酷かった。なにしろ本物の貴族様がいるお国柄だ。特権階級意識は日本より酷い。加えて自分は東洋人だ。生徒たちの認知はせいぜいが「遠いどこかの未開の小国」。軽んじられるのが当たり前だった。
 だが持ち前の負けん気で学業でもスポーツでも龍郷が一番になると、一転、抱かれにくる下級生が部屋の前に列をなした。比喩ではなく本当に次から次へとドアが叩かれるから、監督生が一晩見張りに立たねばならず、厳重注意されたくらいだ。
 もっとも、下級生を追い払ったあと、その監督生自身が忍んできたりするのだが。

 人が異物を嫌うのは、根本的なところで恐れがあるからだと龍郷は考える。
 知らないもの、わからないものは怖い。だからこそ先にやりこめようとして攻撃してくる。
 そして恐れは、ひっくり返れば逃れ難い魅力になるのだ。人は傷を愛さずにはいられない。
 しおんというこの少年には、世界をひっくり返す要素が備わっている。あとは研磨する職人、つまり俺の腕次第だ。
 医者を帰し、しおんの寝顔を見下ろす。どう売り出すかというアイデアが次から次へと沸いてきて、頭がいっぱいになった。そんなふうに心地良い興奮が体を支配するのは久し振りのことだった。

 ―わくわくする。こんな感覚、長いこと忘れていたのに。

 目が冴えて眠れない。せめて体だけでも休ませるかと隣りに横たわったとき、しおんが身じろいだ。
 起こしたか。
 別の部屋に移るかと思案を巡らせた矢先、ぎゅっと抱き寄せられた。
 そのまま、ぽん、ぽん、と頭を叩くように撫でられる。

 ただそれだけのことだった。
 それだけなのに、古い記憶は、めいっぱい詰め込んだ旅行鞄を開けたときのようにあふれ出てくる。

 英吉利に行ってすぐ自分は寄宿学校に入れられ、母は外交のため父に連れて歩かれた。会えるのはたまの休みのみ。一緒に寝起き出来るのもほんの数日だった。そもそも十代も半ばになれば、龍郷家での扱いは大人と同格だ。頭を撫でられることなどない。母にその気があったとして、父が許さなかっただろう。
『将来龍郷を背負う男を甘やかすな』
 慰撫されて、初めてそこに見えない瑕瑾があることに気がつく。そういうことがあるのだと龍郷は知った。

 それからの日々は、毎日が新鮮な驚きに満ちていた。
 
『そういうので支払う』
 生い立ちを思えば、そういうことで日々の糧を得ていたとしても誰にも責められない。英吉利時代、自分だって寝る相手をとっかえひっかえした。それを悪いと思ったこともない。どうせ彼らも貴族の子弟、寄宿学校という限られた空間の中でやりたい限りを尽くしたら、何事もなかったかのように政府や大企業の要職に就く。うっかり子供が出来たりしない火遊びはお互い様というわけだ。
 そう頭ではわかるのに、心はいらだった。それに任せて乱暴に奉仕させた。
 下手くそなのがなぜか嬉しかった。
 自ら抱き上げて、寝台の中でことに及んだ。しおんの体はまだ未開だった。
 ―なんだ、慣れたふうだったのは、強がりだったのか?
 そう思うと、快感は増した。

 あの日、その感情はもう生まれていたのだと思う。こいつを見ていたい。こいつがうまそうに物を喰うところ、人並に笑ったりするところ。
 人々が自分の思惑通りにしおんを受け容れていく度、その気持ちは育って行った。
 己の欠点だと思っていた容姿を褒められ、日に日に美しさを増していくしおん。痩せた体に薄く肉が乗ると、ただ不格好に長く見えていた手足の印象が「しなやか」に変わる。頬には紅みがさし、唇は果実のように色づく。
 そんなしおんに人々は熱狂した。すべては俺の計算通りだ。あの宝石を見つけ出したのはこの俺だ。
 てっきり、それが心地良いのだと思っていた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

アプリで都合のいい男になろうとした結果、彼氏がバグりました

あと
BL
「目指せ!都合のいい男!」 穏やか完璧モテ男(理性で執着を押さえつけてる)×親しみやすい人たらし可愛い系イケメン 攻めの両親からの別れろと圧力をかけられた受け。関係は秘密なので、友達に相談もできない。悩んでいる中、どうしても別れたくないため、愛人として、「都合のいい男」になることを決意。人生相談アプリを手に入れ、努力することにする。しかし、攻めに約束を破ったと言われ……?   攻め:深海霧矢 受け:清水奏 前にアンケート取ったら、すれ違い・勘違いものが1位だったのでそれ系です。 ハピエンです。 ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。
批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。 自己判断で消しますので、悪しからず。

希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう

水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」 辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。 ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。 「お前のその特異な力を、帝国のために使え」 強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。 しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。 運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。 偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。 冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。 憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。 誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。 鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。

「自由に生きていい」と言われたので冒険者になりましたが、なぜか旦那様が激怒して連れ戻しに来ました。

キノア9g
BL
「君に義務は求めない」=ニート生活推奨!? ポジティブ転生者と、言葉足らずで愛が重い氷の伯爵様の、全力すれ違い新婚ラブコメディ! あらすじ 「君に求める義務はない。屋敷で自由に過ごしていい」 貧乏男爵家の次男・ルシアン(前世は男子高校生)は、政略結婚した若き天才当主・オルドリンからそう告げられた。 冷徹で無表情な旦那様の言葉を、「俺に興味がないんだな! ラッキー、衣食住保証付きのニート生活だ!」とポジティブに解釈したルシアン。 彼はこっそり屋敷を抜け出し、偽名を使って憧れの冒険者ライフを満喫し始める。 「旦那様は俺に無関心」 そう信じて、半年間ものんきに遊び回っていたルシアンだったが、ある日クエスト中に怪我をしてしまう。 バレたら怒られるかな……とビクビクしていた彼の元に現れたのは、顔面蒼白で息を切らした旦那様で――!? 「君が怪我をしたと聞いて、気が狂いそうだった……!」 怒鳴られるかと思いきや、折れるほど強く抱きしめられて困惑。 えっ、放置してたんじゃなかったの? なんでそんなに必死なの? 実は旦那様は冷徹なのではなく、ルシアンが好きすぎて「嫌われないように」と身を引いていただけの、超・奥手な心配性スパダリだった! 「君を守れるなら、森ごと消し飛ばすが?」 「過保護すぎて冒険になりません!!」 Fランク冒険者ののんきな妻(夫)×国宝級魔法使いの激重旦那様。 すれ違っていた二人が、甘々な「週末冒険者夫婦」になるまでの、勘違いと溺愛のハッピーエンドBL。

【完結済】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている

キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。 今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。 魔法と剣が支配するリオセルト大陸。 平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。 過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。 すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。 ――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。 切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。 全8話 お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /c

異世界にやってきたら氷の宰相様が毎日お手製の弁当を持たせてくれる

七瀬京
BL
異世界に召喚された大学生ルイは、この世界を救う「巫覡」として、力を失った宝珠を癒やす役目を与えられる。 だが、異界の食べ物を受けつけない身体に苦しみ、倒れてしまう。 そんな彼を救ったのは、“氷の宰相”と呼ばれる美貌の男・ルースア。 唯一ルイが食べられるのは、彼の手で作られた料理だけ――。 優しさに触れるたび、ルイの胸に芽生える感情は“感謝”か、それとも“恋”か。 穏やかな日々の中で、ふたりの距離は静かに溶け合っていく。 ――心と身体を癒やす、年の差主従ファンタジーBL。

処理中です...