祈りの乙女は、辺境で恋をする

千宮寺みるく

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第一幕

白紙にならない婚約

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「――馬鹿を言うな! 聖女との縁談を手放すなど、何を考えている!」

 父の怒鳴り声が書斎に響いた。
 私はただ、じっと目の前のカーペットの模様を見つめていた。

 レオンとの婚約を、白紙に戻したい。
 そう申し出た瞬間から、私は“娘”ではなくなった。

「聖女であるおまえは、家にとって誇りであり、武器なのだ。公爵家と神の加護――これ以上に強い後ろ盾がどこにある!?」

 私は武器。確かにそうかもしれない。
 けれど私は、それ以前に、人間のはずだった。

「レオン様からも、正式にお申し出があったのです。互いに合意の上で――」

「だとしてもだ!」

 父は机を叩いた。
 母は、私の隣で涙を浮かべていた。

「リリィ……お願い。どうか、もう少し考えて。聖女という立場が、どれほど家の支えになっているか……」

 私は俯いたまま、黙っていた。

 神に選ばれたということは、そういうことだ。
 私の人生は、私のものではない。
 国と、家と、神のためにある。

 数日後、公爵家からも返答が届いた。

 「我が子レオンの意志は尊重するが、
 聖女との縁談を手放すことは、我が家にとっても惜しい」

 美しく整えられた言葉で、要するに“断る”ということだった。
 レオンは、何度も頭を下げ、説得を続けたらしい。
 だが、どれだけ言葉を尽くしても、婚約は白紙にならなかった。

 ――私は、神の加護という鎖に、絡め取られていた。

 それでも、心のどこかで信じていた。
 私が身を引けば、エリナと彼が、きっと幸せになる。
 ならば、私はそれでいい。

 そう、思っていた。

 けれど。

「姉様っ! 見てください、これっ!」

 ある日のこと。エリナが、笑顔で駆けてきた。
 手には、金細工の小さな髪飾り。
 「レオン様に、いただいたんです」と、はにかみながら言った。

 私は、微笑んだふりをした。
 内側では、冷たい何かが崩れていく音がした。

 髪飾りの模様は――彼が、私にかつて贈ったものと、そっくりだった。

 ああ。
 もう、私たちは“順序”さえも守れなくなっている。

 私は、誰にも言わなかった。
 ただ、神殿に戻って、いつもより長く祈った。

 それが、私にできる唯一の抵抗だった。
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