祈りの乙女は、辺境で恋をする

千宮寺みるく

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第一幕

公爵子息レオン・ヴァレンタイン

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 リリエルは、ずっと遠い場所にいる人だった。

 幼い頃は違った。彼女は、よく笑った。
 春の庭で花を摘み、秋には落ち葉の色を教えてくれた。
 七つの頃に婚約を結ばされて、僕たちは少し気まずくなったけれど、それでも、互いに大切な存在であることに変わりはなかった。

 でも、彼女が聖女に選ばれてからすべてが変わった。

 神殿に入ったリリエルは、もう家族でさえ気軽に会えなくなった。
 祈り、清め、沈黙を守る生活。
 次第に彼女から届く手紙も、言葉が少なく、礼儀ばかりが増えていった。

 会えば、確かに微笑んでくれた。
 でも、その笑みはいつも“聖女”としてのものだった。
 僕個人を見ていない。彼女は僕に、“国を祈る者”としてしか向き合っていない。
 そう感じるようになったのは、僕のわがままだろうか。

 ――そんなとき、彼女の妹、エリナと再会した。

 彼女はリリエルとは対照的だった。
 よく笑い、よく喋り、くだらない話にも大声で笑う。

 最初は、ただ懐かしかった。
 けれど、何度か会ううちに、僕は、彼女と一緒にいると息がしやすいと感じてしまった。

 そのことに気づいたとき、自分を殴りたくなった。

 リリエルは、何の落ち度もない。
 誰よりも真面目に祈り、誰よりも国のために尽くしている。
 それなのに――僕は、あの手を握ったままでいていいのか?

 「許されるわけがない」と思えば思うほど、
 エリナの笑顔が、僕を苦しめた。

 僕が彼女に惹かれれば惹かれるほど、リリエルを裏切ってしまう。
 けれど、もう彼女の横に立つ資格は、自分にはない気がしていた。

 だから、申し出た。

 神殿の謁見室で、リリエルに頭を下げた。

「……君の妹、エリナと惹かれ合ってしまった」

 この言葉が、どれほど彼女を傷つけるか、わかっていた。
 でも、偽りのまま“婚約者”でいる方が、よほど彼女に失礼だと、そう思った。

 彼女は、怒らなかった。責めなかった。ただ、静かにうなずいた。

「……わかりました。私からも、両家に申し入れをいたします」

 その姿があまりにも冷静で、美しくて――
 僕は、胸が痛くなった。

 こんなにも静かに、誰かを失うことがあるのだと知った。

 だが、現実は、さらに残酷だった。

 両家はこの申し入れを“否”とした。
 公爵家にとっても、聖女との縁は簡単に手放せるものではなかった。
 父は「エリナとの関係など噂にすぎん。忘れろ」と言った。

 そして僕は――何もできなかった。

 リリエルを解放するために戦うと言ったくせに、
 結局、政治と体裁に飲まれ、ただ黙ってしまった。

 気づけば、エリナに贈った小さな髪飾りのことも、噂になっていた。
 それを知ったとき、リリエルは何も言わなかったらしい。
 でも、あの人が“黙っていた”ということが、何より恐ろしかった。

 きっと、僕にとっては“罪のない純愛”だった。
 だけど、リリエルにとっては、ただの裏切りだった。

 そして、その報いは、すぐに来た。

 王家から呼び出しがあり、不貞の疑惑が取り沙汰された。
 エリナとの関係を問われ、僕は言葉を失った。

 リリエルは――何も言わなかった。

 ただ、静かに頭を下げて、言った。

「神の名のもと、私、リリエル・エヴァンスは、公爵子息との婚約を破棄いたします」

 その瞬間、すべてが終わった。

 彼女は、僕を一度も責めなかった。
 それが、何よりも重くて、苦しかった。

 僕は、彼女のために何ひとつできなかった。
 彼女を、自由にすることも、傷つけずに手放すことも。

 純愛だった。エリナとの関係は、偽りではなかった。
 でもそれは、誰かを踏みつけにしていい理由にはならなかった。

 ――リリエル。

 あのとき、君が泣いてくれたなら、罵ってくれたなら。
 僕は、少しは報いを受けた気になれただろうに。
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