祈りの乙女は、辺境で恋をする

千宮寺みるく

文字の大きさ
12 / 13
第二幕

祈りでは癒せないもの

しおりを挟む
 朝、目覚めると外は雪だった。

 辺境に春が訪れるのは、まだ先のことらしい。
 窓を開けると、犬のミルダが足元に飛びついてくる。

「おはよう、ミルダ……ふふっ、元気ね」

 くすぐったくなるほどの歓迎に笑ってしまうと、台所のほうから聞こえてくる荒っぽい声。

「飯、食うぞー! 神の人でも朝メシは抜かせねぇからな!」

 辺境伯、ディラン・クロウフォード。
 不躾でがさつ、でも温かい人。

 昨日も、村の診療所で咳き込む子どもに、自分のマフラーを黙って巻いてやっていた。
 その姿を見て、私は思った。
 この人は、私よりずっと“神のそばにいる”。

 

 朝食後、今日も私は祈祷場と診療所を回った。
 祈りで軽くなる症状もあれば、まったく変化のないものもある。

 それが“祈りの限界”。

 私は神の声を聞く存在ではあるけれど、万能ではない。
 ましてや、感染症や疫病の類は、奇跡だけではどうにもならないことが多い。

 

 夕方、ひとりの母親が駆け込んできた。

「お願いです! あの子に、もう一度だけ……祈ってください!」

 腕の中には、小さな少女。
 熱でぐったりしていて、呼吸も浅い。

 私はすぐに祈祷の構えをとった。
 手を重ね、神の名を唱える。

 けれど――

 ……何も、起きなかった。

 私の掌は冷たく、神の加護は降りない。
 その瞬間、背筋が凍るような感覚に襲われた。

「どうして……どうして、効かないんですか……聖女様……!」

 泣き崩れる母親の声が、胸に突き刺さる。

 私は、それに応えられなかった。
 聖女として、ひとりの人間として、無力だった。

 

 少女は、その夜遅くに、静かに息を引き取った。

 私は村の小さな礼拝堂で、ただ祈り続けた。
 神にではなく、自分に。
 「なぜ、何もできなかったのか」と。

 

 どれくらいの時間が過ぎたころだろうか。

 重たい扉の音と共に、ひとりの男が入ってきた。

「……ディラン様」

「何時間も戻ってこねぇから見に来た。飯、冷めてるぞ」

 いつもと変わらぬ口調。
 でもその声に、なぜか涙があふれそうになる。

「……私、何もできませんでした」

「知ってる」

「……祈りは、届きませんでした」

「知ってる」

「……じゃあ、私は――」

「それでも、あの母親はおまえにすがった。
 その時点で、おまえは“必要だった”んだよ」

 その言葉に、私は息を飲んだ。

「できなかったことより、できたことを見ろ。
 傍にいて、手を握って、泣いた。
 おまえは“神”じゃねぇ。“リリエル”って人間なんだろ」

「でも……聖女として、役割を果たせなければ……」

「だったらさっさと聖女やめて、うちの村医者になれ」

「……え?」

「そしたら“リリエルが来るだけで子どもが笑う”って、それでいいだろ。
 神さまより、おまえが来てくれたほうが、ありがたいって奴もいる」

 なんて人だろう。
 こんな時でも、笑わせてくる。

 でも――心が、少し軽くなった。

 

 帰り道、ディランがふと立ち止まった。

「俺さ、昔、弟を病で亡くしてんだ。祈っても何してもダメだった。
 だからわかる。“救えなかった側”の痛みも、“救われたと信じたい側”の気持ちも」

「……だから、私を責めなかったんですね」

「責める理由がねぇだろ。
 おまえは、全力だった。それだけで十分だ」

 

 辺境の夜は、冷える。
 けれど、彼の横を歩いていると、不思議と寒くなかった。

「なぁリリエル。おまえ、笑ってる顔のほうが好きだ」

「……勝手ですね」

「うるせぇ。俺は“勝手”で生きてきたんだ。
 でも、これからは“誰かのために勝手になれる”っての、悪くねぇと思ってる」

「それは……とても、素敵な“勝手”ですね」

 

 礼拝堂の前で、小さな少女の母親が灯を手に立っていた。

「……ありがとう、ございました。
 あの子、あなたの祈りを“あたたかかった”って、言ってたんです」

 涙ぐみながら、そう言って頭を下げる姿に、私はもう一度だけ――胸の奥で、神の名を唱えた。

 神ではなく、“ひとりの人間”として、
 これからの私を照らすために。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

令嬢失格な私なので

あんど もあ
ファンタジー
貴族の令息令嬢が学ぶ王都学園。 そこのカースト最下位と思われている寮生の中でも、最も令嬢らしからぬディアナ。 しかしその正体は……。

大事なことなので、もう一度言います。メインヒロインはあちらにいるのでこっちに来ないでください!!

もち
恋愛
「ニコ、一緒にマギア学園に入ろうね!約束」 「うん、約束!破ったらダメだよリリィ!」 「ニコもだよ!」 あ〜今日もリリィは可愛いな〜優しいしリリィと友達になれて良かった!! ん?リリィ、?どこかで聞いたことあるような名前だな? この可愛い笑顔もどこかでみたことが う〜ん、、、あっ、、わかった 「恋の魔法を君に」っていうゲームだ 画面越しにずっと見て名前を呼んでいたこのゲームのメインヒロイン リリィ・スカーレットだ そこで、一気に昔の記憶が蘇ってきた。 確かリリィは、学園に入るといろんな攻略対象たちから恋愛感情を向けられるはず、、、 ってことは私は幼少期から一緒にいるメインヒロインの友達モブ ゲームストーリーにはいなかったよね?

私の人生に、おかえりなさい。――都合のいい「お姉ちゃん」は、もうどこにもいません

しょくぱん
恋愛
「お姉ちゃんなんだから」 ――それは私を縛る呪いの言葉だった。 家族の醜い穢れを一身に吸い込み、妹の美しさの「身代わり」として生きてきた私。 痛みで感覚を失った手も、鏡に映らない存在も、全ては家族のためだと信じていた。 そんな私、私じゃない!! ―― 私は、もう逃げない。 失われた人生を取り戻した今、偽りの愛に縋る彼らに、私は告げるだろう。 「私の人生に、おかえりなさい。」

辺境に追放されたガリガリ令嬢ですが、助けた男が第三王子だったので人生逆転しました。~実家は危機ですが、助ける義理もありません~

香木陽灯
恋愛
 「そんなに気に食わないなら、お前がこの家を出ていけ!」  実の父と義妹に虐げられ、着の身着のままで辺境のボロ家に追放された伯爵令嬢カタリーナ。食べるものもなく、泥水のようなスープですすり、ガリガリに痩せ細った彼女が庭で拾ったのは、金色の瞳を持つ美しい男・ギルだった。  「……見知らぬ人間を招き入れるなんて、馬鹿なのか?」  「一人で食べるのは味気ないわ。手当てのお礼に一緒に食べてくれると嬉しいんだけど」  二人の奇妙な共同生活が始まる。ギルが獲ってくる肉を食べ、共に笑い、カタリーナは本来の瑞々しい美しさを取り戻していく。しかしカタリーナは知らなかった。彼が王位継承争いから身を隠していた最強の第三王子であることを――。 ※ふんわり設定です。 ※他サイトにも掲載中です。

婚約破棄された堅物令嬢ですが、鬼の騎士団長の娘として宮廷の陰謀を暴くのに忙しいので、美貌のカストラート(実は王子)に溺愛される暇はありません

綾森れん
恋愛
「お前のような真面目くさった女はいらない。婚約は破棄させてもらう!」 婚約者だった公爵令息に冷酷に言い放たれたリラ・プリマヴェーラ。 だが、彼女の心にあったのは悲しみではなく―― 十年前の王族暗殺事件を調査したいという情熱だった。 伯爵令嬢であるリラは、鉄の掟を守る『鬼の騎士団長』の娘。 彼女には恋よりも何よりも優先すべき使命があった。それは、十年前に幼い王子が暗殺された事件の真相を暴き、父を、そして王国を陰謀から救うこと。 婚約破棄直後、彼女の前に現れたのは、天使の歌声を持つ美貌のカストラート(去勢歌手)、アルカンジェロだった。 彼が十年前の事件について密かに調べていることを、リラは知ってしまう。 真相を探るため、リラは彼を自分の音楽教師として迎え入れ、距離を縮めていく。 事件解決の協力者として彼と接するうち、リラは謎めいたアルカンジェロに危機を救われることになる。 しかし、リラは知らない。 アルカンジェロの正体が、十年前に暗殺されたはずの第三王子であることを。 そして彼にとってリラこそが、初恋の女性であることを。 彼は十年間、密かにリラを想い続けていたのだ。 王位を狙う者たちから身を隠すため、声楽の技術を駆使して、教会歌手として大聖堂で生き延びてきたアルカンジェロだったが、王家を巡る不穏な陰謀が静かに動き始めていた。 捜査に猪突猛進な堅物令嬢と、彼女を影から支え執着を見せる、カストラート歌手のふりをした王子。 宮廷の闇を切り裂く二人の恋と事件の行方は――? ※本作は、過去に投稿していた『真面目くさった女はいらないと婚約破棄された伯爵令嬢ですが、王太子様に求婚されました。実はかわいい彼の溺愛っぷりに困っています』の設定・キャラクター・構成を大幅に改稿し、新作として再構成したものです。 物語の結末やキャラクターの掘り下げを強化しておりますので、初めての方も、以前お読みいただいた方もお楽しみいただけます。

余りものの本の虫令嬢が王子の花嫁になるまで

渡辺 佐倉
恋愛
侯爵令嬢のヴィオラは第二王子の婚約破棄騒動に巻き込まれて婚約者を失った第一王子の婚約者になる。 本の虫だったヴィオラはまだ婚約者のいない国内の貴族令嬢の中で唯一、王子妃教育として課せられていた歴史学、宗教学等をマスターしている。それが理由だった。 王宮に招かれたヴィオラは第一王子と出会うが、王子はまだ元婚約者の事が忘れられないようで……。 そこから知識はあるけれど、実際を何も知らないヴィオラと傷心?王子は徐々に仲を深めていく。 設定はふわっと 魔法がある世界設定です

ブスすぎて嫁の貰い手がないから閨勤侍女になれと言われたので縁を切ります、完全に!完全縁切りの先にあったのは孤独ではなくて…

ハートリオ
恋愛
ルフスは結婚が決まった従姉の閨勤侍女になるよう父親に命令されたのをきっかけに父に無視され冷遇されて来た日々を終わらせようとブラコン父と完全に縁を切る決意する。 一方、従姉の結婚相手はアルゲンテウス辺境伯とのことだが、実は手違いがあって辺境伯が結婚したいのはルフス。 そんなこんなの異世界ファンタジーラブです。 読んでいただけると嬉しいです。

処理中です...