カフェオレはありますか?

文字の大きさ
上 下
2 / 38

2

しおりを挟む
 今まで、俺に対して向けられる目は、恐怖と色目が大半だった。男からは恐怖と嫌悪。女の子からは微かな恐怖と圧倒的な好意。それを知った上で、何かを言ったり行動する。たったそれだけで全てが思うように進む。これが俺の世界の当たり前。そんな世界で、最近よく耳にする名前がある。多木崎幸慈。この名前は学校に来る度に何度も耳に届いた。校内を歩く時、格好いいとか、フラれたとか、体操服に着替えてる所見れたとか、男が男に対して恋愛トークから性的トークまで。かなりの確率で名前が挙げられていれば、嫌でも耳に入るし頭に残る。俺の事は格好いいけど怖い、近付いたら殺されそう、良いのは見た目だけ。そんな感想だらけでも、男相手からならどうでもいい。てか、俺と多木崎幸慈を天秤にかけすぎでしょ。俺と同じくらいイケメンなわけ?まぁ、告白を断ったことない俺からすれば、恋愛は淡白って感じだけど。そもそも、男から告白されてもねぇ。そんな変わらない日常の中で、突然秋谷に恋人が出来た。なんておめでたい話でしょうか。男なんて女の子に比べれば何一つ勝っていないのに。女の子と体の関係を持ったことのある秋谷が男相手にセックスが出来るのかも疑問。駄目だったで別れたら女の子を紹介してあげよう、と、勝手に心に決めた。俺ってば友達思いで優しいよねー。屋上で新作のシールにホイホイされて買ったパンを口に含みながら、グラウンドに視線を向ける。俺達のクラスは一時間目体育かぁ。朝から走るとかダル過ぎ。一応どれが恋人か聞いたけど、クラスの人間の顔と名前なんて解らないから感想の言い様がない。多木崎幸慈も同じクラスだっけ。興味無いから確認したこともないけど。恋人になった子は何で秋谷の告白OKしたんだろう。元々そっちの子なのかな。だったら納得。まぁ、目覚めるとも聞いたことはあるけど、俺には関係ない……訳でもないのか。秋谷の友達として仲良くしないといけないんだから、無関係じゃいられないの忘れてた。友達の恋人の友達が同姓愛者だったら面倒だな。ま、最初から女好きアピールすれば平気だよね。多分。駄目でも、今までの俺の経験上、頷かないヤツはいなかった訳だし、秋谷の恋人の友達も、俺が話しかければ何でもすぐに頷くに決まってる。それが多木崎幸慈でも変わらない。そう、決めつけていた。でも、現実はそれが一つも叶わない。こんなのは初めてだ。
 何でこの子は、好奇も恐怖も無い目で俺を見て、簡単に横を通り抜けて行って、遠ざけるんだろう。グラウンドに取り残された俺は、無意識に離れようとする背中を追いかけた。何で追いかけたのかも解らない。見えなくなった焦げ茶の瞳にもう一度映りたいとすら思う。首が隠れる位まである薄くて濃い紫の髪が、走る体の振動で空気を泳ぐ。呼び掛けても応えない。初めてばかりの、この感覚を何て言うんだろう、と、考えて知りたくなった。知りたいと思っている自分に違和感を覚えて頭を抱える間も、足は止まらない。後になって名前を知った時、周りの人間が惹かれるのも少しは解るかもしれない、と、抱いた感想に危機感を募らせて、頭を左右に振ることで思考を追い出す。恋に落ちてないからセーフ、なんて余裕持ってると痛い目にあいそうだからね。ここは線引きをちゃんとしておかないと。
 あーあ、全てにおいて意味が解らないなんて有り得ないよ。そんな事を、教室を出る多木崎くんの後姿を体育の時に俺を置いて走り出した背中と重ね見ながら思った。
「一時的なら買えるって言ったくせに……どうなってるのー?」
 何で買いたいんだっけ?買えたとして、俺は多木崎くんをどうしたいんだろう。どうしてこんなにこだわってるのか解らない。多木崎くんとはただの顔見知り程度の関係でいるつもりだったのに。屋上の時の他人事の俺はどこに行ったのさ。て、ダメダメ、平常心平常心。男子校の呪いに負けてなるものか。
「俺に聞くな」
 そりゃそうか。そもそも一時的ってどれくらいの時間なんだろう。鹿沼に向けていた視線をミーちゃんに移して助けを求めてみた。
「ミーちゃーん」
 どう考えても答えに辿り着けそうもない俺はミーちゃんにすがるしか方法がない。
「え、えーっと、人見知りが他の人より十倍激しいと言うか、心を開くまで長いというか……なんと言うか」
 本当に知りたいのはそんな事じゃなくて、俺自身が解らない自分の事を教えてほしい。女の子と遊んでる時はこんなに悩むことなんてなかったのに。ま、欲しい物とか、やりたい事とか積極的にねだって来る子が多かったからね。そんな俺が何で男相手に悩まないといけないのさ。あー、気分悪い。これはあれだよ。俺と多木崎くんが仲悪いと秋谷達もギクシャクするだろうなぁ、なんて心配をしちゃってるせいに決まってる。
「未来を困らせるな」
「相談してるだけじゃんよー。てか、多木崎くんってそんなに人見知りするんだー。いがーい」
 まぁ、今日途中から見ただけでもミーちゃん以外と話をしてるところは全くだし、さっきクラスの奴に話しかけられてもわざと突き放すような言い方してたけどさ。でも、まさかそこまで警戒心が強いとは思わなかった。警戒心、って、言って良いのかな。それなら廊下で感じた多木崎くんの警戒心と呼べない位の殺意は何?どうしてナイフなんて持ってたの?平然と本を廊下で読み始めた姿とは似ても似つかない感情と行動の変化に、何かを逆撫でされるような感覚が背中を這ったのを思い出して目を細める。俺を他のヤツ等と同じ様に、一人の他人として扱われている事が嬉しいと思った。俺を評価しないどころか、必要ないと避ける姿に興味が沸く。深く知り合ったら、俺をどう評価するんだろう。多木崎幸慈が、俺を檜山茜だと認識して、隣に居ることが許されたら、俺の退屈な世界は何か変わるのかな。
「で、出来た!」
 ミーちゃんの声にハッとして前を向くと、秋谷にプリントを渡していた。秋谷はミーちゃんの頭を撫でながら、頑張ったな、とか言って褒めてる。なんて幸せそうな横顔なんでしょうか。秋谷がこんな風に笑えるなんて今日まで知らなかった。秋谷とは長い付き合いだけど、知らない部分があることに今更気が付きはしたが、全て知ってたらそれはそれで不気味で寒気が走りそう。そう思うと、知らなくて良かった、と、胸を撫で下ろす。最初、男を好きになったって聞いた時は驚いたけど、それよりも本気で誰かを好きになったという事の方が、俺には羨ましくて仕方がなかった。しかもその恋を成就させるなんてさ。そりゃ、俺だって恋人は過去何人も絶えずに居たし、好きだったけど、長続きしても半月位しかもたなかった。次第にセフレと遊ぶのが楽になって、恋人なんて呼べる子は居なくなっちゃったけど。それでも良いとか思ってたのに。自分とは違う目の前の恋人になった二人の纏う空気に胃もたれを感じた。俺の知らない物、見えない物が二人にはある。それが憎くて、羨ましい。
 もー、甘いもの食べてないのに胸焼けしてきちゃったじゃーん。てか、ちゃっかり多木崎くんの席に座ってるし。なんかムカー……って、あれ?なんでムカついちゃってるわけ?
「秋谷ー」
「んだよ、邪魔すんな」
 俺を放ってイチャイチャ優先とは薄情過ぎる。育んできた友情はどこに行ったのさ。
「俺がミーちゃんの席に座ったらどう思う?」
「とりあえず殴る」
 真顔で即答する秋谷の言葉を聞いて、俺はのろのろと足を動かして教室を出た。
「(アイツ……多木崎に惚れた、のか?)」
 廊下の窓に寄り掛かって秋谷の答えを自分に当てはめる。殴るって事は、俺と同じ気持ちってこと……でいいんだよね?でも、イラつきの度合いが一緒とは限らないし。そもそも秋谷は恋人目線で言ってるから、同じな訳ない。そうなると、やっぱり同じ気持ちじゃないってこと?俺のは何?ただの胸焼け?屋上で食べたパンのせいかな。ご飯……多木崎くんのご飯が食べれるミーちゃんが羨ましい。いや、羨ましいって何さ。てか、男の手料理食べたいとかあり得ないでしょ。いや、有名店のシェフは男が多いから神経質になる必要はないか。つーか、なんで多木崎くんの事でこんなに頭使わないといけないわけ?しかも男なのに。秋谷の恋人の友達なんだから仲良くしないと駄目だよなー、位には思ってるし。教師蹴飛ばしたの見たときは面白い子だなって思ったのは確かで、無視されるのは慣れてるけど、なんでか寂しいとか思ってる俺がいるのも事実で……ヤバー、まぁた多木崎くんの事で頭使っちゃってるよー。
「どうしちゃったのさー」
 俺はぼやきながら一人で頭を抱えて廊下を歩く。確かに正面から見た多木崎くんは中性的で綺麗な顔立ちをしていた。声も低過ぎず高過ぎず丁度良い。教室で着替えてるときに見た体も、線が綺麗で、女の子ほど柔らかくもないと解っていても、その体に触りたいとすら思った。男に触りたいとか、痛い人間だわ、俺って。女の子みたいに柔らかくないし、俺と同じものが付いてるんだから、早まった考えはしてはいけない。はっ、まさか、これが男子校の都市伝説、新たな目覚め!?絶対に嫌だ!俺は女の子が大好きです!
 何の気なしに窓の外に目を向けると多木崎くんが保健室へ入って行くのが見えて、窓に顔をくっ付ける。確かに保健室に入ってった。さっきまで元気そうだったのに。なんで保健室?ケガ?病気?そんなことを考えながらも、気がつけば俺の足は保健室へと向かって走り出していた。なんで、走ってんの?ただのクラスメイトだからとか、ミーちゃんの友達だからとか言い訳を考える余裕が無いまま階段を駆け下りる。こんな衝動知らない。体の内側がざわついて気分は最悪。それでも、何かに引っ張られるように体が動いて止められない。何が起きてるのさ。自分でも解らない何かが気持ち悪いのに、それが解ったら、世界が変わるような、そんな期待が奥で燻る。もう一度会えば、声を聞けば、その瞳に映れば。胸が高鳴る。期待が膨らむ。俺が知らない何かを教えてくれる。そうキミに期待しながら、目の前の質素なドアを開けて、肩で息をする自分に驚きながらも多木崎くんを探す。俺を映す瞳に、心臓が揺れた。ほら、もう知らない世界だ。
しおりを挟む

処理中です...