三国志異伝~演算する剣鬼(守銭奴)~最強の秘書官・李司が通る道には死体と領収書しか残らない~

斉宮 柴野

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第一話:花嫁は金貨の夢を見るか

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現在時刻、未の刻を少し過ぎたあたり。


場所、洛陽郊外の雑木林。視覚情報、高速で流れる緑色の背景。聴覚情報、男二人の荒い息遣いと、地面を蹴る足音。触覚情報、腹部に食い込む男の肩の骨の感触。現状認識。

私、李司一五歳は現在、絶賛誘拐され中である。

振動が凄い。内臓がシェイカーの中身のように攪拌される。吐き気はない。私の三半規管は精確無比なジャイロ機能を搭載しているため、この程度の動揺では機能不全を起こさない。

だが、不快指数は鰻登りだ。担がれているこの体勢、非常に屈辱的である。米俵か。
私は米俵なのか。

百歩譲って担ぐにしても、もう少し丁重な扱い方というものがあるはずだ。お姫様抱っこという術式をこの男は習得していないのか。

「はっはっは!うまくいったな本初!追っ手は撒いたぞ!」

前方を走る男が笑う。背が低い。身なりは良いが、着崩し方が下品だ。走り方にも品がない。名は阿瞞と呼んでいたか。こいつが主犯格と推測する。

誘拐という重犯罪を犯しながら、ピクニックにでも来たかのような陽気さだ。脳内論理回路の配線が数本焼き切れているに違いない。

「ぜぇ、はぁ……!阿瞞、貴様……!俺が囮になると言っておきながら、なぜ俺に女を担がせる!」

私を担いでいる男が吠える。名は本初。こちらは背が高い。顔立ちは整っているが、そこはかとなく漂う残念な雰囲気。

そして何より、体力が貧弱すぎる。さっきから私の耳元で「ぜぇぜぇ」と機関車のような呼吸音を響かせている。うるさい。そして肩が痛い。骨と皮しか無いのか、この男の肩は。緩衝材としての筋肉が欠如している。

「重いんだよ!名門袁家の嫡子になんて真似をさせるんだ!」

聞き捨てならない発言を検知。重い?今、この男は私を重いと言ったか?私の体重は四二キログラム。

身長一六〇センチメートルの適正体重を一〇パーセント以上下回る、軽量化に成功したボディだ。それを重いなどと宣うのは、貴様の筋力不足が原因である。

基礎代謝を上げろ。走り込みをしろ。タンパク質を摂取しろ。私の体重に責任転嫁するな。名門だか何だか知らないが、その貧弱な肉体を鍛え直してから出直してこい。









それにしても。怒りが収まらない。私は今日、結婚式を挙げる予定だった。相手は隣町の豪商の息子。顔は豚に似ていたが、資産は莫大だった。

この婚姻は、我が李家と先方の商家との事実上の合併事案である。私が嫁ぐことで得られる結納金、および将来的な資産運用益。

それらを合算すると、金貨にして三〇〇枚相当の利益が見込まれていた。

三〇〇枚だ。わかるか、この金額の重みが。一般市民の年収の何百年分だと思っている。 それが今、このバカ二人の暴走によって、すべて水泡に帰そうとしている。



現在までの損失額を試算する。

結婚式の準備費用、金一〇枚。
料理、酒代、金五枚。
私の花嫁衣装、金八枚。
そして、逸失利益、金三〇〇枚。
合計、金三二三枚の赤字。

破産だ。これはもう、個人の人生における破産宣告に等しい。私の輝かしい未来設計図が、墨汁をぶちまけられたように真っ黒に塗り潰されていく。許せない。断じて許容できない。この落とし前、どうつけてくれるつもりだ。

「細かいことは気にするな。ここらでいいだろう、下ろせ。戦利品の確認といこうぜ」

主犯格の阿瞞が足を止める。ようやく止まるか。私の三半規管は正常だが、腹部の圧迫による血流阻害が限界値に近づいている。これ以上の拘束は、私の美しい肢体に痣を残すリスクがある。商品価値の低下は避けなければならない。

「う、うむ……。やっとか……」

本初が立ち止まる。そして、何の前触れもなく、私を放り出す。

ドサッ。

重力が仕事をする。私の体は草の上に無造作に転がされる。痛覚信号を受信。背中と腰に鈍い痛み。だが、それ以上に深刻な被害が発生。花嫁衣装の裾が泥で汚れる。クリーニング不可。修復不可能。資産価値、完全消滅。

金八枚が、ただの布切れになった瞬間である。おのれ。おのれ本初。この請求書は、貴様の実家に送りつけてやる。耳を揃えて払わせてやる。

私は草の上で、あえて動かない。死んだふりではない。情報収集のための待機状態だ。薄目を開け、周囲の状況を解析する。場所は街道から外れた獣道。人通りは皆無。叫んでも誰も来ない確率、九九・九パーセント。自力での脱出、および事態の打開が必要不可欠。

「ひゅ~!こいつは驚いた。近くで見ると極上のタマだな」

阿瞞が私の顔を覗き込む。視線がねっとりとしていて不快だ。眼球をえぐり出してやりたい衝動を、理性が必死に抑え込む。今はまだ動く時ではない。相手の戦力を分析し、勝率が一〇〇パーセントを超える瞬間を待つ。

「この薄桃色の髪、西域の馬みたいで美しいじゃないか」

馬。この男、私の髪を馬と形容した。語彙力が欠落している。そこは「絹糸のような」とか「春の夜明けのような」とか、詩的な表現を用いる場面だろう。
教養のなさが露呈している。顔も悪ければ頭も悪い。救いようがない。

だが、その腰にある剣。あれは良いものだ。鞘の装飾、柄の材質。一見して只物ではない。鑑定開始。材質、青銅ではない。鋼鉄製。しかも、鍛錬の回数が桁違いだ。推定価格、金五〇枚。

ほう。悪くない。

「む……。確かに。傾国の美女とはこのことか」

本初も覗き込んでくる。こいつは私の顔を見て、頬を赤らめている。

単純な男だ。チョロい。こいつの首から下がっている首飾り。あれも鑑定対象だ。緑色に輝く石。翡翠か。いや、ただの翡翠ではない。あの透明度、あの色艶。最上級の琅玕だ。 推定価格、金一〇〇枚。……訂正。 金一二〇枚は下らない。

チャリーン。

私の脳内で、小銭が落ちる音が響く。損失額、金三二三枚。

回収見込み額、剣と首飾りで金一七〇枚。まだ足りない。まだ赤字だ。だが、こいつらの身に着けている服。帯。靴。それらをすべて剥ぎ取り、中古市場に流せば、あるいは……。

さらに、こいつらの身代金。名門袁家の御曹司と、どこぞの金持ちの息子。実家に脅迫状を送りつければ、残りの赤字を補填できる可能性が高い。

よし。計算完了。損益分岐点は突破可能だ。事業計画を修正。『花嫁強奪被害』から『強盗殺人および身代金獲得作戦』へと移行する。

「だが阿瞞、こいつ妙に静かだぞ?泣きも叫びもしない」

本初が不審がる。鋭い。知性は残念だが、勘は悪くないようだ。一般の少女なら、この状況下では悲鳴を上げ、涙を流し、命乞いをするのが標準的な反応だろう。

だが、私は違う。泣いて事態が好転するなら、バケツ一杯分の涙を流してみせる。叫んで金が降ってくるなら、喉が裂けるまで絶叫してやる。しかし、現実は非情だ。感情はコストであり、利益を生まない無駄なエネルギー消費である。常に、最適解のみを導き出す。

「気絶でもしてるんだろ。今のうちに楽しもうぜ」

阿瞞が下卑た笑みを浮かべる。楽しむ?何をだ。その言葉の意味を解析するまでもない。 性的な暴行の示唆。犯罪係数が跳ね上がる。この男、将来的にろくな死に方をしないな。予言してもいい。

「なあ本初。どっちが先に味見するか決めようぜ」

「はあ!?攫う計画を立てたのはお前だが、担いできたのは俺だぞ!権利は俺にある!」

「いやいや、言い出しっぺの特権というものがあるだろう。それに俺のほうが手練手管は上だ。お前のようなお坊ちゃんには荷が重いって」

「なんだと!?この宦官の孫風情が!俺を誰だと思っている!」

内輪揉めを開始。こいつらの連携など、所詮はこの程度。欲望の前では、友情など紙切れ同然。浅ましい。実に浅ましいが、それが人間というものだ。そして、それが私の勝機となる。

警戒心の低下を確認。二人の意識は、互いの主張をぶつけ合うことに集中している。背後への注意がおろそかになっている。今がその時だ。隙の発生率、九九・八パーセント。 残りの〇・二パーセントは、隕石が落ちてくるとか、地面が割れるとか、そういう天変地異の確率だ。実質、成功率は一〇〇パーセント。

推奨行動。物理的排除。および、制圧。

私の脳内指令所が、全身の筋肉に戦闘態勢への移行を命令する。心拍数を上昇させ、アドレナリンを分泌。瞬発力を最大化する。花嫁衣装は動きにくいが、構造上の弱点は把握済みだ。裾を蹴り上げれば、可動域は確保できる。

音もなく立ち上がる。呼吸を止める。気配を消す。これは実家の倉庫に忍び込み、親に見つからずにへそくりを盗み出す際に培った技術だ。まさかこんなところで役立つとは、人生とは分からぬものだ。

言い争う二人の背後に立つ。彼らはまだ気づかない。「俺が先だ!」「いや俺だ!」と喚き合っている。滑稽だ。これから地獄へ落ちるというのに、順番争いか。ならば、私が裁定を下してやろう。

「――実行します」












右足に意識を集中する。

大腿四頭筋、収縮開始。
ハムストリングス、連動。
腓腹筋、瞬発力最大。
足首の角度、接地角に対し三十五度。
地面を掴む足指の力、最大出力。

爆発的な踏み込み。地面の土が圧力に耐えきれず、悲鳴を上げて窪む。
その反動を全て前方への推進力に変換する。矢のように飛び出す。狙うは阿瞞の懐。

阿瞞の目が驚愕に見開かれるのが見える。彼の網膜に私の姿が映り、視神経を通って脳に伝達され、危険信号として処理されるまでの時間的遅延。その隙間を、私は悠々と駆け抜ける。婚礼衣装の長い裾が、私の動きに遅れて翻る。

バサァッ!絹擦れの音が、これから始まる暴力の旋律を奏でる。邪魔だ。この裾、実に邪魔だ。足に絡みつこうとする布地を、微妙な足捌きで回避する。まるで舞踏だ。あるいは、荒れ狂う波の上を歩くかのような繊細な重心移動。これもまた、計算の極致。

阿瞞の目前に到達する。距離、一尺。阿瞞はようやく剣を抜こうとしている。だが、その剣が鞘から放たれることはない。左手で、彼の剣の柄を上から押さえつける。カチン。剣が鞘に戻る音。抜刀阻止。

阿瞞の顔に「え?」という疑問符が浮かぶ。理解不能といった表情。説明している暇はない。私は右手を開き、掌底の形を作る。狙うは顎の先端。三叉神経が集まる急所。ここに的確な衝撃を与えれば、脳を揺らし、平衡感覚を破壊できる。

角度、下方より四十五度。速度、音速以下だが視認不可。質量×速度=破壊力。

ドカッ!!

乾いた衝撃音。私の掌が、阿瞞の顎を捉える。手首のスナップを効かせ、衝撃を頭蓋骨の内部へと浸透させる。物理法則は嘘をつかない。

作用反作用の法則に従い、阿瞞の頭部が後方へと跳ね上がる。それに引かれるように、彼の身体が宙に浮く。

美しい放物線。私の計算通りだ。彼は今、重力に逆らい、自由落下運動に入る前の最高到達点へと向かっている。だが、これで終わりではない。私は彼が吹き飛ぶ方向を調整する必要がある。

なぜなら、このままでは彼が茂みに突っ込み、捜索が面倒になる可能性があるからだ。回収の手間を省くため、分かりやすい位置に着地させるのが効率的だ。 私は浮き上がった阿瞞の襟首を掴み、強引に軌道修正を行う。遠心力を利用した投げ。目標、後方にある大木。

「いってらっしゃい」

彼を投げ飛ばす。阿瞞の身体が空を裂く。彼は手足をバタつかせ、何かを叫ぼうとしているが、顎への衝撃で呂律が回っていない。「あがががが」という奇妙な音声データのみが出力されている。

ドコッ!!

阿瞞の背中が、太い幹に激突する。幹が振動し、葉が数枚、ハラハラと舞い落ちる。阿瞞は幹に張り付いたまま、一瞬停止し、それからズルズルと重力に従って滑り落ちる。地面にへたり込む音。素晴らしい。狙った位置から一寸もずれていない。芸術的な着地だ。 自分の制球力に、内心で拍手を送る。

さて、次だ。視線を左へ巡らせる。そこには本初がいる。彼は今の光景を見て、完全に硬直している。口を半開きにし、目は点になっている。戦意喪失?いや、恐怖による思考停止状態だ。

逃げるという選択肢すら、彼の脳内回路からは消滅しているようだ。好都合だ。動かない的ほど当てやすいものはない。ゆっくりと彼に向き直る。ドレスの裾を捲り上げる。美しい脚線美を惜しげもなく披露する。これはサービスではない。可動域確保のための必要措置だ。本初の視線が、私の太腿に釘付けになる。男という生物の悲しい性だ。

生命の危機に瀕してもなお、性的欲求中枢が反応してしまう。その隙、致命的。

「見物料は高いですよ」

軸足を左足に定める。地面を深く踏みしめる。大地のエネルギーを吸い上げるように。

右足を引き上げ、腰を回転させる。旋回運動。遠心力を最大化する。狙うは本初の側頭部。上段回し蹴り。俗に言うハイキック。

私の右足が鞭のようにしなる。空気抵抗を切り裂く音。

ヒュンッ!本初は反応できない。彼の目はまだ私の太腿を見ている。愚か者め。その煩悩ごと、脳みそを揺さぶってやる。

バキッ!!

私の足の甲が、本初のこめかみ付近を捉える。骨と骨が衝突する鈍い感触。痛みはない。私のアドレナリン分泌量は現在、致死量の一歩手前まで上昇しており、痛覚信号を遮断している。

対して本初は、世界が回転するような衝撃を受けているはずだ。彼の首が異様な角度に曲がる。頸椎へのダメージを懸念するが、私の計算ではギリギリセーフだ。後遺症が残らない程度の、絶妙な手加減。

これぞ職人芸。本初の身体が横回転しながら吹き飛ぶ。きりもみ回転。体操選手も顔負けの回転数だ。彼はそのまま、阿瞞が激突したのとは別の木に向かって飛んでいく。

ドカッ!!

激突音。本日二回目。本初は顔面から木にぶつかり、カエルのような姿勢で張り付く。 そして、ゆっくりと仰向けに倒れる。白目を剥いている。鼻血が出ている。口から魂のような白いモヤが出かかっているが、まだ生体反応はある。

生存確認。よし。

息を吐く。ふぅー。戦闘終了。

所要時間、約五秒。私の脳内シミュレーション通りの展開だ。乱れた衣装を整える。

裾についた草を払う。袖口の皺を伸ばす。髪のほつれを指で直す。身だしなみは重要だ。 私はこれから、彼らに対して「債権者」としての立場を明確にしなければならない。品位ある態度は、交渉における優位性を担保する。

倒れている二人に歩み寄る。阿瞞は地面にめり込むようにして倒れている。本初は白目を剥いて痙攣している。惨状だ。だが、同情はしない。これは自業自得という因果律の結果である。原因は彼らの誘拐行為。結果としての身体的損害。実に論理的な帰結だ。

阿瞞がうめき声を上げる。

「ぐへぁッ……!?」

何か言っている。彼の横にしゃがみ込む。ドレスの裾が汚れないように注意しながら。 阿瞞の髪を掴み、強引に顔を上げさせる。彼の顔は土と草にまみれ、鼻血が筋を作っている。その目はまだ死んでいない。恐怖と混乱、そして微かな反骨精神が混ざり合っている。いい目だ。いじめ甲斐がある。

「な、なにが……?」

阿瞞が震える声で問う。彼は自分が何故ここに転がっているのか、理解できていないようだ。無理もない。私の動きは彼の動体視力を遥かに凌駕していた。

「あ、あぷ……」

隣で本初が奇妙な音を発する。

「親父にも……ぶたれたことないのに……」

などと、どこかの軟弱な少年の台詞のようなことを呟いている。意識が混濁しているようだ。幼児退行の兆候が見られる。治療費を請求項目に追加する必要があるかもしれない。

立ち上がり、二人を見下ろす。

「打撃深度、想定通り」

事務的に報告する。誰にか?自分自身にだ。自己評価は成長のために不可欠な工程だ。 

「骨折は回避しましたが、全治三日の打撲です。ふぅ……。婚礼衣装での戦闘は空力抵抗が悪くて非効率ですね」

もし動きやすい道着だったら、彼らは今頃、三途の川の渡し賃を計算していただろう。 私の慈悲に感謝してほしいものだ。

さて。ここからが本番だ。戦闘はあくまで手段。目的は損失の回収である。私はビジネスモードに切り替える。

「さて、お二人さん。損害賠償請求の宛先を確認します」

抑揚のない声で告げる。

「お名前は?」

質問というよりは、尋問だ。個人情報の開示を要求する。彼らの身元によって、請求書の額面が変わる。もし貧乏人なら、身ぐるみ剥いで売り飛ばすしかない。もし金持ちなら……ふふふ。期待値が高まる。

阿瞞が震えながら口を開く。

「そ、曹……孟徳……またの名を、阿瞞……」

曹孟徳。その名を聞いた瞬間、私の脳内検索エンジンが高速回転を始める。
キーワード入力:『曹孟徳』『曹家』。 検索中……。
ヒット数、多数。
関連ワード:『宦官の孫』『濁流』『金持ち』『売官』『三公』
私の眉がピクリと動く。

「父は……曹嵩だ……」

阿瞞が付け加える。決定打。曹嵩。その名は、この国の経済界におけるビッグネームだ。 金の力で「太尉(軍事長官)」の地位を買ったと噂される、桁外れの富豪。
その資産額は推定不能。国家予算に匹敵するとも言われる、歩く金塊だ。
私の瞳孔が開く。
脳内でファンファーレが鳴り響く。金だ。この薄汚い男の背後に、黄金の山が見える。

興奮を抑えつつ、視線を本初に移す。

「貴方は?」

本初は私の視線に怯え、ビクッとして後ずさる。地面を這う虫のような動きだ。

「わ、私は……袁本初……!」

彼は必死に虚勢を張ろうとする。

「四世三公の名門、袁家の……!」

四世三公。その四文字熟語が、私の脳髄を直撃する。四世代にわたり、三公(最高位の大臣)を輩出してきた超名門一族。政界のサラブレッド。権力、名声、コネクション、そして莫大な資産。

それら全てを生まれながらにして所有する、選ばれし貴公子。それが目の前で鼻血を出して倒れているこの男か。

カシャーン!!私の脳内で、巨大な金銭登録機が開く音が響く。いや、一つではない。 数百台のレジが一斉に開き、硬貨が溢れ出す音だ。

検索結果:『大当たり(ジャックポット)』これは夢か。それとも幻か。いや、現実だ。目の前に転がっているのは、ただの不良少年と残念な貴公子ではない。
歩く「優良債権」だ。金の卵を産むガチョウだ。いや、ダイヤモンドでできたガチョウだ。

比較演算開始。

当初の予定:田舎の商家の嫁になる。
予想収益:金三百枚。
労力:豚のような夫の世話、姑のいびりへの耐性、家業の手伝い。
リスク:夫の浮気、商売の失敗、戦争による没落。
結論:ローリスク・ローリターン。

現在の状況:超富裕層の御曹司二人を恐喝(正当な請求)
予想収益:測定不能(上限なし)
労力:こいつらの管理、脅迫、実家への交渉。 
リスク:権力による報復、暗殺者の襲来。 だが、リターン(期待値)は桁違いだ。

金一〇〇〇枚? いや、一万枚? いや、彼らの実家そのものを乗っ取ることも不可能ではない。推定資産価値……国家予算並み。

私の脳内物質、ドーパミンが大量分泌される。快感。圧倒的な快感。金貨の輝きが、私の視界を黄金色に染める。私は、自分が今、歴史の転換点に立っていることを確信する。 三国志?英雄?そんなものはどうでもいい。これは「李司財閥」の創世記だ。

深呼吸をする。高まる鼓動を鎮める。そして、表情を一変させる。先ほどまでの冷徹な鬼の仮面を脱ぎ捨てる。代わりに装着するのは、聖母のような慈愛に満ちた(営業用の)微笑み。

口角を十七度上げ、目を三日月形に細め、慈しみのオーラを放出する。
完璧な演技。アカデミー主演女優賞確実の変貌ぶりだ。

阿瞞の手を優しく取る。土で汚れたその手を、まるで宝物であるかのように両手で包み込む。そして、自分の頬に当てる。冷たい土の感触。だが、私にはそれが金粉の感触に思える。

「ああ……なんてことでしょう」

 うっとりとした声を出す。声帯の振動数を調整し、甘く、とろけるような響きを作り出す。

「貴方様方が、そんなに素晴らしい『優良債権』様だったなんて」

本音が漏れているが、今の彼らには理解できないだろう。語尾にハートマークが見えるような口調だ。

阿瞞が目を白黒させる。

「は?さ、債権……?」

彼は混乱の極みにある。さっきまで自分を殴り飛ばしていた暴力女が、急に恋する乙女のような顔で自分の手を握っているのだ。脳が処理落ちするのも無理はない。

「あの……お前、頭打ったのか?」

などと失礼なことを考えているに違いない。だが、私は気にしない。顧客には優しく接するのがビジネスの鉄則だ。

「ええ」

優しく頷く。

「私の結婚を破談させた慰謝料。誘拐による精神的苦痛。婚礼衣装の洗濯代」

指折り数える仕草。優雅に、かつ正確に項目を列挙する。

「その他もろもろ合わせて……そうですね」

懐から愛用の計算道具を取り出す。五つ玉のそろばん。これは私の外部記憶装置であり、魂の相棒だ。

ジャラッ!私はそれを構える。阿瞞と本初がビクリとする。武器だと思ったらしい。ある意味、剣よりも恐ろしい武器だが。

パチパチパチパチ!!高速演算開始。指が残像を残すほどの速さで玉を弾く。

慰謝料:金三百枚(逸失利益補填)
精神的苦痛:金二百枚(誘拐という恐怖体験代)。
衣装損害:金五十枚(精神的付加価値含む)。
殴った拳の治療費(私の手):金十枚。
教育費(彼らへの指導料):金百枚。
その他手数料、深夜割増、危険手当……。
加算、乗算、累乗計算。
全ての項目を最大限に水増しする。
端数は切り上げ。
消費税も導入しようか。

パチィン!!最後の玉を弾く音が、森に響き渡る。計算終了。決定。

「現在価値で、金一〇〇〇枚としましょうか」

にっこりと告げる。一〇〇〇枚。普通の人間なら一生かかっても拝めない金額だ。
城が一つ買えるかもしれない。だが、彼らの実家なら払える。痛くも痒くもない端金だろう。

「せ、一〇〇〇枚だと!?」

本初が叫ぶ。意識が戻ったらしい。

「ふざけるな、そんな大金!たかが女一人攫ったくらいで!」

彼はまだ状況を理解していない。「たかが」だと?私の価値を「たかが」と言ったか。 その発言により、追加料金が発生したことを彼は知らない。

表情を消す。聖母の仮面を一瞬で剥がし、地獄の番人の顔になる。声のトーンを二オクターブ下げる。ドスの効いた低音。腹の底から響かせる威圧の声。

「払えない?」首を傾げる。視線だけで彼らを刺し殺す。

「なら、貴方たちの身体をバラして臓器を売りますか?」

具体的な部位を視線でなぞる。

心臓、肝臓、腎臓、眼球。闇市場での相場が脳裏に浮かぶ。

「それとも……ご実家に案内してくださいます?」

阿瞞と本初が凍りつく。彼らの本能が警鐘を鳴らしている。

「こいつは本気だ」と。冗談ではない。いつだって本気だ。金に関しては、一厘たりとも妥協しない。それが李司という女の生き様なのだ。

二人の背後に回る。そして、彼らの首に左右から腕を回す。ヘッドロックの要領だ。右腕で阿瞞の首を、左腕で本初の首を抱え込む。

「捕獲」完了。逃げられないように、ガッチリと筋肉をロックする。私の二頭筋が彼らの頸動脈を圧迫する。これは愛情表現ではない。拘束具だ。

「さあ、行きましょう。曹家と袁家へ」

明るい声で宣言する。遠足に行く引率の先生のような口調で。

「お父様たちに、ご挨拶(請求)をしなくては」

挨拶と書いて請求と読む。これ常識。

「逃げようとしたら……分かってますよね?」

二人の耳元で囁く。吐息がかかる距離。甘い声。だが内容は致死的。

「頸椎を、ボキッといきますから」

阿瞞と本初が顔を見合わせる。その顔には絶望の色が濃く滲んでいる。彼らの目線で会話が行われる。

「おい、どうするんだこれ」

「知らん、お前が連れてきたんだろ」

「悪魔だ……!!」

「いや、悪魔以上だ……!」

彼らの心の声が聞こえてくるようだ。光栄な評価だ。ビジネスの世界では、悪魔と呼ばれることこそが勲章なのだから。

「あ、ついでに」

思い出したように付け加える。重要な案件を忘れていた。

「私をどちらが『飼う』か揉めていましたね?」

そう、彼らは私をペットか何かのように扱おうとしていた。

「味見」だの「楽しむ」だの、不愉快極まりない会話をしていた。その件についての最終判決を下す。

「安心してください」

二人の首をさらに強く締め上げる。グエッ、というカエルのような声が二重奏を奏でる。 

「私が、貴方たち二人を『管理』して差し上げますから」

主従関係の逆転。所有権の移動。これより、彼らは私の所有物(アセット)である。資産台帳に登録完了。減価償却期間、一生。耐用年数、死ぬまで。

「死ぬまで(骨までしゃぶって)、ね?」

至近距離で、にっこりと笑う。その笑顔は、夕日よりも赤く、血のように鮮やかで、そして美しくも悪魔的だったに違いない。彼らの瞳に映る私が、そう物語っている。

二人はガクガクと頷く。拒否権など最初から存在しない。契約成立だ。印鑑は不要。恐怖という名の拇印を押させたからな。

「では、出発進行!」

二人を引きずりながら歩き出す。彼らの足が地面を擦る音がするが、気にしない。目的地は洛陽。大都市。金と欲望が渦巻く魔都。そこが私の新しい戦場だ。田舎の商家の嫁なんていう小さな夢は、もう捨てた。

これからはもっと大きな夢を見る。金貨一〇〇〇枚?否。一万枚、十万枚、一億枚。国の全てを買い取るまで、私の欲望は止まらない。

森を抜けると、夕日が地平線に沈もうとしていた。空が黄金色に輝いている。まるで世界そのものが金貨でできているかのようだ。

美しい。実に美しい光景だ。あれが私の未来だ。

こうして私は、三国志という名の巨大市場に上場を果たした。
目指すは、天下統一……ではなく、総資産一位。群雄割拠?知ったことか。英雄豪傑?ただの顧客だ。乱世?それはビジネスチャンスの別名に過ぎない。私の覇道(集金)は、まだ始まったばかりである。
これから忙しくなるぞ。まずは曹操の親父から、いくら巻き上げられるか。

ふふふ。楽しみで仕方がない。私の計算機が熱を帯びて唸りを上げる。さあ、稼ぐわよ!
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 江戸時代、東北地方の秋田藩は貧かった。  そんな中、真面目なひとりの武士がいた。同僚からは馬鹿にされていたが真面目な男であった。俸禄は低く貧しい。娘二人と実母との4人暮らし。  秋田藩での仕事は勘定方である。  仕事が終わると真っ直ぐ帰宅する。 ただひたすら日中は城中では勘定方の仕事をまじめにして、帰宅すれば論語を読んで知識を習得する。   そんな毎日であった。彼の名前は立花清左衛門。年齢は35歳。  娘は二人いて、一人はとめ15歳。もう一人は梅、8歳。  さて|黄昏《たそがれ》は、一日のうち日没直後、雲のない西の空に夕焼けの名残りの「赤さ」が残る時間帯のことを言う。「|黄昏時《たそがれどき)」。 「黄昏れる《たそがれる》」という動詞形もある。    「たそがれ」は、江戸時代になるまでは「たそかれ」といい、「たそかれどき」の略でよく知られていた。夕暮れの人の顔の識別がつかない暗さになると誰かれとなく、「そこにいるのは誰ですか」「誰そ彼(誰ですかあなたは)」とたずねる頃合いという意味で日常会話でよく使われた。  今回の私の小説のテーマはこの黄昏である。  この風習は広く日本で行われている。  「おはようさんです」「これからですか」「お晩でございます。いまお帰りですか」と尋ねられれば相手も答えざるを得ず、互いに誰であるかチェックすることでヨソ者を排除する意図があったとされている。  「たそかれ」という言葉は『万葉集』に 誰そ彼と われをな問ひそ 九月の 露に濡れつつ 君待つわれそ」 — 『万葉集』第10巻2240番 と登場するが、これは文字通り「誰ですかあなたは」という意味である。  「平安時代には『うつほ物語』に「たそかれどき」の用例が現れ、さらに『源氏物語』に 「寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 夕顔の花」 — 『源氏物語』「夕顔」光源氏 と、現在のように「たそかれ」で時間帯を表す用例が現れる。  なおこの歌は、帖と登場人物の名「夕顔」の由来になった夕顔の歌への返歌である。  またこの言葉の比喩として、「最盛期は過ぎたが、多少は余力があり、滅亡するにはまだ早い状態」をという語句の用い方をする。 漢語「|黄昏《コウコン》」は日没後のまだ完全に暗くなっていない時刻を指す。「初昏」とも呼んでいた。十二時辰では「戌時」(午後7時から9時)に相当する。  「たそがれ」の動詞化の用法。日暮れの薄暗くなり始めるころを指して「空が黄昏れる」や、人生の盛りを過ぎ衰えるさまを表現して「黄昏た人」などのように使用されることがある。  この物語はフィクションです。登場人物、団体等実際に同じであっても一切関係ありません。  それでは、小説「黄昏夫婦」をお楽しみ下さい。  読者の皆様の何かにお役に立てれば幸いです。  作家 蔵屋日唱    

借金した女(SМ小説です)

浅野浩二
現代文学
ヤミ金融に借金した女のSМ小説です。

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち

ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

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歴史・時代
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歴史・時代
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