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始まりの鐘
しおりを挟む「レベッカ・ランドルフ、君との婚約は破棄する。」
ダリル・レオ・ファーガソン公爵が主催する、煌びやかな舞踏会で。
皆の注目を集めて、冷たく言い放った。
今ここでは、乙女向け恋愛小説『偽りの薔薇姫』のクライマックスの最中だ。
私、岩本百合は、ヒロインを虐めていたレベッカに転生していた。
何度も読んだこのシーン。
全ての台詞を、私は覚えている。
この後、レベッカは婚約者を奪ったヒロインのクリスタという町娘に殴りかかる。
この娘は、実は亡国のプリンセスで、公爵との身分差の恋がどんどん発展するストーリーが面白かった。
悪役のレベッカは、ファーガソン公爵が押さえ付け、兵士に強制退場させられる。
彼女は「社交界、家族からも追放され、侯爵令嬢という身分すら無くなった。」という一文で幕を閉じる。
読者だった私は、レベッカが〝ざまぁ〟されるこのシーンがスカッとして、何度も読み返した。
だが、実際に彼女になってみるとわかる。
大衆の前で恥をかかせるファーガソン公爵と、
私は悪くないと言わんばかりの顔をしたクリスタが、無性に腹立たしかった。
そして私は、レベッカになって理解した。
これまでの行動には、理由があったのだと。
「承知致しました、ファーガソン公爵様。この度は、ご縁が無かったという事で、失礼致します。」
「ま、待て、レベッカ!
ここで、今までクリスタにした悪事を謝罪しろ。」
思いもよらないレベッカの返答と、あっさり背を向けて帰ろうとする態度に、公爵は戸惑った。
レベッカは「……謝罪?」と睨みつけるように、ゆっくり振り向く。
そして次の瞬間、悲しみに暮れた表情で地に伏し、クリスタに向かって土下座するように謝った。
「ごめんなさぁ~い!
ああ……うう、ぐすん、ぐすん。
お慕いしていましたファーガソン公爵様を、クリスタ様に奪われてしまい……。
わ、私は嫉妬から、数々の悪事をしてしまいました。
ああ、クリスタ様。
恋に盲目な愚かな私を、寛大な心でお許し頂けないでしょうか?」
悪役の女は、大衆の前で大袈裟な可哀そうな女を演じた。
会場には、コソコソと囁く声が広がり、嘲りと同情が入り混じる。
でも、クリスタなら許す。
だって彼女は、心優しく、可憐で、美しいヒロインなのだから。
「……ええ。私は、もう大丈夫ですわ。」
クリスタはそう言って、逃げるようにファーガソン公爵の背後に隠れた。
「クリスタが怯えている。
レベッカ、もう止めろ。顔を上げて、立て。」
その言葉を聞きながら、床に頭をつけたまま。
誰にも表情を見せず、私は、ニタリと笑う。
「お許し下さり、ありがとうございます。
ですが、クリスタ様にしてしまった今までの罪は償います。
私は今後、社交界から姿を消し、質素に独りで生きていこうと思います。
お集まりの皆さま、この華やかなひと時を汚してしまい、申し訳ございません。
この後も是非、公爵様のパーティーをお楽しみ下さい」
レベッカは華麗にドレスの裾を上げ、完璧なカーテシーを見せた。
その所作に、誰もが息を呑む。
そして未練もなく、スタスタと会場を後にした。
外へ出て、階段を降り、馬車へ向かう。
すると丁度、夜十二時を告げる鐘の音が鳴り響いた。
まるで、レベッカのためのシンデレラな演出だった。
私は二十代の終わりに癌を患い、余命幾ばくもなく死んだ。
目を開けたら、まさかの令嬢転生。
何も動じることなく、あのクライマックスを乗り越えた私は、
この時をもって岩本百合を捨て、レベッカ・ランドルフとして生きると決めた。
鐘が鳴り終わると、御者にランドルフ侯爵邸へ向かうよう命じる。
馬車はファーガソン公爵の領地を出た。
もう二度と、この地に足を踏み入れないだろう。
レベッカは、清々しく笑った。
※
本当のレベッカは、愛する公爵に婚約破棄を言い渡された後、
自室のバスタブで手首を切って死んだ。
小説の一文とは違う人生を、彼女は生きていた。
ランドルフ侯爵夫妻は、娘の死を嘆き悲しんだ。
彼女は追放などされていない。
家族から、確かに愛されていた女性だった。
一つだけ、不思議なことがある。
彼女の自殺後に転生したのではなく、あのクライマックスで回帰したこと。
これは勝手な想像だが——
レベッカは最後に、私に運命の分岐を託したのではないだろうか。
都合のいい考えだとしても、そう思わずにはいられなかった。
帰宅後、レベッカを心配して、父と母が駆け寄ってきた。
「レベッカ、大丈夫か。
お前は悪くない。社交界に居ていいんだ。
私が、あんな男と引き合わせたのが悪かった」
父は一人娘を、心から大切にしている。
「そうよ。
人前で婚約破棄なんて、なんて酷い人なのかしら。
あんな男と結婚しなくて良かったわ。
私たちが、もっと素敵な人を紹介するわよ」
母も涙ぐみながら駆け寄る。
その愛情は、温かく、胸に沁みた。
この愛に気づけないほど、レベッカは深い絶望に沈んでいたのだ。
「お父様、お母様。
不甲斐ない娘で、申し訳ございません」
今まで謝ることなどなかった娘の言葉に、二人は驚いた。
「どうか、最初で最後のお願いを聞いて下さい」
「勿論だ。
お前のためなら、何でもする」
二人はレベッカの手を握る。
願いを聞いた時、最初は驚いた。
だが結果的に、全てを受け入れた。
レベッカはまず——
「公爵との破談で心に傷を負い、自殺未遂をした」という設定を広める。
そして、
「侯爵令嬢を辞め、独りで暮らしたい」と申し出た。
父と母は独り暮らしを許したが、
侯爵令嬢の身分を捨てることだけは許さなかった。
私はもう結婚するつもりはない。
今日の出来事があって、誰がこんな令嬢を娶りたいだろう。
だから私は、ランドルフ家を継ぐ養子を迎えることを提案した。
二人は悲しそうに、
それでも「わかった」と、全てを受け入れた。
※
そして——
山奥の、小さな邸宅へ。
新しい生活が始まる。
馬車に揺られ、人気のない山道を進む。
遠い親戚が住んでいた、小さな邸宅が見えた。
庶民の家とは違い、使用人用の部屋もあり、そこそこ広い。
父と母は最後まで、使用人を付けないのかと心配していた。
だが、私には必要ない。
資金も土地もある。納屋もある。
少しずつ、自給自足を目指せばいい。
しばらくは週に一度、ランドルフ家の配給をお願いした。
自立できたら、いずれ断るつもりだ。
毎日が新しい挑戦で、心が弾む。
今を生きられることに、感謝を忘れない。
ゴーン、ゴーンと、鐘の音が優しく響いた。
ファーガソン公爵の城の鐘が、ここまで届く。
山奥のこの家からも、城の頭がわずかに見えた。
「……まったく。
あの男を思い出すわね。最悪だわ」
もう聞きたくないと、乱暴に戸を閉める。
レベッカは部屋へ入った。
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