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1章【領地編】悪徳領主の爆速レベリング
8.閑話 剣鬼
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私は、長い間「死んで」おりました。
心臓は鼓動し、呼吸もし、食事も摂る。しかし、その魂は泥の中に沈み、ただ命令を遂行するだけの「精巧な人形」に成り下がっていたのです。
私の名はセバスチャン。かつては、セバスチャン・フォン・ルードという名で、王宮騎士団の第三部隊長を務めていた男です。
◆
若き日の私は、正義を信じていました。剣の腕は立ちました。【剣鬼】などという大層な二つ名で呼ばれ、将来を嘱望されていたものです。しかし、私は愚直すぎました。
ある時、私はある大貴族の汚職を告発しました。確かな証拠もありました。正義は我にありと信じて疑わなかった。ですが、結果は無残なものでした。
証拠は握りつぶされ、証人は消され、逆に私が「無実の罪」を着せられたのです。騎士の称号を剥奪され、家を取り潰され、路頭に迷った私を拾ったのが――当時、王都で金に物を言わせて幅を利かせていた、ベルン・フォン・アークライト子爵でした。
『ほう、元騎士隊長か。腕は立つんだろうな?私の護衛になれ。金は弾むぞ。ただし、プライドなんてゴミは捨ててこい』
生きるために、私はその手を取りました。屈辱でした。民を虐げ、私腹を肥やす豚のような男に頭を下げる日々。私は、心を殺しました。何も見ない、何も聞かない、何も感じない。そうしなければ、自らの剣で主の首を刎ねてしまいそうだったからです。
やがて、子爵に息子が生まれました。ヴェルト様です。最初は無垢な赤子でしたが、父親の歪んだ教育を受け、彼は順調に「二代目の豚」へと成長していきました。母親は屋敷のメイドと聞きましたが、それ以上はわかりません。生きているのか、死んでいるのかそれすらも。
ああ、この家は腐っている。私の人生は、この泥沼の中で終わるのだ。そう、諦観していたのです。
――あの日までは。
3年前のあの日。いつものように癇癪を起こして気絶したヴェルト様が、目を覚ました時のことです。
鏡を見て絶叫し、己の醜さに絶望した彼が、メイドのマリアに対して行った行動。それは、貴族にあるまじき『土下座』でした。
『すまん!今まで本当にすまなかった!俺は心を入れ替える!』
私は最初、彼が発狂したのだと思いました。あるいは、何か新しい質の悪い冗談かと。
ですが、彼は本気でした。来る日も来る日も、泥だらけになって走り込み、手の皮が剥けるまで剣を振り続けました。その瞳には、かつての澱んだ色はなく、燃えるような闘志と、何かに怯えながらも立ち向かおうとする強い意志が宿っていました。
不思議なものでございます。たった10歳の少年が、汗水垂らして必死に変わろうとする姿を見ていると、死んでいたはずの私の心に、小さな火が灯るのを感じました。
(ああ……この方は、本物だ)
確信したのは、初めて彼が魔物と戦った日。震える足でスライムに立ち向かい、勝利した瞬間の、あの笑顔。そして、傷つきながらも強さを求める、貪欲な姿勢。
かつて私が仕えたどの王族よりも、どの騎士団長よりも、泥まみれの少年(当時はまだ太っていましたが)が、輝いて見えたのです。
それからの日々は、私の人生で最も輝かしい時間でした。ヴェルト様は、常識外れの速度で成長されました。私の教える剣術をスポンジのように吸収し、またたく間に私を超えていかれました。
何より素晴らしいのは、そのお心です。強大な力を得ても、それを私利私欲のためには使わず、領民を守るために振るう。ワイバーンの炎を斬り裂き、子供たちを守ったあの背中を見た時、私は不覚にも涙を流しました。
これこそが。
私が若い頃に夢見た、真の『騎士』の姿ではないか、 と。
◆
現在。私は、屋敷の廊下を歩いています。手には、銀の盆に乗せた食事。行き先は、屋敷の奥深くに新設された「特別室(牢獄)」です。
「……セバス、おいセバス!ここから出せ!私は領主だぞ!ヴェルトの奴に言ってくれ!今ならまだ許してやると!」
鉄格子の向こうで、かつての主であるベルン様が喚いています。私は冷ややかな目でそれを見下ろし、食事を差し出しました。
「旦那様。本日のメニューは、麦粥と干し肉でございます」
「こんな豚の餌が食えるか!ワインを持ってこい!」
「贅沢は敵でございますよ。……それに、栄養をつけていただかなくては。ヴェルト様の栄光を、その檻の中から末永く見届けていただくのですから」
私は微笑みました。ベルン様には、生きていてもらわねばなりません。ヴェルト様という「太陽」が、いかにしてこの領地を、いや、世界を照らしていくのか。その眩しさに目を焼かれながら、己の無能さを噛み締めて生き続けていただくのが、彼への最大の罰(と、マリアの作成した毒のテスト役)ですから。
「では、失礼いたします。ああ、それと。私の名はセバスではなく、セバスチャンです。親愛なる方から呼ばれるならまだしも…私は貴方様の様な下衆の従僕ではなく、偉大なるヴェルト・フォン・アークライト様の、誇り高き執事でございますゆえ」
私は一礼し、踵を返しました。背筋は伸び、足取りは軽い。今の私は、ただの人形ではありません。
私の忠義は、全てヴェルト様に。
もしあの若き主の覇道を阻む者が現れるのなら――。たとえそれが勇者であろうと、魔王であろうと。この老骨、かつての【剣鬼】の技をもって、全力で排除させていただきましょう。
……おや、マリアがまた物騒な調合をしていますね。手伝ってやらねば。弱らせるのはかまいませんが、死んでしまってはいけませんからね。
私の第二の人生は、どうやら死ぬまで退屈しそうにありません。
心臓は鼓動し、呼吸もし、食事も摂る。しかし、その魂は泥の中に沈み、ただ命令を遂行するだけの「精巧な人形」に成り下がっていたのです。
私の名はセバスチャン。かつては、セバスチャン・フォン・ルードという名で、王宮騎士団の第三部隊長を務めていた男です。
◆
若き日の私は、正義を信じていました。剣の腕は立ちました。【剣鬼】などという大層な二つ名で呼ばれ、将来を嘱望されていたものです。しかし、私は愚直すぎました。
ある時、私はある大貴族の汚職を告発しました。確かな証拠もありました。正義は我にありと信じて疑わなかった。ですが、結果は無残なものでした。
証拠は握りつぶされ、証人は消され、逆に私が「無実の罪」を着せられたのです。騎士の称号を剥奪され、家を取り潰され、路頭に迷った私を拾ったのが――当時、王都で金に物を言わせて幅を利かせていた、ベルン・フォン・アークライト子爵でした。
『ほう、元騎士隊長か。腕は立つんだろうな?私の護衛になれ。金は弾むぞ。ただし、プライドなんてゴミは捨ててこい』
生きるために、私はその手を取りました。屈辱でした。民を虐げ、私腹を肥やす豚のような男に頭を下げる日々。私は、心を殺しました。何も見ない、何も聞かない、何も感じない。そうしなければ、自らの剣で主の首を刎ねてしまいそうだったからです。
やがて、子爵に息子が生まれました。ヴェルト様です。最初は無垢な赤子でしたが、父親の歪んだ教育を受け、彼は順調に「二代目の豚」へと成長していきました。母親は屋敷のメイドと聞きましたが、それ以上はわかりません。生きているのか、死んでいるのかそれすらも。
ああ、この家は腐っている。私の人生は、この泥沼の中で終わるのだ。そう、諦観していたのです。
――あの日までは。
3年前のあの日。いつものように癇癪を起こして気絶したヴェルト様が、目を覚ました時のことです。
鏡を見て絶叫し、己の醜さに絶望した彼が、メイドのマリアに対して行った行動。それは、貴族にあるまじき『土下座』でした。
『すまん!今まで本当にすまなかった!俺は心を入れ替える!』
私は最初、彼が発狂したのだと思いました。あるいは、何か新しい質の悪い冗談かと。
ですが、彼は本気でした。来る日も来る日も、泥だらけになって走り込み、手の皮が剥けるまで剣を振り続けました。その瞳には、かつての澱んだ色はなく、燃えるような闘志と、何かに怯えながらも立ち向かおうとする強い意志が宿っていました。
不思議なものでございます。たった10歳の少年が、汗水垂らして必死に変わろうとする姿を見ていると、死んでいたはずの私の心に、小さな火が灯るのを感じました。
(ああ……この方は、本物だ)
確信したのは、初めて彼が魔物と戦った日。震える足でスライムに立ち向かい、勝利した瞬間の、あの笑顔。そして、傷つきながらも強さを求める、貪欲な姿勢。
かつて私が仕えたどの王族よりも、どの騎士団長よりも、泥まみれの少年(当時はまだ太っていましたが)が、輝いて見えたのです。
それからの日々は、私の人生で最も輝かしい時間でした。ヴェルト様は、常識外れの速度で成長されました。私の教える剣術をスポンジのように吸収し、またたく間に私を超えていかれました。
何より素晴らしいのは、そのお心です。強大な力を得ても、それを私利私欲のためには使わず、領民を守るために振るう。ワイバーンの炎を斬り裂き、子供たちを守ったあの背中を見た時、私は不覚にも涙を流しました。
これこそが。
私が若い頃に夢見た、真の『騎士』の姿ではないか、 と。
◆
現在。私は、屋敷の廊下を歩いています。手には、銀の盆に乗せた食事。行き先は、屋敷の奥深くに新設された「特別室(牢獄)」です。
「……セバス、おいセバス!ここから出せ!私は領主だぞ!ヴェルトの奴に言ってくれ!今ならまだ許してやると!」
鉄格子の向こうで、かつての主であるベルン様が喚いています。私は冷ややかな目でそれを見下ろし、食事を差し出しました。
「旦那様。本日のメニューは、麦粥と干し肉でございます」
「こんな豚の餌が食えるか!ワインを持ってこい!」
「贅沢は敵でございますよ。……それに、栄養をつけていただかなくては。ヴェルト様の栄光を、その檻の中から末永く見届けていただくのですから」
私は微笑みました。ベルン様には、生きていてもらわねばなりません。ヴェルト様という「太陽」が、いかにしてこの領地を、いや、世界を照らしていくのか。その眩しさに目を焼かれながら、己の無能さを噛み締めて生き続けていただくのが、彼への最大の罰(と、マリアの作成した毒のテスト役)ですから。
「では、失礼いたします。ああ、それと。私の名はセバスではなく、セバスチャンです。親愛なる方から呼ばれるならまだしも…私は貴方様の様な下衆の従僕ではなく、偉大なるヴェルト・フォン・アークライト様の、誇り高き執事でございますゆえ」
私は一礼し、踵を返しました。背筋は伸び、足取りは軽い。今の私は、ただの人形ではありません。
私の忠義は、全てヴェルト様に。
もしあの若き主の覇道を阻む者が現れるのなら――。たとえそれが勇者であろうと、魔王であろうと。この老骨、かつての【剣鬼】の技をもって、全力で排除させていただきましょう。
……おや、マリアがまた物騒な調合をしていますね。手伝ってやらねば。弱らせるのはかまいませんが、死んでしまってはいけませんからね。
私の第二の人生は、どうやら死ぬまで退屈しそうにありません。
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