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第三章
伯爵との朝食
しおりを挟むレベッカを目覚めさせたのはウグイスの鳴き声と、窓から漂う薔薇の香り。
ホー ホケキョ
いつもいつも……なんて情緒ある朝だろうか。
がっちがちに戸締まりされたベランダの窓。
メイドのエマがその窓を開けると、音と香りの目覚まし時計が彼女を起こすという仕組み。
昨日はなかなかベッドから出ようとしなかったレベッカも、今日は素直に身を起こした。
昨日の朝──
知らぬ間に布団を掛けられて、ベッドの中で綺麗に寝かされていたレベッカ。
いったい何が起こったのか整理のつかない様子の彼女を、起こしにきたエマは不思議がった。
だがそれについて尋ねてみても、レベッカは頬を赤くするだけで何も話そうとはしなかったのだ。
少し混乱した様子で、今日はひとりにしてほしいと言うばかりのレベッカに……エマがそれ以上を追求することはなかった。
そして迎えた今日。
「今朝は体調はいかがですか?」
「…ええ、ごめんねエマ。今日はもう平気です。心配しなくていいわ」
昨日はろくに事情も話さず、エマには申し訳ないことをした……。
と言っても
事情なんて、話せるわけないのだが。
「て、天気がいいわね。外は暖かそう」
レベッカは窓から射し込む陽射しに目を細める。
その言葉を聞いて、エマの顔がパッと輝いた。
「そうですね!こんなに素敵な朝ですから、朝食は外のテラスで召し上がってはどうでしょう?」
「…テラス?」
思わず反応を示したレベッカに、エマは笑顔で頷き返す。
「庭の一角に小さなテーブルがあります。冬は寒くて使えませんが…今日のような朝なら日差しも丁度良いかと!」
──どうしてエマの方がこんなにわくわくしているように見えるのだろう。もしかしたら、そのテラスは彼女のお気に入りの場所なのかもしれない。
「外でご飯を食べてもいいのね」
そしてレベッカもまた、弾む思いを抑えきれずにいた。
昔、…厨房に忍び込んで作った簡単なサンドイッチをカゴに入れて、飛び出した森で食べたランチ。
それは、ここに来る前の懐かしい思い出だ。
公爵家に嫁いでからは、広い部屋で召し使いたちに見られながらの食事ばかり……。
“ 館の外で、風にあたりながらの朝食… ”
随分と久しぶりになる。うん、いいかもしれない。
「ええ、わたしも今日はそこで食べたいです!準備してくれる?」
「はい!ではお食事はそちらに運ばせますね」
昨日一日のモヤモヤとした思いを吹き飛ばすように、レベッカは緩やかなドレスに着替えて、エマに連れられて外のテラスへと元気よく向かった。
なんて、楽しみにしたのが間違いだった
「…っ…嘘、でしょう…?」
どうして……?
「どうして伯爵が…!」
どうしてこの男(ヒト)がここにいるの──?
「──おや、公爵夫人」
「……っ」
テラスに備え付けられた白いイスに腰掛けたまま、レベッカは咄嗟にエマに顔を向けた。
「?」
エマは何も知らないようだ。
「こんな朝早くからお会いするとは、奇遇ですね」
奇遇……ですって?
──そんなわけない!!
「あら…貴方は先日おこし下さった伯爵様?」
レベッカの焦りに気が付かないエマは、クロードに何の敵意も示さない。
「クロード=ミシェル・ジョフロワ・ド・ブルジェと申します。覚えていて下さり感謝しますよ」
「ブルジェ伯爵…とおっしゃるのですね。貴方はあの日以来、メイドたちの憧れの的ですから!」
エマは顔を赤くする。
あの日…クロードが正式に公爵に挨拶に来た時は、異国の若い伯爵に年頃の女たちはみな色めき立っていた。
また訪ねて来ないかと、メイド仲間がぼぉっとした顔で空を眺めていたものだ。
「でもごめんなさい。旦那様は宮殿に行かれておりまして、ここにはいらっしゃいませんの」
「構いません。私はこの庭をまた拝見したく伺っただけです…。公爵様が寛大にも許可して下さったので」
クロードはにこやかな笑みを浮かべて、緊張気味のエマに応えた。
女たらし……
“ エマ!騙されないで……! ”
椅子に座るレベッカの表情は穏やかでなく、警戒心丸出しだった。
で、結局──
クロードも朝食に同席することになってしまった。
日除けのテラスの下に置かれた丸テーブル。その上には白地のクロス、そして銀食器。
メイドたちが小皿に盛り付けた前菜を前にして、隣り合うようにして座った二人。
そこは薔薇園からは少し離れた場所に面しており、微かなハーブの香りが漂っていた。
そして、二人きりになった途端
カチャ カチャ....
先日と同様に、やはりクロードの顔からは愛想笑いが消える。
とくに話がはずむわけもなく、フォークの音が控えめに鳴るだけだった。
「……」
ただ今度はレベッカが気まずさを感じるようなことにはならなかった。
今となっては、わざわざクロードに気を遣って話題を探す必要もないから、構わずパクパクとサラダを口へと運んでいく。
ポタージュを運んできたメイドは、そんな無言の二人を見てさすがに心配になる。
ニコッ
「──ッ//」
そんな彼女へクロードは微笑む。
「……っ」
いよいよ我慢できなくなったレベッカは、メイドが赤くなって立ち去った後、その顔をクロードに向けた。
「あの…っ、うちのメイドにいちいち色目を使わないでくださる?」
「……?」
スープを一口飲んだ彼は、彼女の声に応えてスプーンを置いた。
「色目とはおかしなことを。…可愛らしいお嬢さんを前にして、自然と笑みがこぼれるだけです」
「──どうせわたしは可愛くありませんしね」
「それは誤解ですよ」
なにが誤解…っ
わたしに対してだけ態度を素っ気なく変えるくせに。
「あなたにも微笑みかけるように心掛けた方がよろしいですか?」
「…っ、いりません」
彼の本性を知った今、無意味に微笑まれても余計に腹が立つだけだ。
むすっとした顔で食事を再開したレベッカを、クロードは頬杖をついて覗き込む。
「──…」
「──なに?なんですか?」
覗き込まれたレベッカは鋭く睨み付けて返した。
対してクロードは、余裕たっぷりの表情で口を開いた。
「そのように不貞腐れなくとも……先日のあなたはとても可愛らしかったですよ」
「…先日?」
「先日…あの夜──」
「……!」
レベッカの顔が一瞬でひきつる。
「だ、黙ってください!」
そして思わず声を荒げた。
同時に、押さえつけていた感情がふつふつと沸き上がってくる。
あの夜の屈辱、羞恥、怒り──
この男の恐ろしい本性と
忘れたいほど淫らな自分……。
それらを掻き消そうとするかのように、レベッカは右手を振り上げ、隣に座る男の頬を叩こうとしていた。
しかし彼女のビンタはいとも簡単に受け止められてしまった。
細い手首を捕らえられる。
「ハァ…ッ 」
「──…怖い女(ヒト)だ」
「…ゆ…許しませんから…!」
恥ずかしさと怒りで真っ赤になったレベッカはありったけの軽蔑をその眼差しに込めて睨み付ける。
このままでは気がすまない
どうにか…一度でもいい、このすました顔をひっぱたいてしまわないと…!
レベッカは、今度は捕まっていない左手を振り上げた。
「きゃあーー!!なっ、いったい何をなさっているのですかレベッカ様!?」
振り下ろされる左手を、右手同様にクロードが受け止めようとしたその瞬間に、そこに立ち会わせたエマが悲鳴をあげた。
「──…っ」
我に返ったレベッカが、しまったという表情で固まる。
クロードも少し動揺したようだ。
「レベッカ様…っ、何か問題がございましたか?ブルジェ伯爵となにか??」
「ああ…驚かせましたね、可愛らしいメイドさん。大したことではありません」
「……そっ…そうです、よ、エマ。ちょっと、いろいろあって……!伯爵の言う通り、大したことじゃないの。驚かせてごめんなさい…」
レベッカは無理な誤魔化しを始めた。
その顔に、ひきつった笑みを浮かべながら…。
「…っそれなら、構わないのですが」
つられてエマも苦笑い。
“ 人目につく場であまりにも大胆な行動は控えてください ”
“ そ、そうですね……っ ”
エマには聞こえない小声で、二人の間で言葉が交わされる。そして成立した。
「エマ、わたしたち今から庭園の散策に出掛けることにしましたの」
「今すぐでございますか?」
「ええ、公爵夫人にしばしお付きあい願いたく…。お許しを頂けますか?」
「もちろんレベッカ様がいいと仰るならっ、私どもに止める理由などございませんが…?」
「悪いわねエマ。まだ運ばれてない残りの朝食は、みんなで食べてもらえるかしら?」
朝食はまだ前菜とスープしか食べていない。メインとデザートも用意されているだろうから、メイド達に食べてもらおう。
「それはみんな喜ぶでしょうね。えっと…では、行ってらっしゃいませ」
召し使いたちの質素な食事に比べたら、レベッカの朝食はご馳走だ。とくに問題はないのだが
「…行きましょう伯爵」
「ええ、公爵夫人」
やはり納得できない。さっきレベッカ様が伯爵を叩こうとしていたのは見間違えじゃなかったはず…。
もやもやが晴れないが、エマは席を立った二人を見送った。
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