略奪貴公子 ~公爵令嬢は 怪盗に身も心も奪われる~ 【R18】

弓月

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第四章

逃走劇

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「どうかしたの?」

「…困りました」

 彼はホールの様子を、顔を動かさずにうかがっていた。

 顔は白いマスケラで隠しているので、それに気がついているのはレベッカだけだ。

「誰かを…探しているのですか?」

 無言になったクロード

 その仮面の下の表情が険しくなったように感じられて、レベッカは場の異変を察知した。

“ 奥の方が、なんだか騒がしい…? ”

 レベッカたちが休んでいる所とは反対側。

 ダンスを楽しむ人々を挟んで対称の場所に、不自然な人だかりができていた。

 その者たちの服装が、不自然なのだ。

 あれは舞踏会用の正装ではない。あれは…。

“ ……衛兵?  ”

 レベッカにはそう見えた。

「クロード?あそこにいるのって衛兵じゃあ…、あっ」

 隅で固まった衛兵たちの、そのうちのひとりがチラリと此方を見た気がした。


 ──レベッカにも理解できた。

 確かに…この状況はよくない。


「あの人たち…まさかあなたに気づいたのですか?」

「──でしょうね」

 クロードはまだ、ワイングラスを片手に壁に背を預けていた。

「動揺してはいけない、レベッカ。彼等と目を合わせないことです」

「…っ、そうですね」

 仮面をつけていて良かった。そのお陰で表情を少しは隠してくれる。

 向こう側も、まだ確信が持てないようで動き出す気配はなかった。

「恐らく、先日、私が忍び込んだ邸の貴族もこの舞踏会に来ていたのでしょう」

「それで勘づかれたのですね」

「……ハァ、隠しきれない華やかさというのも、困りますね。目立ってしまう」

「ふざけている場合じゃありません…!」

 大袈裟に溜め息をつき、頭を垂れたクロード。

 でも確かに彼の言う通りだ。

 その見事なブロンドの髪ひとつをとっても…彼のような男はそうそういるものではない。

 たとえ今の彼が仮面をつけていようとも、もとの怪盗もつけているのだから何の変装にもならない。

「──レベッカ、ワインは飲み終わりましたか?」

「…え?はい」

 クロードが顔をあげた。

「グラスを渡しなさい」

 「どうぞ」

「……それから目を閉じなさい」

「…? わかりました」

 レベッカは空いたグラスを彼に渡して目を閉じる。

 クロードは彼女の手をとると、その足を静かにホールの出口へと向けた。

 すると…それに気がついた衛兵たちが、自らも出口へと歩き出した。

“ 逃がす気は無いということですか ”


……


 仕方がない



「……?」


 クロードの言う通り目を閉じたレベッカだが、彼の考えが読めないので不安でしかたがなかった。

 彼女の肩を抱き寄せたクロードは、もともと立っていた窓辺の壁際へと引き返す。

 衛兵たちがその後ろ姿を目で追っている──。


 クロードは


「──…」


 彼等に背を向けたまま、手にしていた二つのワイングラスを高く空中に放り投げた。




「……」



クルクルクルクル.....



 高く放り投げられたワイングラス。


 それらはくるくると回りながら、ホール中央に下がったシャンデリアの横をかすめる。


 クロードを見張っていた衛兵は不意に投げられたそれを呆然と見ていた。


 何を言うこともできない間抜けた顔で


 きれいな弧を描いて宙を進むグラスを追い、天井を見上げていた。



「──…!?」



クルクルクル...



「──あ!!」



 グラスが一瞬だけその動きを止めて、そして落下を始めたとき、彼等はようやく我にかえった。



「あ…!危ないぞ!!」



バリーンッッ!!!



 身の危険を感じた彼等が、頭をかかえてその場に座り込む。



 それと同時に、二つのワイングラスは衛兵たちのすぐ横の、軽食が置かれたテーブルの上に勢いよく落下した。




 グラスはテーブル上の食器の上に落ちた。

 そして瞬時に粉々に砕け散る。

「きゃあああーー!!」

 ガラスの割れる鋭い音によって、会場は悲鳴に包まれた。

 食器は銀製のものだったので割れることはなく、ほとんど食べられた後の僅かな食い残しと一緒に辺りに飛び散った。

「おい!怪我はないか!?」

 テーブルの周りには衛兵以外の人間がいなかったようで、ガラスで怪我をした者はいなかった。

「きゃああ…っ、スープがぁ!」

 しかし飛び散った食べ物が婦人のドレスや紳士のコートを汚し、小さな悲鳴がざわめきの中に湧き上がる。

「くそっ、やはりあの男!」   

 衛兵が鬼の形相(ギョウソウ)で顔をあげる。

「──い、いないだと!?」

 だが怪盗がいる筈のその場所に、すでに人影はなかった。

「しまった逃げたぞ!……っ…目を離した隙にいなくなった!」

「あの窓から外に逃げたに違いない!追うぞ、俺たちも急いで外へ!」

 彼等は慌てて出口へ向かう。

 混乱した城内。

 外に出ようとごった返す貴族たちが出口付近に集まり、衛兵たちの行く手をふさぐ。

 その貴族たちを押し退け、何とか外へ出た彼等だが…

「いない……!」

 暗がりの中に、すでに怪盗の姿はなかった。

 まだ遠くには行っていない筈だ。

 彼等は仕方なく、四方に分かれて捜すことにしたのだ。








───




「……っ…???」

「……ハァ、ハァ、ハァ」

「…ね…っ、ク、クロード…!?もう目を開けても大丈夫…!?」

 彼の言いつけに従い、ずっと目を閉じていたレベッカ。

 不安な気持ちで彼の腕に導かれるままに歩いていると、突然ガラスの割れる音が響き

 そして人々の悲鳴が起こり──

 次の瞬間にはクロードに抱きかかえられて、あっという間にここまで運ばれてきたのだ。

 肌に当たるひやりとした空気と、耳からはいる情報で、今、自分を抱えたクロードが外を走っているのだけはわかった。

「まだ開けてはダメですか?」

「ハァ、ハァ……まだです」

 目を開けてはいけないと彼が言うのだから、ただその肩に手を回してじっとしていることしかできなかった。


 クロードの息が切れている。


「クロード…!?」

「──…っ」

「大丈夫なのっ…?わたしっ重くないですか…?」

「それを聞きますか」

「……」

「……答えましょうか?」

「…あ…いや、やっぱりいいです……っ」



 クロードは夜道を駆け抜けながら、慎重に周囲の様子を伺っていた。

 腕の中ではレベッカがまだ目を開けてはいけないのかと聞いてくる。

 ──別にもう、開けても何の支障もない。

 だがクロードは許可しない…こんなときでも意地が悪い、というわけだ。


「……」


 だが一応は真剣だ。彼は背後の足音に気を配った。


“ 後ろから、この道を追っているものがひとり… ”


 どうする?

 道を変えるか。

 あの角を曲がるか?しかし、その先に身を潜める物は見当たらない。

 それに草影を歩けば音で見つかる


「この庭を抜け出るのは難しいか…」


 仕方がない…一度、どこかに身を潜めましょう

 もしここで兵に見つかれば流血がおきる

 そんな血、見るのは御免ですからね

 なにより彼女にとっては──。


 普段の彼なら姿を見られてもふりきって逃げるのだが、レベッカを抱えた今の状態ではすぐに追い付かれてしまう。

 クロードは隠れる場所を探していた。

 身を潜める場所──

「…おや」

 いい所を見つけた

 クロードの視界に、隠れるに丁度良いものが入ってきた。

 それは馬車だ。

 それは馬が繋がれていなければ、馬を操る従者もいない。

 クロードは馬車の側面にぴたりと身体を近づけて中を確認すると、速やかに扉を開けて身を滑り込ませた。

 その馬車は小綺麗で使われた形跡もあまりない。

 馬も繋がれていないのだから…誰かが乗ってきたわけでもないだろう。

“ バイエル伯の持ち物か…? ”

 クロードはそう判断した。



「……??」

 夜道を逃げていたクロードの動きが止まり、明らかにどこか室内に入った。

 …なのにどこに入ったかすらわからないレベッカは不安をつのらせるばかりだ。

「クロード…!…今は何が起こっているの…?」

「ハァ……ハァ……」

 呼吸を整え、彼は改めて腕の中の彼女を見る。



 自分の言いつけを素直に守り


 いまだに固く目を閉じて…


 そして不安げに胸元のコートを掴んでくる



「──…」



 そうだな…確かに私は


 《 こんなときでも 》意地が悪い


 こんな時でさえ、欲情するのだから……


 本当に救えない、悪党だ





 普段の反抗心をむき出すレベッカと、今の素直なこの姿のギャップのせいで、よけいに愛らしく見えてしまう。

 それほど衛兵が怖いのか

 ここで彼等に捕まれば、二人の素性がばれ…そしてモンジェラ家の公爵夫人が、ブルジェ伯爵と舞踏会に来ていたことがばれてしまう。そのせいか。



「クロード……ねぇ…どこなの? わたしたちは何処にいるの…?目を、開けては…いけないのですか?」


「──まだです」


「……っ…そんな」


「それほど今の状況が怖いですか?」


「……え?ええ」


「捕まれば自分が公爵夫人だと知られるから?」


「……! それもあります、でも」


「……」


 レベッカは、彼の服を掴む手に力を込めた。


「でもあなたが捕まってしまうことの方が…怖いです」


「──…!」


「…っ…まだ…ダメ?」


「………。フッ」


「どうして?まだそんなに…危険なの…!?」


「ええ危険です。……だから、まだ」


「いつまでこうして閉じているの…!?」


「──…そのまま…。

 そのまま、ずっと目を閉じていなさい」


「──…!」



 クロードの唇の感触が、レベッカの唇に伝わる。

 驚いて開きかけた彼女の目だが、仮面ごしに彼の手に塞がれて視界は真っ暗のままだった。




 まだ


 開けるな




「クロード…っ」




 見てはならない


 まだ危険だ──危険すぎる


 私の欲に火をつけたのは


 他でもない貴女なのだから──。










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