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雨の鎮魂歌
雨の鎮魂歌_1
しおりを挟む「……あの」
「──…?」
実の毒がまだ残っているのか、手足に軽い痺れを感じるセレナは、銀狼に抱きかかえられて移動していた。
「どうしてあなた…わたしの名を知っているの?」
その道中、当然のように沈黙が流れる最中、セレナは意を決して口を開いた。
事あるごとに語尾に付けられる自分の名前──。
疑問に思いつつずっと口には出さなかったが、気付いていないわけではない。
「覚えがないのか」
「?」
「私に伝えたのはお前だろう……」
「…えっ、わたしが言ったの?」
「そうだ」
道に現れるウサギ達は、銀狼の姿を目に止めると逃げようとはせずに少し道を譲る。
そして彼が腕に抱くセレナを不思議気に見上げるのだった──。
” 名前なんて、教えた記憶はないのだけれど…… “
空は暮色が迫る中
周りの木々の、ピンク色に見えた花が今は赤紫に近い色に変わりだしている。
「──なら、あなたの名前も知りたいです」
「私の名を…?」
セレナの言葉を聞いた銀狼は歩みを進めつつ首を傾いだ。
「私に名など無い。いや、名はあるが……お前たち人間の持つ名とは意味が異なる」
人間は、互いを呼び合うのに名を用いる
「我等にとっての " 名 " とは、 " 存在 " の象徴──。其処に在る事を示す物。……言葉や文字におこす必要はない」
「そういう……ものなの……?」
「それ故に名を奪われる事は存在を消されるに等しい……。逆に、名さえ知れば、其の者の全てを支配することが可能だ」
「言葉におこせないのに、どうやって知るの?」
「人間にはわからんか……」
──人間には知りようもない
言葉を使い、文字を作り
どのような記憶も感情も、言葉無しに成立しないお前達では
「…だったら…っ、お互いを呼びあう時に、不便でしょう」
彼の言葉は、お前に理解は不可能だと言われたも同然で。納得できないセレナは小腹を立たせて食い下がった。
しかし銀狼には響かない。
「そのような相手などいるものか。私が生きた齢 二千年、……ただのひとりとして」
「…っ…、今はわたしがいるもの!」
「──…?」
だが──…この時、彼の足が初めて止まった。
それは驚きとは違う……強いて言うなら違和感、か。
セレナの言葉を反芻するも、雲を掴むかのようにしっくりこない。
銀狼は数秒の間を置いて、腕の中のセレナを見下ろした。
「──今…何と言った」
銀狼はその顔を彼女に近付ける。
セレナは目をそらした。
「…要するに…っ、不便なの、あなたに名前がないと。わたしばかり一方的に名前で呼ばれてっ……変な気分だわ」
「それは……どうにもしようがない事だ」
狼達は彼の意思に従い、その命令を実行する。
だが話しかけてはこない。
彼にはいなかった。自らと対等に名前を呼びあうような者など……。
セレナがその相手──?
そんな事も、頭をよぎりはしなかったのだ。
では何故──…彼はセレナに名を尋ねたのか。
それは支配する為だった。
彼女の全てを支配して、我が物にせんが為。
だが……他にも理由があったと思う。
彼女を " 名で " 呼びたいと、そんな欲求が果たして無かったと言えるだろうか──?
「……お前の好きなように呼べばいい」
「え…? わたしが勝手に決めていいの?」
「構わない」
銀狼はそう言って黙ってしまった。
その目は彼女の唇の動きを追うために、真っ直ぐ向けられたままだ。
「ン──っ…と」
彼は待っているのだろうか。セレナは焦って考えを巡らす。
“ 名前を考えるなんて難しいわ ”
銀狼──
これは名ではない。
これでは彼を呼べない。
“ 彼は狼…… ”
銀狼、……ロウ……。
「──…ロウ、……『 ロー 』というのはどう、かしら」
「ロー……」
彼には聞き慣れない発音だった。
その響きの意味するところもわからないが……
「駄目?」
「……。呼ぶのはお前だ。それが良いならそう呼ベ」
どのように呼ばれようと、銀狼に──
ローには余り興味がなかった。
再び歩き出した彼の腕の中で、セレナがもう一度小さく呟く。
「…ロー」
「……」
興味はないが、彼女のその声がローの鼓膜を心地よく揺さぶった。
未だに違和感が拭えずとも、理解してみるのも悪くないと、そんなふうに感じたのかもしれない。
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