緋色ノ叉鬼

越子

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十六、掴めない人

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 ヨネ達が弥彦の所から菊地家に帰った日の事。

「あ、山神様、右京さんと佐介さんが、とある女性を連れてこちらに来ていたのですが、いつの間にか皆さん居なくなってました」

 清兵衛は日課の如く民子と山で薬草となる植物を探しに出歩いていた。今日も例外なく民子と出掛けようとした間際、山神に告げた。

「そうか、どおりで女臭いと思ったわ。右京と佐介のことじゃ。こっちの事情を知ったのなら、そのうちまた来るじゃろう」

 特に彼らを心配する様子もなく、淡々とした表情で山神が答えた。引き籠もっているとはいえ、彼女の態度は普通だった。普通に話すし、普通に食べる。ただ、機嫌の強弱がなく、暗くもなく明るくもない。民子はそんな主に違和感を覚えていたが、どうすることも出来ずにいた。

 ちなみに飛吹も山神と同じだ。食欲も戻り、鳥小屋を飛び回ることがあっても外に出ることはなかった。

「そうですか。じゃあ私も、いつもどおり行ってきますね」

「ああ、わかった。民子、清兵衛を頼むぞ」

 大きな木箱を背負うと、清兵衛は民子を連れて山へ入って行った。

 彼らを見送ると、肌身はなさずに持っていた大和から貰ったオコゼのお面を、山神は何気なく顔に嵌めた。

『必ず山神様の元さ帰るっけ。……待っててけれ』

 彼女の胸の中で大和の言葉が木霊する。

 止まり木に佇んでいる飛吹に向けて山神はそらに手を伸ばしくうを掴むと、深い溜め息をついた。

 ――いつまでも儂を待たせるな。愚か者……。



   ◇ ◇ ◇



 ――あれから俺はどうなったんだ? 飛吹は無事に飛んで帰れたんだか?

 何も無い暗闇の中、大和は一人彷徨っている。

『……大和、――大和!』

 懐かしい声に誘われ、彼が振り向く。

 ――咲希!?

『んだ、オラだ。 大和、久しぶりだな!』

 咲希が大和に向けて嬉しそうに微笑んでいる。それを見た大和も表情が緩み、視界が涙で歪む。

 ――咲希、俺……。おさ会いたかった。ずっと、会いたかった……。

 大和は目の前にいる筈の咲希に向けて手を伸ばすが、彼女に触れる事が出来ない。彼女の手を掴みたいのに、掴めない。

 黒水晶のような瞳に涙を浮かべて微笑みながら、咲希も触れる事が出来ない大和の頬に手を伸ばす。

『オラ、大和どこ近くでずっと見てたよ。……大和、昔よりもつえぐなったな』

 ――そいだば多分、山神様と皆のおかげだ。咲希、俺、生きてみる。俺、まだ生きてえんだ。だから咲希、俺はおのとこさ行けね。

『んだ。それで良いんだ。オラはずっとその言葉が聞きてかったんだ。うまく言えねけど、山神様のおかげでオラは今も大和と生きてらんだよ』

 ――え? それってどういう……!?

『いつも山神様どこ守ってくれてありがとう。ああ見えて山神様、感謝してらんだ。今ごろ、大和がいねくて淋しがってらよ……』

 咲希の微笑んだ柔らかい顔つきから、徐々に笑みが消えると気が強そうな顔つきに変わっていく。

『――愚か者!! いつまで儂を待たせる気じゃ!?』



   ◇ ◇ ◇



「――山神様!?」

 空に手を伸ばしたまま大和がハッと目覚めると、見知らぬ森の中にいた。伸ばした手には灰色の空から舞い散った雪が冷たく濡らしている。

 山頂から飛び降りて岩に激突した後、そのまま転げ落ちて行ったのだろう。その証拠に身体は何ともないが服が真っ赤な血に染められていた。

 あれは何だったのだろう……思考が定まらず暫し呆然とした後、大和は呟いた。

「……山神様のとこさ帰るか……」



   ◇ ◇ ◇



 四月も下旬になると、雪は降らなくなった。だが、空は灰色のままだ。

「はぁ。今日もそらは晴れてくれませんか……」

 鳥小屋から清兵衛が憂鬱そうに戸を開けて外に出ると、淀んだ朝靄から一人の小さな影が見えた。

「ピイィィィッ!!」

 突然、飛吹が翼を力強く動かし、鳥小屋から飛び出した。

「飛吹!? あ、山神様と民子さんまで!!」

 飛吹の後を追うように山神と民子も駆け出すと朝靄へ消えて行く。

 わけが分からないまま清兵衛も彼女たちを追いかけると、人影が鮮明に見え始めてきた。飛吹がマタギの格好をした男の腕にとまった。

「――や……!?」

 清兵衛が名を呼ぼうとした時、山神の怒鳴り声が聞こえた。

「遅いぞ、愚か者!! 儂は待ったぞ! お前が言った通り、儂はちゃんと待ったぞ!!」

「山神様、待たせてすまねス。……ただいま」

 全身血に染まった大和が申し訳なさそうに笑うと、膨れっ面だった山神の頬が緩み、俯いて彼の裾をキュッと掴んだ。

「……うむ、待ち疲れたぞ。あまり儂を待たせるな……愚か者ぉ」

 大和は裾を掴んでいる彼女の手を触れると、そのまま優しく掴み返した。

 ――大和の手、温かいな。

 山神のはにかんだ笑顔を見て、彼女を心配していた清兵衛は安堵して微笑み、民子も嬉しそうに大和の足に擦り寄る。

 朝靄が晴れると灰色で埋めつくされていた冷たい空が、いつの間にか澄んだ青に暖かい光が満ちていた。
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