宵待ち古書店と、頁に残る温度

坂本餅太郎

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返されなかった貸本

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 宵待ち古書店に、二度目に来たのは雨の日だった。

 傘を差すほどでもない、小雨。
 それでも足元が気になって、自然と歩く速度が遅くなる。
 気づけば、商店街の外れに立っていた。

 硝子戸の向こうに、いつもの灯りが見える。

「いらっしゃいませ」

 店主は、前と同じ場所に立っていた。
 まるで、こちらが来るのを知っていたかのように。

「今日は……買いに来たわけじゃないんです」

「ええ」

 店主は頷く。

「そういう日は、よくあります」

 私は、奥の棚に目を向けた。
 前回、随筆集を手に取った場所だ。

 同じ棚に、今度は一冊の文庫本が目についた。
 背表紙の角が丸くなり、何度も読まれた形跡がある。

「それは、貸本です」

 店主が言った。

「……売り物じゃない?」

「はい。返されなかったままの」

 私は、思わず眉をひそめた。

「返してもらえないまま、置いてあるんですか」

「置いてあります」

 店主の声は、淡々としていた。

「待っているので」

 その本は、恋愛小説だった。
 ありふれた題名。だが、頁をめくると、何かが違った。

 余白に、鉛筆で小さな書き込みがある。

――ここ、好き。
――この人、少し似てる。

 誰かが、誰かに向けて残した言葉だった。

「借りた人は……」

「戻ってきません」

 店主は、少しだけ視線を落とした。

「返す理由が、なくなったのかもしれません」

 私は、その言葉の意味を考えた。
 返せない理由は、案外、失ったわけではなく――
 終わってしまったから、ということもある。

「……返してほしいとは、思わないんですか」

「思いますよ」

 店主は、はっきりと言った。

「でも、返せない事情も、あるでしょう」

 私は、本を棚に戻した。
 鉛筆の文字が、妙に胸に残る。

「この本、返ってくると思いますか」

「さあ」

 店主は、いつものように曖昧に笑った。

「返ってこなくても、この店にいる限り、
 返されなかったことにはなりません」

 その言葉が、なぜか救いのように聞こえた。

 帰り際、ふと気になって聞いた。

「……この本、誰が貸したんですか」

「あなたですよ」

 一瞬、言葉の意味が分からなかった。

「正確には、あなた“のような人”です」

 店主は、戸を開けながら言う。

「言葉を渡して、戻ってくるのを待っている人」

 外に出ると、雨はやんでいた。
 舗道に残った水たまりが、街灯を映している。

 私は、しばらく立ち止まってから、歩き出した。

 返されなかったものが、
 どこかで、まだ待たれている気がして。
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