餅太郎の恐怖箱【一話完結 短編集】

坂本餅太郎

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033.外階段の奇妙な足音

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 あれは、私がまだ学生だった頃の話だ。  
 
 都内の古びたマンションで一人暮らしをしていた私は、何の変哲もない日常を送っていた。

 学校に通い、アルバイトをし、夜には簡単な自炊をする……そんな平凡な生活だった。

 だが、そのマンションには、何かがいた。そうとしか思えない出来事が次々と起きたのだ。  

 
 私の住んでいた部屋は五階だった。
 
 マンションにはエレベーターがなく、毎日外階段を上り下りする必要があった。

 その階段は薄暗く、コンクリートがむき出しのまま。雨が降るとぬれて滑りやすくなるし、夜には街灯も頼りなく、正直言って気味が悪い場所だった。

 しかし、家賃が安かったので、多少の不便さには目をつぶることにしていた。  

 最初に「奇妙だ」と思ったのは、引っ越して一週間ほど経ったある夜のことだった。

 その日もアルバイトが遅くなり、マンションに帰り着いたのは夜十一時を回った頃だった。

 外階段を上るとき、私はいつも背後が気になって仕方がない。

 それでも意識的に前を向き、階段を駆け上がった。  

 部屋の鍵を開け、靴を脱いでから、ふと気づいた。誰かが私の後をつけてきたような気がする。

 いや、気のせいだろう。アルバイト帰りで疲れていた私はそう自分に言い聞かせ、シャワーを浴びてベッドに倒れ込んだ。  

 しかし、深夜二時ごろだっただろうか……外階段で音がした。

 コツ……コツ……と硬いものがコンクリートを叩くような音だ。

 私は眠りの中でその音に気づき、意識が覚醒していくのを感じた。音は一定の間隔で続いている。

 まるで、誰かがゆっくり階段を上っているかのように――。

 音が五階に近づいてくるにつれ、心臓がどんどん高鳴った。

 部屋のドア越しに気配を感じた気がしたが、怖くて確かめることができない。

 そのまま布団を頭までかぶり、耳を塞いだ。だが、音はやがて止んだ。  

 
 次の日、私は「気のせいだった」と無理やり自分に言い聞かせ、普通に学校へ行った。

 しかし、その日の夜も同じ時間に音が聞こえてきた。

 しかも今度は、さらに奇妙なことに気づいた。  

 音は確実に五階まで上ってきたのに、誰も階段を降りる気配がないのだ。「上ってきた誰か」は一体どこに行ったのだろうか?  

 怖くなった私は、次の日、管理人に相談した。

 しかし管理人は「夜中の音? このマンションは古いからなあ。風で何かが動いたんじゃないのか?」と、まともに取り合ってくれなかった。  

 その夜も、また音が聞こえた。「コツ……コツ……」と。

 一歩一歩、確実にこちらへ近づいてくる。私は限界だった。

 意を決して玄関のドアを開け、外の様子を確認することにした。

 ドアノブをゆっくり回し、恐る恐る外をのぞくとーーそこには誰もいなかった。  

 ただし、ひとつだけおかしなことに気づいた。

 階段の五階部分に、小さな黒いシミのようなものができていたのだ。

 それは人間が靴でつけた泥汚れにしては奇妙な形をしており、何よりも、生臭いようなにおいが漂っていた。  


 それから私は、次第に疲弊していった。

 夜中に響く音は止む気配がなく、時には音が五階を越えてさらに上へ向かっていくように思えることもあった。

 六階は存在しないのに……。  

 その不安を抱えながら日々を過ごしていたある日、学校の友人にその話を打ち明けた。

 すると友人の一人が、面白がるように言った。

「お前の部屋さ、何か曰くがあるんじゃねえの?」  

 冗談だと思いたかったが、その言葉が私の中で引っかかった。

 そこで私は、意を決して部屋の過去について調べてみることにした。

 マンションの管理人や近所の住民に話を聞き、図書館で過去の新聞記事を漁った。

 そして、驚くべき事実を知ることになる。  

 五年ほど前、このマンションの五階で女性が転落死していたという記事を見つけた。

 遺体が発見されたのは外階段の下。警察は自殺として処理したが、近隣住民の間では「自殺ではなかった」という噂が囁かれていた。  

 さらに調べを進めると、彼女が亡くなる直前に「夜中に誰かが階段を上ってくる」と友人に語っていたという証言が残っていたのだ。  

 その話を知ったとき、私の背筋に寒気が走った。

 夜中の音は、彼女の最後の足音なのか……それとも彼女を追い詰めた何かの音なのか?  

 その日から、私はできるだけ早く家に帰り、夜中の音を無視しようと心がけた。

 しかし、無視し続けることはできなかった。音はますます頻繁に、そして強く響くようになっていった。  


 ある夜、音が階段から私の部屋の玄関に移動してくるのを感じた。

 コツ……コツ……とドアのすぐ外側で止まる。

 そして、今までにない感覚が襲ってきた。視線を感じるのだ。

 ドア越しに、何かが私を見つめている……そんな気配がした。  

 私は意を決して声を出した。

「誰かいるのか!」  
 
 すると、ドア越しに小さな声が返ってきた。それは明らかに女性の声だった。

「どうして……助けてくれなかったの……」  

 頭が真っ白になった。思わずドアを開けようと手を伸ばしかけたが、その直前で止めた。

 こんな状況で、何かが「助けて」と言っている。それが人間の声だと思えない。  

 結局、私はそのまま動けず、朝を迎えた。

 夜が明けると、不思議と気配も音も消えていた。

 それから数日間、私は友人の家に泊まり込むことにした。  

 しかし、部屋を離れても奇妙なことは続いた。

 友人の家でも、真夜中になると「コツ……コツ……」という音が窓の外から聞こえるのだ。

 そして、それはどんどん近づいてくる……。  

 
 結局、私は大学を中退し、実家へ戻ることを決めた。以来、あの音を聞くことはなくなった。

 しかし、今でも思い出すと、背筋が凍る。

 あれは一体何だったのか? そして、あの声の主が何を訴えたかったのか……。

 それを知る術は、もうない。  
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