38 / 160
038.いらない子
しおりを挟む
雨が降り続いていた。静まり返った住宅街に、家の窓から漏れる明かりがぽつんと浮かび上がっている。その家に住む中年の夫婦、浩二と真由美は、この数日奇妙な出来事に悩まされていた。
「また物が勝手に動いたのよ……」
夕食の片付けをしながら、真由美は不安そうに言った。
「気のせいだろう」
浩二はそう言って軽く笑うが、その笑顔にはどこかぎこちなさがあった。彼も気づいていたのだ。家の中で起きている異常な現象を。
最初に気づいたのは、真由美だった。キッチンの包丁が何の前触れもなく床に落ちたのが始まりだった。続いて、夜中にテレビが勝手についたり、家具の位置が微妙にずれていたりした。
「気味が悪いわね……」
真由美が浩二に相談すると、彼は不機嫌そうに言った。
「そんなことにいちいちビビるなよ。ただの偶然だ」
しかし、浩二自身も気がかりだった。二階の子供部屋から、小さな足音が聞こえるようになったのだ。
彼らには子供がいなかった。いや、正確には「いなくなった」のだ。
十年以上前、浩二と真由美には子供がいた。だが、その子供は生まれたときから体が弱く、二人の期待に応えられる存在ではなかった。育児の負担や経済的な問題に苛立ち、二人はその子供を「いらない子」と呼ぶようになった。
「こんな子、いなければよかったのに」
真由美がそう呟いた日、浩二は黙って頷いていた。
その後、子供はある晩、急に姿を消した。警察には「事故だった」と説明したが、二人だけが知っている真実があった。
その晩、家の中で何かが変わり始めた。
真由美が夜中に目を覚ますと、枕元に小さな人影が立っていた。ぼんやりとした輪郭のそれは、かつての息子の姿に似ているように見えた。
「お母さん……」
か細い声が耳元で囁いた。その瞬間、真由美は全身に鳥肌が立った。
「浩二さん! 起きて!」
悲鳴をあげて夫を叩き起こしたが、彼が目を覚ましたときには何もなかった。
「お前、疲れてるんだよ」
浩二はそう言って取り合わなかったが、その翌日、彼自身も奇妙な体験をすることになった。
深夜、浩二が寝室からトイレに向かおうと廊下を歩いていると、背後で子供の笑い声がした。
「……誰だ?」
振り返ったが、そこには誰もいない。だが、明らかに聞こえたのだ。息子の声が。
「お父さん、どうして僕を捨てたの?」
その問いかけは浩二の心臓を凍らせた。
それからというもの、家の中の異常はエスカレートしていった。朝起きると壁に赤い文字で「いらない子」と書かれている。物音がする方向を振り返ると、誰かが走り去る小さな影が見える。
二人は次第に疑心暗鬼に陥り、互いを責めるようになった。
「お前があの子を――」
「あなたも同罪よ!」
喧嘩が絶えない中、真由美がついに限界を迎えた。
「もう無理……この家を出ましょう!」
だが浩二は首を横に振り、諦めたように言った。
「逃げても無駄だろう。あの子は俺たちをどこまでも追いかけてくる」
その言葉通り、現象はますます激しくなった。ある日、浩二が出勤前に靴を履こうとすると、中にびっしりと詰まった虫が這い出してきた。真由美が振り返ると、鏡に映った自分の後ろに、息子の顔が浮かんでいた。
「どうして……僕を捨てたの?」
二人はもはや狂気に近い状態に追い込まれていた。
そしてある晩、ついに決定的な出来事が起きた。
深夜、突然家中の電気が消え、どこからともなく鈴の音が響き渡った。浩二と真由美が怯えながらリビングに集まると、そこに息子の姿が立っていた。
「お父さん、お母さん……」
その声は哀しげでありながら、どこか怒りに満ちていた。
「僕のこと、いらない子だと思ってたんだよね」
二人は何も言えなかった。否定する言葉すら浮かばなかった。
息子の姿は次第に崩れ始め、闇に溶け込んでいった。だが、その場に残されたのは、赤黒く染まった小さな手形だった。
翌朝、近所の住民が不審に思い、その家を訪ねたときには、二人の姿はどこにもなかった。ただ、リビングの床に「いらない子」という文字が繰り返し書かれていただけだった。
それ以降、その家は誰も住むことがなく、荒れ果てたままとなっている。近所では、「あの家に近づくと、子供の声が聞こえる」と囁かれているという。
「また物が勝手に動いたのよ……」
夕食の片付けをしながら、真由美は不安そうに言った。
「気のせいだろう」
浩二はそう言って軽く笑うが、その笑顔にはどこかぎこちなさがあった。彼も気づいていたのだ。家の中で起きている異常な現象を。
最初に気づいたのは、真由美だった。キッチンの包丁が何の前触れもなく床に落ちたのが始まりだった。続いて、夜中にテレビが勝手についたり、家具の位置が微妙にずれていたりした。
「気味が悪いわね……」
真由美が浩二に相談すると、彼は不機嫌そうに言った。
「そんなことにいちいちビビるなよ。ただの偶然だ」
しかし、浩二自身も気がかりだった。二階の子供部屋から、小さな足音が聞こえるようになったのだ。
彼らには子供がいなかった。いや、正確には「いなくなった」のだ。
十年以上前、浩二と真由美には子供がいた。だが、その子供は生まれたときから体が弱く、二人の期待に応えられる存在ではなかった。育児の負担や経済的な問題に苛立ち、二人はその子供を「いらない子」と呼ぶようになった。
「こんな子、いなければよかったのに」
真由美がそう呟いた日、浩二は黙って頷いていた。
その後、子供はある晩、急に姿を消した。警察には「事故だった」と説明したが、二人だけが知っている真実があった。
その晩、家の中で何かが変わり始めた。
真由美が夜中に目を覚ますと、枕元に小さな人影が立っていた。ぼんやりとした輪郭のそれは、かつての息子の姿に似ているように見えた。
「お母さん……」
か細い声が耳元で囁いた。その瞬間、真由美は全身に鳥肌が立った。
「浩二さん! 起きて!」
悲鳴をあげて夫を叩き起こしたが、彼が目を覚ましたときには何もなかった。
「お前、疲れてるんだよ」
浩二はそう言って取り合わなかったが、その翌日、彼自身も奇妙な体験をすることになった。
深夜、浩二が寝室からトイレに向かおうと廊下を歩いていると、背後で子供の笑い声がした。
「……誰だ?」
振り返ったが、そこには誰もいない。だが、明らかに聞こえたのだ。息子の声が。
「お父さん、どうして僕を捨てたの?」
その問いかけは浩二の心臓を凍らせた。
それからというもの、家の中の異常はエスカレートしていった。朝起きると壁に赤い文字で「いらない子」と書かれている。物音がする方向を振り返ると、誰かが走り去る小さな影が見える。
二人は次第に疑心暗鬼に陥り、互いを責めるようになった。
「お前があの子を――」
「あなたも同罪よ!」
喧嘩が絶えない中、真由美がついに限界を迎えた。
「もう無理……この家を出ましょう!」
だが浩二は首を横に振り、諦めたように言った。
「逃げても無駄だろう。あの子は俺たちをどこまでも追いかけてくる」
その言葉通り、現象はますます激しくなった。ある日、浩二が出勤前に靴を履こうとすると、中にびっしりと詰まった虫が這い出してきた。真由美が振り返ると、鏡に映った自分の後ろに、息子の顔が浮かんでいた。
「どうして……僕を捨てたの?」
二人はもはや狂気に近い状態に追い込まれていた。
そしてある晩、ついに決定的な出来事が起きた。
深夜、突然家中の電気が消え、どこからともなく鈴の音が響き渡った。浩二と真由美が怯えながらリビングに集まると、そこに息子の姿が立っていた。
「お父さん、お母さん……」
その声は哀しげでありながら、どこか怒りに満ちていた。
「僕のこと、いらない子だと思ってたんだよね」
二人は何も言えなかった。否定する言葉すら浮かばなかった。
息子の姿は次第に崩れ始め、闇に溶け込んでいった。だが、その場に残されたのは、赤黒く染まった小さな手形だった。
翌朝、近所の住民が不審に思い、その家を訪ねたときには、二人の姿はどこにもなかった。ただ、リビングの床に「いらない子」という文字が繰り返し書かれていただけだった。
それ以降、その家は誰も住むことがなく、荒れ果てたままとなっている。近所では、「あの家に近づくと、子供の声が聞こえる」と囁かれているという。
0
あなたにおすすめの小説
意味が分かると怖い話(解説付き)
彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです
読みながら話に潜む違和感を探してみてください
最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください
実話も混ざっております
それなりに怖い話。
只野誠
ホラー
これは創作です。
実際に起きた出来事はございません。創作です。事実ではございません。創作です創作です創作です。
本当に、実際に起きた話ではございません。
なので、安心して読むことができます。
オムニバス形式なので、どの章から読んでも問題ありません。
不定期に章を追加していきます。
2025/12/25:『がんじつのおおあめ』の章を追加。2026/1/1の朝4時頃より公開開始予定。
2025/12/24:『おおみそか』の章を追加。2025/12/31の朝4時頃より公開開始予定。
2025/12/23:『みこし』の章を追加。2025/12/30の朝4時頃より公開開始予定。
2025/12/22:『かれんだー』の章を追加。2025/12/29の朝4時頃より公開開始予定。
2025/12/21:『おつきさまがみている』の章を追加。2025/12/28の朝8時頃より公開開始予定。
2025/12/20:『にんぎょう』の章を追加。2025/12/27の朝8時頃より公開開始予定。
2025/12/19:『ひるさがり』の章を追加。2025/12/26の朝4時頃より公開開始予定。
※こちらの作品は、小説家になろう、カクヨム、アルファポリスで同時に掲載しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる