餅太郎の恐怖箱【一話完結短編集】

坂本餅太郎

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146.ずっとそばにいるよ

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　婚約者の悠斗が事故で亡くなったのは、ちょうど三ヶ月前だった。

　私、春菜は今でもその喪失感から抜け出せずにいる。

　現実を受け入れられない――というより、受け入れたくないのだ。

　あの日、私の目の前で起きた惨事のすべてが、悪夢だったと信じたい。

　だけど、どれだけ目を閉じても、あの光景は鮮明に浮かび上がる。

　悠斗の笑顔。車のクラクション。

　弾けるような音。そして彼の体は、二度と動かなかった。

　私が泣き叫んでも、どれだけ名前を呼んでも、彼は応えてくれなかった。

　冷たい雨が降っていた。

　あの日から、私の時間は止まっている。

　彼のいない世界なんて考えられない。

　だけど、周囲は私に現実を押し付けてくる。

「前を向いて生きていかないと」「まだ若いんだから」そんな言葉ばかりだ。

　誰も私の痛みに寄り添ってくれない。

　悠斗がいない世界なんて意味がないのに――。

　そんな中、ある夜、私のスマートフォンに見知らぬ番号からメッセージが届いた。

『ずっとそばにいるよ』

　最初は何かの間違いだと思った。

　迷惑メッセージか、いたずらだろう、と。

　でも、その言葉を目にした瞬間、胸の奥が妙にざわついた。

　まるで悠斗の声で囁かれたかのように、温かく、それでいてどこか不穏な響きがあった。

　送り主は不明だった。

　返信しようとしても、番号はすでに無効になっている。

　けれど、その一言がどうしても気になってしまい、私はスマホを握りしめたまま眠れない夜を過ごした。

　翌朝目を覚ますと、机の上に一枚の写真が置かれていた。

　見覚えのない写真――と思いきや、よく見ると悠斗と私が写っている。

　二人でよく行った公園のベンチで、肩を並べて笑っている写真だ。

　けれども奇妙だったのは、その写真を私は持っていなかったことだ。

　撮られた覚えもない。誰が置いたのかもわからない。

　家には私以外誰もいないはずなのに。

　それでも、私はその写真をじっと見つめた。

　悠斗の笑顔がそこにあった。

　その笑顔を見ていると、胸の奥が締め付けられるように痛んだ。

　その日から、私は悠斗との思い出の場所を巡るようになった。

　写真に写っていた公園、二人で初めてデートした喫茶店、彼の好きだった映画館……。

　どこに行っても、彼の影を感じた。

　風が吹けば、彼の声が聞こえる気がした。

　街の雑踏の中に、彼の後ろ姿を見つけたような気がして、何度も振り返った。

　そして、どの場所にも、必ず何かが残されていた。

　写真だったり、彼が愛用していたペンだったり、私がプレゼントしたキーホルダーだったり。

　どれもあり得ないことだった。

　これらは悠斗が亡くなった時、事故現場で失われたはずのものばかりだったのだ。

　不思議と怖いとは思わなかった。

　むしろ、彼が本当に「そばにいるよ」と伝えてくれている気がして、嬉しかった。

　だが、奇妙な出来事はそこから始まった。

　ある日、私は昔からの友人である美咲と、悠斗との思い出話をしていた。

　美咲は、私が悠斗を忘れられないことを気にかけてくれて、何度も励ましてくれていた。

　けれど、その日は様子が少し違った。

　彼女は何か言いたそうに私を見つめていた。

「春菜、最近……何か変なこと、起きてない？」

　私は首を振った。

　美咲は唇を噛みしめ、迷うように言葉を続けた。

「いや、ごめん。ただ……気のせいならいいんだけど、さっきからずっと、誰かが私たちを見てる気がするの」

　その言葉を聞いた瞬間、背筋がぞくりと冷たくなった。

　その場にいるのは私たち二人だけだった。

　けれど、美咲は何度も周囲を見回していた。

　その数日後、美咲が突然、連絡を絶った。

　電話も繋がらない。家を訪ねても、誰もいなかった。

　行方不明――という言葉が頭をよぎったが、私はそれを考えたくなかった。

　だが、それからというもの、私の周囲の人々が一人、また一人と姿を消していった。

　まるで、私に関わった人間だけが、何かに追い立てられるようにいなくなっていく。

　そしてついに、私は一人になった。

　誰もいない部屋で、私は気づいた。

　悠斗は確かに「そばにいる」――ずっと、最初から。

　でも、もう一つの真実にも気づいてしまったのだ。

　彼は私を「独り占め」したかったのだと。

　その夜、真夜中に部屋の電気が突然落ちた。

　暗闇の中、耳元で声がした。

「春菜……ようやく、二人きりになれたね」

　私は動けなかった。目の前に悠斗の姿があった。

　彼の顔は穏やかで、美しかった。

　けれど、その目には、底知れない闇が宿っていた。

「もう誰にも渡さないよ。君は僕のものだ」

　その言葉とともに、部屋中に冷たい風が吹き荒れた。

　私は声を上げることもできず、その場に立ち尽くしていた。

　悠斗の手が私の頬に触れる。

　冷たい、死んだ人間の手の感触だった。

　その瞬間、意識が遠のいた。

　目を覚ますと、私は知らない場所にいた。

　そこは悠斗との思い出の場所が混ざり合ったような、不気味で歪んだ世界だった。

　逃げようとしても、どこにも出口はなかった。

　悠斗の声が響く。

「ずっと、そばにいるよ。これからも、永遠に」

　私はその言葉に囚われたまま、この世界で彼と共に生き続けるのだろう。

　いや、生きているのかどうかも、もうわからない。

　ただ一つ、確かなのは――彼は本当に「そばにいる」こと。

　それだけだ。

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