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159.ただいまの声
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玄関の戸が開く音がするのは、夜の九時を少し過ぎた頃だ。
決まってその時間だった。
時間が狂うことはない。
毎晩、同じく「ただいま」という声が玄関から響く。
最初は勘違いだと思った。
隣の家の音が漏れてきたのか、あるいはテレビの音が反響しているのかもしれないと。
だが、どうやら違ったようだ。
隣の住人は老人夫婦で、夜九時を回る頃にはとっくに寝静まっているはずだと言う。
テレビも消していた。
音が聞こえるはずがない。
なのに、玄関の向こうからは確かに聞こえる。
低く、けれどはっきりとした声で「ただいま」と。
数日間、無視を続けた。
最初は気味が悪かったが、仕事で疲れているせいで幻聴が聞こえているのだろう、と自分に言い聞かせた。
しかし、五日目の夜、再びあの声が聞こえた時、ついに玄関まで足を運び、思い切って戸を開けてみた。
そこには誰もいなかった。
ただ、冷たい夜風が吹き込んできただけだ。
暗い夜道には人影もない。
私は肩をすくめて戸を閉めた。
それで終わりではなかった。
それどころか、事態は悪化していった。
声と共に、玄関の戸が開く音が加わったのだ。
「ただいま」という声が響いてから、ガチャリと鍵の回る音、そして戸がギイと開く音がする。
私は玄関に置いてある鍵を確かめたが、もちろん誰も触れていない。
戸が開く音がしても、実際には閉まったままだ。
私の耳にはっきりと聞こえる音が、現実には存在しない。
気が狂いそうだった。
仕事中もそのことばかり考えてしまい、上司に何度か注意された。
だが、家に帰りたくなかった。
夜が来るのが恐ろしかった。
誰もいない玄関から響くあの声と音に、私は追い詰められていた。
ある日、私は決心して隠しカメラを設置することにした。
玄関の近くに小さなカメラを置き、録画を始める。
これで何が起きているのかを突き止められるかもしれない。
もし幽霊なら――そう考えると背筋が凍ったが、真相を知ることが先決だった。
その夜、いつものように九時を少し過ぎた頃、あの声が聞こえた。
「ただいま」――男のようでもあり、女のようでもある声。
それから、ガチャリと鍵の音がして、ギイと戸が開く音が続く。
私は布団の中で震えながら耳を塞いだ。
カメラがすべてを記録していると信じて。
翌朝、恐る恐る録画を確認した。
心臓が早鐘のように鳴り、手が汗ばんでいる。
録画データを再生するためにパソコンを立ち上げ、ファイルをクリックした。
映像の中の玄関は、最初は何の変哲もなかった。
玄関の戸が映り、部屋の中の静かな空気が伝わってくる。
だが、九時を少し過ぎた頃、画面に異変が起きた。
唐突に、玄関の戸が――開いたのだ。
私は息を呑んだ。
戸がゆっくりと動き、中から「何か」が現れた。
それは――私自身だった。
画面の中に映るのは、どう見ても私の姿だった。
髪型も服装も、すべてが私そのものだ。
けれど、その「私」は何かがおかしい。
目の奥が暗い影に覆われているようで、不気味だった。
映像の中の「私」は、玄関から中に入ると、こちらをじっと見つめた。
そして、口を開いた。
「いつまで、入れてくれないつもり?」
その瞬間、映像が途切れた。いや、途切れたのではない。
画面に映る「私」が、まっすぐこちらを見つめている。
再生している映像の中の「私」が、まるでカメラを越えてこちらを見ているようだ。
背筋が凍りついた。
「……入れてよ」
画面の中の「私」が動いた。
手を伸ばし、画面越しにこちらへ触れようとしている。
私は慌ててパソコンを閉じた。
だが、その瞬間――
本物の玄関が、ゆっくりと開いたのだ。
「ただいま」
振り返ると、そこには「私」が立っていた。
いや、あれは私ではない。
けれど、どう見ても私なのだ。
顔も体型も服装も、すべてが一致している。
だが、目が違う。
あの暗い影が、私を覗き込むように揺れている。
「……入れてくれるよね?」
私は声を出すことすらできなかった。
足が床に貼り付いたように動かない。
「私」はゆっくりと近づいてきた。
その手が伸び、私の肩に触れた瞬間、意識が途切れた。
目を覚ましたのは、翌朝のことだった。
部屋は静かで、何も異常はないように見えた。
だが、玄関の戸が少しだけ開いていた。
鍵は壊されていない。
何が起きたのか、思い出そうとしても頭がぼんやりとしている。
だが、ひとつだけ確かなことがある。
あの「私」はまだこの家のどこかにいる。
そう思うたび、冷たい視線を感じるのだ。
背後から、まるで誰かが見ているような。
そして今夜も、九時を少し過ぎた頃、玄関の戸がギイと開く音がした。
「ただいま」
――あの声が響く。
私はもう、この部屋を出ることができないのかもしれない。
決まってその時間だった。
時間が狂うことはない。
毎晩、同じく「ただいま」という声が玄関から響く。
最初は勘違いだと思った。
隣の家の音が漏れてきたのか、あるいはテレビの音が反響しているのかもしれないと。
だが、どうやら違ったようだ。
隣の住人は老人夫婦で、夜九時を回る頃にはとっくに寝静まっているはずだと言う。
テレビも消していた。
音が聞こえるはずがない。
なのに、玄関の向こうからは確かに聞こえる。
低く、けれどはっきりとした声で「ただいま」と。
数日間、無視を続けた。
最初は気味が悪かったが、仕事で疲れているせいで幻聴が聞こえているのだろう、と自分に言い聞かせた。
しかし、五日目の夜、再びあの声が聞こえた時、ついに玄関まで足を運び、思い切って戸を開けてみた。
そこには誰もいなかった。
ただ、冷たい夜風が吹き込んできただけだ。
暗い夜道には人影もない。
私は肩をすくめて戸を閉めた。
それで終わりではなかった。
それどころか、事態は悪化していった。
声と共に、玄関の戸が開く音が加わったのだ。
「ただいま」という声が響いてから、ガチャリと鍵の回る音、そして戸がギイと開く音がする。
私は玄関に置いてある鍵を確かめたが、もちろん誰も触れていない。
戸が開く音がしても、実際には閉まったままだ。
私の耳にはっきりと聞こえる音が、現実には存在しない。
気が狂いそうだった。
仕事中もそのことばかり考えてしまい、上司に何度か注意された。
だが、家に帰りたくなかった。
夜が来るのが恐ろしかった。
誰もいない玄関から響くあの声と音に、私は追い詰められていた。
ある日、私は決心して隠しカメラを設置することにした。
玄関の近くに小さなカメラを置き、録画を始める。
これで何が起きているのかを突き止められるかもしれない。
もし幽霊なら――そう考えると背筋が凍ったが、真相を知ることが先決だった。
その夜、いつものように九時を少し過ぎた頃、あの声が聞こえた。
「ただいま」――男のようでもあり、女のようでもある声。
それから、ガチャリと鍵の音がして、ギイと戸が開く音が続く。
私は布団の中で震えながら耳を塞いだ。
カメラがすべてを記録していると信じて。
翌朝、恐る恐る録画を確認した。
心臓が早鐘のように鳴り、手が汗ばんでいる。
録画データを再生するためにパソコンを立ち上げ、ファイルをクリックした。
映像の中の玄関は、最初は何の変哲もなかった。
玄関の戸が映り、部屋の中の静かな空気が伝わってくる。
だが、九時を少し過ぎた頃、画面に異変が起きた。
唐突に、玄関の戸が――開いたのだ。
私は息を呑んだ。
戸がゆっくりと動き、中から「何か」が現れた。
それは――私自身だった。
画面の中に映るのは、どう見ても私の姿だった。
髪型も服装も、すべてが私そのものだ。
けれど、その「私」は何かがおかしい。
目の奥が暗い影に覆われているようで、不気味だった。
映像の中の「私」は、玄関から中に入ると、こちらをじっと見つめた。
そして、口を開いた。
「いつまで、入れてくれないつもり?」
その瞬間、映像が途切れた。いや、途切れたのではない。
画面に映る「私」が、まっすぐこちらを見つめている。
再生している映像の中の「私」が、まるでカメラを越えてこちらを見ているようだ。
背筋が凍りついた。
「……入れてよ」
画面の中の「私」が動いた。
手を伸ばし、画面越しにこちらへ触れようとしている。
私は慌ててパソコンを閉じた。
だが、その瞬間――
本物の玄関が、ゆっくりと開いたのだ。
「ただいま」
振り返ると、そこには「私」が立っていた。
いや、あれは私ではない。
けれど、どう見ても私なのだ。
顔も体型も服装も、すべてが一致している。
だが、目が違う。
あの暗い影が、私を覗き込むように揺れている。
「……入れてくれるよね?」
私は声を出すことすらできなかった。
足が床に貼り付いたように動かない。
「私」はゆっくりと近づいてきた。
その手が伸び、私の肩に触れた瞬間、意識が途切れた。
目を覚ましたのは、翌朝のことだった。
部屋は静かで、何も異常はないように見えた。
だが、玄関の戸が少しだけ開いていた。
鍵は壊されていない。
何が起きたのか、思い出そうとしても頭がぼんやりとしている。
だが、ひとつだけ確かなことがある。
あの「私」はまだこの家のどこかにいる。
そう思うたび、冷たい視線を感じるのだ。
背後から、まるで誰かが見ているような。
そして今夜も、九時を少し過ぎた頃、玄関の戸がギイと開く音がした。
「ただいま」
――あの声が響く。
私はもう、この部屋を出ることができないのかもしれない。
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