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第5話:黒船来航! 「Windows95」と深夜のピーヒョロロ
平成七年の冬。世の中は、ある一つの「お祭り」で騒然としていた。
連日、テレビのニュースが秋葉原の様子を映し出している。深夜〇時の発売解禁を待つ、長蛇の列。人々が熱狂的な顔で求めているのは、人気ゲームソフトではない。 『Microsoft Windows95』。 そう、パソコン用のオペレーティングシステムだ。
リビングでミカンを剥きながら、親父が鼻で笑った。 「たかが機械のソフトに、何万も払って並ぶなんて。みんな暇だなぁ。パソコンなんて、一部のマニアか仕事で使う奴だけの『高い計算機』だろうに」
親父の認識は、この時代の平均的なサラリーマンのそれだった。 だが、俺は知っている。これが世界の在り方を根底から覆す「革命」の始まりであることを。
俺はチラリと隣を見た。 中学生になり、学ラン姿がすっかり板についた兄貴、翔が、真剣な眼差しでテレビ画面を見つめていた。
「……お父さん、本当にそうでしょうか。これだけの人が動くには、何か理由があるはずです」
兄貴の嗅覚が反応している。 ポケベルビジネスで「情報」と「繋がり」の価値を知った彼だからこそ、この熱狂の裏にある何かを感じ取っているのだ。
俺は、剥きかけたミカンを兄貴の口に「あーん」と押し込みながら(これが一番自然に会話に割り込める)、援護射撃を開始した。
「ねえねえ、おにーちゃん。ぱそこんって、すごいんだよね?」
「んぐっ……もが。ああ、すごいらしいね。でも、何がすごいのか、僕もまだよくわからなくて」
俺は、わざとらしく首をかしげてみせた。
「あーいー、きいたことあるよ。ぱそこんがあるとね、『せかいじゅうのとしょかんの本』が、おうちにいたまま読めるんだって!」
「……え?」
「それにね、とおーい国の人と、おてがみ交換もすぐにできるの。サンタさんにも、ちょくせつおねがいできるかも!」
俺は、インターネットの概念を、可能な限り幼児語に翻訳して伝えた。 「世界中の情報へのアクセス」と「リアルタイムの地球規模コミュニケーション」。
兄貴の動きが止まった。 彼の中で、点と点がつながっていく音が聞こえるようだった。
カード転売で学んだ「情報の非対称性(知っている奴が得をする)」。 ポケベルで学んだ「人と繋がることへの渇望」。 もし、パソコンという箱が、それを世界規模で実現するものだとしたら――。
「……すごい。もしそれが本当なら、世界が変わるぞ」
兄貴の瞳に、野心の炎が宿った。 よし、食いついた。
†
次の日曜日。我が家に激震が走った。
「ただいま。……少し、大きな買い物をしたんだ」
外出していた兄貴が帰宅した。その背後には、電気屋の配送業者が二人がかりで抱える、巨大な段ボール箱がいくつも積み上げられていた。
リビングに運び込まれたのは、米びつみたいにデカいベージュ色のパソコン本体と、やたらと奥行きのあるCRTモニター。そしてプリンターなどの周辺機器一式だ。
「な、なんだこれは!? 翔、お前、これいくらしたんだ!?」
親父が腰を抜かさんばかりに驚愕する。 当然だ。この当時、これだけのハイスペックPC一式を揃えれば、優に四〇万~五〇万は飛ぶ。普通のサラリーマン家庭が、子供の小遣いで買える代物ではない。
兄貴は涼しい顔で答えた。
「貯金を下ろしました。これからは、情報化社会が来ます。将来のために、どうしても必要だと思ったので」
「ちょ、貯金って、お前……そんなに持っていたのか?」
「お年玉とか、今までずっと使わずに貯めていたので」
嘘つけ。 俺は心の中でツッコミを入れた。その資金源が、カード転売とポケベル相談室で稼ぎ出した、俺のクマのぬいぐるみの中に隠されていた「アングラマネー」であることを、俺だけは知っている。
親父は完全に言葉を失っていた。中学生の息子が、自分のボーナスより高い買い物を現金一括でしてのけたのだ。父親としての威厳がガラガラと崩れ去っていく音が聞こえた気がした。
†
その夜。兄貴の部屋。 俺たちは、鎮座する巨大なマシンの前に並んで座っていた。
兄貴が分厚いマニュアルと格闘しながら、配線を終える。 そして、電源ボタンを押した。
ブォォォォン……。 重低音のファンが回り出し、モニターに無機質な文字が流れ、やがて「Windows95」のロゴが浮かび上がった。
「……ついた」 兄貴がゴクリと喉を鳴らす。
だが、本番はここからだ。インターネットに繋がなければ、ただの高い箱だ。 兄貴が震える手で、ダイヤルアップ接続のアイコンをクリックする。
その瞬間。部屋に、あの「音」が響き渡った。
――ジジジ、ピーヒョロロロロロ……ガーーーー、ピピピピ……
モデムの接続音。 前世の俺にとっては、懐かしさで涙が出そうになる「過去の遺物」の音。 だが、今の兄貴にとっては、未知なる世界への扉が開く「未来のファンファーレ」だった。
「繋がった……!」
画面に、ゆっくりと、カクカクと、ブラウザの初期ページが表示される。 ただの文字と、粗い画像の羅列。今の基準で見れば信じられないほど遅く、チープな画面だ。
だが、兄貴はまるで宇宙の真理を見たかのように、画面に釘付けになっていた。
「愛理……すごいよ。本当に、ここから世界中に繋がっているんだ」
兄貴が興奮気味に俺の方を向いた。その顔は、新しいおもちゃを手に入れた子供のようでもあり、新たな大陸を発見した冒険家のようでもあった。
「ありがとう、愛理。君が背中を押してくれなかったら、僕はまだこの凄さに気づけていなかった」
兄貴が俺を抱きしめる。 うんうん、よかったな兄貴。
俺は兄貴の腕の中で、ニヤリと笑った。
さあ、これで武器は揃った。 Windows95の登場は、IT革命の狼煙(のろし)だ。これから数年で、ヤフーが来て、Googleが来て、アマゾンが日本に上陸する。ドットコムバブルが到来し、IT長者が雨後の筍のように生まれる時代がやってくる。
その全てを知っている俺と、最強の実行力と資金力を持つ兄貴。 俺たちが、この日本のインターネット黎明期を牛耳らないで、誰がやるというのだ?
ピーヒョロロと鳴り響くモデムの音を聞きながら、俺は確信した。 俺の「二度目の人生勝ち組計画」は、ここからが本番だと。
連日、テレビのニュースが秋葉原の様子を映し出している。深夜〇時の発売解禁を待つ、長蛇の列。人々が熱狂的な顔で求めているのは、人気ゲームソフトではない。 『Microsoft Windows95』。 そう、パソコン用のオペレーティングシステムだ。
リビングでミカンを剥きながら、親父が鼻で笑った。 「たかが機械のソフトに、何万も払って並ぶなんて。みんな暇だなぁ。パソコンなんて、一部のマニアか仕事で使う奴だけの『高い計算機』だろうに」
親父の認識は、この時代の平均的なサラリーマンのそれだった。 だが、俺は知っている。これが世界の在り方を根底から覆す「革命」の始まりであることを。
俺はチラリと隣を見た。 中学生になり、学ラン姿がすっかり板についた兄貴、翔が、真剣な眼差しでテレビ画面を見つめていた。
「……お父さん、本当にそうでしょうか。これだけの人が動くには、何か理由があるはずです」
兄貴の嗅覚が反応している。 ポケベルビジネスで「情報」と「繋がり」の価値を知った彼だからこそ、この熱狂の裏にある何かを感じ取っているのだ。
俺は、剥きかけたミカンを兄貴の口に「あーん」と押し込みながら(これが一番自然に会話に割り込める)、援護射撃を開始した。
「ねえねえ、おにーちゃん。ぱそこんって、すごいんだよね?」
「んぐっ……もが。ああ、すごいらしいね。でも、何がすごいのか、僕もまだよくわからなくて」
俺は、わざとらしく首をかしげてみせた。
「あーいー、きいたことあるよ。ぱそこんがあるとね、『せかいじゅうのとしょかんの本』が、おうちにいたまま読めるんだって!」
「……え?」
「それにね、とおーい国の人と、おてがみ交換もすぐにできるの。サンタさんにも、ちょくせつおねがいできるかも!」
俺は、インターネットの概念を、可能な限り幼児語に翻訳して伝えた。 「世界中の情報へのアクセス」と「リアルタイムの地球規模コミュニケーション」。
兄貴の動きが止まった。 彼の中で、点と点がつながっていく音が聞こえるようだった。
カード転売で学んだ「情報の非対称性(知っている奴が得をする)」。 ポケベルで学んだ「人と繋がることへの渇望」。 もし、パソコンという箱が、それを世界規模で実現するものだとしたら――。
「……すごい。もしそれが本当なら、世界が変わるぞ」
兄貴の瞳に、野心の炎が宿った。 よし、食いついた。
†
次の日曜日。我が家に激震が走った。
「ただいま。……少し、大きな買い物をしたんだ」
外出していた兄貴が帰宅した。その背後には、電気屋の配送業者が二人がかりで抱える、巨大な段ボール箱がいくつも積み上げられていた。
リビングに運び込まれたのは、米びつみたいにデカいベージュ色のパソコン本体と、やたらと奥行きのあるCRTモニター。そしてプリンターなどの周辺機器一式だ。
「な、なんだこれは!? 翔、お前、これいくらしたんだ!?」
親父が腰を抜かさんばかりに驚愕する。 当然だ。この当時、これだけのハイスペックPC一式を揃えれば、優に四〇万~五〇万は飛ぶ。普通のサラリーマン家庭が、子供の小遣いで買える代物ではない。
兄貴は涼しい顔で答えた。
「貯金を下ろしました。これからは、情報化社会が来ます。将来のために、どうしても必要だと思ったので」
「ちょ、貯金って、お前……そんなに持っていたのか?」
「お年玉とか、今までずっと使わずに貯めていたので」
嘘つけ。 俺は心の中でツッコミを入れた。その資金源が、カード転売とポケベル相談室で稼ぎ出した、俺のクマのぬいぐるみの中に隠されていた「アングラマネー」であることを、俺だけは知っている。
親父は完全に言葉を失っていた。中学生の息子が、自分のボーナスより高い買い物を現金一括でしてのけたのだ。父親としての威厳がガラガラと崩れ去っていく音が聞こえた気がした。
†
その夜。兄貴の部屋。 俺たちは、鎮座する巨大なマシンの前に並んで座っていた。
兄貴が分厚いマニュアルと格闘しながら、配線を終える。 そして、電源ボタンを押した。
ブォォォォン……。 重低音のファンが回り出し、モニターに無機質な文字が流れ、やがて「Windows95」のロゴが浮かび上がった。
「……ついた」 兄貴がゴクリと喉を鳴らす。
だが、本番はここからだ。インターネットに繋がなければ、ただの高い箱だ。 兄貴が震える手で、ダイヤルアップ接続のアイコンをクリックする。
その瞬間。部屋に、あの「音」が響き渡った。
――ジジジ、ピーヒョロロロロロ……ガーーーー、ピピピピ……
モデムの接続音。 前世の俺にとっては、懐かしさで涙が出そうになる「過去の遺物」の音。 だが、今の兄貴にとっては、未知なる世界への扉が開く「未来のファンファーレ」だった。
「繋がった……!」
画面に、ゆっくりと、カクカクと、ブラウザの初期ページが表示される。 ただの文字と、粗い画像の羅列。今の基準で見れば信じられないほど遅く、チープな画面だ。
だが、兄貴はまるで宇宙の真理を見たかのように、画面に釘付けになっていた。
「愛理……すごいよ。本当に、ここから世界中に繋がっているんだ」
兄貴が興奮気味に俺の方を向いた。その顔は、新しいおもちゃを手に入れた子供のようでもあり、新たな大陸を発見した冒険家のようでもあった。
「ありがとう、愛理。君が背中を押してくれなかったら、僕はまだこの凄さに気づけていなかった」
兄貴が俺を抱きしめる。 うんうん、よかったな兄貴。
俺は兄貴の腕の中で、ニヤリと笑った。
さあ、これで武器は揃った。 Windows95の登場は、IT革命の狼煙(のろし)だ。これから数年で、ヤフーが来て、Googleが来て、アマゾンが日本に上陸する。ドットコムバブルが到来し、IT長者が雨後の筍のように生まれる時代がやってくる。
その全てを知っている俺と、最強の実行力と資金力を持つ兄貴。 俺たちが、この日本のインターネット黎明期を牛耳らないで、誰がやるというのだ?
ピーヒョロロと鳴り響くモデムの音を聞きながら、俺は確信した。 俺の「二度目の人生勝ち組計画」は、ここからが本番だと。
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