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第6話:深夜のテレホタイムと、黒背景の『工事中』
Windows95の導入から一ヶ月。 我が家は、新たな、そして深刻な危機に直面していた。
「翔! なんだこの電話代の請求額はぁっ!!」
リビングに、親父の悲鳴にも似た怒号が響き渡った。 親父の手にある請求書には、普段の三倍近い金額が記載されている。犯人は明白だ。兄貴のインターネットである。
この時代、ネットへの接続は従量課金のダイヤルアップが基本。繋げば繋ぐほど、電話代が青天井に跳ね上がる「パケ死」の前身のような地獄があったのだ。
兄貴は、学ラン姿で正座し、殊勝な顔で頭を下げた。 「申し訳ありません。調べ物に熱中して、つい時間を忘れて……」 「調べ物って、お前、何時間電話線を占拠してるんだ! 母さんが実家に電話もかけられないじゃないか!」
親父の剣幕に、兄貴は小さくなっている。 だが、俺は知っている。兄貴の目は全く反省していない。むしろ、「どうすれば親父にバレずにネット時間を確保できるか」を高速で計算している目だ。
――仕方ない。俺が助け舟を出すか。 これも、兄貴に快適なネット環境を提供し、将来のIT長者になってもらうための投資だ。
「ねえねえ、パパ。テレビでやってたよ。『てれほーだい』っていうの」
俺は、無邪気な小学一年生を装って、決定的なキーワードを投下した。 『テレホーダイ』。NTTが提供していた、深夜二三時から翌朝八時までの間、特定の番号への通話料が定額になるサービス。当時のネットユーザーにとっては、生命線とも言える魔法の言葉だ。
「てれ……なんだって?」 親父が眉をひそめる。
「夜中だけ、おでんわ代が、おやすくなんですって。翔おにいちゃん、夜中は起きてるから、それがいいんじゃない?」
ナイスアシスト、俺。 兄貴がバッと顔を上げ、俺を見た。「愛理、お前……!」という感謝の念が伝わってくる。
「……お父さん。そのサービス、僕も聞いたことがあります。深夜だけなら、家族の電話にも迷惑をかけません。それに、僕の貯金で月額料金を払います」
兄貴が畳みかける。自分の小遣いで払うと言われれば、親父も強くは言えない。 こうして我が家は、深夜二三時になるとモデムがピーヒョロロと鳴り響く、典型的な「テレホタイム家庭」となった。
†
深夜のリビング。家族が寝静まった後、モニターの青白い光だけが兄貴の顔を照らしている。 俺はこっそり布団を抜け出し、兄貴の隣に座った。
兄貴が見ているのは、まだ情報量の少ない、黎明期のYahoo! JAPANや、個人の趣味サイトだ。 画像一枚表示するのに数十秒かかるナローバンドの世界。それでも、兄貴は貪るように画面を見つめている。
「……愛理。ネットってすごいな。学校の図書室にもない情報が、ここにはある」 兄貴の声は興奮で震えていた。
だが、俺は思う。ただ見ているだけじゃ、もったいない。 インターネットの本質は「双方向性」だ。情報を発信する側に回ってこそ、真の旨味がある。
俺は、兄貴の袖をクイクイと引っ張った。
「ねえ、おにーちゃん。おにーちゃんのおうちは、ないの?」
「え? おうち?」
「うん! みんな、インターネットのなかに、じぶんの『ほーむぺーじ』をもってるんでしょ? おにーちゃんのぺーじも、みてみたいなぁ」
俺が上目遣いでおねだりすると、兄貴のシスコン回路がフル稼働した。
「――! そ、そうだね。愛理が見たいなら、お兄ちゃん、頑張って作ってみるよ!」
チョロい。さすが俺の兄貴。
†
それから数日。兄貴は学校の勉強そっちのけで(それでも成績はトップだが)、『HTML入門』みたいな分厚い解説書と格闘した。 当時は便利なブログやSNSなんてない。「メモ帳」でタグを一行一行手打ちする、職人芸の世界だ。
そして完成した、兄貴の処女作。 モニターに映し出されたそのサイトは……うん、なんというか、実に「九〇年代」だった。
背景は目に痛い真っ黒。文字は原色の赤や黄色。 トップページには、どこかの素材屋から拾ってきた、つるはしを持った工事現場のおじさんのイラストが回転しており、デカデカと赤文字で点滅している。
『現在、工事中!』
その下には、無駄に立体的な文字で『Welcome to SHO's HomePage』。 そして、ページの最下部には、これまた懐かしい「アクセスカウンター」が設置されていた。現在の数字は『00001』。兄貴自身だ。
「ど、どうかな愛理。まだ工事中なんだけど……」 兄貴が自信なさげに聞いてくる。
俺は内心(うわぁ、黒歴史確定だな……)と思いつつも、表面上は目を輝かせてみせた。
「すごーい! おにーちゃんのひみつきちみたい! かっこいー!」
俺の賞賛に、兄貴は安堵の表情を浮かべた。 「よかった……。トップページには、愛理の一番可愛い写真を貼ろうと思ったんだけど、画像サイズが大きすぎて表示に五分かかったから、やめたんだ」
危ないところだった。全世界に俺の幼女姿が拡散されるところだった。ナローバンド回線に感謝だ。
「で、でもね、おにーちゃん。ここ、なにもかいてないよ? みんな、なにをみにくるの?」 俺は核心を突いた。「工事中」だけでは誰も来ない。
兄貴は少し考えて、言った。 「……そうだね。僕が得意なこと。みんなが知りたがっていること……」
彼の脳裏に、カード転売やポケベル相談室での経験が蘇る。 人々が求めているのは「お得な情報」や「裏技」、そして「攻略法」だ。
「よし。ここに『掲示板(BBS)』を置こう。そして、僕が調べた、学校で流行っているゲームの攻略情報や、裏技を載せていくんだ」
兄貴の指がキーボードを叩き始める。 ただの自己満足ページから、情報発信基地へと、サイトのコンセプトが変わった瞬間だった。
俺は、その様子を見ながらニヤリと笑った。 そうだ、それでいい。まずはこの小さな「個人の城」から、ネットという広大な海原での戦い方を学ぶんだ、兄貴。
キリ番を踏んだらカキコ(書き込み)必須。そんな時代の、小さな覇権争いが始まろうとしていた。
「翔! なんだこの電話代の請求額はぁっ!!」
リビングに、親父の悲鳴にも似た怒号が響き渡った。 親父の手にある請求書には、普段の三倍近い金額が記載されている。犯人は明白だ。兄貴のインターネットである。
この時代、ネットへの接続は従量課金のダイヤルアップが基本。繋げば繋ぐほど、電話代が青天井に跳ね上がる「パケ死」の前身のような地獄があったのだ。
兄貴は、学ラン姿で正座し、殊勝な顔で頭を下げた。 「申し訳ありません。調べ物に熱中して、つい時間を忘れて……」 「調べ物って、お前、何時間電話線を占拠してるんだ! 母さんが実家に電話もかけられないじゃないか!」
親父の剣幕に、兄貴は小さくなっている。 だが、俺は知っている。兄貴の目は全く反省していない。むしろ、「どうすれば親父にバレずにネット時間を確保できるか」を高速で計算している目だ。
――仕方ない。俺が助け舟を出すか。 これも、兄貴に快適なネット環境を提供し、将来のIT長者になってもらうための投資だ。
「ねえねえ、パパ。テレビでやってたよ。『てれほーだい』っていうの」
俺は、無邪気な小学一年生を装って、決定的なキーワードを投下した。 『テレホーダイ』。NTTが提供していた、深夜二三時から翌朝八時までの間、特定の番号への通話料が定額になるサービス。当時のネットユーザーにとっては、生命線とも言える魔法の言葉だ。
「てれ……なんだって?」 親父が眉をひそめる。
「夜中だけ、おでんわ代が、おやすくなんですって。翔おにいちゃん、夜中は起きてるから、それがいいんじゃない?」
ナイスアシスト、俺。 兄貴がバッと顔を上げ、俺を見た。「愛理、お前……!」という感謝の念が伝わってくる。
「……お父さん。そのサービス、僕も聞いたことがあります。深夜だけなら、家族の電話にも迷惑をかけません。それに、僕の貯金で月額料金を払います」
兄貴が畳みかける。自分の小遣いで払うと言われれば、親父も強くは言えない。 こうして我が家は、深夜二三時になるとモデムがピーヒョロロと鳴り響く、典型的な「テレホタイム家庭」となった。
†
深夜のリビング。家族が寝静まった後、モニターの青白い光だけが兄貴の顔を照らしている。 俺はこっそり布団を抜け出し、兄貴の隣に座った。
兄貴が見ているのは、まだ情報量の少ない、黎明期のYahoo! JAPANや、個人の趣味サイトだ。 画像一枚表示するのに数十秒かかるナローバンドの世界。それでも、兄貴は貪るように画面を見つめている。
「……愛理。ネットってすごいな。学校の図書室にもない情報が、ここにはある」 兄貴の声は興奮で震えていた。
だが、俺は思う。ただ見ているだけじゃ、もったいない。 インターネットの本質は「双方向性」だ。情報を発信する側に回ってこそ、真の旨味がある。
俺は、兄貴の袖をクイクイと引っ張った。
「ねえ、おにーちゃん。おにーちゃんのおうちは、ないの?」
「え? おうち?」
「うん! みんな、インターネットのなかに、じぶんの『ほーむぺーじ』をもってるんでしょ? おにーちゃんのぺーじも、みてみたいなぁ」
俺が上目遣いでおねだりすると、兄貴のシスコン回路がフル稼働した。
「――! そ、そうだね。愛理が見たいなら、お兄ちゃん、頑張って作ってみるよ!」
チョロい。さすが俺の兄貴。
†
それから数日。兄貴は学校の勉強そっちのけで(それでも成績はトップだが)、『HTML入門』みたいな分厚い解説書と格闘した。 当時は便利なブログやSNSなんてない。「メモ帳」でタグを一行一行手打ちする、職人芸の世界だ。
そして完成した、兄貴の処女作。 モニターに映し出されたそのサイトは……うん、なんというか、実に「九〇年代」だった。
背景は目に痛い真っ黒。文字は原色の赤や黄色。 トップページには、どこかの素材屋から拾ってきた、つるはしを持った工事現場のおじさんのイラストが回転しており、デカデカと赤文字で点滅している。
『現在、工事中!』
その下には、無駄に立体的な文字で『Welcome to SHO's HomePage』。 そして、ページの最下部には、これまた懐かしい「アクセスカウンター」が設置されていた。現在の数字は『00001』。兄貴自身だ。
「ど、どうかな愛理。まだ工事中なんだけど……」 兄貴が自信なさげに聞いてくる。
俺は内心(うわぁ、黒歴史確定だな……)と思いつつも、表面上は目を輝かせてみせた。
「すごーい! おにーちゃんのひみつきちみたい! かっこいー!」
俺の賞賛に、兄貴は安堵の表情を浮かべた。 「よかった……。トップページには、愛理の一番可愛い写真を貼ろうと思ったんだけど、画像サイズが大きすぎて表示に五分かかったから、やめたんだ」
危ないところだった。全世界に俺の幼女姿が拡散されるところだった。ナローバンド回線に感謝だ。
「で、でもね、おにーちゃん。ここ、なにもかいてないよ? みんな、なにをみにくるの?」 俺は核心を突いた。「工事中」だけでは誰も来ない。
兄貴は少し考えて、言った。 「……そうだね。僕が得意なこと。みんなが知りたがっていること……」
彼の脳裏に、カード転売やポケベル相談室での経験が蘇る。 人々が求めているのは「お得な情報」や「裏技」、そして「攻略法」だ。
「よし。ここに『掲示板(BBS)』を置こう。そして、僕が調べた、学校で流行っているゲームの攻略情報や、裏技を載せていくんだ」
兄貴の指がキーボードを叩き始める。 ただの自己満足ページから、情報発信基地へと、サイトのコンセプトが変わった瞬間だった。
俺は、その様子を見ながらニヤリと笑った。 そうだ、それでいい。まずはこの小さな「個人の城」から、ネットという広大な海原での戦い方を学ぶんだ、兄貴。
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