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第12話:ビットバレーの安アパートと、最初の「社員」
平成十二年(二〇〇〇年)、春。 ミレニアムの熱気が続く中、俺と兄貴は「若者の街」渋谷の雑踏に立っていた。
センター街の喧騒を抜け、道玄坂を登りきった路地の裏。 そこに、俺たちの城――『有限会社K・A・リンクス』の最初のオフィスがあった。
「……ここが、僕たちの会社か」
兄貴が感慨深げに見上げるのは、築三十年の雑居ビル『渋谷ハイツ』。 その一室、六畳一間のワンルームマンションだ。 家賃は八万円。高校生社長のオフィスとしては地味すぎるが、俺が物件を選んだ。
「おにーちゃん、みかけじゃないよ。だいじなのは『りっち』と『中身』!」
俺はビシッと言った。 この時期、渋谷周辺には「ビットバレー」構想に惹かれたITベンチャーが雨後の筍のように集まっていた。 六本木ヒルズができるのはまだ先。今のITの最前線は、こういう薄汚い雑居ビルの中にこそあるのだ。
ガチャリとドアを開ける。 中には、秋葉原で買い揃えた中古のデスクと、最新鋭のサーバーラック、そして兄貴が愛用している自作PCが鎮座している。
「よし。これで今日から、ここが僕たちの戦場だね」 兄貴が制服(学ラン)のまま、社長席(ただのパイプ椅子)に座る。
だが、問題が一つあった。 人手が足りないのだ。
着メロサイトの更新、ユーザーサポート、広告主とのメール対応、そして新作プログラムの開発。 これらを全て、高校生の兄貴一人(と、たまに手伝う小学生の俺)で回すのは、物理的に限界が来ていた。
「愛理……僕、もう寝る時間が二時間しかないよ。学校の授業中が唯一の睡眠時間だ」 兄貴の目の下には、濃いクマができている。これはまずい。過労死させてしまっては、俺の寄生ライフが崩壊する。
「おにーちゃん。『しゃいん』を雇おう」
「社員? でも、高校生の僕が社長の会社に、まともな大人が来てくれるかな……」
「まともな人じゃなくていいの。『オタク』がいいの!」
俺は即答した。 この時代、高い技術を持ちながらも、コミュ障だったり学歴がなかったりで、社会からあぶれている「ギーク(技術オタク)」が山ほどいる。 彼らこそが、最強の戦力だ。
†
俺たちは、兄貴のサイトのトップページに、求人広告を出した。
『【急募】高校生社長の右腕になりませんか? 学歴・年齢・服装不問。必要なのは、コードが書けることと、寝ずにゲームができる体力だけ。 給与:応相談(今のバイトよりは出します)』
面接日。 指定した日時に、オフィス(ボロアパート)のチャイムが鳴った。
現れたのは、典型的な「アキバ系」だった。 ボサボサの髪、チェックのシャツ、リュックサックには大量のキーホルダー。眼鏡のレンズは指紋で曇っている。 年齢は二十代半ばだろうか。
「あ、あの……ここで、面接をやっていると聞いて……」 男は、高校生の兄貴と、お菓子を食べている小学生の俺を見て、挙動不審にキョドっている。
「はい、僕が社長の一ノ瀬です。どうぞ座ってください」 兄貴は、大人びた笑顔で対応した。さすがカリスマ。
男の名は、田中(仮名)。二十四歳。 大学を中退後、コンビニバイトをしながら、趣味でフリーソフトを作っているらしい。
兄貴が履歴書を見ながら困った顔をする。職歴なし、資格なし。普通の企業なら書類選考でゴミ箱行きだ。
だが、俺は見ていた。 田中のリュックから見えている、使い込まれたノートPC(ThinkPad)と、指先にできた「キーボードダコ」を。 こいつ、できる。
俺は、食べていたポテトチップスを置き、トテトテと田中に歩み寄った。
「ねえ、おにいちゃん。リナックス、つかえる?」
不意に小学生女児から専門用語を投げかけられ、田中がビクッとする。 「え、あ、はい。カーネルの再構築くらいなら、趣味で……」
「じゃあ、サーバーのフカブウンサン(負荷分散)は?」
「えっと、DNSラウンドロビンもいいですけど、最近ならロードバランサを自作したほうが……」
田中の目が変わった。 相手が小学生だろうが関係ない。「技術の話」になった瞬間、スイッチが入ったのだ。 彼はそこから、兄貴のサイトの脆弱性と、その改善案を早口でまくし立て始めた。
兄貴がポカンとしている。 俺はニヤリとして、兄貴に目配せをした。(合格だ、兄貴)
「……田中さん。採用です」 兄貴が手を差し出す。
「えっ? い、いいんですか? 僕みたいな社会不適合者が……」
「あなたが欲しいんです。僕と一緒に、世界を変えるコードを書きませんか?」
兄貴の殺し文句(天然)が炸裂した。 田中は涙目になりながら、兄貴の手を握り返した。
「は、はいっ! 一生ついていきます、社長!」
こうして、K・A・リンクスに最初の社員が誕生した。 彼は後に、伝説のCTO(最高技術責任者)として、我が社の技術部門を統べることになるのだが、それはまだ先の話。
†
社員も増え、会社らしくなってきたある日。 俺はオフィスで、学校の宿題(漢字ドリル)をやっていた。 田中は黙々とキーボードを叩き、兄貴は電話対応に追われている。
そこに、一本の電話がかかってきた。 相手は、今をときめく大手出版社。
「はい……はい。えっ? 書籍化、ですか?」
兄貴の声が上擦る。 どうやら、兄貴のサイトで連載していた『携帯サイト運営日記』や『裏技コラム』をまとめて、本にしないかというオファーらしい。
タイトル案は『高校生社長が教える! 新世紀のネット戦略』。
「愛理! 本が出るって! 僕の本が!」 電話を切った兄貴が、子供のように(子供だが)はしゃいで俺に抱き着いてきた。
「すごーい! 印税だね! 焼肉だね!」 俺も手放しで喜んだ。 本の出版はデカい。「著者」という肩書は、社会的信用を一気に高める。これで銀行からの融資も受けやすくなるし、親父も安心するだろう。
だが、俺は一つだけ釘を刺した。
「おにーちゃん。プロフィール写真は、制服じゃなくてスーツにしてね。あと、『妹のおかげ』って書くのは禁止だよ。あくまで『天才高校生』で売るんだから」
「えー、でも愛理のおかげなのに……」
「だ・め! ミステリアスなほうがモテるの!」
こうして、K・A・リンクスは、渋谷の片隅から、確実にメジャーへの階段を登り始めた。 窓の外を見下ろせば、渋谷の交差点。 あそこを行き交う何万人もの人々が、まもなく俺たちのサービスのユーザーになる。
俺はドリルを閉じ、不敵に笑った。 さあ、次は「iアプリ」の登場だ。携帯電話でゲームが動く時代が来る。 田中という戦力も手に入れた今、俺たちに死角はない。
……あ、その前に。 来週は学校の「林間学校」だ。 また男子の荷物持ち係と、女子のお菓子貢ぎ合戦を捌かなきゃいけないのか。 社長秘書も楽じゃないぜ。
センター街の喧騒を抜け、道玄坂を登りきった路地の裏。 そこに、俺たちの城――『有限会社K・A・リンクス』の最初のオフィスがあった。
「……ここが、僕たちの会社か」
兄貴が感慨深げに見上げるのは、築三十年の雑居ビル『渋谷ハイツ』。 その一室、六畳一間のワンルームマンションだ。 家賃は八万円。高校生社長のオフィスとしては地味すぎるが、俺が物件を選んだ。
「おにーちゃん、みかけじゃないよ。だいじなのは『りっち』と『中身』!」
俺はビシッと言った。 この時期、渋谷周辺には「ビットバレー」構想に惹かれたITベンチャーが雨後の筍のように集まっていた。 六本木ヒルズができるのはまだ先。今のITの最前線は、こういう薄汚い雑居ビルの中にこそあるのだ。
ガチャリとドアを開ける。 中には、秋葉原で買い揃えた中古のデスクと、最新鋭のサーバーラック、そして兄貴が愛用している自作PCが鎮座している。
「よし。これで今日から、ここが僕たちの戦場だね」 兄貴が制服(学ラン)のまま、社長席(ただのパイプ椅子)に座る。
だが、問題が一つあった。 人手が足りないのだ。
着メロサイトの更新、ユーザーサポート、広告主とのメール対応、そして新作プログラムの開発。 これらを全て、高校生の兄貴一人(と、たまに手伝う小学生の俺)で回すのは、物理的に限界が来ていた。
「愛理……僕、もう寝る時間が二時間しかないよ。学校の授業中が唯一の睡眠時間だ」 兄貴の目の下には、濃いクマができている。これはまずい。過労死させてしまっては、俺の寄生ライフが崩壊する。
「おにーちゃん。『しゃいん』を雇おう」
「社員? でも、高校生の僕が社長の会社に、まともな大人が来てくれるかな……」
「まともな人じゃなくていいの。『オタク』がいいの!」
俺は即答した。 この時代、高い技術を持ちながらも、コミュ障だったり学歴がなかったりで、社会からあぶれている「ギーク(技術オタク)」が山ほどいる。 彼らこそが、最強の戦力だ。
†
俺たちは、兄貴のサイトのトップページに、求人広告を出した。
『【急募】高校生社長の右腕になりませんか? 学歴・年齢・服装不問。必要なのは、コードが書けることと、寝ずにゲームができる体力だけ。 給与:応相談(今のバイトよりは出します)』
面接日。 指定した日時に、オフィス(ボロアパート)のチャイムが鳴った。
現れたのは、典型的な「アキバ系」だった。 ボサボサの髪、チェックのシャツ、リュックサックには大量のキーホルダー。眼鏡のレンズは指紋で曇っている。 年齢は二十代半ばだろうか。
「あ、あの……ここで、面接をやっていると聞いて……」 男は、高校生の兄貴と、お菓子を食べている小学生の俺を見て、挙動不審にキョドっている。
「はい、僕が社長の一ノ瀬です。どうぞ座ってください」 兄貴は、大人びた笑顔で対応した。さすがカリスマ。
男の名は、田中(仮名)。二十四歳。 大学を中退後、コンビニバイトをしながら、趣味でフリーソフトを作っているらしい。
兄貴が履歴書を見ながら困った顔をする。職歴なし、資格なし。普通の企業なら書類選考でゴミ箱行きだ。
だが、俺は見ていた。 田中のリュックから見えている、使い込まれたノートPC(ThinkPad)と、指先にできた「キーボードダコ」を。 こいつ、できる。
俺は、食べていたポテトチップスを置き、トテトテと田中に歩み寄った。
「ねえ、おにいちゃん。リナックス、つかえる?」
不意に小学生女児から専門用語を投げかけられ、田中がビクッとする。 「え、あ、はい。カーネルの再構築くらいなら、趣味で……」
「じゃあ、サーバーのフカブウンサン(負荷分散)は?」
「えっと、DNSラウンドロビンもいいですけど、最近ならロードバランサを自作したほうが……」
田中の目が変わった。 相手が小学生だろうが関係ない。「技術の話」になった瞬間、スイッチが入ったのだ。 彼はそこから、兄貴のサイトの脆弱性と、その改善案を早口でまくし立て始めた。
兄貴がポカンとしている。 俺はニヤリとして、兄貴に目配せをした。(合格だ、兄貴)
「……田中さん。採用です」 兄貴が手を差し出す。
「えっ? い、いいんですか? 僕みたいな社会不適合者が……」
「あなたが欲しいんです。僕と一緒に、世界を変えるコードを書きませんか?」
兄貴の殺し文句(天然)が炸裂した。 田中は涙目になりながら、兄貴の手を握り返した。
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こうして、K・A・リンクスに最初の社員が誕生した。 彼は後に、伝説のCTO(最高技術責任者)として、我が社の技術部門を統べることになるのだが、それはまだ先の話。
†
社員も増え、会社らしくなってきたある日。 俺はオフィスで、学校の宿題(漢字ドリル)をやっていた。 田中は黙々とキーボードを叩き、兄貴は電話対応に追われている。
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「はい……はい。えっ? 書籍化、ですか?」
兄貴の声が上擦る。 どうやら、兄貴のサイトで連載していた『携帯サイト運営日記』や『裏技コラム』をまとめて、本にしないかというオファーらしい。
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「すごーい! 印税だね! 焼肉だね!」 俺も手放しで喜んだ。 本の出版はデカい。「著者」という肩書は、社会的信用を一気に高める。これで銀行からの融資も受けやすくなるし、親父も安心するだろう。
だが、俺は一つだけ釘を刺した。
「おにーちゃん。プロフィール写真は、制服じゃなくてスーツにしてね。あと、『妹のおかげ』って書くのは禁止だよ。あくまで『天才高校生』で売るんだから」
「えー、でも愛理のおかげなのに……」
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こうして、K・A・リンクスは、渋谷の片隅から、確実にメジャーへの階段を登り始めた。 窓の外を見下ろせば、渋谷の交差点。 あそこを行き交う何万人もの人々が、まもなく俺たちのサービスのユーザーになる。
俺はドリルを閉じ、不敵に笑った。 さあ、次は「iアプリ」の登場だ。携帯電話でゲームが動く時代が来る。 田中という戦力も手に入れた今、俺たちに死角はない。
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